39-7-2 此処ではない別の世界での出来事 キルケゴール・アダムと名も無き少年
「おはよう、名も無き少年よ」
目覚めるとそこに見知らぬ外人がいた。
少しくたびれた感じの痩せ男だ。その碧色の瞳と乾いたわらのようなブロンドを、俺はしばらく呆然と眺めていたようだった。
「自己紹介するよ、私の名前はキルケゴール・アダム。年齢は35、ただのしがない研究者だ」
「……そう」
頭が回っていない。
今のは素っ気なさ過ぎただろうか、まあ後で謝ればいいか。
俺はしばらく何も考えずに己の思考能力が戻るのを待った。
「よければ、名前を聞いてもいいだろうか?」
「……名前?」
「そう、君の名前だ。……実はね、君の名前の頭文字が50音中のどれになるのかで議論になってね。まあどうでも良いことだが、大事な話をして忘れてしまう前に、聞いておいておこうと思ったんだよ」
「へー……。俺を賭事のネタにしてたってこと……?」
キルケゴールさんが柔和に笑った。
なにせ外人だ、顔の掘りも深いし、日本人の俺には物珍しい。
……っていうかキルケゴールさん普通に日本語使ってるな、才人だ。
「まあそういうことだね。……ちなみに賭の相手たちとはもう別行動でね、実を言うと……ここには君と俺しかいない。ま、男同士で気楽なもんだと思ってくれ」
「そうか。……でも悪いねキルケゴールさん、俺はその名前が思い出せないみたいだ。むしろさ、俺って誰?」
本当にただの賭事目当てで名前を聞いていたらしい。
キルケゴールさんは薄く笑った。いや何気にこれ俺からしたら大事じゃね? つかここどこよ?
「記憶喪失か。フ……オッズの低い結末になってしまったな。それでは名前以外の他のことは何か思い出せるか?」
「……いや、それが何も。綺麗さっぱり全部抜け落ちてるみたいだ」
ああでも確か、餅を喉に詰まらせたような気が……そんな気もしてきたな……。
「そうか……ならば今のうちに現実の方を伝えておこう。状況は最悪だ、君の身体も、世界そのものもな」
「俺の身体……? 世界とはまたシリアスな言葉使うねキルケゴールさん」
そもそも俺は何で眠っていたんだ? ここはどこだ? 何で外人と2人っきりで目覚めるし。
夢……いや現実だなこれは……。
「君はいずれ死ぬ。だが悲しまなくともいい。その頃には天国への階段も、大渋滞を起こしていることだろう」
「なんだ……死ぬのか俺……」
「ああ、君は若くして病に冒され、深い穴底でコールドスリープさせられていた。それを我々が発掘したわけだが……すまない、その病気は我々でも治せないのだ」
「そりゃ悲惨だな、目覚めるなり死の宣告か」
死ぬと言われても現実感がない。
現に己の身体は健康なように感じられたし、痛みなんてどこにもなかった。
「苦しむことなく、充実した死を君に与えてやれるくらいだ。……きっとご両親に君は愛されていたのだろう」
「で、何のために俺を起こしたの? コールドスリープってつまり未来へのツケ払いじゃん、ま、破綻したっぽいけど。ならなぜ俺を起こしたのさ。まさか1人で寂しいから、話し相手が欲しかったとか言わないでよ、それって酔っぱらいが深夜に人を起こすようなもんだからね」
キルケゴールさんがうつむいた。
もちろん起こしたからには理由があるみたいだ、しかも後ろめたい事情とくる。
「それは……すまない……。それもすぐに伝えておかなければならなかったな……」
「もう死ぬんだしいいよ、そんなシリアスなノリになられても困るし、単刀直入に言ってよ」
どうも真面目な人らしい、俺の言葉に彼が態度を崩すことはなかった。
くたびれ風体の外人さんは小脇の白いテーブルからウィスキーボトルを握って一気にあおった。
「死にゆく君にこんなお願いをするのは……私のポリシーに反するのだが……あえて願おう。君の肉体には、未来が眠っている」
「キルケゴール・アダムさん、だっけ。アダムさん真面目だね、そんなのさ、有無を言わせず俺を従わせれば良いじゃないか。好きにすればいいんだよ」
「だがそれは私のポリシーに反するのだ。君は天からの授かり物だ、未来を繋ぐ命綱に、私はそれ相応の誠意と礼儀を示したいのだ」
いちいちシリアスだ。
ああそういや世界もピンチだったんだっけ、こりゃよっぽど追いつめられてるんだろうな。
「で、とにかくどうしたいのさ?」
「あ、ああ……話が早くて助かるが……それにしても変わっているな君は……。そうだな、どこから話したものか……今、西暦何年だと思う?」
妙な切り口だったけど、それには俺も興味を持たずにいられない。
俺はどれくらい眠っていたのだろう。そうだった、ここは俺からすれば未来なんだと。
「うーんそうだな……なんか殺風景っていうか不思議な部屋だし、ざっと2070年くらい?」
「かすりもしない大外れだ、今は西暦2155年だよ。君はね、ポットの記載が正しければ130年ほど眠っていたことになる」
「マジか……。うわ、ここマジで未来じゃん、これってSFじゃんこれ……わー、やったー……」
ビックリだよ、起きたら1世紀以上ジャンプしてたんだから。
ま、どっちにしろもう死ぬけどな俺。
「ここはキュウシュウ地方に作られた、とある地下施設だ。ちなみに日本は50年ほど前に併合され、国としては消えてなくなった」
「ふーん……滅びたんだ日本。そりゃ日蓮もビックリだろうね」
「ああ、お察しする……。私の故郷ももう無いのだ、つい数年前に地表ごと消し飛んだよ」
「ひぇ~地表ごと……、そりゃ世紀末っすなぁ~。……で、結局さ、俺に何を期待してるんだし?」
なかなか本題を出さない人だ。
だけど何となく理解した。世界がマジでヤベーピンチ状態で、俺ももう死ぬし、とにかく全部終わりじゃーって状態にあることだけは、だいたい把握できた。
しかしまどろっこしい、さっさと本題を吐いてくれ。
「……人類意思統合システム生命の輪、これが破滅を招いたんだ。それは人々を1つにして孤独からとき放つ、夢の構想のはずだった……。だが、結局1つにはなれずしまいになってな、宗教及びその宗派、思想ごとバラバラに世界を分断して、それぞれを共存不可能な群体に変える結末にしかならなかった」
うん、SF。生命の輪システム……?
あー無理無理、古代人ごときの俺には理解不能だったわ。
「よくわかんないよ。超大規模な洗脳装置が原因ってことか?」
「いや、皆が皆を守り合うための装置だ。今や大差ないがな……」
人類自滅ってことだけはわかった。
自滅エンドってオチそのものは何通りものSF作品で使い古されたものだ。人間にトドメ刺すのは人間、そんなの誰でも知ってること。
「初期のリヴィエラには、リヴィエラの意思で他者を支配下へと染め上げる機能は付いていなかった。だがどこぞのバカ野郎が、己が陣営の劣勢をひっくり返すためだけにブラックボックスを暴き、内容を書き換えてしまってな。気づけば全部のリヴィエラが、人類が、互いに、互いの支配する人間を奪い合う戦いになった」
「へー、つまり、人類全員強制参加のフルーツバスケットゲームね」
100年経ってもやってることは変わらないっていう。
むしろフルーツバスケットこそ人類の本能みたいな? あ、今深いこと言ったよ俺。