19-08 湖畔の旅路にて、流浪のエルフが語るもの
聖域に入る大義名分が出来たので、翌日俺たちは温泉郷ミルヒーヒルの別荘地から北に旅立ちました。
ここフレスベル自治国は南北で大きく分けられる土地でして、国土面積でいえばポロン公国の4倍強をも有しています。
といっても部族の土地だったり未開拓の辺境地だったり、いろいろと都合があるようですが。
さてこの南部、南部がいわば多種族共存の世界です。
ポロン公国の移民が4割近くを占めていまして、世界との公益流通の窓口にあたるためとても発展しています。
一方の北部は田舎――もとい、種族や部族単位で暮らす自治州ってやつだそうです。
その中でも最北にある古エルフの大領地、神秘の聖域フレスガルドが今回の目的地にあたります。
ちなみに俺たちが滞在していた温泉郷ミルヒーヒルは、自治国中央北よりにある特別区でして、実は各部族領土への玄関口にもあたるのです。
でまあ前置きが長くなりましたが、エルフの聖域フレスガルドに行けばきっと何かしらの糸口と、くだんの泉と、エルフだけのエルフだらけの最高の極楽浄土が見つかるってわけなんです。特に最後の部分、大事。
「ところでグリムニールさん、お願いがあるんだけど」
「ん、なんじゃ? こづかいなら貴様の分までかわいいアトゥにくれておいたぞ」
「ええーなにそれ聞いてないズルい。じゃなくてさ、この前の話聞かせてほしい」
旅は順調に進み、今はもう二日目に入っていました。
大ざっぱに言えばもう聖域に入っていまして、バカみたいに広いこの大森林を湖畔の道にそって歩いて、歩いて、歩き疲れたので休んでいたところでした。
「夜店で買った飴の話かの……? あれはな、本当に綺麗で甘く上品な果糖に包まれた至極の一品だったぞ。また我に買って来てくれ。いや違う味もよいな」
「孫にたからないで下さいよ……。いえ、てかそうじゃなくて、例の泉の話です」
温泉街の夜店はなかなか風情があって良いものでした。
そこで宿のグリムニールさんに大きなアンズの飴をプレゼントしたら、それはもう幼児のようにペロペロと飽きもせずずっと舐めていらっしゃいました。
「一度話したぞ?」
「すみません眠くて聞き逃してました」
「……なら聞いたのと同じだ、がんばって思い出せ」
一度した話をもう一度しろと言われて、喜ぶ人はそういないでしょう。
でも他の連中が湖の方で足を冷やしているこの隙に、さっと確認しておきたいことでした。
「古なる者の呪いに、少なからぬ耐性を持てる泉。グリムニールさんはそう言いましたよね」
「うむ、それは事実だ。効果は我が保証しよう」
「いえ俺は保証より根拠が欲しいのです。その泉、どうしてそんな都合の良い力を持っているんですか? もっと正直に言えば、そんな不確かな力に頼るのは抵抗がある」
理屈にうるさい俺のわがままです。
「相変わらずだな……。あんな酔狂まで起こしておいて、今さらそれを聞くか」
「うーん……それはそれ、これはこれ?」
「なんじゃそれは……大ざっぱなのか真面目なのか、まあいいだろう」
それにたぶんですけど、彼女もあんまり突っ込んだ話はしてくれていないはずです。
いくら眠かろうと、気になる単語が現れたら少しくらいは記憶に残りますし。
「……効果さえあるのなら、どうでも良いとは思わんのか?」
「思いません」
「面倒な男じゃのぅ……うむ、そうじゃな」
木陰の下の幼女がフードの下から遠い湖畔を眺めます。
そこはキラキラと健康的な光に輝いていて、お嬢とかウルカのはしゃぎ声が遠く聞こえてくるのでした。
見た目だけはあまりにうら若いグリムニールさんの瞳が、一瞬だけ憂いを浮かべて過去をあざ笑った気がします。
「その昔、ある英雄的冒険者がいた。彼は迷宮深層の攻略に成功し、偶然にも巨人族の肉を持ち帰った。もちろんただちにそれは聖域に持ち込まれ、里は大きくわいた」
おお、迷宮の深層から本当に手にはいるんですね。
俺からするとそっちの方が朗報です。
「しかしすぐに雲行きはきな臭い方向に変わっていた」
「きな臭い方向? ……なぜです?」
「簡単だ。用いれば呪いにかからぬ身体となる。いやそれどころか呪いに感染すれば、巨人族がそうであったように、呪いから力だけを得ることが出来た」
あー、確かにそれは危なそうです。
グリムニールさんの遠い目線に合わせて、湖畔の向こう側をぼんやりと眺めます。
あちら側は道を開拓する必要もないみたいで、岸が見えないほどに森へと埋もれていました。
「巨人族の肉は、エルフの切り札となる可能性を持つと同時に、エルフ種を超越する力を与えてくれる奇跡の財宝でもあったのだ」
「……世の中そう都合良くもいかなかったと」
でもちょっと気づいたことがあります。
グリムニールさんの様子とその話し方からは、どうもそれが彼女にとって他人事の昔話ではないらしい。
対岸を見つめる遠い瞳がそうもの語っています。ま、俺の妄想ですが。
「欲にまみれた者、古神への恐怖に負けてしまった者、それら狼藉者から秩序を守ろうとする者……。ありとあらゆる立場の者が争いを始め……聖域は一時地獄となり果てた。そこでは正義など何の意味もない、聖域が長く守り続けた秩序など、児戯にも等しい欲望と恐怖の世界だったよ」
「そりゃ……そりゃきっつい……。ならもしかして、グリムニールさんもそこにいたってこと?」
俺の質問に彼女は即答しませんでした。
一瞬だけ現実の存在である、俺の顔を見つめてすがるような目をします。
ですが視線と視線が重なると、臆病な彼女はまた遠くを見つめてしまうのでした。
「あんなもの持ち込まなければ良かったのだ。巨人の肉一つあったところでエルフ全体は救えない。だから……ある錬金術師は、巡り合わせで自らの手元にその巨人族の肉がやって来ると……」
錬金術師。
それがグリムニールさん本人であることは、もう言葉尻と消去法からわかってしまいました。
彼女はその争いの種をどうしたのでしょうか。いえ、オチはもう決まっています。
それが奇跡の泉の由来であるのでしょう。
「簡単にはたどり着けない聖域奥深くのある泉に、錬金術の力でこの巨人の肉を溶かしてしまったのだよ。……溶けてしまったものは仕方がない、争いはそれでどうにか収まった」
なるほどね、それが耐性の正体なわけですが。
とても良い話です、グリムニールさん偉いじゃないですか。
でもそれは多くのエルフの希望を奪ったことでもあります。
自分の独断を今の彼女はどう思っているのか、まあ……これも全部、彼女を主人公にした俺の妄想なんですけど。
「その錬金術師は最後どうなったんですか」
その辺りは喋らないかもしれません。
でも気になったので聞いてみました。
「フ……聖域から追放されてしまったそうだ。今はどこで何をしているやら、エルフの寿命ならまだ生きていてもおかしくなかろう」
「追放ってひどいな。グリムニールさんみたいなやさしい人を追い出すだなんて、聖域ってもしかして怖いところ?」
面白い話が聞けました。
けどもっともっと確証が欲しくて、意地悪ですけどマナー違反しちゃいます。
グリムニールさんはこちらの言葉に、見破られた恥ずかしさか頬を染めて、それから睨んで、そっぽを向いちゃいました。
「さてな。それよりそろそろ出発するぞ、あやつらを呼んでこい」
「なら一緒に呼びに行きましょう」
ちょっと突っ込んで聞きすぎたかもしれません。
彼女はその後すぐに暗い顔になってしまって、そのロリババァな容姿も容姿なのでこっちも罪悪感覚えちゃいました。
「いい、もう少しここにいる……早く行け」
フレスベル自治国は南北で大きく分けられる。
うち北部から追放された者たちは、南部や、世界へと散り散りとなっていったそうです。




