サッカー部のマネージャーはエースの恋人になりたい。
とーん。と、私の後頭部に何かがぶつかって来て、首の筋が違えるかのような衝撃が走った。
てんてんてんてん・・・。と、ボールが転がって行く。
何でこんなところに飛んで来るんだよ。下手くそか。誰だよ。ボールの上にうっかり乗っちまって、滑って転んで、足、折れちまえ。しばらく顔見せんな。
「マネージャー!大丈夫!?」
はっ!この声は!我がサッカー部不動のエース・・・!!
私は何事もなかったかのようにサッと立ち上がった。
熱さも喉元過ぎれば何とやら!痛さもボール転がれば何とやら!
「はいぃっ!大丈夫ですぅっ!」
私の地声は若干低いが、頑張って、高めな声を出してみた。
・・・が。
「赤城。大丈夫か?」
走って来たのは補欠の神崎マナトだ。補欠のくせにカタカナって。
「ちっ。お前かよ」
「女が舌打ちすんなよ!」
「お前が蹴ったのか」
「あ、ああ。ごめん」
「じゃあ、そこに転がっているボールに片足で乗れ。足首がグキってなるまで何回でも乗れ」
「アホか!サッカーが出来なくなるだろうが!もうちょいでレギュラーってとこまで来てるんだぞ!」
「もうちょいでレギュラーだと?この間の大会は補欠どころかベンチ入りすらしてなかったくせに、何を寝ぼけたことを言っているんだ。・・・もしや、一昨日の練習試合で奇跡的にアシストを決めたからか?ふん。私だったら、木綿豆腐くらいの手応えしか感じないと思うが、超楽観的なお前は高野豆腐くらいの手応えを感じたようだな」
「意味の分からない例えをするなよ!」
「意味が分からないことはない!木綿豆腐と高野豆腐は違うじゃないか!もしや、噛んだら、煮汁がどばーが嫌なのか!」
「ああ!俺は高野豆腐の煮汁がどばーが好きじゃねえよ!」
「大丈夫?何?豆腐の話をしてんの?何の流れでそうなった?」
うわっ!エースの御登場だ!
「あっ!永井せんぱぁいっ!私なら、大丈夫ですぅっ!こんな時のために、首、鍛えてますんでぇっ!」
エースの永井先輩は『ぶほっ』と噴き出すと、
「そ、そか。なら、良かった。でも、首は大事なところだから、少しでも違和感あるなら、診てもらった方がいいよ」
「はぁいっ!ありがとうございますぅっ!」
さすがエースは言うことが違うぜ!
私の未来の恋人である永井先輩は練習に戻って行った。
私の子供の頃からのやぼ、いや、夢はサッカー部エースの恋人になることだ。
冬の選手権で両手を握り合わせながら、我が校の勝利を祈っている私の姿がテレビに映ったら、更に良いのだが、カメラマンは私程度のルックスの女子は選ばないだろう。奴らは可愛い女子しか映さないんだ。残念だが、それは仕方ない。
私は強豪と呼ばれているサッカー部のマネージャーをしている。
この高校を選んだのは強豪だからだけでなく、両親の母校だからだ。
父はサッカー部のエースだった。
あれよあれよと冬の選手権まで我が校を導き、あれよあれよと準決勝まで勝ち進んだが、勝利まで後10分と言うところで、父は怪我をして、途中退場。試合はまさかの逆転負け。
更に父はその怪我が原因で選手生命を断たれてしまった。将来は日本代表間違いなしとまで言われていたのに・・・神様は残酷である。
しかし、父は今でもちょっとした有名人で、親戚や元チームメイトから父の活躍は耳に胼胝が出来るくらい聞かされたものである。
そして、エースだった父の恋人はサッカー部のマネージャーだった。
美男美女カップルとして、周りから憧れられていたそうだ。何の少女漫画だ!頭来るわ!
更に父はそのマネージャーと結婚しやがった!出来過ぎだ!
そう。美女マネージャーは私の母である。
母はスタンドで応援している姿がテレビにも映ったくらいの美女だ。結構な年になった今もやっぱり美女だ。娘の私もそれは認めてやる。
だが、私は美女マネージャーではない。
何故なら、私は父に顔がそっくりだからだ。男だったら、間違いなく、イケメンになってたのに。
イケメンの父に似ていても、美女にはなれないらしい。
本当に神様は残酷だ。
「赤城」
練習後、私が部室の鍵を体育教官室に返してから、玄関を出たところでばったり神崎と会った。
「何だ。まだ居たのか。補欠はさっさと帰って、さっさと風呂入って、さっさと寝ろ」
「補欠は余計だ!」
「本当のことじゃないか」
あまり嬉しくないが、神崎とは途中までは帰る方向が同じなので、ちょくちょく一緒になる。
神崎は2年生だから、後片付けをする必要はないのに、何をちんたらしてるんだか。明日も朝練あるんだから、とっとと帰って、体を休めろよ。いちいち言ってやらないが。
神崎はぶすっとした顔をしていたが、
「なあ。コンビニ寄っていかね?」
「部活帰りはラーメンじゃないのか!?」
「ラーメン屋なんか近くにないだろう!お前、ちょっと昔の漫画に影響されてないか?」
「違うわ!」
両親の話だよ!両親が寄ってた店は潰れたんだよ!私の丼にチャーシューを一枚ひょいっと入れて欲しかったよ!ありがとう。えへっ。って、言いたかったよ!
母は少女漫画なら間違いなくぶりっ子キャラに分類されていただろう。結構な年のくせにいまだに『えへっ』と、笑う。料理とかで失敗したら、ぺろっと舌を出す。失敗した料理を見た私がこれはさすがに食べれないと言うと、『優子ちゃぁん。ひどぉい』と、言う。キモいわ。似合うのが腹立つわ。ボールを後頭部目掛けて、投げ付けてやりたくなるわ。父にサッカーボールをそんなことに使うなと怒られるはずだからやらないが。
「なあ、首、大丈夫か?」
「今頃かよ」
「平気そうだったじゃねえか。鍛えてんだろ?」
「真に受けるな。首を鍛える女子マネージャーがどこに居る。だいたいどうやって鍛えるんだ」
「知るかよ」
「知るかよ?偉そうに言うな」
「どっちがだよ。赤城はもっと女子らしい話し方をしろよ」
「それが聞きたければ、レギュラーになるんだな」
私がこんな話し方をするのはレギュラーと先輩以外の部員だ。
レギュラーと年上は敬う。これ、当然。
コンビニの前を私が通り過ぎようとしていると、
「赤城。寄ってかないの?」
「私は忙しいんだよ。・・・神崎。買い食いはいいが、体を冷やすような物を食べ過ぎたり、飲み過ぎたりするなよ」
私はそう有り難い助言をしてやると、一人帰ろうとしたが、何故か神崎がついて来る。
「?コンビニは?」
「一応、赤城は女子だから、近くまで送ってやる」
「いいよ。うっとうしい」
「うっとうしいはないだろ!」
「うるさ・・・」
「?赤城?」
私の目は向こうの通りを歩く男女に釘付けになっていた。
「あ、永井先輩だ」
そう。永井先輩だ。遠かろうが、薄暗かろうが先輩を見間違えるわけがない。
でも、何で女子と歩いているんだ。おまけにあの女子の制服は近くの女子校のやつじゃないか。
「永井先輩、最近、彼女出来たらしいよ」
私はたっぷり30秒は固まったのではないだろうか。
かのじょ?カノジョ?加納さんの長女?可能な限り徐行?課の皆で除雪?化膿したジョー?
「かのじょとはどのかのじょだ」
「どの彼女って、彼女は彼女だろう。永井先輩はあの人と付き合ってんの」
私はまた30秒固まった。
「あの女子校にはサッカー部があるのか?」
「は?ないよ?」
「あの娘は何者だ!」
「あの娘って・・・何者って・・・ああ、どうやって、知り合ったとか?永井先輩が小学生まで所属していたサッカークラブの監督の娘らしいよ。小学生の頃からお互い好きだったけど、お互いの気持ちを知ったのは最近なんだって。少女漫画かよ。ってなー」
「そっちか!」
私は思わず叫んでしまった。
「どっちだよ」
と、言いながら、神崎は私を見て、目を見張った。
「っ・・・うっ」
頬に、顎に、涙が伝っていく。
「お前・・・何で泣いて・・・」
そう言ったきり、神崎は黙り込む。
さすがにバレたか。
でも、取り繕う余裕は私にはなかった。
私は永井先輩がエースだから好きになった訳じゃない。
『マネージャー。いつもありがとな』『赤城はほんと頑張るよな。マネージャーの鑑だよ』って、優しく声を掛けてくれるから。
絶対的なエースなのに、誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで練習してるから。
ゴールを決めた時、私に向かって、笑顔でガッツポーズしてくれるから。
永井くん目当てでマネージャーやってんだろ。って、上級生に絡まれた時も、『何も知らねえ奴が勝手なこと言ってんじゃねえよ!二度と、うちのマネージャーに近付くな!』って、怒ってくれたから。
だから、好きになったんだ。
でも、分かってたんだ。
私の気持ちとは違うことを。
私は永井先輩にとって、ただのマネージャーでしかないってことを。
エースの恋人にはなれないことを。
私は何やらぶつぶつ言っている神崎を置いて、走って帰った。追いかけて来たけど、撒いてやった。マネージャーの体力舐めんな。
次の日、私は学校を休んだ。
その次の日は学校に行ったけど、部活には行かなくなった。
母は『優子ちゃん。どぉしてぇ?』って言ってたけど、父は何も言わなかった。
永井先輩と廊下でばったり会っても、走って逃げた。
同じクラスのサッカー部員が話し掛けて来ても、無視した。
神崎は私を何とも言えない顔で見るだけで、近寄って来ることはなかった。
部活に行かなくなって、2週間が過ぎた。
退部届出さなきゃいけないなあ。なんて、自分の部屋のベッドでころころ転がりながら考えていると、階段をどんどんと上がって来る音がした。
一体誰だ?
母ではないだろう。あの人、何故か音がしないからな。浮いてんのかな?
父はいまだに膝が痛む時があるらしいから、こんなに大きな音をさせながら階段を上がって来るわけがない。
ころころ転がるのを止めて、体を起こしたと同時に部屋のドアが開いた。
私の口もぽかんと開いた。
神崎だった。
私は自分でも何故か分からないが、辺りをきょろきょろと見回してから、
「な、何、女子の部屋をノックもしないで、いきなり入って来てんの!?」
・・・それ以前の問題な気もするが、私はそう言っていた。
しかし、神崎はお構いなしに部屋の中に入って来て、私の腕を掴むと、
「来いよ」
と、言って、そのまま腕を引いた。
「おい!離せよ!」
階段の下には両親が居た。私はこれ幸いと、
「お父さん!見知らぬ男が娘を連れ去ろうとしてるよ!娘に何をするー!って、こいつ、叩き出してよ!」
と、頼んだ。
・・・が。
「見知らぬ男ではないだろう。この間の練習試合でなかなかいい動きをしていた子じゃないか」
父は落ち着き払って言った。いつでも超冷静な父なのだ。
父はサッカー部の現監督の一つ上の先輩で、今でも仲がいいから、ちょくちょく試合を見に来る。ただの練習を見に来ることだってある。暇人かよ。
「ありがとうございます!」
神崎はガバーッと頭を下げた。
父の現役時代なんか知るわけもないのに、父に憧れている神崎は目を輝かせている。
「調子に乗るなよ」
私は何だか悔しかったので言ってやった。
すると、
「優子ちゃぁん。女の子がそんなこと言っちゃダメでしょ!めっ!」
と、母が両方の人差し指で×を作りながら言った。
「・・・」
父よ。この母のどこが良かったんだ?
「変わったお母さんだな」
母に初めて会った神崎は率直な感想を言った。だいたいの人がそう言うよ。
「私も子供の頃から、そう思っては来たが、他人に言われると不思議と腹が立つものだな。ところで、一体、どこに行くんだ?練習、終わったんだろ?なら、さっさと帰って、さっさと風呂入って、さっさと寝ろ」
今日は日曜日だ。平日よりも練習の終了時間は早い。たくさん寝られるじゃないか。
「お前さ。寝ろ。寝ろ。寝ろ。寝ろ。言うけどさ、そんなに寝る程、体力を使い果たして、どうするんだよ」
神崎は呆れたように言う。
「使い果たせよ。だから、補欠なんだ。屍になったかと思うくらいやってみればいいじゃないか。まったく、最近の若い者は全力を出す自分、カッコ悪い。とか、ほどほどの力で出来ちゃう自分、カッコイイ。とかって思ってんだよ。いやな世の中になったもんだよ。ああ。嫌だ。お前もその仲間になったのか。ああ。嫌だ。嫌だ」
「ああもう!うっせえな!黙れ!」
この後、黙ってやる気など更々ない私は恥ずかしいから離せだとか、引っ張らなくても自分で歩けるだとか散々文句を言ってやったが、神崎は手を離してはくれなかった。
到着したのは案の定と言うのか、学校だった。
当然ながら、ガランとしている。
そして、神崎はサッカー部の部室の前まで来たところで、ようやく私の手を離してくれた。
離してくれて、清々するはずが、何故かちょっと寂しかった。失恋のせいでおかしくなったのだろうか?
神崎がドアを開けた。
むぅんと汗の臭いが・・・。
「くさっ!!」
そう叫んでから、私は部室に飛び込んだ。
「引っ越ししたばかりの大家族より酷いじゃないか!」
ごっちゃごっちゃのぐっちゃぐっちゃじゃないか!
「悪い。ちょっとその例え、分かんない。俺、三人家族だし、引っ越ししたことないから」
神崎はバツが悪そうな顔をしている。
皆も部室の悲惨な状態を何とかしたいと思ってはいても、何から手をつけたらいいのか分からなかったらしい。所謂、サッカー漬けの日々を過ごして来たと言っても過言ではない皆は揃いも揃って、整理整頓下手なのだ。爽やかイケメンの永井先輩は特に酷かったりする。
でも、私が何でもかんでもやってあげていたことも悪かったのかもしれない。けどさあ、皆に任せてたら、苛々するんだもんなあ。
1年生のマネージャーは入部したばかりで、何をするにもいちいち手間取るから、厳しい監督にいちいち怒られていたそうだ。いちいち怒られている暇があるなら、仕事をしたいと思ってはいても、監督を無視するわけにもいかず、結果、洗濯を後回しにしていたそうだ。最近、天気が悪かったから、早めに洗濯しなきゃ、乾かないだろうに。この臭いはそのせいか。
「今日は日曜で終わりが早いから、洗濯物は各々で持って帰ったんだ。けど、昨日、洗ったやつが生乾きで・・・臭うよな」
私はぶら下がっている洗濯物を見て、溜め息をつくと、
「天気が悪い時は柔道場の軒下を借りたらいいんだよ。あそこは風通しがいいからさ。1年には言ってたはずなんだけどなあ」
でも、やっぱり、私が何でもかんでも先回りしてやっていたことが良くなかったのだろう。
後輩を一人前にするのも私の仕事なのに、私が全部やってたら、育つものも育たないだろう。
「1年のマネージャー、もう無理だって言ってる。監督ももう怒りたくないっぽい。俺ら部員とは勝手が違うしな」
「・・・」
「赤城。戻って来てくれないか?」
「部が立ち行かなくなるからか。雑用やってくれる人が必要だからか。じゃあ、新しい人を入れたらいい。永井先輩に勧誘させれば簡単じゃないか」
「永井先輩はああ見えて、硬派だから、そういう不純なの?嫌がるに決まってんだろ。実際、永井先輩目当ての女が何人もマネージャーになったけど、誰も残ってないじゃん。そんなの、お前が一番、分かってんだろ」
『不純』の言葉を聞いた瞬間、頭の中が燃えるように熱くなった。
だって。
「私が一番不純だったんだよ!永井先輩に気に入られたくて、毎日、頑張ってたんだよ!それだけだったんだよ!私はエースの恋人になりたかったんだよ!お母さんみたいに!馬鹿だけど、人から見たら、痛いだろうけど、夢だったんだよ!なのに、永井先輩と付き合ってる人はマネージャーじゃないじゃないか!小学生の頃からって、何だよそれ!もう最初っから、失恋確定してたんじゃないか!おまけに永井先輩の彼女はふわふわの砂糖菓子みたいな可愛い人だったじゃないか!私とは正反対の、まるで、私のお母さんみたいな人だったじゃないか!あー!がっかりだよ!結局、選ばれるのはそういう人なんだよ!私を選ぶような物好きはいやしないんだよ!私も可愛けりゃ良かったよ!可愛くしてりゃ良かったよ!花の女子高生なのに、毎日部活ばっかで、毎日ジャージばっか着てさあ!可愛い服の一つも持ってないよ!あー!馬鹿らしい!あー!うんざりだ!だから、もう辞める!マネージャーなんか辞めてやる!」
・・・あれ?
私はこんなことを普段思ったこともなかったはずなのに、何を言ってるんだ?
もしかして、私はマネージャーの仕事に不満だらけだったのか?
ふと、神崎を見た。
当然のことながら、ぽかんとしている。
そんな神崎を見て、突然、猛烈に恥ずかしくなった。
呆れてるじゃないか。私は何を聞き分けのない子供みたいなことを言っているのだろう。エースの恋人になりたかったこともつい言ってしまった。何て馬鹿なんだ。そもそも、マネージャーとして頑張ったからって、好きになってもらえるとは限らないのに。そんなこと誰だって、分かることなのに。好きになってもらえなかったからって、マネージャー辞めるだの何だのと自分勝手なことばかり言って、私は何て恥ずかしい人間なのだろう。
しかし、そんなことを思いながらも、私の口は止まらない。
「はっきり言えばいいじゃないか。普段、偉そうなこと言ってるくせに、好きな人に見てもらいたいってだけで、マネージャーをやってたなんて、軽蔑してるんだろう。私にがっかりしたんだろう。黙ってないで何とか言え!」
すると、神崎はようやく口を開いて、
「普段、偉そうなことを言ってるって、自覚あったんだ」
「ううっ」
私が思わず呻くと、神崎は笑った。
「いいよ!笑えばいいじゃないか!男目当ての不純な私はこの部に居る資格なんてないんだ!だから、何が何でも辞めてやる!」
そう叫んだ後、不意に涙が出て来た。泣くような要素が一体どこにあったんだ?私の涙腺は一体どうなっているんだ?
私はこぼれる涙を手で拭った。何度も拭うが涙は止まらない。
「赤城。そんなに強くしたら、傷になるぞ」
「うるさい!」
「止めろって!」
神崎が私の手を掴んだ。
「はな」
『離せ』と、言おうとしたが、『せ』が出なかった。
神崎に抱きしめられて、驚きのあまり声が出なかったのだ。
「お前はほんとに永井先輩目当てなだけの不純なマネージャーだったのか?」
そう言った神崎の息が耳にかかって、私はぴくりと震えた。
「そ、そうだよ!」
恥ずかしさのあまり、神崎はすぐ近くにいると言うのに、意味もなく大声で言った。
「じゃあ、永井先輩目当てなだけの不純なマネージャーが、朝練の時、誰よりも早く来るか?」
「後片付けを終えた1年が全員帰るまで待つか?皆にお疲れって声を掛けるまで帰らないとかするか?」
「真夏の馬鹿みたいに暑い中、冷たい飲み物を作るために鬼のように自転車をこいで、近所のスーパーまで氷を買いに行くか?それから、また鬼のように自転車をこいで学校に戻って来るか?」
「100人近くいる部員全員の名前を覚えるか?」
「練習試合に勝ったくらいで、飛び上がるほど喜ぶか?」
神崎は私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、
「お前、凄いよ。俺、ほんとにお前のこと尊敬してるんだからな。だから、お前に偉そうに言われたって、まあ、多少は腹立つし、多少は文句は言うけど、ちゃんと受け入れられるよ。他の部員だってそうだ。お前が何て言おうが、俺はお前が不純なマネージャーだなんて絶対に思わない。それにさ、不純なマネージャーのためにあの永井先輩が女子をあんな風に怒鳴り付けるか?俺、永井先輩があんなに怒ったの初めて見たぞ?」
「・・・?」
・・・ん?何故、神崎が知ってるんだ?
「先輩たちも監督も、もし、お前が仕事がしんどいから辞めたいって言うのなら、マネージャーの仕事を一から見直すってさ。頼り過ぎてたって、反省もしてた。俺、さっき、1年のマネージャーがもう無理だって言ってたって、言ったじゃん?・・・ごめん。続きがあってさ。赤城先輩は私たちより大変な思いをしてたことに気付けて良かった。赤城先輩のようには出来ないけど、少しでも近付けるように頑張ってさ。無理だけど辞めないってさ」
「無理だけど、辞めない?何だよ。それ」
・・・でも、あの子たちも見た目より根性あるのかな。
すると、神崎は私から離れて、棚の上に置いてある物に手を伸ばした。
そして、それを私の前に差し出す。
「これに、皆の声が書かれてる。心して読め」
私はそれを受け取るや否や、
「色紙に寄せ書きって!私は卒業生か!」
と、叫んだ。
「そういうことを言うなよ!部員全員、超ノリノリで書いたんだぞ!」
色紙は3枚もある。大所帯だから仕方ないが、部費で買ったんだろうか?節約命の私は舌打ちしたくなったが、堪えた。
私はやっぱり、永井先輩の名前を真っ先に探していた。
『辞めたくなったの俺のせいだったら、ごめん。勝手だけど、赤城には戻って来て欲しい。永井』
・・・ん?
「これはどういう意味だ?」
「多分、また自分のファンが赤城に何かしたと思ってんじゃないか?」
「そっちか!」
私の気持ちがバレたのかと思った!
「永井先輩、赤城に逃げられたって、泣きそうだったぞ。あの人、サッカー以外のことはさっぱりだからな。彼女になかなか告白出来なかったのも頷けるよな。だから、お前の気持ちに気付いたとか言うことはないだろ」
「そうだよなー。良かったー。永井先輩がサッカー以外はポンコツで良かったー」
「ポンコツとか言うな!尊敬する先輩だろうが!」
「いや、そのギャップが更にいいと言うか・・・!?って!何を言わせるんだよ!」
「・・・永井先輩に告白しないのか?」
「はあ!?アホか!彼女がいる人に告白するとか何の罰ゲームだよ!」
「すっきりするかもしれねえじゃん。いつまでも思われても迷惑だろ」
「知らないのに迷惑も何もないだろ!」
「俺が迷惑だってことだよ!」
「ん?どういうこと?」
神崎は舌打ちすると、がしがしと頭を掻き始めた。・・・痒いのか?
「赤城って、面倒臭い。色々と面倒臭い」
「何を言う!優子ちゃんはお父さんに似て、おりこうさんでしっかりしてて、手の掛からないお子さんねー。なんて、近所のおばさんに言われてたんだぞ!」
「いや!面倒臭いわ!俺、気付いちゃったんだけど、お前、ファザコンだろう!十分、いや、とてつもなく、面倒臭い!」
「!?ふあぁあっ!」
何故、気付いた!これは私が墓場まで持って行くつもりにしていた秘密だったのに!
神崎は口を尖らせながら、
「やっぱりな。だから、エースの恋人になるのが夢なんだろ」
「だ、だが、私は重症ではない!何故なら、ちゃんと永井先輩に恋をしたからだ!泣く程、部活を休む程、好きだったんだからな!」
「じゃあ、お父さんと永井先輩が川で溺れてたら、どっちを助けるよ」
「お父さん。私のナイスなお父さんが溺れるわけがないが、お父さんだ」
「即答か!少しは悩めよ!」
「仕方ないだろう。けして、重症ではないが、私は立派なファザコンだからな」
バレたら仕方ない。堂々と認めてやろう。
「はぁああああー・・・」
神崎が長々と溜め息をつく。
私がファザコンだからって、そんなに溜め息をつく必要があるのか?
「俺、可哀相・・・。好きな子が絶対敵うわけない永井先輩を好きだったかと思いきや、ファザコンで超がつく鈍感とか」
・・・ん?
すきなこ?スキナコ?すき焼きに間違って入ったきな粉?隙間風が入って来る体育倉庫?・・・あ、『な』が『う』になった。・・・『すきなこ』難しい!
「すきなことはどのすきなこだ?」
「聞かなくても、もう分かってるだろ!」
神崎は真っ赤になっていた。うん。いくら私でも分かる。
「・・・っ」
熱っ!何か耳が熱い!多分、私、耳どころか全身真っ赤だ!
神崎は私が好きなのか!まじか!
「俺さ。この学校に入学したものの、サッカー部に入るの迷ってたんだよ。練習が厳しいことで有名だったから、ついていけるか不安だったし、部員数多いから、レギュラー無理なんじゃないかと思うと、やっぱ迷うじゃん」
「ふん。お前、」
「あ、何も言わないで。傷つくから」
「・・・」
「入学式の次の日、この部室の前まで来たんだ。まだ決心付いてなくて。見学くらいさせてもらおうかなって程度の気持ちで、ドアをノックしようとした時、『あなたも入部希望!?』って、声がして、振り返ったら、赤城が立ってた。俺は何とも答えられなかったけど、赤城は満面の笑顔で、『私はマネージャーだけど、3年間、一緒に頑張ろうねっ!』って言ったんだ。で、その時の笑顔に一目惚れして、サッカー部に入ったんだ・・・ちょっとでも赤城に近付きたくて」
「・・・」
「・・・」
「お前も不純かよ!」
「そうだよ!不純だよ!お前と違って、最初っから不純だよ!」
「い、言っておくが、その時の笑顔は言わば営業用スマイルだぞ!騙されるな!」
「次の日に騙されたと気付いたわ!次の日にいきなり『おい。お前。1年がちんたらしてんじゃねえよ。早く走って来い』だもんな!百年の恋も冷めるわ!」
「だ、だったら、何で冷めなかったんだよ」
「すっげえ頑張ってるお前見て、前の日に冷めても、次の日にはもっと好きになってたんだよ。たまに笑顔を見られたら、もっと、もっと、好きになってた。その繰り返しだった。だから、もう俺の恋が冷めることなんか有り得ねえよ」
「っ、お前・・・」
恥ずかしいわ!
「俺はお前が居るから、頑張って来れたんだ。不純だけど、いいじゃないか。・・・いや。不純なのかな?永井先輩がお前の源になっていて、お前が俺の源になってたんだ。そういうことだろ?やっぱ、不純なんかじゃないよ。人が頑張る理由なんか何でもいいじゃないか。なあ、赤城。辞めるなよ。赤城はサッカーもマネージャーの仕事も好きなんだろ?3年間一緒に頑張ろうって、言ったじゃないか。俺だけじゃなく、頑張るお前の姿に励まされた部員はたくさんいる。俺や他の部員じゃ、お前の頑張る理由にはなれないか?」
「・・・っ」
また涙が溢れて来た。私の涙腺はぶっ壊れたらしい。
「ごめん・・・。いきなり好きだとか言われて、困らせてるよな」
私は首を振った。
「あり、ありがと・・・神崎、ありがとう」
私は3枚の色紙を抱きしめた。こんな無責任で自分勝手な私のためにこんなことをしてくれるなんて。逃げたり、無視したのに、皆、優し過ぎるよ。
こんな私を、口が悪くて、可愛いげのない私を好きになってくれた人がいるなんて。正直、趣味を疑うけど、めちゃくちゃ嬉しいよ。
私は溢れる涙を拭うことなく泣いていたが・・・。
「な、何なら、俺が赤城の夢を叶えてやるよ」
・・・ん?
「俺がエースになって、赤城が俺の彼女になったらいいんだろ?」
こ、こいつ。いきなり図々しいな。
「おい。お前。何を寝ぼけたことを言っている。感激していたのに台なしだ。涙もあっという間に乾いたわ」
「な、何だよ!急にいつもの赤城に戻るなよ!」
「戻るわ!だいたいお前はDFだろ!戻らない方がおかしいわ!」
「じ、じゃあ、ポジション替えを・・・」
「馬鹿!監督がお前はDF向きだと言ってただろ!私もそう思ってる!なのに、私なんかのためにポジション替えするとか言うな!アホ!」
「・・・」
「何故、笑っている」
「お前のそういうところ好きだなあって思って」
「っ!あ、頭に何か湧いてんのか!急にデレんな!」
「お前、鈍いから、これからは好きアピールどんどんして行くことにする。うん。そうする。決めた。デレまくってやる!」
「か、勝手にしろ!私はもう帰る!帰って、色紙をじっくり読むことにするんだ!邪魔するなよ!」
私は部室から出て行った。
「こら!電気を消すな!ぐちゃぐちゃなんだから、転ぶだろうが!」
神崎がすぐに追い付いて来た。
「なあ。赤城。マネージャー、辞めないよな?」
「私はこれでまだ辞めるとか言う程、薄情な人間ではない」
「まじで!?やった!皆にラインしなきゃ!皆、喜ぶぞ!」
神崎がいそいそとスマホを出したが、私は慌てて止めた。
「待て!私が明日直接言う!頭も下げる!それが礼儀だろ!」
「うわー。赤城ー。カッコイイー」
「うっさいわ!」
それから、私と神崎はくだらない言い合いをしながら帰った。久しぶりに声を上げて笑った。
部活を休んでいる間は毎日が退屈だったにもかかわらず、明日が来るのが嫌で仕方なかったけど、今は明日になるのが待ちきれない。
早く皆に会いたいんだ。
「突然、甲子園の芝生の美しさに心を奪われ、高校野球のマネージャーになりたいと思ってしまいました。ですが、昨日、一時の気の迷いだったと気付き、今日、サッカー部に戻った次第です。私、赤城優子。心から反省しております。本当に、本当に、申し訳ございませんでした。今日からまた気持ちを入れ替えて、頑張りますので、どうか、どうか、よろしくお願いします」
部員の皆から『何だそれ!』の声が上がった。
だって、本当の理由を言うわけにはいかないじゃないか。
それでも、温かい拍手が起こって、皆が『お帰り』と、言ってくれた。
監督には父からお詫びの電話が入っていたらしい。さすがは私のお父さんだ。
「なあ、赤城。また嫌がらせをされたとかじゃないのか?」
休憩中に永井先輩が声を掛けて来た。
「違いますよぉっ!だいたいあんなに永井先輩に怒られて、また同じ事をする女子なんかいるわけないですよぉ!」
「そか。良かったー」
永井先輩は胸を撫で下ろした。
「そう言えば、前から聞こうと思ってたんですけど、どうして、永井先輩はタイミング良くあの場に現れたんですか?」
「え?・・・あー。あれね。神崎が俺のクラスに血相を変えてやって来て、赤城が大変だから、助けろって言われたんだ。お前が原因だから、お前が助けろって言われたよ。俺、先輩なのにな」
「えっ」
「あ。やば。神崎に内緒にしてくれって言われてた。・・・まあ、いっか。時効だ。時効」
私は向こうにいる神崎を見た。
すると、
「赤城。愛されてんなー」
永井先輩は内緒話をするようにちょっと声を小さくして言った。何だかとても嬉しそうだ。何か誤解してる?まだ付き合ってるとかじゃないよ?
ちょっと前だったら、傷ついていたかもしれない。
でも、今はそうでもない。
まだ好きって気持ちは確かにあるのに、何で?
本当は重症のファザコンだから?
私が神崎を見ていると、視線を感じたらしい神崎と目が合った。神崎は眉をしかめて、
「おい。赤城。何をにやにやしながら、俺を見ているんだ。気持ち悪いなあ」
「好きな女に向かって、気持ち悪いとか言うな!」
神崎が真っ赤になって、
「お、おま、な、何、皆の前で言ってんだよ!」
永井先輩は笑ってから、
「安心しろ!神崎が赤城のことを好きなことは部員全員知ってるから!」
「まじすか!?」
監督まで知っていたらしい。どれだけバレバレなんだ!恥ずかしい奴め!
でも、それでも気付いてなかった私はやはり超がつく鈍感なのか?
私はハッとして声を上げた。
「と、言う事は、サッカー以外はポンコツな永井先輩も知ってたんですかぁ!?」
「はあ!?ポンコツ言うな!ちょっと色んなところで鈍いってだけだ!」
どっと笑いが起こった。
私も笑った。失恋した永井先輩のすぐ側で笑えた。
ポンコツって、言ってやった。皆が密かに思ってたけど、言えなかったことを私が言ってやった。
分かってる。
何もかも、神崎のお陰だ。
神崎なら、エースじゃなくても、好きになれるかも。
ううん。エースなんかもうどうでもいい。私は神崎を好きになりたい。
それから、数ヶ月後、サッカー部のマネージャーの私はサッカー部主将の恋人になった。
二人だけの時は主将のことを『マナトくん』と呼んでいる。
レギュラーと年上と、そして、恋人を敬う。これ、当然。
だから、私はもう二度と『おい』だとか『お前』だなんて呼ばないのである。