再起の生者
【ノクティーンー西部地区病院ー】
私が目覚めた時、目の前には真っ白な天井があった。
体を起こしてみると、そこには人影もなく静かすぎるくらいの空間が広がっていた。
「ここは………あぁ、私倒れたんだ」
おそらく西部地区の総合病院だろう。
随分前はよく風邪をひいた時に来ていたが、医院長のエルシールさんが突然閉院したため、一時期は大変な騒ぎになっていた。
その後、ノクティーンの上層部から多額の金が動き、廃病院となっていたこの建物をそのまま新しい病院として稼働させたとか。
やはり医療機関というものは必要不可欠らしい。身体的にも精神的にも、病院が持つ安心感はある意味で保安署のようなものだ。
改めて軽く腹部を触ってみるも特に問題はなさそう。
着ていた病人服の腰紐を緩めて足下、特に股の部分を確認してみると、
「……切れてる。ここから出血って一体……」
ーーコンコン
ドアのノック音にすかさず乱れた服を整え、ベッドに横になる。
スムーズにスライドするドアから入ってきたのは見知らぬ女性看護師とサリアさんだった。
「リンシアさん、気がついたのね」
穏やかな声色の女性に対し、彼女の後ろから飛びつくようにサリアさんが走り抜けてきた。
「あぁ!私の可愛い可愛い妹よぉ!本当によかったぁ」
「心配をおかけしました、サリアさん」
「検査受けても何事もなかったみたいだし、ホッとしたわ」
胸をなで下ろすサリアさんとは反対に私の心はまだざわついていた。
「十七歳の誕生日、おめでとう。リンシア」
あの時の言葉が未だ脳裏に焼き付いている。
声の正体は何だったのか。暗闇に包まれたあの状況で私は何をされたのか。全てが謎のまま私は病院での療養を終え、その襲撃から三日目にして職場への復帰を果たした。
【ノクティーンー保安署重犯課ー】
「退院おめでとーリンシアちゃん!」
扉を開くのと同時に、サリアさんの抱擁が飛んできた。そこまでしてやっと戻ってきた実感が湧いてくる。
署員のいろんな人に声をかけられたけど、やっぱり私には重犯課の雰囲気が合っているらしい。
「リンシア、病室にあった花瓶、あれは僕からのプロポーズだと思ってくれていいんだよ!」
「うっさいレックス!今まで花なんて買ったことないくせに無理するから……」
「なんだいサリア、嫉妬か?見苦しいったらありやしない」
レックスも相変わらずのようだ。このやり取りも二日、間が開くと懐かしく感じてしまう。
「アンタの贈った花の花言葉、ご存知かしら?」
「む?花言葉だと?美しい花だったんだ、それはもう療養効果てきめんの……」
「怠惰、偽善、あなたを許さない、エトセトラエトセトラ」
「なんだとぉぉぉぉお!!!」
やかましいコンビはさておき、戸を閉め、最奥のデスクまで歩いていく。
そこに手を組み鎮座する人物は表情を変えずに口を開く。
「ご苦労だったな、リンシア。大事はないか?」
現重犯課長のゴードンが低い声でこちらの様子をうかがう。
「はい、問題ありません。本日より任務に復帰させていただきます」
「よろしい」
業務的な会話を済ませ、相変わらずの面々と共に準備のため、ロッカーのある控え室へと向かった。
【保安署ー控え室ー】
思えば襲撃当日から私の装備はどうなったのだろう。
制服もマントも帽子も手袋も、何もかもの存在をすっかり忘れていた。
「リンシアちゃんの装備一式、全部私がまとめといたわよ」
全てを察していたかのように後ろから入ってきたのはサリアさんだった。
控え室のドアがひとりでに閉まるのを待たずに彼女は上着を脱ぎ捨てていた。
「ありがとうございます、サリアさん」
「あー………あとさ、リンシア?」
困ったような顔をしながらサリアは頭を搔く。
どうしたのかと不思議そうな顔をしてしまうと、それを見てますますサリアさんの顔は困り果ててしまった。
「サーベルの帯刀数……三本は、やり過ぎじゃない?」
「あ………」
ぬかった。サリアさんの言うことも表情も当然といえば当然のものだった。
保安署でサーベルの帯刀を許されているのは重犯課とその下位組織だけ。そして原則として保安官は一本の帯刀を許されている。
父と母の形見の二本と自分に支給された候補生用の一本、計三本の帯刀。もちろんご法度だ。
「いや古い型だし、どこから持ち出したのかも知らないけど、あなたはまだ候補生なんだから、あんまり騒ぎを起こすものじゃないわよ?」
ごもっともである。
「すみません、これは………その……」
「私が悪いのよ」
突然声がしたかと思えば、控え室の扉が開いていて、赤く艶のある髪を振るう女性がそこに立っていた。
「エルーシェ少尉!?」
サリアさんの裏返った声が響くと彼女、エルーシェさんは腕を組んでやれやれといった鼻息を鳴らす。
「それは私がリンシアから預かっていたの。保安官になる時が来たら返すって約束でね」
「えっと、それはどのような事情なのか、聞いてもよろしいですか?」
「そのままの意味よ。でも、返すのは正規の保安官になってからのハズだったけれど、リンシアは待ちきれなかったみたいね」
そう、エルーシェさんの言う通り、十一年前に私と彼女の交わした約束は『保安官として一人前になったらこの二本のサーベルを返す』というもの。
私は、逸る気持ちを抑えきれずに、その二本のサーベルを無断で持ち歩き、たった今、エルーシェさんにバレてしまった。
「ついでに、とっくにバレてるわよ、リンシア?」
「え!?」
「当然でしょう?私は暇さえあればそれを夜中にメンテナンスするようにしていたんだもの。突然なくなった時にはさすがに驚いたけどね」
私が寝ている間に手入れをしていたということか。どおりでサビや汚れの一つもないハズだ。
「関心してる場合じゃないでしょ?まさか任務に持ってくなんて思ってなかったわ。ロッカーに隠してるとかなら、まだ分かるけど」
「やっぱり………ダメ?」
「うーん………」
今度はエルーシェさんが困った顔をしてしまった。ついでにその横には同じく頭を抱えるサリアさんがいた。
しばらくの沈黙が部屋の空気を重くする。
その静かな空間を蹴破るかのようにエルーシェさんが大きな溜め息を吐いた。
「ノルディス中佐……いや、准将の血なのかしらね。上には黙っておくから、今後は慎重に行動するように」
「いいんですか!?エルーシェ少尉!」
「身内贔屓ってのも少なからずあるでしょうけど……この子、剣の腕前はなかなかよ?」
「バレたとしても没収、最悪自宅謹慎で済むでしょうが、保安官になれないかもしれないんですよ!?」
これほどまでにサリアさんが上官に対して進言するのも当然だ。
そもそも街を守るという名目ではあるが、帯刀自体をよしとしない勢力もある。
一保安官が武力を持ってしまえば、今までギリギリのラインで認可を受けていた制度自体が問題として取り上げられかねないだろう。
しかし、エルーシェさんは意外なことに落ち着いている、ように見える。
「大丈夫よ、リンシアは上手くやれるわ」
「しかし少尉ッ!」
「あーあとね……」
控え室から出ていこうとするエルーシェさんはサリアさんの言葉を遮って声を大にする。
「私、今日から中尉だから。その辺りもよろしくね、後輩諸君」
手を振りながらそのまま去っていったエルーシェさん。私でも彼女の全てを理解できる気はしないが、今回はとりあえずその斜め上を行く性格に救われた。
サリアさんも満身創痍といった具合に近くの椅子に腰かけて大きな溜め息を吐いた。
「ごめんなさい、サリアさん。………でもこれは大切なもので」
「いいのよ。エルーシェ少……中尉もああ言ってたことだし、気をつけなさいね」
「はい、ありがとうございます」
保安官としては厳罰モノ。父の二刀流さえ軽く笑えてしまうほどの悪事だ。
今後は更に慎重に管理しなくてはならないだろう。もし、ゴードン課長にでも見つかれば鉄拳制裁くらいでは済まないことになる、そんな気がする。
私はそんなことを思いながら、制服に着替え、マントの中にサーベルを隠した。もちろん三本全てを。
【保安署ー重犯課ー】
任務の手前、必要な荷物を取るために重犯課の部屋に戻る。
必要な荷物といっても、身体一つあれば基本的に問題ない職業なのだが、候補生である以上はメモ紙やペンくらいは持ち歩くものだろう。
「リンシア、ちょうどいいところに」
唐突に声をかけてきたのは重犯課長のゴードンだった。
「何でしょうか、課長」
「ああ。今年度の重犯課の採用試験の日程が迫ってきてな。君は入院中だったもので、確認が取れなかった。参加するのかどうか、その意志だけは聞いておこうと思ってな」
どことなく耳障りがぎこちなく感じるのは、ゴードン課長がここまで長々と話をしないからで、彼自身、自分のキャラクターというものに若干のブレというものを感じているのかもしれない。
もとより饒舌という可能性も捨てがたいが。
「はい、そのつもりです」
「よろしい。では試験の日程なんだが……」
「明日から、ですよね?」
「さすがに知っていたか」
後頭部を掻きながらゴードンは溜め息を吐く。
「大丈夫です。試験とは普段の実力が出るものですから、実技の前になまった体を起こさないといけませんね」
わざと肩を回して見せると、その様子に安心したのか、彼は小さく頷いて私を任務へと送り出した。
【ノクティーンー東部地区住宅街ー】
普段から暗い街であるから今が夜だということさえ忘れそうになることがある。
しかし、時間の感覚はどの地区からも見える中央地区の城跡の時計台が正してくれるため、ふと我に返る。
エルーシェさんの自宅。ここが私の今の家であり、居場所だ。
以前は北部地区にある丘の上に住んでいたが、十一年前からやむなく。いや、私が望んでこうしているのだ。
「どうしたのリンシア?私の作ったシチューは不満?」
「いいえ、そうじゃなくて………」
エルーシェさんは昔から優しい。
初めて会ったのも十一年前。私はまだ六歳だったけれど、その時の記憶は未だに鮮明だ。
「エルーシェさんは結婚とかしないんですか?」
私が唐突に出した議題に彼女は口に運んでいた水をそのコップの中でぶちまけた。
顔面水浸しになったエルーシェさんはそれを拭いながら状況を整理するように頭を抱えて口を開いた。
「どうしたのよ急に。病院で変な薬でも飲まされたのかしら?」
「いやいや、家庭を持つってことは大人にとって大事な仕事だって亡くなった神父様も言ってたから」
「あの神父………」
ギリギリと歯ぎしりをするのは構わないけれど、死んだ人にとやかく言うのはどうかと思う。実際、もう充分に大人だし。見た目的にも年齢的にも。
「それはもちろん、できるものなら早くしたいわよ?婚期逃したくないし……」
「最近仲のいいトーガ少尉とかは?」
「アイツ、たまたま実戦訓練で相手したら逃げられたわ」
エルーシェさんも私同様、二十歳になる前から素質を買われて保安官になった身だ。つまり、腕っ節ならその辺のチンピラなんかは瞬殺だし、話にあったように同等の階級が相手でも頭一つ抜けた強さを誇っている。
普段、私の剣の稽古は彼女がつけてくれている。故に私も剣の腕にはそれなりに自信がある。
「私の婚活事情なんてどうだっていいのよ。そんなことより、明日って今年の採用試験よね?リンシアはどうするの?」
「私は出ますよ。いつまでも立ち止まっていたら、お父さんに笑われますから……」
「……そう」
それきり会話は途絶え、私達はそれぞれに食事の手をすすめた。
【保安署ー会議室ー】
保安官候補生として入った時に来た会議室。重要な案件、主に事件だが。その時に使われる対策本部の部屋だ。
今のノクティーンはいたって平和のようで、広々とした室内は少しばかりホコリ臭い。
「全員、席について。これより今年度の保安署採用試験の概要を説明する」
長机に個別の木製イス。今日は筆記のテストなわけで、ある程度以上の知識を測る、いわば事前の適性検査。
私としては勉学を疎かにしたこともないし、通っていた中央教会ではいつも文献を読み漁っていたためかそれなりの点数は取れる自信があった。
しかしながら、たまたま隣に座っている彼はどうなのだろう。
先ほどから試験官の声が聞こえているのかさえ不安なレベルで暗記帳をペラペラと捲ってはブツブツとそれを唱えている。
そう、同じ小隊で候補生のレックスである。
「ちょっと、レックス。もう説明始まってるんだから、集中した方がいいよ」
小声で彼に忠告をするも、
「大丈夫だリンシア。今の俺は今までにない集中力を見せている。余裕だ」
そういうことではない。求めていた回答は、暗記帳を捲る手を止め、試験官の言葉に耳を傾けるというもの。
呆れた私はひとり、前を向いて真面目に話を聞く。
この後、レックスが後方にいた別の試験官に一回目の忠告されたことは言うまでもない。
生きている者と死した者の間にある隔たりとは何なのだろう。普段からこのようなことを考えます。魂の行き場は現世、我々の周りに見えないだけで存在しているのかもしれない。しかし、人の理を超えた魂は人間の生活に多大な影響を及ぼしかねない。例えば、魂が生者に対して助言をするかもしれないなど。だとしても、結論にあるのは両者が相容れないものだということにほかならないのでしょう。
さて、無事に職務に復帰したリンシアを待っていたのは保安官採用試験。不安が募るばかりのレックスとは対照的に彼女は余裕の面持ちです。次回はついにゴードン課長出陣!?
My Dearest Ghost引き続きお楽しみください。