宴の終焉
今日もこの街は朝を迎えた。
朝と言っても外は真っ暗だ。このノクティーンという街だけは。
「パパ、あさだよ?」
体を揺する手はまだ小さくそのあどけない声は実の娘、リンシアのものだった。
「あぁ、そのまま寝てしまったのか。おはよう、リンシア」
俺の言葉ににっこりと笑みを浮かべるリンシア。
今日はいよいよ死霊祭当日、気を緩めることは許されない。
ノルディスは早々に着替えを済ませ、リンシア共々朝食をとった後、丘の上にある自宅をあとにした。
【ノクティーンー中央地区ー】
ランタンに照らされる石畳。リンシアは街の装飾に目を光らせながらも手をつないで歩き続けている。
死霊祭は死者を弔う年に一度、この街で開かれる唯一の催しだ。『死者を弔う』などといっても中には出店を出したり、特設会場を設置しイベントを企画するような者もいる。
「パパもおまつりでなにかやるの?」
「そうだなぁ、パパは昨日あった二人とお祭りを回る約束をしているんだ」
「そっか!リンシアはね、きょうかいのみんなでおいしいものたべにいくんだ!」
ほんとに無邪気な笑顔。毎年この祭りを楽しみにしているこの子にとっては楽しいイベントなんだろう。
「ほら、教会に着いたぞ。神父様の言うことちゃんと聞くんだぞ?」
「うん!あ、神父様!」
教会の中から出てきた長い白髭を揺らす御仁、その老人こそがこの中央区で教会を運営する神父だ。ついでに教会は保育施設としても機能しており、毎日その柵の中には子供たちが走り回っている。
「おはようございます、神父様」
「おはようございます!」
「あぁ、おはよう、リンシア。ノルディスも」
この神父とは俺が子供の頃からの付き合いだ、その頃からしたらだいぶ老け込んだが。
リンシアは神父に挨拶してすぐ教会の中にいる子供たちの元へと走っていった。残ったのは俺と神父だけ。
「昨日はリンシアが抜け出したことに気づきはしたんだが、私が街へ出ると他の子供たちまで抜け出しそうでな。申し訳ない」
「いえ、娘も無事でしたので」
年の割に深々とお辞儀をしようとする神父をなだめつつ、その背後で、楽しそうにほかの子供たちと戯れるリンシアが見えた。
「今日は死霊祭。保安官の職務は大変でしょう」
体勢を戻した神父はノルディスの視線を追うようにリンシアの方を見やる。
「あれから五年、長い時間が経ってしまったな、ノルディス」
「そうですね。しかし、それも今日までです。リンシアをお願いします、神父様」
ノルディスはそう言い残し、保安署へと足を踏み出した。
【ノクティーンー保安署ー】
「中佐、おはようございます」
署に入ると艶のある赤髪を振るうエルーシェが来た。
「おはよう、エルーシェ。ディーンはどうした?」
重犯課の事務所内を見回してもディーンの姿が見当たらない。この日に限って寝坊なんてことないよな。
「おそらく寝坊です」
万事休すか?街中で合流するのもいいが。
【保安署ー控え室ー】
ひとまず先に着替えを済ませると、そのロッカーの奥、旧式のサーベルを取り出す。
その剣の柄、輪になっている金属部に通してある長めのリボン。これは彼女、アイリースの遺品でもある。
持ち手から先にかけて巻かれたそれは一種のお守りだ。彼女のように忽然と消えてしまうことのないようにという、苦しいはずの願い。
その剣を引き抜くとサビやホコリなど見る影もないほどに光り輝く刀身が出てくる。
「あなた、またそれ?」
「あぁ、ちょっとしたおまじない、かな」
「そう。それがあなたを縛り付ける呪いにならなければいいのだけど...」
「そんなことはないさ。守るべき君を僕は守れなかった。逝く人に置いていかれる想いをリンシアにはもう二度として欲しくないんだ」
時の流れを感じさせないその刀身を見てひとり、控え室に響く声に耳を傾ける。
「あなたは死なないわ。そして、必ず私を見つけられる......」
【ノクティーンー市街地ー】
結局ディーンは出動時間になっても姿を見せず、俺とエルーシェは激励を兼ねた朝礼に顔を出すことにした。
保安署前にある台に立ち、そこに集まる保安官に向けて言葉を発するシュミット。重犯課という今回の事件で主導権を持つ部署というだけあってその内容はいたって真面目だ、あいつらしくない。
「であるからして、今日の死霊祭の警備にはより一層の警戒を持ってあたってほしい。そして......」
シュミットがジャケットの内ポケットから出した一枚の封筒。そこにいる全ての保安官がそれに注目する。
「これは、今朝、街の新聞社に届いた手紙だ。その署名には、『ジャック・ザ・リッパー』、切り裂きジャックと記されていた。そしてその内容は、今日、事件を起こすという犯行予告だった」
それを聞いた保安官達がざわめき始め、それを両手を上げてシュミットが静止する。
「どういうことだ、これまではそんなこと一度も起こらなかったぞ......」
「中佐、あれが誰かのイタズラでないとしたら......」
「間違いなく今日、事件は起こる」
その後のシュミットの号令のもと、各小隊は街の中へと姿を消していった。
【ノクティーンー裏路地ー】
厳戒態勢に変わりはない。このような裏路地での事件騒ぎは常に起こりうる可能性がある。だからこそ祭だからといって普段の警戒も欠かせない。
結局ディーンと合流できないままに出動した俺とエルーシェ。二人ペアの小隊となるとより一層の警戒が必要となるだろう。
「中佐、ディーンのことですが、寝坊にしては長すぎやしませんか?」
時計を確認してみると、既に警備開始から二時間は経過していた。
「そうだな、さすがに時間がかかり過ぎている」
各小隊の巡回経路については各隊員ごとに地図を支給される。保安署から現在地までの距離は走れば十五分といったところ。時間だけはきっちり守るやつだからこそそれが気がかりに感じてしまう。
「何か事件に巻き込まれているのかもな」
「散開して彼の捜索にあたりますか?」
「そうするか。しかし、俺とお前の距離は二百メートルで維持すること。緊急時の対応ができなくなるからな」
「了解しました!」
バッと敬礼をしたエルーシェはこの通りのさらに奥、人もそういることのない裏通りへと駆けていった。
なんやかんやであの二人はチームワークができているだけあってそれぞれに信頼しているのだろう。
エルーシェがここまで気を引き締めているのも今日に限っては無理もないが。
ひとまず俺はエルーシェと二人で歩いてきた通りの巡回をそのまま進めることにした。
暗い裏路地。周囲を照らす街灯も少なく、ところどころは闇に覆われたままとなっている。
道端には祭を楽しむ者とはほど遠い人々がカードゲームなどの遊戯にいそしんだり、そのまま新聞紙にくるまって寝ている者など、いわゆるここはこの街の闇の部分である。つまり、スラムだ。
貴族と庶民の格差は縮まるどころか一部ではこれほどまでにひらいてしまっている。
ディーンの語る『貧困格差の是正』はこのような地帯の治安改善というより、誰もがみな平等という理念にある。普段は馬鹿なのに中身は本当の意味でこの街のことを思う稀な貴族だ。
時折ここでは麻薬の売買をはじめ、違法物の受け渡しがおこなわれるため何度か足を向けていたが、やはりどこか不気味でもある。
そしてそれは、一時間ほど、しばらく歩いていた時、突如として訪れた。
「ノルディス…………」
俺はハッとした。
決して気を抜いていたわけではない、それでいて正面二十メートルほどの距離、声をかけられるまでその存在すら察知できなかった。
ゆっくりと近づいてくる影は両手で何かを引きずっている。ズリズリという石畳から発せられる摩擦音の正体は、予想もしていなかった二人の姿だった。
「エルーシェ………ディーン……?」
【ノクティーンースラム街最深部ー】
「カボチャの仮面に背中の棺、貴様、ジャックだな……」
肩を震わせている。笑っているのか、この俺を嘲笑っているとでもいうのか。
その人物はだだそれだけで何も喋らない。
「なぜ二人を襲った……」
「ククク………簡単なことだ、ノルディス……」
サーベルに手をかける俺を見てその人物は陽気に、実に楽しげに話を始めた。
「初めはエルーシェを襲うつもりだった。……だが警戒心が強い彼女ではそう簡単には近づけない……だからディーンを狙った……彼女を手に入れるために……」
彼らの名前を全て把握している。少しずつだがその真相がはっきりしてきた。これだけ声を聞けばやつは男だということも。
「隣の路地で巡回をしていた彼女にこいつを見せつけて取引を持ちかけた……」
無意識に息をのむ。動揺が相手に察知されると面倒になる。しかし、彼もそんなことはわかりきっているだろう。
「ディーンを助ける代わりに、お前が人質になれとな……!ククク……ヒャッハッハッハッハッハッ!」
「貴様……」
「最後に答え合わせをしよう、ノルディス……」
彼は二人をその手から離し、マントの中に隠し持っていたサーベルを引き抜く。
「俺が襲っていた被害者の特徴……それは何だった……?」
五年前、自分の階級が低かったことから本部から開示された情報はとても少なかった。だからこそ自分の足で捜査をし、得られるだけの情報を手に入れてきた。
全ては『切り裂きジャック』を捕まえるために。
「被害者の遺族に伝言を伝えること、その一部を持ち去ることだ……」
思っているよりも俺は冷静だった。この時がくることは五年前からの必然だったからか、これが運命なのか。
「足りない……」
「なに?」
「被害者の特徴は全員、女性であることが重要なのだよ……」
完全に見落としていた。アイリースが消えて、その後の事件の被害者のことなど、心ここに在らずといったようにまるで調べられていなかった。ただただ馬鹿みたいに切り裂きジャックを捕まえると口にするだけで。
「アイリースが初めのターゲットだったことに違いはない……」
「その口ぶり、わざと彼女を狙ったのか……」
「あぁ、その通り。お前とアイリースの間にはリンシアがいる…………」
「貴様ッ!」
娘の名前が出た途端に俺の剣はヤツを切るために振りかざされていた。
しかし、ヤツのサーベルの動きはそれに合わせるかのように俊敏に反応してきた。
至近距離になった今でもジャックの素顔は仮面によって遮られている。しかし、サーベルの刃にある刻印、それが決定的証拠となり、犯人を僅かなところまで特定することは難しくなかった。
そのサーベルに刻印されている文字。それが佐官クラスのものしか持つことを許されないものだったからだ。
俺はジャックの剣を上に払いのけ、また少し距離をとる。
「やはり、保安署の人間か。察しはついていたが、なぜアイリースをはじめとする女性達を襲うような真似をした……」
クククと笑い続けるヤツはおそらく剣の扱いにかなり慣れている。つまり保安署の中で剣の使用を最も多くする部署といえば……。
「ノルディス……お前はここで死ぬ。正体がバレてしまったのでは致し方あるまい……」
ジャック自身から接近し素早い突きの連撃にみまわれる。
それを弾くようにサーベルを使い回避を続ける。もちろんこちらが反撃をする余地など毛頭ない。だからアレを使った。
マントの中に隠したままだったもう一つのサーベル。
その柄にはアイリースの形見であるリボンが巻かれ、鞘から引き抜こうとした瞬間にも風になびいていた。
右手で持つサーベルでジャックの剣を受け止め、左手でその剣を振るう。
ーーーキィン
子気味良い音と共に今では俺の中でジャックの代名詞ともなっていたカボチャの仮面が天高く舞い上がった。
顔にまで到達せずに仮面だけを弾き飛ばしたようだが、彼はその仮面がなくなったことを確認するかのように左手で顔を覆う。
そして、ついにその正体を現した。
「ノルディス……保安官の所持できるサーベルは一本だけだと決まりがあるんだがね。君はてんでいうことを聞かないな」
もう既に彼が誰であるかなど分かりきっていた。
保安署で腕っ節の強いものが集まる『重犯課』の人間。そして佐官であること。俺を除けば重犯課に佐官クラスの人間は一人しかいない。つまり、
「なぜだ…………シュミット……」
次回こそ最終回です。全部完結します。どうも峰坂ラグです。
前四部作予定だったにもかかわらず五部作になってしまったことに関してはなんの言い訳もできません。
さて、『切り裂きジャック』事件の謎がすべて解き明かされるわけですが、私の過去の作品を見た方はわかると思いますが、ただじゃ終わりません。
終わり方にクセがあって嫌いという人もいるかも……。
それでもここまで書ききれたんで次回、いよいよ決着!という感じで考えてもらえれば幸いです。
それでは次回の最終回まで楽しんでください。