悪魔の吐息
【ノクティーンー市街地ー】
暗がりの街。
小さなランタンの光だけがその石畳を照らし、街の活気を保っているように見える。
そんな中で、消えた人影の正体を知れずにノルディス、エルーシェ、ディーンの三人はその場に佇んでいた。
「二人とも、すぐに保安署に戻るぞ。今のを報告後、ヤツの捜索を始める」
「「ハッ!」」
ノルディスの言葉に従い、三人は街の中央に位置する保安署へと向かった。
【保安署ー重犯課ー】
扉を開き、無言のままここの責任者であるシュミットの机の前まで歩く。
その時のシュミットの顔はノルディスを捉えた瞬間、青ざめて両手をあげ溢れでんばかりの冷や汗が顔を覆っていた。
「ま、待てノルディス!朝のアレはわざとじゃない!信じてくれ!てかサーベル持ってる!?自前のやつだ!殺す気満々じゃねぇか!くそ!俺の人生、悔いしかねぇ!」
「何を言ってるんだ、シュミット。その事はもういい。今はそれどころじゃない」
身の安全が守られたようでシュミットは椅子の背もたれをズルズルとくだっていく。
「最重要案件だ。もしかすると『切り裂きジャック』事件の真相を掴めるかもしれん………」
「なんだと!?」
その言葉の勢いで彼はそのまま椅子から転げ落ちた。
【保安署ー会議室ー】
先ほどの一件について、エルーシェが説明を一通り終え、それを聞いたシュミットはゆっくりと口を開く。
「その仮面男が何かを握っている、ということか」
「男かどうかも怪しい。なにせ声がその判別ができないほど枯れていたからな」
「なるほど。しかし女性だとすれば、人ひとりを襲ってその一部を持ち去るとならば、相当腕に自信のある人間でなければ……」
シュミットの推測を聞くディーンは自然とエルーシェの方を見て鼻で笑う。
「何よあんた、喧嘩売ってんの?」
「いやぁ、この街の怪力女といえばお前しか検討がつかねぇなって思って」
「ディーン、ちょっとオモテでなさい。二ヶ月病院送りコースで勘弁してあげるわ」
「それは勘弁って言わねぇよ!下手すりゃあの世行き確定じゃねぇか!」
二人の喧嘩を仲裁しつつ、ノルディスらは話を続ける。
「カボチャの仮面といえば、明日だな、『死霊祭』……」
「あぁ」
死霊祭とはこの街、ノクティーンで毎年行われる死者を弔う祭のこと。
行き場を失い、さまよう死者の霊魂を天に導くとされる伝統ある祭りだ。
その特徴の一つに、カボチャの仮面をつけた死者役の人間が街を練り歩くというのがある。その仮面がまさしく先ほどのヤツがつけていたものにそっくりだったのだ。
「それに、ヤツはアイリースの事を知っていた」
「……奥さんの事をか」
「あいつがジャックである可能性はかなり高い。そうでなくても、何か真相に近づける手がかりになるハズだ」
「分かった。これから重犯課全体で緊急捜索を行う。どちらにせよ、明日の死霊祭の警備を任せられるのも俺らなわけだけど」
シュミットは、ふぅと一息つき、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「これ以降、ヤツのコードネームを『ジャック』とする。総力をもってそれを確保せよ!」
「「ハッ!」」
【保安署ー控え室ー】
保安署の重犯課、重要犯罪特殊機動捜査課の一同はここに集結していた。
外に巡回で出ていた保安官達も緊急招集され、普段は見ないような顔付きの連中もいる。
「ノルディス中佐、もしもですけど、カボチャ……じゃなくて、ジャックを捕らえて、それが犯人だったとしたら、どうするのですか……?」
緊急事態ということもあり、ディーンにしては真面目な質問を投げてくる。
「俺がヤツを殺すかもしれない、ということか?」
「いや、そういうわけでは……いいえ、そうです」
「そうだな………実際に真相を確かめなければ何とも言えない、かな」
そう言っているうちに控え室の扉が開き、出動の指示が出された。
たくさんの足音が外へ向かって進んでいくのを気にもせず、ノルディスは二本あるうちの片方のサーベルを鞘ごと腰から引き抜き、その刃を少し出してみせる。
「少しも変わってないな、お前も……俺も」
ノルディスが残っていることに気づいたディーンは足を止め流れをかき分けて戻って来る。
「中佐、どうしたんスか?てかそのサーベルって、最近支給されたサーベルの前の型ッスよね?」
「あぁ、よく気づいたな」
「重犯課に回収用のボックスがありますけど」
「いや、これはいいんだ。大切なものだからな」
ノルディスはその刃を鞘に戻すと再び帯刀し、マントで体ごと覆う。
「それじゃあ、俺達も行こう」
ドアの外にはいつからいたのかエルーシェが立っていた。
彼女も静かに頷き、外へ出てきたノルディスの後ろについて歩みを進める。
そうして三人は、暗い夜の街へと繰り出していった。
【ノクティーンー市街地ー】
時刻はまもなく五時になる。
ジャック捜索から早三時間。何の手がかりもない保安官達は途方に暮れている様子。
どこかでそれは俺達も同じだ。
小道や裏路地まで、徹底的に捜査を行っているにも関わらず、一向にその姿にはたどり着かないのだから。
「街は明日の祭りのせいか、随分賑わってますね」
「そうだな。そして、あの仮面をしているからにはおそらく、その祭り、死霊祭で動きを見せるはずだ」
それを横目に聞いていたディーンは両手を頭に回しながら、気だるそうに口を開く。
「それだったら、明日の朝から捜査始めた方がよかったんじゃないッスか?」
「ディーンあんたねぇ………その明日に事前に仕掛けられていたトラップなんてものがあったりしたら保安官の名が廃るじゃない」
「トラップって言っても、『切り裂きジャック』の手口は年に一人の殺しだろ?トラップなんて仕掛けるようなことがあったら、それこそ大規模過ぎるってもんだろ」
「いや、それは半分正解だ。ディーン、エルーシェ」
ここで先ほどまで静かに歩いていたノルディスが間に割って入った。
「明日の祭りに便乗して騒ぎを起こす連中も少なからずだが、毎年いる。それを未然に防ぐことも保安官としての役目なんだよ。どちらにせよ、前日当日含めて巡回にあたるのも保安官の仕事だ」
「テロ対策ってことッスか。それならまぁ、少しは気合が入るってもんですけど」
ゴーン………ゴーン………
教会の鐘の音が街中に響き渡る。これが示すのは夕刻、つまり五時を迎えたということだ。
「もうこんな時間か」
今回の任務の終了予定時刻は五時。街中の保安官はそれぞれの判断で調査を続けるか、署に戻るかをすることとなっている。
「すまない、エルーシェ、ディーン。もうしばらく捜査したいところだが……」
「大丈夫ですよ、中佐。リンシアちゃん、待ってるでしょうから」
「そうッスよ。引き続き自分たちで捜査を続けますから」
階級に関わらず頼もしい部下達だ。そして直感もそこそこいいらしい。
「すまないな、あとは任せる」
教会の保育活動は午後の五時までというのが決まりであるため、その時間には毎日仕事を切り上げているのだ。
ノルディスはエルーシェ達に礼を言うと、保安署のある中央市街へと早足で戻っていった。
【ノクティーンー重犯課ー】
「おや、もうこんな時間か」
保安署の重犯課で一人、デスクに座りコーヒーを飲むのは、重犯課の課長でもあるシュミットだった。
「俺を見て時間の感覚をつかもうとするな」
「まぁまぁ、そう言うなって。もう着替えてきたのか」
「あぁ。そんなことより、お前は捜索に出ないのか?準備しておきながら」
シュミットの脇にはデスクに立てかけたままのサーベルが一本。どうやら帯刀すらしていない様子だ。
「俺がここを動いたら、誰が他の保安官たちを迎えるというんだ、ノルディス?」
「どうせ、会議だの書類だのに追い込まれてそれどころじゃなかったってだけだろ」
「ご名答。上のお偉いさん方は呑気なもんさ。それよりもノルディス、リンシアちゃんには会えたかい?」
「どうしてそれを……いや、さてはお前が差し向けたな?」
ノルディスの言葉に彼は両手をあげて軽く首を振る。
「教会から抜け出したのはリンシアちゃんの意思だ。俺は君の小隊の捜索範囲と経過時間から大体の位置を割り出して教えただけさ」
子供になんて危ないことしやがる、と言いそうになったがここは少しこらえることにした。
「これからは教会にちゃんと戻るように促してくれ。この街を一人で歩くには、まだ危険だ」
「それもそうだな。以後そうするとしよう」
ノルディスは自分のデスクで経過報告書を簡単にまとめ、シュミットに手渡した。
「ふむ、特に新しい手がかりはなし、か」
「明日の祭りが気がかりだからな。お前も今日のところは早めに切り上げて明日に備えた方がいいぞ。もちろんほかのやつらも」
「そうだな。明日は何かが起こる、その可能性は極めて高い。それじゃあ、ご苦労さん、ノルディス」
「あぁ、お疲れ」
挨拶を交わすとノルディスは机から自分の荷物を取って入口のドアから出ようとする。
「あ、ちょっと待った」
「ん?どうした、シュミット」
彼の声に反応してノルディスはドアを半開きにしたまま顔をそちらを向ける。
「リンシアちゃん、なんか調子良くなさそうだったから、何か変だったら家の病院に来いよな」
「風邪でもひいたのか……?ありがとう、シュミット。その時はお前の家計に貢献してやるよ」
「ふっ、皮肉者が」
そうしてノルディスは保安署をあとにした。
【ノクティーンー西部市街地ー】
ノクティーンの街はどこも暗いことに違いはないが、それに反して住民や来訪者の数は常に賑わいを見せている。
街を区分すると東西南北、そして中央の五つにわけられる。
特にこの西の市街地は、ノクティーンを取り囲む巨大な塀の大扉が設置されている唯一の場所でもある。
それは昔、ここを統治していた城の城主が作らせた城壁だと教会の神父は言っていた。
現に中央市街のそのまた中心には未だ巨大な城がたたずんでいる。保安署はその正面の通りにあることから、毎日それを見るハメになるのだが。
俺の隣では、実の娘であるリンシアが手を握って歩いている。
「もうすぐで着くからな」
「うん」
しっかりしているとはいえまだ五歳。病気への抵抗力や免疫が不十分なのだろう。
もっと小さい頃から病気をこじらせていたこともあり、シュミットの実家で経営する病院にはかかりつけ医がいる。まぁ、それはシュミットの姉なのだが。
西部地区のちょうど真ん中にその病院はある。
経営者はシュミットの姉。今ではすっかり街の中央病院と化しているが、昔はシュミットの両親が経営する小さな診療所だったとか。
「ごめんください」
木製のドアを開けると中は石灰の塗られた白い広々としたスペースが広がっていた。
土地自体の値はさほど変わらないが、敷地だけなら西部地区の中では五本の指に入る大きさである。
そんな空間に入って患者の人々をかわしながら受付のカウンターを目指し、歩いていた時だった。
「………さん…」
本当に小さな、風の音かと思うくらいの静かな声の方向には一人の女性が立っている。
そう、その女性こそがシュミットの姉であり、ここの医院長を勤めるエルシール、その人である。
「…ど……ぞ、こち……ヘ…」
「うん!」
元気よく返事をしたリンシアはパタパタと彼女の元へと向かっていく。あの子には聞き取れているのだろうか、よくわからない。
普段、人前ではジェスチャーを介して会話を成り立たせているが、診療の個室に入るとそれは魔法が解けたかのように変化する。
【西部中央病院ー診察室ー】
「はい、問題ありません」
はっきりと、そして透き通った声をしている医院長。そう、エルシールである。
診察室、というより、人が多いところで話そうものなら先ほどのように小鳥のささやきどころでない喋りになってしまうのだ。
「軽い風邪ですね。いつもの薬出しておきます」
「ありがとうございました」
「そんなに改まらなくてもいいですよ、ノルディスさん」
シュミットの姉というだけあってエルシールとはすぐに打ち解けた。もちろん、その時も診察室に入ってからだが。
「ところでノルディスさん」
「何でしょうか?」
おもむろに会話を持ちかけてくるエルシールの方を向き、それに応対する。
「切り裂きジャックの事件のこと、少し聞いてもいいですか?」
その冒頭にあった言葉に反応し、リンシアを他の看護師に預かってもらい部屋から出るように促した。
そして、部屋にはエルシールと俺の二人だけが残った。
「それで、何が聞きたいんですか?とは言っても、保安官もそれほど情報を持っているわけでもないんですがね」
これは話したくない事実だからでなく、正しく現状の真実である。
ジャックについて知っている手がかりといえば、あのカボチャ仮面の人物くらいなものだが。
「ある程度は守秘義務があるから仕方ないと思います。それとは別で・・・」
「と、言うと?」
「ノルディスさんは、彼を見つけて、どうするつもりですか?」
またこの質問か。エルーシェやディーンにも聞かれたが、その真意は自分の中でも定まってはいない。
「そうですね・・・・・・私は街の平和を脅かす者を捕まえ、処罰したい」
「やはり、そうなんですね」
「と、言うのは保安官としての私です」
「え?」
納得というかホッとした表情をしていたエルシールはすっとんきょうな声を出してこちらを見た。
「私個人としての目的があるんです。それに、アイツは俺を待っている、そんな気がするんです」
話を聞くなりエルシールは顔をうつむかせて少し黙り込んでしまった。
「何か、あったんですか?」
気がかりになり思わず言葉をかけた。
「いいえ、何でもないんです。でも、明日は用心してくださいね。カボチャの仮面を被った人達が街中に徘徊しますから」
「・・・もちろんです」
ーーコンコン
診察室入口のドア越しに聞こえたノック音にエルシールが反応する。
「どうぞ」
ドアが開き、そこから背の高い白衣を着た男性医師が一人入ってきた。
「エリー、ちょっといいかな……っと、診察中だったかな?」
「いいえ、話はもう終わりましたから。あ、ノルディスさんは初対面でしたね」
おそらくここの職員だろう。だがなんだかエルシールと親しげなのは伝わってくる。
「そうですね。私はノルディス、保安署の者です」
「あなたがノルディスさんでしたか。私はマッド、エリー………エルシールの夫です」
気さくそうな性格の彼、マッドは俺の手をとり握手してくる。
「エルシールさん、ご結婚なされていたんですね」
「はい。ですが子供ができなくて、シュミットの口からはなかなか言い出せなかったのかと…………」
不妊か。この街でも珍しいことじゃないが、その治療法が今のところないところから不治の病とされ、人によっては悪魔のせいなどとそれをよく見ない者までいる始末。
「そうでしたか」
笑みを浮かべてはいるもののその顔は下を向いている。
「だいぶ引き止めてしまいましたね。そろそろリンシアちゃんを迎えに行ってあげてください」
「いえ、こちらこそ。それでは失礼します………あぁ、それと、これをシュミットに渡しておいてください。チョコレートの礼だと伝えてくれればわかると思います」
この後、俺はリンシアを連れて自宅のある北部へと歩いていった。
しかしあえて言及しなかったが、診察室での会話に違和感があったのは言うまでもない。間違いなくエルシールは、切り裂きジャックと何らかの関わりがある。
【自宅ー寝室ー】
「明日が楽しみね」
「いや、そんなことはないさ。変な緊張感で手が震える」
彼女の手は優しく、そして静かに俺の手の上に重なる。
「大丈夫よ。何があっても、あなたは優秀な保安官だもの」
「保安官としては優秀でも、父親としてはダメだったかな」
「明日、全てが終わってからでもいいじゃない。それにあの子は、私達の自慢の娘だもの」
明日、その日が来れば全てが解決する。しかし、俺の中では一つの疑問が生じた。
「明日が過ぎたら・・・・・・全てが解決したら、僕の中の君はどうなる?」
「私はあなたの作り出した『幻』よ。あなたが全てを知ったその時は・・・」
「消えてしまう、か・・・・・・」
想いと考えが矛盾してしまって自分がどうしたいかなど頭にないような状況だ。
別に今までの時間が消えてしまうわけではない。それでも、幻でも、アイリースと、過ごす時間のリミットが迫っている焦燥感に苛まれる。
「あなた、何も怖いことなんてないわ。時間は戻らないのだから」
「僕は今・・・とても悲しい、苦しいんだ、アイリ。世界の不条理に囚われて、何もかもを失ってしまう自分を想像するだけで・・・」
「リンシアは、そんなパパにも救いをくれるわ。私のいないこの世界でも、あなたを明るく照らしてくれる。今までもこれからも、そんなあの子を支えてあげられるのは、ノルディス、あなただけなんだから」
「アイリース・・・・・・」
寝室のベッドの上には静かに寝息をたてるリンシアがいる。
俺はそっと布団をかけ直して頭を撫でようとしたが、躊躇した。
「いいのよ、ノルディス。その子に沢山の愛をあげて。時には怒って、時には慰めて」
その言葉に促されたように俺の手はリンシアの頭をゆっくりと撫でた。
こんなに小さいのにその黒髪はアイリースそのものだ。
「じゃあ、この子を守るために、明日は頑張らないとな」
「調べ事はほどほどにね、あなた。夜も冷えてきたから」
「ありがとう、アイリ」
彼女との会話はそれまでにして、ノルディスは机に向かい、思い当たる点を徹底的にメモ書きする。
そうして結局、エルシールの周辺にいる人物を頭で考えているうちに日をまたぎ、静かに死霊祭当日を迎えることとなった。
次回、いよいよ最終回です!(理想の予定)
なんやかんやで四話完結にまとまればいいんですがね(起承転結みたいな?)
とりあえず終わり方を考える毎日ですw
え?エンディングを考えないで書いてるのかって?そんなのいつもの事ですよ?何を今さら。
と、余談はここまでとして。
ついに死霊祭当日、事件はノルディスの思わぬ方向へと進展し、切り裂きジャックが正体を現します!
果たしてジャックとは何者なのか、そして、アイリースの伝言に隠された真実とは。急転直下の最終回、乞うご期待です!
あぁ、疲れたw