死の亡霊
【ノクティーンー市街地ー】
『夜の街は今日も闇に包まれる。天高く舞うはずの陽の光さえ、その闇の前には影となる。天を制する月こそが、我らの心を照らすだろう』
これは昔、この街にいたという詩人の言葉だそうだ。
きっと誰もがこの暗闇に心を閉ざし、憂鬱な日々を過ごしているに違いない、というような皮肉でもある。
ふとノルディスは空に浮かぶ月を見てその話を思い出した。
世界で一番夜の長い街、ノクティーン。
実際、この星のどこに位置して、どうして日が差さないのかという仕組みを知るものはこの街にあまりいない。なぜならば、ここだけが自分達の『居場所』であり世界の中心だからである。
「ノルディス中佐、先ほど捕らえた盗人は単独犯のようですね。しかも初犯」
赤のポニーテールを揺らしながら盗人の方を見つつこちらに話しかけるエルーシェ。
今回の犯人は露店の果物を奪取し、逃亡を図ろうとした瞬間にエルーシェが華麗にさばき捕らえられた。
反対側にいたディーンはあまりの呆気なさに棒立ちしていたのを俺は見逃していない。
「最近は特に物騒だからな。切り裂きジャックの件についても保安官の威信にかかっている」
「もちろんです、中佐。それにしてもなんで盗みなんて、家族はいないのかしら…………って!?すみません中佐!そんなつもりじゃないんです!」
「いいさ、俺が話したことだ。ジャックを捕まえれば全部チャラになる」
「遅ればせながら、尽力致します!」
「あぁ、励めよ、エルーシェ伍長」
何気なくエルーシェと和解したところで、犯行時役立たずだったディーンがこちらに向かってくる。
「状況調査、及び犯人の移送ともに完了です。上からの指示で、そのまま任務を続行せよ、とのことでした」
「ご苦労、ディーン一等兵」
「なんかよそよそしいですね、中佐。この女が何かご迷惑を?」
「誰がこの女よ!このいいとこ育ちのちんちくりん!」
「なんだとこの赤毛ビッチ!」
「そうなのか?」
「ちち違います!誤解です中佐!……このボンボン!なんてこと言うのよ!」
いつもと同じ光景に少し気が楽になる。ただでさえ暗い街だ、気分だけでも明るくいきたいものである。
「それじゃあ任務に………ッ!」
視線を感じすかさず斜め後方に振り向く、が、そこにある建物の影には何もいない。
「中佐?」
「………なんでもない、巡回任務に戻る。行くぞ」
気のせいだったのだろうか、はたまたなにかに監視されているのか、正体は定かではないが俺の勘が正しければおそらく後者だ。
夜の街とはいえ、そこにはもちろん朝があれば昼がある。
南中の時間だけこの街には太陽の光が差し、それ以外は朝も夜も真っ暗だ。
日照時間はせいぜい二時間あるかないか。洗濯物を乾かすのも容易ではない。
そんな街での巡回任務はイコール街の安全そのものなのだ。
「事件の一つもないと保安官の意味がないよなぁ」
「ディーン、それを上官の前で言うかしら普通」
「上官って中佐のことでしょ、日々行動をともにしてたら僕の性格も理解してるって」
「私も上官なんだけど」
これが世にいう『痴話喧嘩』なのだろうか、住民課の職員も出生率の低下には頭を抱えていたし、きっと二人なら元気な子を……
「ノルディス中佐!断じて違いますからね!」
「なぜ分かった!?」
こういう上下関係のなさはやりやすい。時としてその直感に退きそうになるが。
「さて、そろそろ休憩にしよう」
近くにある喫茶店を指差し、ノルディスの足はそのまま店へと赴く。
「中佐の奢りですか?」
「ちょっと、ディーン!あんた少しは立場をわきまえなさいよ」
「今日はいくらでも食っていいぞ、領収書は全額シュミットにつけとく」
「中佐……なんて言うか怖いッス」
笑いながら店の扉を引こうとする、その時。
「……ッ!」
また後ろへ振り向くが、そこには部下の二人しかいない。さすがに何度も気配を感じるとなると気にしないとはならない。
「エルーシェ、ディーン、お前達は先に店に入っててくれ。後から合流する」
ノルディスは一人、暗闇の街の路地裏へ向かって走り去る。
「ちょっと、中佐!?」
「なんだろうな、腹痛なら中にトイレくらいあるだろうに」
「そんなわけないでしょうが!……でも、中佐があぁ言うなら大丈夫でしょう。さぁ、行くわよ」
「なんでお前と二人で飯食わなきゃいけないんだよぉ」
そう言いつつもディーンは空腹に負けてあっさりと店へと入っていった。
【ノクティーンー路地裏ー】
「おかしいな、確かに気配を感じたんだが……そこか!」
道端に置かれた木箱のフタを勢いよく開ける、と。
「うわぁあ!みつかっちゃった……」
「え……?リンシアか?」
そこにいたのはまぎれもなくノルディスの実の娘、リンシアだった。
「教会から抜け出してきたのか?」
「えっと、その………」
「お前だったのか………」
妙な気配の正体が娘ということを知って肩の力がため息とともに一気に抜ける。
「俺はてっきり、不審者………怪しい人かと思ったよ」
「ごめんなさい、パパ……」
「んんん………」
何とも言えず頭をかく。しかし、そのまま膠着状態ともいかず、とりあえず『ご飯まだだろ?』と言って先ほどの店に戻って行った。
【喫茶店ー店内ー】
「僕は貴族とかそういう階級って言うのは、その、好きじゃないんだよ」
「じゃあ、この街の貧困層にお金でもばらまけば?そうすれば後世に救世主として奉られることでしょう」
「貧困っていうのはそう簡単に解決する問題じゃないだろ」
何やら店に入ると珍しく真面目そうな話をする二人がいた。
「すまん、遅くなった」
「「中佐!…………って」」
本当にこいつらは仲がいいらしい。まさに異口同音である。
「あぁ、エルーシェは初対面なんだっけ?」
「え?あ、はい」
「リンシア、挨拶できるか?」
ノルディスはその場にしゃがみ、リンシアの目線で挨拶するように促す。
そのリンシアも、こくりと頭を動かし、改めて二人の方を見る。
「えっと……リンシア、です」
五歳ではまだこれが限界なのだろうか。少しばかり人見知りをする子なのかもしれない。
その簡略すぎる挨拶を受けて若干興奮気味のエルーシェはノルディスと同じようにリンシアの目線に合わせてしゃがみこむ。
「こんにちは、リンシアちゃん。私は中佐の部下のエルーシェよ」
「ちゅうさ……?……ぶか?」
「えっと、あなたのパパの……仲間よ」
すごく言葉を崩してくれるエルーシェに感謝である。少し警戒はしているものの、話ができてリンシアはなんだか嬉しそうだ。
だが、そのテーブルの反対側の男は、
「ぶくくく………中佐を……パパって……アハハハハハハッ!」
エルーシェの慣れない言葉遣いに笑いを禁じえなかったようだ。
「うるさいわね、ディーン!その口にサーベル突っ込むわよ!」
「ひっへふほははははははひへ!(言ってるそばからやらないで!)」
リンシアの手はノルディスの服をしっかりと掴んではいるものの、その力は弱い。どうやらそこまで警戒心は強くないようだ。
「リンシア、ご飯にしようか……って、チョコレートの包み紙?」
「ほあんしょでパパのともだちってひとがくれたの」
「あぁ、シュミットか。けどお腹空いただろ?」 」
こいつらをそのままにしとくのもアレだが、ひとまずリンシアは頷いてくれるので席に座らせ、注文をする。
【喫茶店ー化粧室ー】
リンシアを二人のところに置いておくのは少し気は引けたが、生理現象というものは抑えるべきではない。
『我慢をしないこと』というのは妻の口癖の一つだった。
彼女の長く艶のある黒髪はこの辺りでは珍しく、何かと目を付けられていた。
昔、物知りの神父に聞いたある話では、地球というこの丸い星の地図で、極東に位置する島国ではそのような見た目の人種が暮らしているという。
この星が丸いということを知った時はそれは驚いたものだった。
以前はこの地の果に何があるかと期待に胸を踊らせていた若者達が次々にこの街から旅立っていったが、帰ってきたものは一人としていなかった。
それを考えると、教会の神父は一体誰からそんな事を教えてもらったのだろうか。もしかするとそれを書き記した書物があるのかもしれない。
「ノルディス……」
「…………」
「ノルディス」
「あ、あぁ、アイリ」
「どうしたの?難しい顔して」
「いや、この世の果てなんて存在しないということを聞いたなって。子供の頃に」
「大きな話ね、あなたってば、いつも考えることが唐突なんですもの」
アイリースは笑う。無音で、そこに音を響かせることもなく。
「そんな事より、あなた」
「なんだい?」
「リンシアのこと、なんで叱らなかったの?」
「うん………なんというかさ、怖くなったんだよ。あの子までいなくなってしまいそうで」
「それは、私が死んだから……?」
「君がいなくなってしまって、リンシアとどう接すればいいのか分からなくなってしまった。父親なのに、情けない話だよ……」
「でも、あの子はきっと、叱られたいんじゃないかしら。昔は私が叱って、あなたが慰めてたけど、今じゃそれもかなわない……」
肩に触れているはずのその手の感触はなく、感じるのは換気口から来る外の空気だけ。
「君みたいにできるだろうか、アイリース……」
「きっとできるわ、ノルディス……あなたなら」
俺は手洗い場の蛇口を締め、無言でその化粧室から去っていった。
【喫茶店ー店内ー】
「あ、中佐。遅いッスよ」
ホール中央にある丸テーブルには先ほどと同じく三人が座っていた。
それぞれの皿の上の料理がないところを見ると、どうやら全員食べ終わったらしい。
「リンシア、このお兄さんに何か変なこと教わらなかったか?」
「へんなこと?」
「中佐ぁ、なんで自分だけでありますかぁ……」
どうやら何も起こらなかったらしい。街はいたって平和である。怪事件以外は。
【ノクティーンー市街地ー】
リンシアを再び教会にあずけ、三人の巡回任務は滞りなく進められた。
街自体は保安官の黒服のおかげか、普段はそこまで物騒なものではない。
立ち寄る商人をはじめとする来訪者の多くはそんなことも知らずに、街の外でありもしない噂を流すのだろう。
「リンシアちゃん、可愛らしい子でしたね」
「ありがとう、エルーシェ。俺に似なければいいんだが」
「中佐は………しっかりしてて、頭もきれます。そういう子が増えるのはいいことでは?」
「俺は、めんどくさいからな、いろいろと」
談笑しながら街を歩く三人。
暗い街はあと少しで南中時刻を迎え、貴重な光が地を照らす。
とはいえそれも長くて二時間程度の話だ。住人が一層賑わいを見せるこの時間の方がある意味危険ともいえる。
「中佐ぁ、少し休憩はさみませんかぁ」
「さっき喫茶店行ったばかりでしょ?これだからお坊ちゃまは」
「俺が貴族なのとは関係ないだろぉ。ってか、太陽出てきましたね」
三人が上を見上げると暗雲の空から薄らとした光の柱が地上に向かって降りていた。
「これからが一回戦だ、気を緩めるなよ」
ノルディスの声にはきはきとした声で応えるエルーシェと、大きく伸びをしながら返事をするディーン。
ここまで階級で違ってくるのだろうか。俺なら低い階級の時は上官に良く見られるようにエルーシェのような態度をとるが、ディーンはそういうのに興味がないのかもしれない。
一通り担当エリアの巡回を終える頃には陽の光がわずかしか残っていなかった。
街の子供たちの間では雲間からさしこむ光を追いかける、という遊びが流行っているらしく、この日も度々目撃された。
陽の光が完全に落ちると一瞬だが、街が全くの暗闇に包まれる現象が起こる。
これは目の縮小した瞳孔が急激に外の光を取り込めなくなるため起こることらしく、決して自然災害のような大それたものではないらしい。
「光が……消える」
三人はただ呆然と空を見上げこの日の空に別れを告げる。
太陽がないと人間は生きられない、ということを教会の神父から聞いたことがあるが、いまいちその意味を理解していなかった。何とも難しい言葉を並べられて俺の頭が参ってしまったのだろう。
そう考える間にも光はどんどん小さくなり、残るはたった一つの雲の切れ間から落ちる光だけとなった。その時、
「お前が……ノルディス、だな……」
「……ッ!?」
声がする方向、正面を見ると数メートル先に、マント、というよりも白衣のような服を羽織った人物が一人で立ち尽くしていた。
声は枯れ気味なのか、どこか詰まったような、唸り声にも聞いて取れる。
その顔には、死者を弔う祭事に使われるカボチャの仮面をつけていた。
「貴様、何者だ……」
その言葉を聞いて、後ろの二人がノルディスとその仮面を目で捉える。
「中佐、あいつは……?」
「なんか、あいつからは嫌な臭いがするぜ……」
二人は腰に携えたサーベルの柄に手をかけ、ノルディスを中心にそれぞれ三メートルずつの距離をもって横並びの陣を作る。
「貴様、俺の名を呼んだな?何者だ」
ノルディスの言葉に反応することもなく、仮面の人物はゆっくりと両手をあげ、まるで神を祝福するかのように空から降りる光を浴びて、
「ようやく、見つけた………ノルディス……。かつてのアイリースの配偶者よ……」
「貴様ッ!」
ノルディスはすかさずサーベルを引き抜き、仮面の人物に切りかかろうとした刹那、
「中佐ァ!」
「危険です!中佐!」
空から流れ落ちていた光はその流れを止め、この街から全ての光を奪い去った。
「……ッ!クソッ!」
「今は、邪魔者が多い……また来る……アイリースのために……」
コツコツと石畳を歩いていく音が聞こえる、それは少しずつ遠くへ、やがては消えてなくなった。
街頭のランタンも徐々に明かりを灯し始め、道に佇む人々は再びその足を動かし始める。
目が慣れてきた頃には先ほどの仮面の姿はなく、行き交う人々だけが見えた。
「中佐、あいつは一体……?」
抜きかけたサーベルを戻してエルーシェは尋ねる。
「いや、わからん」
しかし、前方数メートルという至近距離まで気配を感じなかった。おそらく相当の手練だろう。
「なんか鳥肌立ってきたわ……」
両腕をゴシゴシと擦るディーンも何かしら妙な敵意を感じ取ったのだろう。とすれば、奴は、可能性がある。
ノルディスはサーベルを鞘に収め、意を決して二人に向かって口を開いた。
「ヤツを、『切り裂きジャック』事件の重要人物として捕らえる…!」
あと二話くらいで終わらせたい感が半端ない『My Dearest Ghost』第二話です。どうも峰坂ラグです。ここに来て初めて自己紹介とは馬鹿な奴めとか思われていそうで怖いです。
さて、今回ですがいよいよ『切り裂きジャック』事件に関する動きが少しずつ出てきましたね。ノルディスの妻、アイリースの登場、死んだ人間である彼女は悪魔か、亡霊か。今後の展開はむしろ私が聞きたいです。
キャラをどう動かそうかと、毎回考えながら書くのはとてつもなく大変ですが頑張っておりますので、今後とも何卒よろしくお願いします。




