夜の街
ここは世界で一番夜の長い街。
怪現象やホラーサスペンス的なものがひしめく暗い街。
明るく街を照らすのは街頭のランタンだけ。
訪れる者が不気味がるのも無理はない。
きっと誰もがそう思っている。この街は危険だ、と。
ここの住民と、それに含まれる俺を除いては。
【自宅ー街外れの丘ー】
「それじゃあ、行こうか」
「ちょっとまってパパ」
まだ声変わりする前兆もない高音域は少女としての幼さを実感させる。
そしてその少女こそが俺のたった一人の娘にして、たった一人の家族、リンシア。歳は今年で六になる。
「よしできた!いこっ!」
昨日新しく買ってきたばかりのブーツの紐をきれいに結んで満足げな様子。それを嬉しく思う俺も満更ではないが。
「ママに行ってきますは?」
「ママ、行ってくるね!」
「よし。……行ってくるよ、アイリ」
【ノクティーンー市街地ー】
この街、『ノクティーン』は通称、ゴーストシティーと呼ばれ、一日のほとんどが夜のように暗く外から来る来訪者にはあまりいい印象を与えない。
ゴーストタウンと呼ばないのは住人がきちんといるからだろうか、上手い表現ができなかったのかもしれない。
我が家は街外れにある丘の上にこれまたひっそりとたたずんでいるため、外からの来訪者どころか内からも訪れるものは滅多にいない。
「パパ、きょうはいそがしいの?」
「そうだなぁ、大事な会議があるからお昼は一緒に食べられないかな」
「そっか……」
俺の仕事について、この子はよく知らない。というより教えてない、きっと難しいだろうから。
リンシアには『街を守る仕事』とだけ言ってある。その仕事とは街の保安官なのだが、なにせ一日のほとんどが夜というだけあって犯罪行為はいかなる時でも起こり得るのだ。つまり、かなりの危険が伴う仕事とも言い換えられる。
【保安署ー保安署重犯課ー】
リンシアを街の中心部にある教会に預け、俺も普段通りに薄暗い石畳を進む。
その足は街の中心部のさらに中心に位置する職場、ノクティーン保安署にたどり着いた。
中には様々な部署があり、その一つが俺の所属する部署である。
廊下をしばらく歩き、部署の手前まで付いたところでそのまま中に入るため引き戸の扉に手をかけた瞬間だった。
「痛いから!それ絶対痛いから!」
「この支給されたサーベルの威力は試さないとダメでしょ?」
「いやっ!やめて!」
これは正直、いつもの事である。
「こんばんは、エルーシェ。ディーンも元気だな、大いに結構なことだ」
「ノルディス中佐!?」
「エルーシェ、そんなに驚くことか?ここは俺の職場でもあるんだぞ」
「えっと、あの……」
持っていたサーベルを背中に隠し、バタバタと服装を整える。
艶のある赤髪を後頭部で結ぶポニーテールが特徴的なエルーシェ。女性にして男勝りな心意気を兼ね備える、剣の腕もなかなか。
「中佐ぁ」
「ディーン、何でまた女性にちょっかい出そうとしてるんだ。さすがに相手が悪いぞ?」
「違いますよ!こいつが僕のライオネル家のことを侮辱してきたんです!」
金色短髪に百七十あるかないかの小柄な男、ディーンはこんな感じである。家が名の知れた貴族だかなんだか。
「そっちがお家自慢を勝手にしてきただけでしょうが、このボンボン!」
「誰が親の七光りクズだこの野郎!」
「そこまで言ってないでしょうが!」
こいつらは同期らしいからな、相変わらず仲良しのようだ。いたって今日も平和である。
「さぁ、持ち場に戻れ二人とも。書類の山が見えるのはディーンの机だろ?」
「あ、すみません!すぐに取りかかります!」
基本的な仕事、もとい任務は言うまでもなく街の治安維持活動だ。それこそ喧嘩の仲裁から子猫のもらい手探しまで、その幅はかなり広い。
ついでに『中佐』などと軍のような階級付けがされているが、これは立場を分かりやすくするためだけのもの。つまるところ、ここの署長は『総帥』もしくは『大将』ってところだ。
俺は『喧嘩の仲裁』という仕事を出勤直後に終え、長い列になっているデスクの島から少し離れた奥のデスクに向かう。
「シュミット、調子は?」
「あぁ、ノルディス、仲裁業務ご苦労さん。調子はまぁまぁかな、この書類の山が今日中に片付けばの話だが……」
彼は『重犯課』と呼ばれるこの部署の責任者で、階級で言うと少佐にあたる。
少し長めの淡い青髪に丸眼鏡となかなか特徴的なやつだが、俺と同期ということもあって階級による上下関係は一切ない。
「ところで例の件、どうなってる?」
「お、お前もついに合コン来てくれるのか!いつになったら次の相手見つけるのかと思って心配してたんだよ!今回はな、広報課のパリアンティちゃんとティエリちゃんに、それから……」
「違う、『切り裂きジャック』についてだ。そういう催しはありがたいが遠慮しとくよ」
「なんだ、せっかく天国の奥さんも喜ぶかと……」
一瞬の出来事だった。
彼の言葉を断ち切るように後ろにあるエルーシェの机の脇にあったサーベルを引き抜き、シュミットの首筋手前数ミリで止めてみせる。
「アイリースの事は口に出すな」
「ち、違うんだノルディス!俺は、そ、そそそんなつもりじゃなくて!」
椅子の腰掛けを限界まで倒して両手を上げるシュミット。サーベルの鞘を持ったまま立ち尽くすエルーシェ。事の重大さに驚き立ち上がったディーン。その他もろもろの署員。
全員を落ち着かせるため俺は剣を引き、その刃をエルーシェの持つ鞘へと帰らせた。
ハァと部屋全体から聴こえるため息に紛れてノルディスは一人、控え室へと向かった。
【保安署ー控え室ー】
保安官用に支給された黒を貴重とした服に着替える。
控え室といってもここはただの着替え部屋、ロッカールームであって休憩だからといって利用するものはいない。普通に自分のデスクでできるからだ。
黒の服に黒のブーツ、黒のマントに黒の帽子。さながら本物の軍人のようだが、夜に紛れて行動するため実際は機能的とも言える。
ただ『保安官がいるから悪いことができない』ではなく、『いついかなる時も保安官に見られている』という意識作りが狙いだとか。
「少しやり過ぎたか……」
先ほどの一件について少し反省していると、
ーーコンコン
ドアをノックする音が控え室に響く。
別に驚くことではないが、考え事をしている最中に来たものでハッとした。
「どうぞ」
俺はとりあえず落ち着いて来訪者を呼び込む。
「失礼します、ノルディス中佐……」
それはエルーシェだった。
彼女は扉をゆっくり閉めるとこちらに向き直る。しかし、もじもじとして何も言い出せず黙り込んでしまった。
「まぁ座れよ」
近くにあった座高の低い長椅子に彼女を誘導し、その隣に俺も座った。
そして履いたブーツの靴紐を結びながら俺はエルーシェの言葉に耳を傾けた。
「ノルディス中佐、あの……先ほどの件なんですが……」
「あぁ、悪かったな、勝手にお前のサーベル使って」
「その事はいいんです。……その、聞いてもよろしいでしょうか」
「何を?」
俺は分かりきったことを質問している。意地悪とも感じるが、一応その手順を踏んでほしかったのだろうか。
「中佐の……奥様について、です」
答えは見えていた通りだった。
「そうだな、巡回任務もあるし、その間に聞かせてやるよ。お前も支度してこい」
「りょ、了解です!」
殴られるとでも思ったのだろうか、足早に控え室を出ていくエルーシェはどこか緊張気味だった。
別段、隠す必要もないことであって、現にシュミットが知っている事でもある。
ブーツの紐を結び終わり、腰に帯刀用のベルトを付け、新しく支給されたサーベルをさす。そしてそれとは別に、今まで使っていたサーベルもさし、マントで体全体を覆い隠した。
「よし、準備完了」
最後に白の手袋に手を通し、俺はその部屋を去った。
【ノクティーンー市街地ー】
街中の巡回任務には保安官二人から三人ほどの小隊を組み、共に行動することが決まりだ。
今回は小隊長の俺と他にエルーシェ伍長、ディーン一等兵の三人チームである。今回、というか最近は決まってこの編成にされるのだが。要するに喧嘩しやすい彼らのお守りということだ。
「何でこの僕がこの女と一緒なんだ……」
「なによディーン、私より格下のくせに上官気取りなんて。尉官クラスにでもなってからいいなさい、私よりも先になんて殉死で二階級特進でもしないと無理だろうけど」
「絶対見返してやる……」
喧嘩するほど仲がいいというが、これもその一つなのだろうか。そもそも仲が悪かったら話もしないと思う、つまり仲は良いのだろう。
ふむふむとあごに手を当てて考えていると、後ろを歩いている当人達から声をかけられる。
「中佐、そろそろよろしいでしょうか?」
「あぁ、さっきの話か」
「え?何ですか?何の話ですか?」
何も事情を知らないディーンは俺とエルーシェの顔を交互に見ながら尋ねてくる。
「ディーンうっさい!あんたはもっとデリカシーを持ちなさい」
「で、でりかしー?」
「少し黙ってなさいってことよ」
ハァとため息をついてエルーシェは改めてこちらに振り向く。どうぞ話してくださいと言わんばかりに。
「分かった、少し長い話になるから巡回を怠るような事はするなよ」
「了解です」
街頭のランタンの光に照らされる石畳の街道を歩きながらノルディスは話を始めた。
「これはもう五年ほど前の話だ。俺には妻がいてな……」
「え!?ノルディス中佐、やっぱり既婚者だったんですか!?」
なぜか驚愕するエルーシェ。その反応を見てやれやれと言わんばかりにディーンが割って入る。
「知らなかったのかよ伍長様。中佐の娘さん、たまに保安署で見かけるぞ?」
ディーン、お前はなぜあの子を知っている。いや、自己紹介するか、あの子はしっかりしてるからな。いやそうじゃない、一人で保安署まで来てるのかリンシア。俺は心配だ。
「そ、そうなのね。娘さんまでいたなんて……」
「何ボソボソ言ってんだよ?」
「うるさいわね!ち、中佐、続けてください」
「あぁ」
エルーシェは帽子を深くかぶり直しゴホンと咳払いをする。
「えっと、その五年くらい前に……いや、今もまだ続いている事件があってな。『切り裂きジャック』ってお前ら知ってるか?」
「闇に紛れて人を殺すってこの街の代名詞みたいな殺人鬼ですよね?」
「さすがのディーンも知ってるか。そう、その五年前から今までに累計五人の被害者が出てしまい、その正体すら依然つかめていない最悪の殺人鬼。その名前すら分からないものだから、こちらが付けたコードネーム『ジャック』、名無しの殺人鬼と呼ばれている」
そもそもその正体を誰も知らず、現場に死体以外の何も残さないという卑劣極まりない凶悪犯だ。もちろん未だに捕まっていない逃亡犯である。
「なんとなく分かったと思うが、切り裂きジャックの一番はじめの被害者、それが俺の妻であるアイリースだったわけだ」
しばらくの沈黙の後、後ろの二人が唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「つまり中佐は、その切り裂きジャックに奥様の仇を取りたいと……いうことでしょうか」
「初めはそう思ったよ、頭がおかしくなりそうだった。けど生まれたばかりの娘がいて、その子をを抱くこの手が復讐に汚れてしまうのは、それ以上にあってはならない事だと思ったんだ」
「ではなぜ、未だに犯人を追いかけるのですか?」
「その後、一年に一人ずつそいつによる被害で死者が出た。その真相を突き詰めていったところで、被害者家族の証言に共通点が見られたんだ」
また二人の息を呑む音、というより感覚が背中に伝わってきた。
「それは、『被害者の伝言を遺族に届ける』というものだった」
「中佐の奥様の……その……伝言は何だったのですか?」
恐る恐る質問を投げかけるエルーシェの顔はとても辛辣そうに見えた。
「それがな、俺の時……初犯の時だけは、その伝言が来なかったんだ」
「それじゃあ……」
「そう、本当に妻を殺したのは切り裂きジャックなのかどうかすらあやふやなんだ。だからこそ、その真相を知る可能性のあるあいつを捕まえねばならない」
なるほど、というエルーシェの相づちから会話は止み、一時の静寂が訪れた。
そして彼ら二人は同時に思い出したような反応をし、代表するようにエルーシェが口を開く。
「一つ質問なんですが、切り裂きジャックの公開捜査において出回っている情報の一つに、『犯人は被害者の一部を持っていく』とあったと思うのですが……奥様はどうだったのですか?」
「なるほど、いい質問だ」
怒られるとでも思ったのか、二人は歯を食いしばり目を見開いてスタンバイしていた。そしてそうでないと分かった途端に大きなため息をはいた。
「実はそこが大きな問題なんだ。犯人は必ず被害者の一部を持っていく、が、妻の場合は違った。彼女だけは、『全身』を持ってかれたんだ」
この場に妙な緊張感がはしる。二人は任務のことを忘れてはいないだろうか。
心配しつつもノルディスは独り言のような会話を続けた。
「だから現場に残されていたのは、べっとりと石畳に貼り付いた大量の血液だけ。その時近くを通りかかった人間に聴取したら、『大きな棺桶のような荷物を背負って歩いていく人がいた』と言っていた。犯人は果たして悪名名高い切り裂きジャックなのか、はたまた別の殺人犯か。実のところ、彼女が本当に死んだという事実さえ明らかではない。だからこそ、それを知るためだけに今はこの仕事をしている」
「最前線なら最も情報が得られやすいから、ということですね」
「そういう事だ、エルーシェ。っと、話はこのくらいにしてお前ら、そこの露店の反対側の影にいる男、商品のひったくりでもしそうなにおいがプンプンするから、ちょっと散開して警戒」
「「ハッ!」」
エルーシェとディーンの二人は怪しまれないように早足で建物を背につけ、その男を中心に三角の陣形を組んだ。
とは言え、三角の一番上に位置する俺はその場で棒立ち。周囲に不審者の仲間がいないか、通行人にも目を配り、一人、口を開いた。
「アイリースは死んだ、か。切り裂きジャックに殺られたのだとしたら、一体どんな伝言を残すんだろうな。………なぁ、アイリ」
「そうね、ノルディス…………」
一話切りの短編を書こうかと思ってたんですが、どうにも収拾がつかなくなってしまい、連載ルートに乗ってしまいました。あまり長くするつもりもないので、ゆっくり連載を楽しんでいただけたらと思います。