素直になれない彼女と、戦斧を包丁に持ち変えた彼。
彼は、呆然と、目の前の光景を眺めていた。
「これから……どうするかな……」
ぽつり、呟く。
悲壮感と寂寥に満ちたその呟きに、彼の側にいた少年は、不審そうな表情で、自分よりもかなり大柄な彼を見上げた。
「なんでそんな顔してんだよ。ケニス。この場所で」
「ああ。デイルか……」
ケニスと呼ばれた彼は、傍らのデイルと呼んだ少年を見る。ケニスの生気の無い表情に、デイルはぎょっとした。
「だからどうしたんだよ!? 今日は、お前が主役みたいなもんだろう!? 」
デイルが思わず声を上げたのも無理はない
今、彼らは宴の最中にいたのだ。
旅の途中立ち寄った港町。そこに突如現れた、海洋凄魔獣。田舎の港町では、どうすることも出来ない巨体の魔獣を相手に、腕に覚えのある彼らが対峙し、見事に討ち倒してみせたのだ。
今は町をあげての、その祝勝の宴の最中だった。
ケニスはパーティーの重戦士で、面倒見の良い性格の一同のまとめ役でもある。まだ若く、冒険者としては駆け出しのデイルなどは、彼から多くの知識や技術を学んでいる最中だった。
彼は指揮官としても優秀だ。
今回の魔獣との戦闘でも、的確な指示を出しつつ、後衛の魔法使いを守り、自身も強力な戦斧の一撃を繰り出すケニスがいなければ、小さな港町が一つ地図から消えている事態になりかねなかった。
そのケニスが、燃え尽きたような顔で呆然としている。
「今回倒した魔獣……知ってるか? 本来は外洋にしか棲まない、大型の水竜種だ……」
「そうだな。餌を追って湾の中に入り込んじまったんだろ? ケニスがそう言ってたじゃねぇか」
本来の生息地から離れた場所でも、そういった状況で獣や魔獣。海獣が現れる事がある。相手は何分生き物だ。セオリー通りとは限らない。
今回の水竜もそういった状況だった。
「生息地が、外洋ってこともあって……長年冒険者なんてものをやっても、お目にかかるとは限らない。出くわしても、こっちは船上、船を沈められたらお陀仏だ。討伐の難易度は、普通の竜種より遥かに高い……」
「まぁ。ラッキーだったよな」
「その肉は、獣肉とも魚肉とも異なる独特の風味で、美味。長く保存は利かず、冷蔵などでも食感が変わる事から、幻の珍味とも称されている……」
「……それも、ケニス自身が言ってたよな? 嬉々として、捌いて調理していたじゃねぇか」
その言葉通りに、今宴の席に並ぶ料理の一部は、料理を得意とするケニスが腕をふるったものだ。
珍味で希少性が高いとはいえ、前述のように水竜の肉は保存に適さない。販売することも出来ない為、この宴で一斉に放出されたのだ。
素材として転売出来る、骨や鱗、皮等はケニスたちパーティーが報酬の一部として確保している。
「一度、食ってみたかったんだよな……本当、旨いよな……」
「旨いな」
「……俺の、冒険者になった目的だったんだよなあ……」
ケニスの呟きに、デイルがぎょっとしている事も気に止めず、ケニスは更に呟いた。
「目的果たしちまったら……俺、今後は、どうしたら良いのかなあ……」
思いもかけない場所で、あっさりと人生の目標の一つを達成して、ケニスは途方に暮れていた。
★ ✧ ★ ☆ ★ ✧ ★
「ということで、結婚しよう」
「馬鹿じゃないの? 一度死んでみる? 」
「アンデットが、リタの好みなら考える」
「本当、心底馬鹿ね。アンデット化したら、浄化して魂の欠片も残さないように処理するわ」
途方に暮れて、その後も覇気を失っていたケニスが、生気を取り戻したのは、ラーバンド国有数の都市、クロイツを訪れた時だった。
彼ら冒険者が仕事を探す際、『緑の神』の旗を掲げる店を利用する。
『緑の神』は、旅人を守護し、情報を司る神。この神の紋章を掲げるということは、神の権能の元に集められた、世界中の情報を提供しているということだ。
そして、その情報を求める旅人や冒険者を目的とした、市井の人々からの依頼等も集まる。
この酒場と宿屋を兼ねた『踊る虎猫亭』もそんな一軒だ。店の入口には、虎猫のアイアンワークと『緑の神』の緑の地に天馬の意匠の旗が並んでいる。
「だいたいあんたとは、初対面でしょう」
「運命を感じた」
「馬鹿な事ばかり言うなら、出入り禁止にするわよ」
ケニスが熱心に口説くのは、『踊る虎猫亭』の看板娘であるリタだった。黒髪をキリッと結び上げた、気の強い性格が表情にも現れた、美人に分類して良い女性だ。
だが、口は悪い。
冒険者なんてものを相手にする仕事柄、気が強くなければやっていけないのかもしれない。
「俺は本気だ」
「ああ。そう。忙しいからいい加減にして」
犬猫でも追い払うように、眉をしかめてペッペッと手を振るリタ。
ケニスはそれでも諦め切れないように、更に顔を寄せた。
「リタ」
その返答は、小気味良いぱちんという張り手だった。
「急にどうしたんだよケニス」
「……俺は人生の目標を思い出した」
「は? 」
一連のやり取りに呆れていたデイルに、ケニスはやけに良い表情を向ける。
「冒険者を目指した目的を達成した今、次に目指すは、人生の目標だ」
「はぁ……」
「冒険者を引退した後、宿屋の親父にでもなって、美人の嫁さんと可愛い子どもに囲まれるっ」
「はぁぁ……」
「それが、俺の人生の目標だった! 思い出したぞっ」
生気を取り戻したことは、良いが、どこか明後日の方向を向いてしまったケニスに、デイルは口をあんぐり開けることしか出来なかった。
★ ☆ ★ ✧ ★ ☆ ★
「馬鹿じゃないのっ! 馬鹿じゃないのっ! 」
バシンバシンと、自室のベッドの上で、クッションを投げつける。
リタの顔は、真っ赤だった。
仕事柄、酔客にからかわれたことは、しょっちゅうだ。
女日照りの冒険者にセクハラ紛いの台詞を投げ掛けられるのにも慣れている。
だが、さすがに初対面でプロポーズされたのは初めてだった。
でも、リタも若い女性だ。
あんな真剣な顔で迫られれば、動揺の一つだってする。
そんな状態でも、可愛いげのない台詞しか出て来ないのは性分なのだが。
「本当、馬鹿……」
クッションに顔を埋めて、ぽつりと呟いたのは、誰に対してだったのか。
ケニスはその後も頻繁に『踊る虎猫亭』に顔を出した。
(……って、冒険者が、仕事探しに来るのは当たり前でしょう! )
そう、独白して、素っ気ない態度で応対する。
リタの仕事は、情報が集まる場所だ。
だから、ケニスが、若手の冒険者の内でも、一目置かれた存在である事。--その戦闘技術だけでなく人格や、人心掌握技術的にも、一流と呼ばれる冒険者たちにそう評価されている事--等や、つい先日も大型の水竜を倒し、港町を救うという、英雄的行為をしてのけた事。--等々。
そういった話を集めてしまうのも、仕事柄仕方ないことなのだった。
(老後は宿屋の主人に収まりたい、なんて言ってたらしいじゃない。ちょうど良い女が目の前にいたから、口説いただけよ! )
どう話を集めても、彼が女性を口説いて回るという癖がある、という話はなかったのだが、そこには気付かない振りをする。
気にならないならば、彼の話を知らず知らず集めたりしないのだが、そんな自分には、耳をふさぐ。
ケニスがリタを口説いたのは、初回のあの時だけだ。
それがなおのこと腹立たしい。こんな気にしているのが、自分だけなんて不公平だ。
だから、余計に乱暴な態度を取る。
「馬鹿じゃないの。一度死んでみなさいよ! 」
勝手に口から出るのは、そんな可愛い気のない言葉だった。
ケニスは苦笑して、リタに向かって手を振った。
--クロイツの北に流れる大河。その上流に現れた大型魔獣の討伐に向かった冒険者一行が、全滅したとの話をリタが聞いたのは、翌々日のことだった。
リタは知っている。
ケニスがその仕事の依頼書を見ていたことを。
丁度、ケニスたちのパーティーが、クロイツを出たタイミングとも合致していることを。
知っているから、彼女は血の気を無くした。
出してしまった言葉は取り戻せない。自分が日頃何気なく重ねた言葉が、どれだけ酷い悪意のある言葉かもわかっている。
実現することなんて望んではいない。
けれど、わかっていたはずだ。
死や危険を隣り合わせにする冒険者たちが、どれほどそれらと近しい場所に在るのかなんてことは。
わかっているから、リタは、自分自身の馬鹿さ加減にうちひしがれた。
★ ✧ ★ ☆ ★ ✧ ★
--ケニスがひょこりと、クロイツに戻ってきたのは翌日のことだった。
いつも通り『踊る虎猫亭』のリタが居るカウンターの前に立ったケニスは、はっきりとわかる程に顔色の悪いリタの姿に、ぎょっとしたようだった。
「どうしたんだリタ? 具合でも、悪いのか? 」
そう驚いて尋ねてくる。
そのケニス以上にリタは驚いていたのだが、驚き過ぎると人間というのは、反応が薄くなるものらしい。
「生きてたの……」
呆然と呟くと、ケニスは不思議そうな顔をした。
「ん? ああ。今回は『森』の奥地まで探究してきたからな……いつもより時間が……」
ケニスが言葉を続けられたのも、そこまでだった。
リタがぼろぼろと涙をこぼしていることに気付く。
「っ!? リタ? どうしたっ? 」
「しっ……知らないわよ! 馬鹿っ!! 」
動揺するケニスに、いつも通りの罵声を浴びせる。
「馬鹿、馬鹿っ! 本当に、馬鹿っ!! 」
目を白黒させているケニスにさんざん怒鳴り散らすと、リタは両の肩を落とした。
いつもの彼女らしくない、小さな、優しい声で付け加える。
「でも、生きてて、良かった……この……馬鹿……」
そうして、そっと微笑んだ。
「本当に、馬鹿じゃないの! さっさと行きなさいよ! 」
今日も、蝿を追い払うように手を振って、リタはケニスに渋い顔を向ける。
ケニスはそんなリタに苦笑を向けて、愛用の戦斧を担ぎ直して『踊る虎猫亭』の出口に向かうのも、いつもの光景だ。
「じゃあ、リタ。またな」
「馬鹿、早く行けば良いでしょう! ……無事に帰って来なさいよ……」
最後の言葉だけは、聞き取るのが難しい位の小声だったが、ケニスは満足そうに、にやりと笑った。
--『踊る虎猫亭』が、一人娘に、元冒険者の料理上手の婿を迎えたのは、翌々年のことだった。
現在当方が連載中の作品『うちの娘~』の番外編という形の短編となりました。
本編執筆中に、ケニスって良い人だよなあとの思いからの今作であります。
お読み頂き、誠にありがとうございます。多少なりともお気に召せば幸いと存じます。