彼岸の水葬
死とは本当に終わりでしかないのか
もし、その先があったとしたら
死の先にあるもの、彼が望んだのがもしそれだったとしたら
これは本当に終わりの物語だったと言えるのだろうか
ここがかつてこの島において最も尊ばれた場所だったと口にした老婆は
青白い死人のような顔で、自分の孫ほどの年をした少年が
枯れた湖の底に鎮座した黒い鳥居に結ばれた縄に四肢を戒められる姿を見ていた
現実味のない光景だとどこかぼんやりと思いながら、今すぐ少年に駆け寄りたいのに
それを阻むように大人たちは彼女を強くその腕で捕らえて離さない、
誰もが怖い顔をしていたこんな過疎化の進んだ島の住民だ、
誰もかれも顔見知りの大人達。けれど今日は誰も口をすすんで開きはしない
混乱して暴れる少女をなだめるように老婆は静かに口を開く、
その意味さえ少女には難しいものだったが
だって彼女にとっての現実は強烈な違和感と嫌な感覚を覚える場所に
彼女の大事な幼馴染を繋ぎ、それを猟銃や鉈などを手に
恐ろしい顔をした島の大人達が取り巻いているという非日常
そんな非現実的な光景の中で、さらに生贄だとか儀式だとか口にされても
受け入れるべき脳のスペースがない、完全な要領不足だろう
唯一普段と変わらないのは、渦中にありながらまるで
受け入れるかのように涼しい顔をした幼馴染だけ
そう、彼だけは事の起こりからなにひとつ変わらなかった。
まるで全てを見通していたかのように自然と
今だってそうだ、きっと酷い顔をしているだろう少女を
少し離れた中央から淡く笑いながら見つめている
周りの大人達が引きつった顔をしても、ずっと年の離れた子供を見るには
おかしいような恐怖に顔を歪めていても
その手にどんな凶器が握られていても平然と、
いや視界にまるで入らないかのような顔でただただ少女を見つめる
柔らかく控えめな笑い顔、夜の闇と奈落のように深い穴の底を照らす月の光が
どこか作り物めいたその美しい顔を照らす
せせらぐ水の音と、彼の足首まである水面に今宵の満月が
ゆらゆらと浮かんでいる姿は実に幻想的なものだった
儚げで華奢な病気じみた白い肢体、無遠慮にそれを戒める縄が酷く痛々しいと、
それを客観的に見たものは感じるだろう。だがそれを裏切る、
その黒い瞳に宿る深く暗いなにか。大人達が畏れ恐怖し、
同時にこんな凶行に出た理由。少女だって本当は知っていた、
大人達をそうさせるものの正体を、そして頭の冷静な部分で理解した、
これから起こる悲劇を。決して認めたくない真実、だから考える事を拒否した。
だがこの身を震わせるほどの恐怖からただ彼の傍にと思った
そして、そんなそんな葛藤を知って、だからこそ彼は笑う、
ただ静かに、どこか満たされた顔で。
「もう、こんな方法しかないのよ…。」
しわがれた声で呟かれた声は赦しを切望する色さえ滲む。
泣き崩れるように地面に伏した老婆を労しげに見つめる大人達。
少女にとっては怒りしか湧かない、そんな言葉が免罪符となるわけがない
そんな軽々しいものではない、この大人達がやろうとしていることは一種の処刑だ
普通には到底無理だから古い歴史の中にある儀式に則った人殺し
14歳の少年ただひとりを大勢の大人達がよってたかって神事の名の下に殺す
最も自分たちの犠牲が少なく、最も自分たちの手が汚れない方法で
だから初めに老婆は口にしたのだ、最も尊い場所だと。
そして次にこう言った、生贄に捧ぐ儀式だと。
口ぶりからそんな風習廃れて長い事はすぐにわかる
だから建前、ただそれを口にして罪悪感やその他諸々を緩和したいだけ
なんて汚い大人達、勝手に祀り上げて、少しでも手に負えなくなれば手のひらを返す
「ひとごろし」
こぼれた声はとても低く、すすり泣きだけが聞こえる夜に響く
雷に打たれたようにこちらを見上げた老婆は涙に崩れた顔を恐怖に歪めていた
両脇を押さえる大人達も目を見開き少女を見つめる
怨嗟の声でも聞いたかのように怯えるのは気の弱い若い大人たちで
憤慨したように睨み付けてくるのは傲慢ささえ滲む顔をした大人たちだ
だが誰も何も言おうはしない、まるで言葉を紡ぐ事を恐れるように口を噤む
次は自分かもしれないという恐怖に負けた惨めな姿を、ただ私は怒りのまま見つめ
軽やかな笑い声がくすくすと幼馴染の口から漏れる
「いいよ、気にしてないから。」
「千冬。」
「どうでも良いんだ、本当に。意味のないモノだから。」
目を細めて笑う少年、千冬はただただ少女だけを見つめる、
その薄暗く闇が渦巻くガラス玉のような瞳で
意味がないというのが大人たちを指している事にはすぐに気づいた、
だって一度たりとも千冬の視線は少女から外れない
その他大勢の嘆きも絶望も彼は意に介さない、
心底どうでもいいと常々決して多くはない口数で告げていた
疎外や恐怖の視線、向けられる敵意や憎悪、
それら全てを綺麗に無いものとして扱う
14歳という未だ子供の域にある少年から鑑みれば常軌を逸している姿が
更に異常だと悪循環のように口を開く人間達
恐怖や憎悪が喰い合い、この島は千冬に対する負の感情の坩堝と化してさえいる
誰もが内心彼の死を望み、膨れ上がったそれはついに爆発した、それが今のこの現状
ごっそりと表情を切り落とした大人たちの訪いを、
彼はさも当然かのように受け入れた
いくらでもどうにでも出来る状況だったのに、今も大人しく流れに身を任せるように
手段さえ選ばなければ今すぐにでもどうにでも出来る筈だった、
少女はそれを良く知っていた
「どうして…?」
掠れた声で縋るように千冬を見つめる。
ずっと頭の中を占めている疑問、何故抗うことすらしないのか、と。
そんな少女の疑問なんてとっくに分かっていた筈だ、
誰もかれもが千冬の死を望むなか
彼女だけはただひたすら千冬の幸福と安寧を祈り続けてきた、
だって誰よりも大事なひとだから
愛しい幼馴染、誰よりも彼女に優しく、
誰よりも彼女の幸せを願ってくれている大切なひと
ただ変わらず微笑む彼の顔に悲壮感はない、
せせらぎ程度だった水音は水量を増したのか今ではごうごうと音を立てて
中央の一番低い位置にある鳥居ごと、四肢を繋がれた彼を飲み込もうとしているのに
腰まで黒く濁った水に飲み込まれているのにも関わらず、
自身の足場から千冬の背の高さ程ある
その枯れた水底の壁面を緩い螺旋状に上に伸びる細い道に立つ少女だけを
見つめ続けている
害されている自分の事さえ意に介さず、ただただ彼は私だけを見つめている
「千冬っ!!」
気づいたときにはどこからそんな力が出たのかという様子で
自身を拘束する大人を振り払っていた
そのまま道の縁に身体ごと突込み、
地面に擦れて痛む膝や血の滲む掌など意にもかけずただ
淡く血に染まった指先を千冬の方へ伸ばす。驚いたように一瞬目を見開いた彼は
流れの激しい水のなかゆるゆると少女のいる縁まで歩み寄る。
だが決してそれ以上の身動きはする気がないかのように伸ばされた少女の掌に
そっと自分の頬を寄せ、うれしそうに目を瞑るだけ。
千冬の白い頬が血で赤く染まる様に頭の中で何かが壊れる音がした
「どうしてっ!!」
千冬が死さえも受け入れていることを完全に理解した。
引き攣れたような喉が零す悲鳴は人間の言語と呼ぶにはあまりに野蛮だった
だが溢れる感情のままに叫び続ける、ただ朗らかに笑う幼馴染の少年に向けて
「春希」
紡がれた少女、春希の名前は普段と変わらずただただ優しいもの
泣き続ける私に、いつものように手を伸ばそうとしたのだろう
だが太い縄で両腕を鳥居に戒められた手首は頬まで伸ばせず
困ったように笑う千冬は唯一自由な顔を傾ける、
近づく顔と柔らかな感触が両頬から目尻までを辿る
落とされた唇の優しさが絶望に拍車をかけるのを感じた、ただただ
鉛のように重い両腕でその細い首を抱きしめることしか頭に浮かばなかったのだ
濁流に呑み込まれ続ける仄暗い枯れ沼の底で、
離れることなど許せないという感情しかないまま
「春希。」
二度目に紡がれた私の名前は、締め上げる腕の所為かくぐもっていた
だけどその響きを聞けば続く言葉は容易に想像出来る、想像できる程傍にいたのだ
聞きたくない、絶対に聞きたくない、抵抗と拒絶を感じ取ったように
身を硬くした私を甘く喉で笑う幼馴染はそっと耳元で口を開く、
私にとって絶望しか浮かばない言葉を
「僕らには必要な事なんだよ。」
「いやっ!!」
反射的に口から出た否定の言葉はもはや悲鳴だった
がんがんと響く頭痛は泣き過ぎた所為なのか、
それとも理解し難い状況を拒絶してなのかわからない
そんな私の顔を見てちょっと困ったように笑う千冬の様子に怒りさえ沸いてくる
「これが最後じゃない、約束しただろう?」
甘く諭すような言葉と、首まで水に飲み込まれながらも
悲壮感などない柔らかな笑顔を続ける
「僕たちは永劫一緒だと。ほんのひと時だ、君と僕が時を別つのは。」
言い聞かせるような口調に悲壮感は無かった、
周囲の大人達がぞっとしたような顔をしている
悪意と憎悪しか存在しない、
その矛先となった幼馴染は絶たれかけた命をまるで瑣末のように扱いながら
ただ、私だけを見つめていた。普段とかわらぬ静かな微笑みと、
水底のように鈍く光る瞳をたたえて
「決して離さないと約束した。必ず迎えにいく………だから待っていて。」
確信に満ちた言葉を紡いだ千冬は、もう告げる言葉は無いとばかりに小さく笑い
そっと瞼を閉じ、身体から力を抜いたと同時にゆっくりと沈んでゆく
激流の渦巻く湖は砂や泥を巻き上げているのか
5センチ先も見渡せないほど透明度など皆無で
すぐに水面から千冬の頭が消えて行く、
残ったのは荒れ狂う水の奔流と耳障りなまでの音
咄嗟に伸ばした手を後ろから誰かが掴んだ、だが気にしている余裕は無かった
むちゃくちゃに身体をよじり手をばたつかせ身体を水の流れに投げるように倒すが
無数に伸びてきた手に動きを封じ込められる、
そしてそれが今まで傍観していた大人たちのものだと知った
意味の無い言葉の羅列を叫ぶ子供の身体を数人がかりで淵から引きずり離すと
依然水位を増す奈落の底のようなその場所から出る為に、枯れた水底でしかなかった
その湖の壁淵を緩い螺旋状の足場が刻まれた道を登っていく
奈落のような暗闇、子供の抵抗などわけも無いといった無情なその腕に戒められ
空虚を見つめる少女の瞳はただ絶望に染まっていた
後にこの日の事を知る誰もが後悔する事になるだろう夜の真実
見上げた空にかかる不気味なほどに大きな満月は静かに見下ろしていた
こうしてすべてはここから始まる。
簡単詳細
あくまでも導入なのでいみふなカンジですみません。
本編あげるまでこちらに簡単なプロフィールを・・・
神代千冬(14)
閉鎖的な島の中でも特にオカルトじみた一族の最後の一人
生まれてすぐに母を、9歳で父を亡くす。
美しい外見とその異常なまでに出生から続く周りの死の連鎖が原因で疎外され続ける。
他人の痛みを理解出来ない人間的に壊れた部分と無欲で無垢な面を持つ。
性質的に独善的かつ苛烈。基本すべての事象に対し興味が極端に薄い為、
無口で凪いだ雰囲気を持つが、一度決めた事は何があろうと翻さず実行し
意に沿わないもの、自分を阻むものにはどんな小さな事でも絶対的な報復に出る
全ての元凶となりえる人物。
真山春希(14)
神代千冬の幼馴染の少女。父親が島の出身で2歳の頃島へ戻る。
あっけらかんと物怖じしない性格で、他人の本質的な部分を見る目に優れている。
畏怖と憎悪の対象であった千冬をただひとり、歳相応の少年として扱っていた。
血に塗れた暗い部分も含めて千冬を受け入れている
愛情深く、器の大きい明るい少女で誰からも好かれるような性格