我が愛しの君の眼差しは
目の前に揺れる、憎悪に燃える瞳。
美しい、と思った。
こんなに心を揺さぶるような瞳を、これまで俺は知らなかった。
これまで奪って来た他の姫のように、怯えることも、媚びることもないそのまなざしに、俺の心は震えた。
あの従者に向けていた信頼と愛に満ちたまなざしではない。
―― それは俺だけに向けられる眼差し ――
****** ******
俺の仕えているお方にとって、邪魔な一つの城があった。
その城の主は敵ではなかったが、最近は意見の相違により、俺の仕えるお方の目に余るのだという。このままその城主が考えを改めないのであれば、無理にでも言うことをきかせなければならないということだった。
その城主が、末娘である『霞姫』を未だにどこにも嫁がせないのは、その姫が従者と恋仲であるせいだと風の噂で聞いたことはあった。
従者の名は『和貴』。身分は低かったが、その強さが城主の目に留まり、特別に姫を守る役目をもらったのだという話だ。直接刃を交えた者ならば、その強さに圧倒されないものはないと言われるが、何せ身分もことさら低く、さらに本人も姫を守るのが自分のつとめと、ほとんど城の外に出ないというのだから、その存在は謎に包まれていた。
俺は、その『和貴』とやらとは一度手合わせしてみたいとは思うものの、姫の方には全く興味をそそられなかった。
そんな俺が初めて姫の姿を見たのは、様子を探るためにお忍びで城下町にもぐりこんだ時だった。
町娘風のなりはしていたが、どこか高貴な馨りが漂うその娘に、自然と俺の目は向けられていた。
女に不自由していたわけではないが、やはり綺麗な女に男は吸い寄せられてしまうものだと我ながら可笑しくなった。
思わず立ち止まった俺を不審に思ったのか、その娘の目が俺をとらえた。
正面から見ると、その美しさはより明らかだった。
その透き通った瞳に白い肌、紅い唇と。
だが、すっとその一歩後ろから武士姿の男が進み出てきた。娘の視線は一瞬でその男の方へと向いてしまう。
『なんだ、もっと見ていたかったのに』
俺は残念に思った。
その男はちらりと俺に目を向けながら、静かに娘に告げた。
「もう、戻りましょう」
男の言葉に娘は頷くと、
「分かりました」
と言って傍らの男に微笑みかけた。
その娘の眼差し――
本当に愛溢れる、とはあのようなものを言うのだろう。
菩薩のような、その微笑み。
そしてその瞳は、相手のことを信頼し、心から頼っていることが伝わるものだった。
その娘と男が人ごみに消えてゆくのを、俺は阿呆のように見つめたまま、動けなかった。
あんな風にお互いを心の底から信頼し愛情できる相手にめぐり合えればなんと幸せか、と柄にもなく思う。
「だが、こんな世の中にそんなものを求めるのは、それこそ阿呆の極みだな」
俺は一人、吐き捨てるように呟いた。
そう毒づきつつも、その時のことは何故か俺の心にいつまでも残っていた。
そんな時――
俺は、俺が仕えるお方の目に余ると言われていたその城主に探りを入れる役目をおおせつかった。
やるべきことを終えて帰ろうとしていた時、少し離れたところにいた女性に何となしに俺は目を留めた。
その身なりからして『姫』であることはすぐに分かった。
その場に立ち尽くす俺に気づき、『姫』は慌てて奥へと引っ込んでしまったが、俺にははっきりと分かった。
この姫は、あの時の町娘だと。
この城主の娘は皆、既に嫁いでおり、今この城に『姫』がいるとしたら正室の末娘の『霞姫』しかいない。
それにあの城下での様子が、何より俺の考えを確信へと導いていた。
あの凛とした姿と、あの従者に向けた美しいまなざしがどうしても忘れられなかった。
『そう、あの時から、俺はあの娘―― いや、霞に惚れていたのだ』
だから、ずっと忘れられなかった。
そう感じた瞬間、俺の中である思いが芽生えた。
―― 欲しい ――、と。
だが、霞姫の中であの従者への思いが強く息づいていることは明らかだった。
―― どうすれば、霞を手に入れられる?
そう考えた時、自分がとるべき行動はもはや一つしかなかった。
それから、お仕えするお方の名の下に、俺はその城を落とすために先頭を指揮した。
もともと、それほどの力も持っていなかった城を落とすのは簡単なことだった。
霞の父親や母親も落城の際に自害した。
霞は、逃げようとしていた。
それは父や母や大勢の者の願いだったという。
姫としての地位を捨て、その従者とともに歩む未来のために。
それを知ったとき、俺は焦った。
霞を手に入れるための戦でもあるのに、それができないなど、ありえないことだった。
俺は走り回った。
狂ったように霞を探して。
そして、ついに見つけたのだ。
裏の山に身を潜めていた霞とその従者を。
守ろうと戦った従者『和貴』は、その名を世に轟かすほどの相当な使い手であることは間違いなかった。俺でさえ、その太刀筋に魅力を感じずに入られなかった。俺がもし、その時一人でいたのなら負けていたに違いなかった。
だが、幸いにして、俺は二人の供を連れてきていた。どちらも俺が選りすぐった腕の確かな者だった。
一人が離れたところから放った矢は、和貴の胸を真紅に染めた。それも矢は一本ではない。何箇所も何箇所の貫かれ、それでも霞を守ろうと最後の最後まで戦っていた姿には男の俺でもぞくりとさせられた。
だが、そんな男が霞のそばにいるのを俺は許すことができるわけがなかった。
幾度も矢に貫かれ、太刀で斬られ、虫の息となった和貴の首を、俺は刀でなぎ払った。
和貴の首と胴にすがりつき、霞は狂ったように泣き叫ぶ。
心に痛みを感じながら、俺は立ち尽くした。
その霞の姿に、初めて罪悪感を感じた瞬間だった。
泣き叫んでいた霞の懐から短刀が見えたとき、俺は全身が総毛だった。
今にもその刃を自らに向けようとする霞の腕を掴み、短刀を払った。
―― あの男のもとには逝かせない。
―― そんなことは許せない。
その後は必死だった、嫌がる霞を無理やり縛り上げ、自分の城に連れ帰った。
****** ******
あれから三日――。
霞はあれから食事を摂ることも拒否し、誰にも何も言うことはないという。
『まあ、当然か……』
短くため息をつく。
自分の親を死に追いやり、恋人を殺めた俺を許せというのも無理な話だろう。
だが、このままでは彼女の命は尽きてしまう。
『霞をあの男のもとに逝かせるなんて、そんなこと許せるものか』
霞を押し込めている部屋に向かいながら、俺は歯軋りした。
まだ日の沈みきっていない部屋の中は薄暗く、ひんやりとしていた。
人払いをし、霞へと近づく。
自害しないよう、霞には猿轡をかませ、腕は縄で後ろ手に縛り柱にくくりつけてある。
これまで姫として丁重に扱われていた霞にとっては、この姿だけで屈辱以上のなにものでもないだろう。
霞は一瞬、鋭い視線をこちらに向けたが、ろくに食事もとらぬ上に様々なことが重なって身も心も疲れが溜まっているのだろう、そのまま力尽きたように畳へと視線を戻した。
心なしか頬もこけ、体も細くなった気もする。その消え入りそうな霞の様子が心に沁みる。
その切なさにたまらなくなって、俺は霞の前に膝をついた。
彼女はそれでも美しかった。
何とも言えず、俺は霞の頬に触れた。
その瞬間、霞は大きく首を振ってその手から逃れた。
霞の行動は当然のことだ。
当然のことだと分かってはいる。
―― だが――、拒否されたことに、俺の心の中の何かの留め金が外れた。
勢いよく、着物の合わせのところに手をかける。
びくり、と一瞬、霞が身を震わせた。
「生娘でもあるまいし、何をそう恥ずかしがる。あの者と既に肌を合わせてはいたんだろう? ああ、あれか。あの者への義理立てをしているというのか? もうあの者はこの世にはいないのだから、無駄なことだ。何しろ、あの者は俺がこの手で殺してやったのだからな」
そう口にした瞬間、霞が顔を上げた。
その瞳には、俺への確かな憎しみが湛えられていた。
ぞくり、と全身が粟立つ。
向けられるのは憎悪なのに、俺はその瞳から目を離すことができなかった。
先ほどまでの消え入りそうな様子とはまるで違い、生きる力に溢れていた。諦めていた生への執着が憎しみによって甦ったようで、そんな生き生きとした霞の姿に俺は喜びを感じる。
激情のままに、霞の肌に手を滑らせる。初めて触れるそれは、昇天しそうなぐらい柔らかだった。
俺の手から逃れようと、霞は必死で身をよじる。
だが、縛られた状態では逃れられるはずもなく、猿轡をかまされているために声もろくに上げられない。それがまた俺の中の残酷な何かを沸き立たせた。
「美しい、お前は本当に」
もう、止めることはできなかった。
ただ俺は我を忘れ、無我夢中で霞の白い肌を貪った。
―― もっと、憎め。
そして俺に、あの眼差しを向けてくれ。
心が叫ぶ。
あの者への信頼と愛情と同じくらい、俺には強い憎しみを。
……。
…………(汗)
病み方、弱いですかねえ……(汗)
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月夜の闇猫様、素敵な企画をありがとうございました!