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【第六章】 最後の課題と魂の奇跡

 バサッ、バサッ。

 莉奈の部屋にはそんな音が部屋に響き渡る。

 雫ちゃんは朝食作りにキッチンへ、莉奈がバスルームへとそれぞれ向かった。その間の俺の仕事は昨日洗濯したものを室内に干していくことだ。

「昨日の帰り際の抗議もむなしく日を追う毎に俺の仕事が増えてるのは気のせいだろうか」

 腰の辺りまで布団をかぶり、未だ寝息を立てているアライグマ姿のフェアしか居ない部屋の中で一人呟いた。

 それぞれに役割があるのはまあ良いことだろう。莉奈の言うようにこの部屋を提供してもらってる分ある程度労働力で還元するのは当然のことだ。

 ただ仮にも女の子なんだからもう少し恥じらいを持って欲しいというかなんというか……今も目の前にあるカゴの中には洗濯物の山。その中には当然下着なんかもあるわけで、莉奈が平気でもこっちが恥ずかしいことこの上無い。

「んにゃ……なんかエエ匂いがする」

「フェ、フェア。やっと起きたのか。もうみんな起きてるぞ」

 慌てて手にしていた下着をタオルとすり替える。

「んあ? ああ、ダーリンか、おはようさん。なにしとんの?」

「おはよう。見ての通り洗濯物干してるんだよ、フェアも顔洗ってきな」

「ん、そうするわ」

 フェアは伸びをしながら大きなあくびをするとトコトコと歩き出した。アライグマが前屈じゃなく普通に仰け反ってあくびをする光景なんてそう見られるもんじゃないだろう。

「ん? そういえば……」

 当たり前の様に動物と会話していながら、ふと疑問に思う。

 元は人の姿をしていたとはいえ今のアライグマの姿をしているフェアが水で顔を洗うんだろうか? そもそもあの姿じゃ洗面台まで届かないだろう。

 俺はすぐにフェアの後を追った。

「おいフェア、その姿じゃ届かな……あ」

 洗面所の扉を開ながらフェアへと声を掛けたはずが目の前に居るのはバスタオルで髪を拭いていた全裸の莉奈。どこで何を間違ったんだろう。

「なんや、朝っぱらから覗きかいなダーリン」

 フェアは何の問題も無く登れたらしく、洗面台の上から言う。

「いやっ、違っ、違うんだ莉奈! フェアを手伝ってやんなきゃと思って……」

 俺は必死に莉奈に弁明する。フェアは呆れたように、

「確かにダーリンの嫁になった傍からアライグマの姿になってもうてダーリンの欲求不満も分からんでもないけどな。ご主人様を覗くんは流石にやりすぎやで」

「だからそんなんじゃないっての! 大体ダーリンとか嫁とかいつまで言ってん……」

「さっさと出て行けー!」

 しばらく怒りに震えていた莉奈がとうとう爆発した。

 初めて味わう莉奈の右ストレートで数メートル吹っ飛んだ俺は、慌てて駆け寄ってきた雫ちゃん曰わく「人の時はヘタレとか言ってたくせに……」と呟いていたらしい。


          ○


「何を痛そうに顔を押さえてるんだ。どうかしたのか?」

 莉奈とフェアの朝食、及びその片付けが終わった頃に兄ちゃんが部屋に現れるなり俺を見て言った。

 命あるアライグマの体に入っているために飲食が可能だったフェアは普通にトーストを食べていた。

「痛そうじゃなくて痛いんだよ」

 言って俺は視線だけを莉奈に向ける。

「また揉め事か。いい加減飽きねぇな」

「違うわ。この馬鹿の馬鹿さがいつまでたっても治らないから朝から馬鹿丸出しの馬鹿の体に教えてやっただけ。この馬鹿は自分が馬鹿だって分かってないの、なぜなら馬鹿だから」

 問題です。今、何回馬鹿と言ったでしょう。

「ともあれ、とうとう最後まで来た。思ってたよりずっと早かったがな。これがお前の今後を左右する最後の一枚ってわけだ」

 莉奈は手渡された用紙に目を通すとなぜか不機嫌にその紙をテーブルに放った。

「なにこれ? 最後の最後でふざけてんの?」

 俺と雫ちゃん、そしてなぜか俺の肩に乗っているフェアがそれをのぞき込む。

「河内山市にある竜乃宮神社の人たる者の立ち入り及び霊力の制限をすること……ですか」

 雫ちゃんがそれ読み上げた。

「河内山市っていったら隣の町じゃないか」

「そうだ。そしてその竜乃宮神社ってのは廃神社だ。十年ほど前からな」

 兄ちゃんが答える。

「なんでそんなところを人が入れないようにする必要があるんだ? 十年も放っておいて」

「今になって結界を張れってことはなにか理由があるってことでしょ」

「今までは放っておいても特に問題は無かったんだがな、そうもいかなくなったって訳だ」

「とは言え……竜乃宮神社ねえ。河内山市のことなんて仕事の都合で何度か行ったぐらいでほとんど知らないんだけど、フェアは何か知ってる?」

 莉奈は気の抜けた声で俺の肩に乗るフェアに尋ねる。

「知ってるといえば知ってるけど大して面白いもんがあるわけでもない普通の町やからなぁ。ただその神社の噂は聞いとるで」

「噂?」

 含みのある言い方をするフェアに俺もテーブルの紙から顔の真横にあるフェアに視線を移す。俺が顔を動かしたせいでフェアは一瞬バランスを崩し、

「おっとと、噂ゆーてもどこにでもある話や。やれ幽霊が出るだの泣き声が聞こえるだのっちゅう具合のな。それで心霊スポットやゆーて地元の若いのがよう肝試しやらなんやらしとるらしいで」

「その狸の言った通り、それが問題になっている」

「誰が狸やねん! そら姿形は似たようなモンかもしれんけどウチにはちゃんと昨日からフェアっちゅう名前が……」

「その噂はこっちにも届いていた。何度か調査にも行ったが聞き込みでも地縛霊等は居ないということだった。だが先日若者数名が不審な怪我をしたという報告が入ってな。実害がでたとあれば放っておくわけにはいかねぇってことだ」

 フェアに代わって兄ちゃんが詳細を説明する。その間フェアは俺の肩から飛び降り「無視かい!」と一人で兄ちゃんにツッコんでいた。

「再調査するにも別の被害が出る前に入れないようにするってわけね」

「そういうこった」

「相変わらずの後手っぷりだこと。それにしても拍子抜けだわ、最後の最後でこんな楽なのが来るとはね」

 莉奈はやれやれといった感じだ。

「そんなに楽なのか? 最後なのに」

「下手したら一番楽なんじゃない? この試験の意味に疑問すら感じるわ」

「そう思うのはお前ぇぐらいだろうよ」

「? どういうことだ?」

「小僧、今回の課題は具体的に何をするか分かるか?」

「人が入れない様にするんだったら昨日あったみたいな結界を張るとかじゃないのか?」

「そういうこった。だが実際はそう簡単な話じゃねぇ。結界術ってのは特に難易度の高い分野だ。実際そこで躓いて落第した奴が何人いることやら分かったもんじゃねぇ。そういう効能を持った呪符を使うのとは訳が違うからな」

「だったら何で簡単なんだよ」

 いまいち言ってることが分からない。

「言いたくはねぇが、そこはお前等の主の才能ってやつだろうよ。人並み以上の技術で且つそれに苦労を伴わないってのは希有な存在だ。結界術においてはこの儀式に限らず霊術師の中でも上位だろうぜ」

「やっぱご主人様は凄い人やったんやな~」

「当然、私を誰だと思ってんの」

「よ、我らが偉大なご主人様!」

 と、フェアが二本足で立ち上がり手を叩く。雫ちゃんも釣られて拍手をしている。

 莉奈も持ち上げられて機嫌が良さそうだ。

「そんなことより、隣町まで行くんならそろそろ出発した方がいいんじゃないのか?」

「そうね、さっさと終わらせて面倒な試験から解放されたいわ。行くわよしもべ達」

「よっしゃ」「はい」

 何やらテンションが上がっている俺以外の三人は意気揚々だ。莉奈と雫ちゃんは立ち上がり、フェアは俺の肩へと飛び乗った。

「おい、フェア。移動するのに俺の肩には乗せてやれないぞ?」

「えー、なんで? ウチまだ慣れてないんやからエエやん。ダーリンはウチが可哀想やと思わへんの?」

 フェアからの不満の声があがる。

 部屋にいる間は俺の肩に乗っていた時間が長かっただけにフェアからすれば不満があるのも分からないでもない。

「まぁ可哀想といえば可哀想だけど……アライグマが」

「アライグマかい! ダーリンの鬼! イケズ、倦怠期~!」

「倦怠期ってなぁ……別に意地悪で言ってるわけじゃないんだって。莉奈やフェアと違って俺の姿は人には見えないんだからその俺の肩に乗ってたらどうなるか分かるだろ?」

 フェアは一瞬考え、

「なるほど、言われればそうやな。じゃあダーリンの肩はしばらくお預けかぁ」

 とため息。

「そんなに落ち込むことでもないだろ。莉奈の肩を借りたらいいんだし」

「ご主人様のとじゃ意味が全然違うやん。嫌っちゅう訳じゃないけどやな」

「違う? ああそっか、莉奈は女だもんな。男の俺とじゃ肩幅が全然違うか」

「そういう意味違うわ、ダーリンのアホー。はあ、もうええわ……ご主人様、さっさと行こうで」

 先に玄関へと向かうフェア。

 何故俺がアホ呼ばわりされなきゃならんのか。フェアはしばらく閉じこめられていた所為で霊体と有体の隔たりを忘れてしまったのかもしれないな。

「あんた、やっぱ馬鹿よね」

「今回ばかりは太陽さんが悪いですよ」

 莉奈と雫ちゃんが口々に言って同じく玄関へと向かう。

「悪いって言ったってしょうがないだろ。宙に浮いてるアライグマなんて見られたらただ事じゃないんだしさ……」

 そんな俺の言葉には誰も反応してくれなかった。まあ本気で怒っているわけじゃないだろう、と俺も後を追うのだった。


          ○


「つーかーれーたー!」

 電車で一駅の河内山市に着いてしばらく歩いた。休憩がてら歩道に並ぶ人気のないベンチで小休止をする。莉奈と同じようにベンチに座り缶ジュースを抱える様に飲みながらフェアが呻いた。生体に憑依すればある程度疲れや痛みといった間隔をその体と共有するということらしいのだが、慣れない体のせいでだ歩いているだけでも負担が掛かかっているようだ。

「地図によるとあと少しですよ。あとはこの道を真っ直ぐ行くだけみたいです」

「雫、神社の見取り図を出して」

「あ、はい」

 フェアを励ます雫ちゃんは莉奈の言葉にすぐに見取り図を取り出した。

「せっかくだからここで説明しとくわ。鳥居を潜って境内に入ったら一人一本これを五つ設置するのよ。敷地が広いから手分けすることにするわ」

 雫ちゃんから見取り図を受け取った莉奈はそれを開くと針を取り出した。太めで長い針の頭には赤いガラスの様な玉が付いている。

「私はここ、雫は奥側のここ、フェアはその反対、で太陽はこことこっち。大体あってたらそれでいいから地面にしっかり刺すのよ、わかった?」

「理解はしたけど……それなんなんだ?」

 莉奈の持っている針を皆が見つめる。つーか俺だけ二ヶ所なかった?

「結界針柱よ。広範囲に結界を張る時に使う道具。この宝玉が私の術式に反応して結界陣の変わりに五芒星を構成するってわけ。特に今回は人除けと無霊力化を合わせる必要があるから面倒なのよ」

「無霊力化?」

「文字通り霊術師以外の霊能力を封じる結界よ。悪霊は確認されてないって話だったけど被害が出てるのも事実。だったら無霊力化さえしとけば仮に悪霊がいても被害が出る事はないでしょ。人除けなんてまやかし程度にすぎない、何がきっかけで認知されてしまうか分からないんだから」

「難しい事はよう分からんけどご主人様も色々考えてるんやなぁ」

 とフェア。仲間になって間もないフェアは莉奈の、というよりは霊術師のことを理解しきれなくても無理は無い。なんせ俺も未だにさっぱりだからな。

「あんた達馬鹿に長々と説明した私が間違ってたわ」

 と莉奈は呆れる。

「そうそう。ウチらはご主人様に付いていくだけやからな。小難しいことは担当外やわ」

「おい、何故二人して馬鹿の括りに俺を入れた?」

「…………」

「…………」

「……何故二人して哀しい目で俺を見る?」

「そんな事は置いといて」

 置いとかれた。

「理解出来ないなら出来ないでいいけど、私の言ったことはちゃんと実行するのよ」

「アイアイサー」

 豪放磊落なフェアだった。

「そういえば莉奈、昨日から気になってたんだけどその指輪……」

「な……別になんでもいいじゃない。あんたには関係ないでしょ。さ、もう休憩も終わり。行くわよ」

 言って莉奈は立ち上がり歩き出す。

「どうしたんだ、急に」

「はっはーん、なるほどな。なんやかんやゆうてもご主人様も女やったちゅうわけか」

 フェアが顎に前足を当てニヤリと笑う。

「どういうことだよ?」

「意味深な指輪、あの反応……あれはズバリ男やな」

「まじで? あの莉奈が?」

 想像も出来ない。

「ダーリンは男やから分からんのも無理はないわ。雫かてそう思うやろ?」

「でももしフェアさんの言う通りだったら……右手の人差し指に付けてるのって変じゃないですか?」

「フッ、雫もまだまだケツが青いな」

「あ、青くなんてないですー!」

「確かに今現在好き合うてる男のモンやったらあそこに付けとるんは不自然や。でもそうじゃないとしたら? 左手に付けられへん理由があるとしたら? 導き出される答えは一つ! ズバリ昔のおと……」

「違うぞ」

 力説するフェアを遮ったのは兄ちゃんだった。オチを潰されたフェアはショックで項垂れている。

「ありゃ霊具の一種だ」

「霊具っていうと……さっきの針みたいな?」

「そうだ」

「んなワケあるかい! それやったらさっきの反応はどう説明するんや」

 フェアが復活した。

「お前ぇ等に弱味を見せたくないってのが妥当だろうな」

「弱味?」

「部屋でも言ったがあの小娘は霊術師として十分高度なレベルにある。結界術然り、呪符にしてもアムレットとタリスマンとで大抵は得意不得意があるもんだがそれも無いみてぇだしな」

「ポリスマン?」

「だがそんなあいつにも不得意な分野ってのがある。霊力放出の類だ」

「昨日の神様がやってたようなやつですか?」

 雫ちゃんの言葉で土地神が手からハドウケン的なものを出していたのを思い浮かべる。

「俺はその場には居なかったが、報告を受ける限りではそういうこった。あの指輪はその霊力放出を補足する為の道具ってわけだ。当然あれを使用したところで標準にも満たないレベルでしか効果は得られねぇがな」

「それでか」

「納得するんかいな」

 自分の見解が外れたフェアは不満顔。まあどう考えても兄ちゃんの方が正しいだろう。実際昨日もあの指輪からなんか出してたしな。

「莉奈さん、プライドが高そうですもんね」

「それに無能って言葉を心底嫌ってるみたいだからな。自分がそう思われたくなかったのかもしれない」

「まさに完璧超人っちゅうわけか」

「そうあろうとしているんでしょうね……わたしとは大違いです」

「そんなことでとやかく言う奴なんて居ないのに」

「他人どうこうじゃねぇ、自分の問題なんだろうよ。あいつにとっちゃあな」

「そっか……そういうことならみんなあれに関しては極力触れないようにしよう」

 二人は深く頷いた。


「うわぁ……」

 再び目的地を目指して歩くことものの十分ぐらいだろうか。住宅地を奥へ奥へと進んだ先に赤く大きな鳥居から続く石段へと辿り着いた。

 見た目はまさに廃神社。長い石段を見上げても中にまで人の気配が無いのが分かるぐらいに廃れ、寂れている。

 肝試しにと来る奴らが居るって話だが、なるほどこの雰囲気じゃそれも頷ける。

「確かここに幽霊は居ないんだったよな?」

 部屋での説明を思い出す。

「いや、居着いている浮遊霊が数人居る。俺たちにも協力的に情報提供してくれている無害な奴らだ。特に問題はねぇだろう」

「はぁ……この階段を昇るんか」

 フェアが見上げて項垂れる。

「仕方ないなあ」

 言って俺はフェアを抱え上げ肩に乗せた。

「んにゃ? 何してるんや、ダーリン」

「疲れてるんだろ?」

「でも、人に見られたら不味いんちゃうの?」

「平日の昼間っからこんな所に人なんて居ないだろ」

「うぅぅ、ダーリン。やっぱりダーリンはウチのダーリンやぁ!」

「こら、暴れるなって痛っ! なんで蹴るんだ莉奈!」

「別に。何となくイラっとしただけ」

「何となくで人を蹴るのかお前は。で、何で雫ちゃんまで俺を睨んでんの!?」

 莉奈の理不尽な蹴りに憤慨している間に薄目で俺をじっと見ている雫ちゃんが目に入る。

「……フェアさんばっかりずるいです」

 なんと言ったのかはわからなかったが雫ちゃんも莉奈に付いて先に行ってしまった。

「俺また何かやらかしたのか?」

「なるほどなるほど。いやぁ、ダーリンも隅に置けんなぁ。まぁウチは浮気とか許すタイプやから安心してええで」

「ふざけてないで二人が怒ってる理由を教えてくれよ。今日はまだ馬鹿な事してないぞ俺は」

「いや、今まさに言ったとこやんか。まぁそれが分からんのもダーリンのええとこなんやろな。ほれほれ、ウチらもはよ行くで」

 フェアに促され俺も渋々階段を上る。とりあえず後で謝っておこう、何に対してかは全く分からないけど。


 そんなこんなで長い階段を上る一行。そろそろ半分も歩いただろうか、そんな時だった。

「そこで止まれ!」

 そんな声に思わず全員が立ち止まる。

 すぐに石段の脇から三人の人影が現れた。歳を取った老人風の男が一人に中年の男、若い二十代後半ぐらいと思われる男の三人だ。声の主までは判断出来ない。体が透けていることを見ても彼らも同じ霊体だろう。

「ぞろぞろと霊魂を引き連れて何の用だ? 物見遊山か、ペットの散歩か。どちらにせよ引き返してもらおう」

「おいコラ、おっさん! 誰がペットやて!?」

 中年の男の言葉にフェアが俺の肩から飛び降り食いついた。

「お前も憑依体だったか。だがそんなことはどうでもいい。すぐに降りろ」

「カッチーン! 人をペット呼ばわりしといてどうでもいいやて? 舐めんのも大概に……」

「私は霊術師よ、霊魂に指図される覚えは無いわ」

 怒り収まらないフェアを手で制し、莉奈が前に出た。

「霊術師? 見れば分かる。他に霊体と行動を共にする人間がいるか? それともそんな事も分からずに霊術師を名乗っているのか?」

「ふ、ふふふ……あんたはたった今霊術師を馬鹿にした罪であの世行きが決定したわ」

「そや! ご主人様、いてもうたれ!」

 フェアと同様に挑発に乗った上にフェアに煽られた莉奈は続けて挑発を返す。

 雫ちゃんはとっくに俺の後ろに隠れて怯えている。止めてくださいよぉー、と目で訴えている雫ちゃんに俺は「無理無理」と首を振った。怒っている莉奈ならまだしも笑っている莉奈に立ち向かう勇気なんてあるはずがない。ごめんよ雫ちゃん。

「そのぐらいにしておけ」

 今や顔を付き合わせる様に口論する二人の間に割って入ったのは老人風の男。常に笑顔でいてそうないかにも好好爺といった感じだ。

「いつも言っているだろう。そういう言い方では話も伝わらん」

「俺が悪いと? 相変わらず甘いなあんたは。言ってわからないからこうも次から次へと……」

「いいから下がっておれ」

 老人が中年の男を制する。しかしそんなことで莉奈の怒りは収まりはしない。

「今度はあんたが相手ってワケ? まったく、毎回毎回ジジイの相手ばっかり……私は介護士じゃないっての」

「おめぇも止めねぇか」

 同じように莉奈の前に立ち塞がったのは兄ちゃんだった。見直したぜ兄ちゃん。

「何よ黒いの! こいつらに身の程を教えてやるんだから邪魔すんな」

「そんな事をしに来たんじゃねぇだろう。いいから少し黙ってろ」

 言って兄ちゃんは老人に向き直る。

「騒がせたな」

「いえいえ、こちらこそ非礼な態度で申し訳ない。二ヶ月ぶりですかな」

「前回俺が調査に来た時以来だ。そんなとこだろう」

「今日も調査に? しかし常々言っておる通り、ここには悪霊の類はいませんぞ」

「今回は調査じゃねぇ。こっちの霊術師の用で来た次第だ」

 紹介された莉奈はフンとそっぽを向く。

「霊術師の? 何か問題でもありましたか?」

「おめぇらが知ってるかどうかはわからねぇが、最近少しここで問題があってな。しばらく結界を張っておくことになった」

「結界?」

 反応を示したのは今まで口を開くことの無かった一番若い男。

「といっても然るのち人間界にここを取り壊させる段取りを組ませるまでの短い間だ。おめぇらがここに居る分には問題はねぇだろう」

「取り壊すだと?」

 興奮気味に言ったのは中年の男だ。

「そうなるだろう。もう十年も使われていない上に人間に被害が出ている以上残しておく意味も無い」

「そりゃあんたらには意味はないかもしれんがな。ここを取り壊すなんて言われたら尚更通す訳にはいかなくなった」

「最初からお前に許可を求める道理は無い。だが別に事を荒立てようとは思ってねぇ、老人」

 兄ちゃんが老人を向く。先ほどの様にこのいきり立つ男を宥め、説得してくれという意志表示だ。しかし、

「申し訳ありませんが……今回はそうはいかないようですな」

「なんだと? どういうことだ」

「そういうつもりでこの先に行くつもりなら通す事は出来ない、ということです」

 周囲の予想に反して老人は表情こそ柔らかくも断固拒否の姿勢を見せた。

「だから言ったでしょ、口で言ってもしょうがないって。あんたたちが何を言おうと私には関係ない、力尽くでも通らせてもらうわ」

「そや! お前らの言うことなんか聞くかアホ!」

「そっちがその気ならばこちらも手荒い真似をせざるを得ないな。こちらも毛頭譲る気は無い」

 再び莉奈と中年の男が臨戦態勢に入った。思わず割って入る。

「ちょ、ちょっと落ち着けって二人とも。なんでそうやって喧嘩腰なんだよ。まず話し合ってからでもいいだろ」

「話合いなんて必要ないわ、離しなさい」

「同感だ。お互い譲る気が無い以上話し合いに意味は無い」

 二人は睨み合う。そこで若い男が始めてまともに言葉を発した。

「まあそうカリカリしなさんなってお二人さん。この少年の言う通り話をしてからでも遅くはないでしょ。あちらさんも仕事だ、事情も聞かずにはいそうですかってわけにもいかんでしょう。なっ、じいさん」

 老人は少し間を置き、

「そうじゃな。少しでも心情に変化があるかもしれぬなら話してみる価値もあるだろう」

「だってさ、一時停戦ってことにして話を聞いてくれるかい、少年?」

「ああ、話してくれ。莉奈もいいな?」

 莉奈は何も言わなかった。では、と老人が話しを始める。

「最低限のお話をさせてもらおう。何故我々があなた方の侵入を拒むかという事について」

 話が始まる。莉奈もフェアも中年の男も口を挟む事はしなかった。

「そう難しい話ではありません。この先に一人の少女がいるのです。享年で言うと十二歳か三歳か。単純な話、我々はその子を護る為にここにいるのです」

「護る? 何から護ってるんだ?」

「あの子を傷つけるもの全てだ。あの子はこの地から離れることは出来ない。この地に縛られている」

「縛られている? 地縛霊か!」

「地縛霊であり、この地を脅かす者に牙を剥く怨霊にもなりうる」

「そこまで思うのなら成仏させてやればいいだろう。それがその悪霊を苦しみから解放する一番の方法だとおめぇらも分からないわけじゃあるまい」

「そんなことは百も承知。それでもあの子がこの地に居たいと思っている以上それを汲んでやりたい。例え何が正しく何が間違っていようとも」

「なんでそこまで……悪霊なんだろ? それが分かっててなんで」

「それはあの子が……」

「もういいんじゃない? いつまでも聞いてたってなんの解決にもなりゃしないじゃない」

 話し半ばに莉奈が口を挟んだ。

「つまりは何が何でも通す気は無いって事でしょ?」

「当然だ。あの子の居場所を奪わせなどしない」表情を堅くする中年の男。

「正直、こっちにすりゃそれは大した問題じゃ無いんだがね」

 それに対して若い男の口調は緩い。しかし意志を曲げつもりは無いという心持ちはずっと強い。

「何が言いたいのよ」

「あの子は強い。そこらの霊術師や霊能力者なんか足下にも及ばないくらいにな。ここを取り壊すなんて目論見よりもそっちの方が問題でね。あんたらがあの子に消されに行くことを見過ごすことは出来ないってことさ。それはあの子の傷を増やすということだからな」

「今までにそういう事があった様な言い方だな」と兄ちゃん。

「何度もあったさ。あんたらが俺達の言うことを鵜呑みにしてろくに調査もしなかったおかげで発覚してないだけでな。さすがに生きた人間ってのはいなかったがね。あの子にそんなことをさせない為に俺たちが人払いをしてるんだ。当然といえば当然か」

「人払いだって? まさか……」

「今まではそう訪問者なんていなかったのに最近は大忙しだよ」

「そうだ。くだらん噂のせいで糞みたいな連中が面白半分に冷やかしにきやがる。最初は少し脅かしてやったら尻尾を巻いていた連中もいるがそれじゃキリがない。だから痛い目見せてやったのさ」

「地元の人間が不可解な事故にあったって……あれはあんた達がやったのか!」

 中年の男の言葉でこちら側は皆がその結論に至った。俺の後ろで「腐ってるわ」「ひどいです」「最低な奴やな」と口々に非難が聞こえた。

「あの子とこの土地を守る為だ」

「悪霊を庇い立てるとは……堕ちたな」

「なんとでも言うがいいさ」

 兄ちゃんの言葉に若い男の顔も険しくなる。誰もがこれ以上話すことは無いという刺々しい雰囲気に包まれる。

「小娘」

「何よ、黒いの」

「試験内容は変更だ。お前は先に居る悪霊をなんとかしてこい」

「ここに来ての変更なんて随分だこと」

「今回ばかりは特例だ。お前もこの先霊術師として進むつもりがあるならこなしてみせろ」

「何を悠長な事を言っている。我々とて使い魔と女一人に遅れを取るほど温くはない」

 言って中年の男の手が光に包まれる。霊力を込めたのだろう。

「まずはこいつらを片付けるのが先になりそうね」

「特例だと言ったろう」

 兄ちゃんが不敵に笑うと不意に視界が歪んだ。

「こいつらは俺が引き受けてやる」

「え? あれ? なんだこれ!」

 その瞬間、俺たちと老人たちの立ち位置が入れ替わっていた。相手を見上げていたはずが今は視線の下に居る。

 俺は理解不能な出来事にポルナレフ的な感想をどうにか心にとどめて前後を何度も見回した。

「連絡手段に小僧だけ残していけ」

「雫、フェア行くわよ」

 瞬時に状況を把握した莉奈は駆け足で石段を昇っていった。雫ちゃんとフェアもそれに続いた。

 残されたのは五人。俺と兄ちゃん、そして相手三人だ。

「兄ちゃんこんな事が出来たのか……これ兄ちゃんがやったんだろ?」

「今の役職に就いたのは数年前だ。それまでは長く実働隊にいた。この程度の相手に遅れを取る道理はねぇな」

 こんなに頼もしい兄ちゃんは始めてだ。とはいえそれでも三対一という状況、大丈夫なんだろうか。

「ふざけた真似を……」

 老人、中年、若い男それぞれが戦闘態勢に入った。

「おめぇは下がってな」

 兄ちゃんが言った刹那、中年の男が攻撃を放った。それを防いだ兄ちゃんも三人の方へと押し迫って行く。

 かくして俺なんかが入る余地など無い攻防が始まった。 

 俺はただそれを見ていることしか出来ない。

 ただただ目の前で繰り広げられる光景に俺はただ逃げ出したくなるのを抑え息を飲むばかりだった。それぐらい兄ちゃんはほんとに凄かった。

 三人の攻撃、それも直接的な攻撃と霊力波動が入り交じった攻撃をなんなく防ぎ、かわしていく。

 不意に俺に飛び火する攻撃に「うわ」とか「うお」と過剰に反応する俺をよそに兄ちゃんはそれすらも容易く打ち消した。

 そして素人目に見ても加減していると分かる様な攻撃を浴びせる。当て身の様な攻撃を間隙を縫って確実にヒットさせていった。

 ただ立っているだけの自分の情けなさを実感したが、これなら大丈夫そうだ。



 その一方、

 莉奈、雫、フェアは暫く駆け上り続けてようやく長い階段を昇りきった。

 目の前には広い敷地と大きな本堂がある。同時に感覚が告げる。あの中に……いる。

「雫、フェアこれを」

 言って莉奈は結界針柱を五本取り出し二人に手渡した。

「予定とは違うけどあんた達二人で五本設置するのよ、可及的速やかに。敷地図も渡しておくわ」

「それはええけど……ご主人様はどうするんや?」

「私はあの中に居る悪霊を抑える。結界を張る前に出てこられでもしたら不味いことに成りかねないでしょ」

「莉奈さん……一人で行くんですか?」

 雫の顔は不安げだ。

「あんた達のフォローなんてしてる余裕が無いからね。今回は対悪霊の準備なんてしてないから呪符も護符も常備してる少量しか持って来てないの。だからって負けはしないけど結界を張るまでの時間稼ぎがいいとこね。だからあんた達も死ぬ気でやるのよ。行きなさい」

「雫! 行くで!」

「は、はい!」

 フェアを先頭に二人は走っていった。

 すぐに莉奈も本堂へと足を向ける。

 中に入ると十年もほったらかされていただけあって廃れきっている。床には砂埃や枯れ葉が溜まり、建物自体も老朽化が半端ではない。これではいつ崩れてもおかしくはなさそうだ。

 一瞬止めた足を進め、道なりに廊下を進んでいくと大きな部屋に辿り着いた。本来ここでお祓いや式典などに使っていた部屋なのだろう。小さめの体育館の様な木目の部屋は木材や備品が散らばり薄暗く埃の匂いがする。

 そしてそんな廃屋の成れの果てを把握すると同時に目的の霊魂を確認した。

 その部屋の奥では少女の霊魂がボールを追いかけて遊んでいる。見た目は本当に幼気な女の子だ。この子が件の悪霊だろう。

 あらゆる事態を想定し、神経を尖らせながら莉奈は少女に近づいていく。ゆっくりと、だが確実に。

 両者の距離が数メートルまで縮んだその時、少女が近づいてきた莉奈に気付き顔を上げた。

「お姉ちゃんだーれ?」

「誰でもいいわ。あんた、なにをしてるの?」

「お母さんを待ってるの。ずっと待ってるの」

 その言葉で莉奈は理解した。なるほど、捨て子か孤児か……それで死んで尚この地に囚われているというわけだ。

「お姉ちゃん、あたしと遊んでくれるの?」

「んなわけ無いでしょ。ガキの相手する為にこんなとこまでくるわけないじゃない」

「あー、ガキって言ったー。自分だってぺったんこのくせに」

 平静を装ってはいたが、内心莉奈は子供相手にキレそうだった。

「悪いけどあんたが子供だからって容赦は出来ないからそのつもりでいなさい」

「お姉ちゃんもあたしに意地悪しに来たんだね。あたしの邪魔するんでしょ」

「あのね、意地悪じゃないの。あんたがいつまでもここに居たって何もいいことなんかない。あんたにとっても他の魂にとっても」

「あたしの邪魔するんだったら……お姉ちゃん死んじゃうよ?」

 不意に少女の目が光ったと感じたのは気のせいだろうか。だが少女の雰囲気だけは確実に変わったことがわかる。そして、

「なっ!」

 目を疑った。突如として、部屋に散乱していた木柱や板が浮きはじめたのだ。まるであの子に操られる様に。

「ポルターガイストってレベルじゃない……まさか……死後覚醒!?」

「あたしの邪魔する奴は、みんな死んじゃえー!」

 次の瞬間には浮いていた物が莉奈目掛けて飛んできた。莉奈は慌てて腰に手を当て護符を取り出した。


 バシィ!


「くっ、重!」

 飛んできた物質が目の莉奈の顔前で停止する。しかし尚も壁を突き破ろうとする様に抵抗する。

 護符の性質上物理的な攻撃ならば通すことはまず無い。とは言え当然質量に比例して自分の両腕へと掛かる負担も増す。

 その重さに耐え、ようやく大きな音を立てて地面へと落ち着いた。

 しかし安堵という感情は微塵も浮かばない。これは食ったらただじゃ済まなさそうだ、ただそんな危機感が心を占める。

「こんな所に覚醒者がいるなんてね。あの無能連中の割を食うのはいつもこっちだわ」

 皮肉を口にしながらも莉奈の表情に余裕は無く、苦笑がちに言った。

「お姉ちゃんも凄いねっ。でもあたしの方がもっと凄いでしょ」

 すぐにまた別の物が同じ様に浮き上がった。今度は長椅子に鉄のパイプだ。

「ほんとに良い仕事してくれるわ」

 あえて笑ってみせて、言って莉奈も臨戦態勢を取った。


          ○


 場所は変わって再び入り口から続く長い階段。

「ふうっ」

 兄ちゃんがそんな声と共に戦闘の終わりを告げる。

 圧勝だった。結果的に兄ちゃんは一撃もくらうことはなく、目の前には三人が倒れている。立ち上がろうと力を入れようとはしている姿は痛々しく、動くのも困難なぐらい消耗したようだ。

「あんた……すげぇな」

「小僧、俺は一度離れる。小娘にその旨を伝えて来い」

「離れるってどこに行くんだよ、こんな時に」

「先に言った通りこの先は最終試験の範疇になる、俺は手出しは出来ねぇ。俺はこの事態を本部に報告へ行く。あとはおめぇらが小娘を助けてやるんだな。こいつらはもう霊力を使い切っている。放っておいても問題はねぇだろう。出来る限りでこっちに戻る」

 やっぱり兄ちゃんは凄かった。三人相手に軽くあしらっていたにも関わらず変に時間を掛けている様に見えたのは気のせいじゃなかったらしい。三人が霊力を使い果たすのタイミングを待っていたんだ。

「結界さえ張れば小娘が負けるようなことはねぇだろう、そう余裕があるとも限らんがな」

「わかった。俺はすぐに莉奈の所に行くよ」

 シュッ、と音を立てて兄ちゃんは消えた。

 俺もすぐに行かないと。

「ま、待て」

 向きを変えた俺の背中に声を掛けたのは若い男の霊。倒れたままで俺をじっと見ている。

「なんだよ、あんたらに構ってる暇はないぞ」

「今……結界と言ったか?」

「そうだよ。無霊力化の結界を張るって言ってた。それであんたらが庇っている悪霊は力を使えなくなるんだ」

「そんなことをしたらあの子が大変なことに……」

「俺だって悪霊だからって消されてもいいなんて思わないよ。でも仕方無いんだ、そのせいで力の無い人たちが悲しい思いをするんだから」

 昨日の土地神のしていたことが脳裏に浮かんだ。

「でも大丈夫。霊術師がやっつけるってことは成仏させてあげることだから」

「あの子は……悪霊なんかじゃない。腐った人間の被害者だ」

「人間の……被害者?」

「ただの悪霊なら俺たちが庇うと思うか? あの子の辛さを全て見てきたんだ……俺たちは」

「辛さって、一体何を言ってんだ……」

「あの子は母親に捨てられた。もう五年ほども前の話だ。この先にある建物に捨てられた」

 捨てられた? 急にこの男は何を言い出すんだろう、そう思いながらも俺は足を動かすことが出来ず、黙って聞いてしまっていた。この男が苦し紛れの嘘を吐いている様には思えなかったのだ。

「あの子は、ただ待った。すぐに母が迎えに来てくれると思ってひたすらに。あの場所で眠り、目を覚ますとまた何もせずに待ち続けた……一週間も持たずにあの子は死んだ。当然のことだ、それだけの間何も口にしなければ子供でなくともそうなる。それでも待った、魂になった後も待ち続けた。ずっとこの地に居た俺たちは全てを見ていた。あまりの痛々しさに真相を伝えに行ったこともあった、君はもう死んでいるんだと、もう母は迎えには来ないんだと……だが聞き入れてはくれなかった。やがて邪魔しに来ているんだと敵意を向けられた。その時に目覚めた力によって俺たちの仲間が何人か消されもした……だから俺たちはあの子を守りたかった、せめて少しでも苦みを緩和してやりたかった。腐った人間のせいであの子は苦しんでいるのに、今度はその人間の都合で居場所を奪おうというんだぞ……そんなことが許されるか? それが霊術師とやらの正義なのか!」

「なんで、なんでそんなこと……その子は自分が死んでるって気付いてないのか」

「あの子も薄々は気付いているさ。自分が死んでいることも、母親が迎えになど来ないってこともな。それでも待つことを諦めないのは何故だかわかるか?」

「…………」

「待つことはあの子の存在意義そのものだからだ」

「存在……意義」

「若者が夢を諦めるのとはわけが違う。あの歳のあの子が親に捨てられ命を失って、その後自分がどうすればいいかなどわかると思うか? 分かるわけが無い……どうすればいいのかも、どうして捨てられたのかも、どうして辛い思いをしているのかも……」

 男の顔が悲痛に歪んだ。

 俺は大きな思い違いをしていたのか?

 悪霊と聞けば他人に害をもたらす存在だと思っていた。ただそういう存在だと。それが女の子だったり、子供だったりなんて想像の範疇には無かった。ましてや悪意を振りまく背景なんて気にしたこともなかった。俺は……最低だ。

「なんだよ……それ……なんでもっと早く言わなかったんだ!」

 無意識に中年の男の胸ぐらを掴んでいた。。

「俺も……すぐに行かないと」

「やめておけ……あの子の力は強大だ。例えお前の連れが結界を張れてもどちらかが消えることでしか決着は着かないだろう。そんな場所に霊力の無いお前が行ってどうするというんだ」

「止めるに決まってるだろそんなの! その子は何も悪くないんじゃないか!」

 言って俺は走り出した。間に合ってくれと祈りながら一心不乱に。


        ○


「はあ、はあ、はあ」

 莉奈の息も流石に上がってきた。

 もう何度あの無茶苦茶な攻撃を躱し防いだだろうか。相手が幼いおかげで攻撃が単調なのがせめてもの救いだった。

 腰に手をやる。が、すぐに手を戻した。それは手持ちの護符が切れたことを意味していた。

「ちっ」

 これはいよいよ不味い、結界があとどのぐらいで張れるのか……それまでなんとか時間を稼がなければ。莉奈は考える。

「当たりもしないこんな呪符じゃ気休めにもならないってのに」

 唯一残っている攻撃用の呪符を放つ。しかし少女の操る木の板がそれを簡単に防いだ。

「お姉ちゃん馬鹿だねー。そんなのあたしには効かないってまだわかんないの?」

「馬鹿はあんたでしょ。いつまでもこんなとこに閉じこもって、あんたの待ってる人は来ないってことが分からないの?」

「そ、そんなことないもん。お母さんはいつか迎えに来てくれるもん!」

「いつかなんて来るわけないでしょ! 待ってるだけじゃ、何も変わりはしないわ!」

「うるさいうるさいっ! そんなの分かってるもん! でもどうしたらいいか分からないんだからしょーがないじゃん! あたしには待ってるしかないんだから……」

「だから私が、あんたを救ってあげるわ。あの世でその魂を浄化させてあげる。霊術師として!」

「そんなの信じない! あたしの……邪魔をしないで!」

 再び木柱が浮き上がった。

 もう護符は無い。あの攻撃を防ぐ方法はない、あの大きさじゃ完全に躱すことすら難しそうだ。いよいよ絶体絶命か……。

「っ!?」

 その時、この一帯を霊気の幕が覆うのを感じた。ようやくしもべ達が針柱を設置し終えたようだと莉奈は理解した。

 莉奈はすぐに術式を組み、結界術を唱えた。

 その詠唱が終わると、次の瞬間には少女が持ち上げていた大きな柱が大きな音を立てて落下していた。少女は事態を理解していない様子だ。

「あ……あれ? なんで?」

「ふう。ギリギリ、私の勝ちね。もうあんたの能力は使えないわ」

 少女は繰り返し物体を浮かせようとためしてみるが当然効果は無い。

 いよいよその時が来た。これでこの戦いも私の試験も終わりだ。莉奈は改めて気を引き締めた。

 そして浄霊用の呪符を取り出し、少女に歩み寄っていく。



「雫ちゃん、フェア!」

 階段を登り切った時、丁度雫ちゃんとフェアが小走りで目の前を横切った。

「太陽さん!」「ダーリン!」

 俺を確認した二人が駆け寄ってくる。

「二人とも、莉奈はどうなってる!?」

「あの中におるんは間違いないんやけど状況まではわからんねん。ウチらも今あの針設置し終わったとこや!」

「でも霊具をほとんど用意してなかったそうなんです。だから急がないとって」

「わかった、中だな。危ないから二人は外で待ってろ!」

 俺は返事も聞かずに再び駆け出した。

 建物の中に入った。廃神社だけあって境内は荒れている。蹴りでも入れたらそのまま壊れそうな壁や柱が目に入る。

 木製の廊下を道なりに進むとすぐに大きな部屋に辿り着いた。

「莉奈っ!」

 部屋に飛び込むなり声を張った。入り口からすぐの所に少女が、その向こうに莉奈がいる。少女は追い詰められた様に後ずさっているところだった。

 あれが例の女の子……本当に子供じゃないか。

「遅かったわね太陽。でもこっちももう終わり」

 言って莉奈は呪符を取り出した。

「安らかに逝きなさい」

 莉奈は呪符を放つ。真っ直ぐに光りを帯びた札が少女へ向かっていく。

「ぐあぁっ……ぐう、いってぇ……」

 まさに間一髪。俺は少女を庇うように飛び込み、莉奈の呪符を背中で受けた。全身に電流が流れる様に激痛が襲った。

「ちょ、ちょっとあんたなにしてんのよ! 死にたいの!?」

「はあ、はあ……勝負は……付いたんだろ……だったらもう……いいだろ……」

 何とか言葉を絞り出し、莉奈の方を向く。

「誰も悪くなんかないんだ……ただ不幸が重なっただけなんだよ」

「太陽、何故その子を庇うの。これで全てが終わるのよ。私たちの試験も、この子の苦しみも」

「違う! この間のじいさんの時も言ったじゃないか……ただ力であの世に送ったって目先の問題しか解決しない。苦しみや悲しみから解放することには絶対にならないんだ!」

「あんたに何が分かるのよ! そんなのは霊術師の領分じゃないわ。命令よ、そこをどきなさい」

 莉奈が再び呪符を取り出した。

「どかない。確かに俺には霊術師のことなんてわからない……でもこの子の苦しみは分かる! 親が居ない悲しさは……分かるんだ。莉奈も言ってたよな、親は死んだって……俺も両親はもう居ない……この子も一緒なんだ。俺には姉ちゃんがいたけど……この子は一人で、どうしたらいいのか分からなくて……待つしかなくて、それなのに悪霊だなんだって……そんなの悲しすぎるじゃないか」

 莉奈は何も言わず、気まずそうに目を反らした。少女の方を見ると目が合った。

「君の事情は聞いた。辛かっただろ……哀しかっただろ」

「お兄ちゃん……だーれ? どうしてわたしを助けてくれるの?」

「君を助けたいから……君の苦しみが……分かるから」

「あたしを……助ける?」

「今までここに来た人達も同じだよ。君に意地悪しに来たんじゃないんだ。みんな君の事を助けようとしてたんだよ、俺も……莉奈もそうだよ。だから君をこの場所から解放して外に出て欲しかったんだ……」

「お外に……出て欲しいの?」

「君のお母さんは君を迎えには来ないけど……外にはお母さんの変わりに君の事を思っている人が居るんだ。みんな君に笑っていて欲しいんだ、だから一緒にここから出よう。今まで辛かった分楽しいこともいっぱいあるから……」

 少女は俯き、

「お母さんが来ないのは……あたしも分かってるんだ。でも待ってるしかなかった。ホントに楽しいこと……いっぱいあるかな? お兄ちゃんも遊んでくれる?」

「ああ、いくらでも遊んであげるよ。もう嫌だって言うまで……」

「えへへ、そっか。じゃあお母さんの事はもう諦めるよ。お兄ちゃんにめんじて」

「うん、じゃあ一緒に……うわぁ!」

 少女に微笑みかけようとした刹那、急に建物が激しく揺れ始めた。そして次の瞬間には天井から木製の柱が大きな音と共に落ちてきて地面に突き刺さる。

「どうなってんだ、こんな時に地震かよ!」

「違うわ、この建物が崩れ始めてる。早く外に出るわよ!」

 莉奈の言葉は理解していても崩壊の予兆をみせる建物は激しさを増す。続けて落下してきた木柱によって出口が塞がれてしまった。

 壁は軋み、パラパラと天井から振ってくる装飾や破片に身の危険を感じながら辺りを見渡してみたが、他に出口は見あたらない。俺と莉奈は物質を通過することは出来ない。 

「莉奈っ! 出口が……」

 その時、

「少年!」

 声がする方を見ると三人の霊が壁を抜けて入って来た。あいつらも追いかけてきたのか。彼らは浮いているおかげでこの揺れの影響もさほどないみたいだ。

「お嬢!」

 すぐに老人と中年の男が駆け寄ってきた。女の子の前で屈み声を掛ける。

「じーじ」

「体は大丈夫か? どこか痛むのかい?」

「んーん、このお兄ちゃんが守ってくれたから大丈夫」

「そうか……よかった」

「あたしね、ここから出ることにしたの」

「出る? それが……どういう事か分かっているのか?」

「今まで……ありがとうね。じーじもあたしを守ってくれてたんでしょ? だから最後のお願い……このお兄ちゃん達を外に出してあげて」

「お嬢は……お嬢はそれでいいのかい?」

「うん。あたしは大丈夫。いつかお兄ちゃんが一緒に遊んでくれるって約束してくれたもん。だからお願い、急いで」

 老人はギュッと目を瞑り、震えながら顔を逸らした。そして、

「……わかった。おい」

 老人が中年の男に目配せをすると中年の男は黙って頷き、俺たちの方へ大きな声で叫んだ。

「おい女、こっちに外に通じる穴がある。人一人ぐらいは通れる急げ!」

 すぐに莉奈も動き、老人もそれに続く。

「少年、俺たちも行くぞ!」

「わかった! 君も早く!」

 言って少女へ手を伸ばす。

「えへへ、わたしはここに居なきゃダメ。だから……お兄ちゃん、ありがとう。最後にお兄ちゃんが来てくれてよかったよ」

「何言ってんだ! 早く……おい、何やってんだ、離せ!」

 少女に向かって伸ばした手が触れるより早く、突然抱え上げられる俺の体。俺を担いだまま若い男の霊は出口へと勝手に移動していく。

「おい! まだあの子が……」

「あの子の気持ちが分からんのか! 大人しくしてろ!」

 抵抗虚しく俺は外へと連れ出されてしまった。



「おい、いい加減離せよ!」

 若い男に担がれたまま建物の外まで来た。外に出るとすぐに俺たちを見つけた雫ちゃんとフェアが駆け寄ってくるのが見えた。

 少し離れた場所まで来るとようやく下ろされた。建物は軋み、少しずつ壁や屋根が崩れて落下していっている。

「なんであの子を放ってくるんだ!」

 俺はすぐに三人の霊達に怒りをぶつける。

「あの子がそれを望んだからだ」

「そんなわけないだろ! あの子は外に出るって言ったんだ、待つのはもう諦めるって!」

「あの子は……お嬢はあの建物から出ることは出来ないのです」

「なんでだよ! 意味が分からね……」

「そういう……ことか」

「莉奈? どういうことだよ」

「あの子が囚われているのはこの土地じゃない、あの建物だったのよ」

「……建物?」

「少年、何故今あの建物が決壊しているか分かるか?」

「それは……元々古くなってたし、中でやりあってたから」

「老朽化が原因ならもう数年早く崩れ落ちていただろう。原因はこの場を覆う結界にある」

 結界。本来の試験で莉奈が張ると言っていた結界。それは人除けと無霊力化だ。人除けで建物が崩壊するとは思えない、ということは……

「……無霊力化か?」

「そうだ。あの建物はあの子の霊力によってその形を保っていた。それを封じれば必然とこうなる。加えればあの子はこの建物がある限り外には出られない。出ようとすれば建物を無くすしか方法は無い。あの子と共にな」

 興奮状態にあったとはいえ、そんなことを冷静に言う男に腹が立った。なんだって今になってそんなことを言うんだ。つまりは永久に待ち続けるか建物ごと果てるしか無いってことじゃないか!

「莉奈、結界を解除することは……」

「無理ね。一度張った結界を消すのは時間が掛かりすぎる。到底間に合わないわ」

「だったら護符で守るとかして……」

「さっき使い切った」

 莉奈もまた、表情を変えずに続けて言う。

「なんでみんなして……そんな冷静な顔して言えるんだ。結界のせいであの子が……」

 怒りに震えた。すると老人が俺の前に来ると俺の肩に手を乗せて慈悲に満ちた表情で言った。

「誰の責任なんてことはありません。勿論心は傷みます、張り裂けるほどに。でもこれで良かったのです。あなたたちが現れなかったたらお嬢は立ちはだかる者に牙を剥き続けるか、より力のある者に駆逐されるかという未来しか無かった。だが君のおかげで自ら逝く決意をしたのです。最後に来たのが君たちで良かった」

「良くなんか……ない」

「?」

 老人は俺の言葉が聞こえなかったらしく顔を覗う。俺は老人の手を払った。

「そんなの何も良くなんかない。俺は助けに行く、誰がなんと言おうと」

 言って俺は建物の方へと向き直り、ふぅ、とゆっくり息を吐いて覚悟を決める。

 その時、

「待ちなさい!」

 莉奈だった。

「あんたの正義感はこの数日でよくわかった。でも向こう見ずな無謀な行動をそう呼びはしない。私だって別に霊魂が憎くてやってるんじゃないの。居た堪れない事だってあるし苦しみを生んだ者を恨めしく思う事もあるわ。でも割り切らないと生き残れないの、全てを救う事は出来ないのよ」

「それでも……放っておく事は俺には出来ない」

「あの建物は霊気を帯びているが分かってるの? あんたもただでは済まない、確実に死ぬわよ」

「心配すんなって。もう死んでるから」

「ふざけないで! 今まで何の為にやってきたのか考えなさい! これで試験は終わり、あんたも生き返れるのよ? それを放棄しようってわけ!?」

「確かにこれで俺は生き返れるのかも知れない。でも目の前で人でも霊でも、見殺しにして生き返っても……また笑って過ごせるとは思えないんだよ」

「だからって無駄死にする必要があるの? 自分がなんで死んだか分かってる? 雫の時もそうじゃない、無理して人を助けようとして無駄死にして……また同じ事を繰り返すつもり?」

「確かに無駄死にだったかも知れない。でもまた、同じ場面に出くわしたら俺は迷わずトラックの前に飛び出すよ。莉奈言ったよな? 自分が悪くなければ死んでも納得出来るのかって。そりゃそんなの納得出来るわけねぇよ。どう考えたってな。でもそれは自分だけの問題じゃないんだ。たとえ赤の他人でも、助ける方法が無くても……仕方ないでは割り切れないんだよ」

 言っていつの間にか俺を行かすまいと俺の服や足を掴んでいた雫ちゃんとフェアの手をそっとどけて二人の頭に手を置いた。

「やっぱ俺は馬鹿だから賢い生き方なんて出来そうもない、莉奈の言う通り全てを救う事は出来ないかもしれない。でも、少なくとも……救おうとすることは誰にだって出来るんだ!」

 俺は再び建物へと走り出した。後ろで「あっ馬鹿!」という声と二人が俺を呼ぶ声がする。

 振り返らなくても十分だった。死んでから知り合った仲でありながら自分の身を案じてくれる、そんな仲間がいることがなぜかとても誇らしく感じた。



 単身全力疾走で建物まで戻ってくると、さっき通った抜け穴を再び潜る。

 ガタガタと揺れ地面は落下物によってパラパラという音が絶えず続いている。

 中に入るとやはり少女は中に居た。中央に腰を落とし、無表情で天井を眺めていた。

 足下に注意しながら急いで駆け寄っていく。

「お、お兄ちゃん!? なにしてるの!? なんで戻って来たの!?」

 少女は驚きに目を見開いた。

「助けるって言ったろ? 立てるか?」

 少女に手を差し出す。少女はその手をじっと見つめたものの、掴むことはしない。

「ダメだよ。もう間に合わないよ……お願いだから外に行って、お兄ちゃんだけでも」

「大丈夫だって、俺意外と運がいいから。死んだと思ったら死んでなかったり、生き返るチャンスがあったりね。とにかく安全な場所を探して……ぐっ!」

 言い終わる前に轟音にかき消される。右方の壁が拉げ、崩れ落ちた。俺はバランスを崩し片膝を付いた。

「立って! 早く移動しないと」

 少女の手を無理矢理掴み、立ち上がらせる。しかしその手は少女に引き返された。

「お兄ちゃん……お願いだから言うことを聞いてよ」

「小さいうちから欲張ってたら誰かみたいに我が儘な女になっちゃうぞ。すでに一つ約束があるんだからお願いはそれが終わってからな」

「や……約束?」

「一緒に遊ぶんだろ? さっき約束したじゃないか」

「お兄ちゃんの馬鹿……ほんと馬鹿だよ」

 少女は目に涙を浮かべながら笑った。

「馬鹿か。もう言われなれちゃったな。馬鹿だから諦めが悪いんだな俺はきっと。悪いけどそれに付き合ってくれよ」

 言って俺も笑い、再び掴んだ腕を引き上げた。少女は「うん」とだけ言って立ち上がろうとする。

 その時だった、

「きゃあっ!」

 再び壁が崩れた。同時に大きく建物全体が揺らいだ。

 立ち上がりかけた少女は倒れ込み、腕を掴んでいた俺も同じようにバランスを崩した。そして、

「お兄ちゃんっ、上!」

 少女が叫ぶ。すぐに上を見上げると天井が迫ってきているのが目に入った。

 絶対絶命だ。逃げ場はなくやはり間に合わなかったのかという絶望的な状況。

 目の前で少女が必死の形相で何かを言っているが俺の耳には届かない。少女の声も崩壊する建物の立てる音すらも。

 無音状態に加えて視界もどこかゆっくりと流れている。ドラマなんかの演出でよく見るアレをまさか実際に体験することになるとはね。

 だが不思議な事に恐怖や絶望を感じてはいなかった。ただこの子を守らないといけない、この子だけでも助けてやりたいという事が頭の全てを埋め尽くしていた。

 スローモーションの中、なんとか俺は少女を包む様に抱き込んだ。すぐに天井の影が自分に迫るのを感じる。

 建物は崩壊した。

 ……。

 …………。

 ………………。

 視界は暗い。

 まさか人生で二回も死ぬなんて思わなかったよ。痛みが無かったのがせめてもの救いだ、即死レベルのダメージだったのがよかったのかな。

「お、お兄ちゃん?」

 少女の声がする。良かった、あの子は無事だったんだ。今回は無駄死にじゃなかったよ莉奈。

「お兄ちゃんっ!」

 バチン。

「痛てぇ! ……あれ?」

 叩かれた頬を抑えながら反射的に起き上がると目の前には少女が居た。

 辺りを見回すと無惨にも崩壊した建物の残骸が、上を見上げるとあかね色の空が広がっていた。どういうわけか崩壊した建物は俺たちの居る場所を円上に避けるようにして積み上がっている。

「……どうなってんだ?」

「あのねあのね、お兄ちゃんのお尻が光ってたの! そしたら助かったの!」

「お尻が光った? そんな馬鹿な……」

 言ってズボンをまさぐった。

「あ! これ……あの時の」

 ズボンのポケットから出てきたのは一枚のお札だった。

 昨日、部屋で莉奈に貰った護符……俺には使えなくてそのまましまっておいたあのお札が。

【結界護符よ。物理的、霊能力的どちらからも身を守ることが出来る呪符】

 あのときの説明が脳裏に浮かぶ。完全に忘れていた。

 手の中にあるその一枚の紙は、その効力を失ったらしく貰った時には書かれていた文字が消えてしまっていた。

「これのおかげで助かったのか……奇跡だなこれは。おっ」

 外に居たみんなの姿が見えた。瓦礫の山から俺が起き上がるのを見て駆け寄ってくる。

 少女を起き上がらせ、瓦礫の山を降りるとすぐに雫ちゃんとフェアが泣きながら飛び付いてきた。老人と少女も泣きながら抱擁している。

 ははは、と自嘲気味に笑って、俺は莉奈に事情を説明した。

「はぁ~、まさに馬鹿が生んだ奇跡ね。あんたに霊力が無いことが幸いするなんて」

「ほんとに奇跡だよ。みんなが無事でほんとに良かった良かった」

「せっかく試験をパスして霊術師の資格を得たっていうのにあんたが死んで契約不履行になったら寝覚めが悪いじゃない。まったく」

「ただでさえ寝覚め悪いもんな」

「うっさい!」

 そうやって放たれた莉奈の蹴りは心なしかいつもより威力は控えめだ。

 莉奈もなんだかんだ言っても無事を喜んでくれているのかもしれない。

「これで……全部終わりなんだな」

 空を見上げ、誰にともなく呟いた。

 こうして俺と莉奈の試験はその全ての行程を終えた。

 怖い思いもしたし、しんどい事もたくさんあったけど仲間に出会えて、楽しいこともあって、結果的にみんな無事に終えることが出来て本当に良かった。

 本当に……よかった。

  

          ○


 その日の深夜。

 場所は病室。

 横には寝ている俺。

 俺が目覚めて莉奈に会った日以来始めてこの病室に戻ってきた。全ての始まりの場所に。

 あのあと、協会の仲間を連れて戻ってきた兄ちゃん達が合流した。

 莉奈の試験通過が認められ、あの建物に関しては老朽化が原因として処理させるらしい。

 少女も悪霊として冥界に送られるなどということはなく、全てが丸く収まった。

 莉奈はアランシフとかいう人の所に行くと言ってみんなでその場を後にした。そしてその際にネックレスの様なものを手渡された。

「今夜零時にそれをあんたの遺体に掛けて待ってなさい」

 とだけ言われた。失礼な、まだ遺体じゃないぞ。

「ほんとに寝てる様にしか見えないもんな」

 改めてベッドにいる自分の本体を見下ろした。

 一定の間隔で呼吸をしている。モニターを見る限り心拍も正常だ。

 どこかで見た様なガラスの玉が付いたネックレスをその首に掛けた。

 もうすぐ零時を迎える。何が起こるのかとただじっと見守る。

 そして……その時を迎えた。

「うおっ」

 時計の針が零時を指した瞬間、ネックレスのガラス玉が光りを帯び始める。そして次第に光の強さが増していく、目も開けていられないほどに。

 驚く暇もほとんど無く、

 それに伴って徐々に意識が薄れていった。


          ○


「……ん」

 太陽は目を覚さました。

 目がぼやけて視界は淀んでいる。が、慣れない匂いや空気……体感的にここが莉奈の部屋ではないと認識するには十分な情報を五感から得ることが出来た。

 ここはどこだろう?

 頭は重くボーっとする。まるで風邪で一日中寝ていた後のようだ。比例して体も酷く重かった、起き上がるのは目が慣れてからにした方がよさそうだ。

「ん?」

 俺の寝ている横でガタッという音がする。俺は音のした方に首を向けた。

「た、たーくん?」

 今や唯一の肉親である姉・早希だった。

「ね、姉ちゃん?」

「たーくん……気が……付いたの?」

 その言葉に俺はこの数日の全てを思い出した。

「姉ちゃん! 俺が分かるのか? 俺太陽だよ! 戻ったぁぁぁぁ!」

 思わず飛び起き、姉ちゃんに抱きついた。というかほとんど飛びついた。

 姉ちゃんは言葉も出せずにただ唖然と口を開けて固まってしまっている。

 だけど細かいことは全部後回しでいい。とにかく今は歓喜の叫びを上げ続けるだけで満足だった。


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