【第五章】 四つめの課題と神様と豆電球
夜も明けて土曜日の朝……というよりは昼前と言った方が正しいだろうか。
幽霊といえども休日は昼まで眠っていたい願望は健在らしく、莉奈のセットしたアラームが鳴るまで誰も起きることは無かった。
ちなみに今日こそは起きて起こしてという作業に痛い思いはしないぞ、という前夜の俺の決意は己の目覚めという最初期段階で叶わぬものとなった。
莉奈の爆音目覚ましの威力を知らなかった雫ちゃんが驚きのあまり飛び起きて部屋を駆け回った際に俺の腹を踏んづけてしまったのだ。
「ほんっとうにごめんなさい!」
落ち着きを取り戻した雫ちゃんは俺が莉奈を起こした後も平謝りを続けている。
今なお患部に若干の痛みが残るまさに目の覚める一撃だっただけに踏んだ側の雫ちゃんにも相応の手応えがあったのだろう。
「そんなに謝らなくてもいいって、もう大丈夫だから」
「一億回と二千回は謝罪しないととても謝りきれません!」
「いや、そんなには言わなくていいよ……まじで。別にわざとやった訳じゃないんだから、雫ちゃんは」
「雫ちゃん『は』ってなによ? 私が好きでやってるみたいじゃない」
タイミング良く頭にタオルを掛けたままの莉奈が浴室から戻ってきた。会話が聞こえていたらしく心外だといわんばかりに言う。
「……お前のは悪意しかねーだろ」
正直心外なのはこっちだと言いたい。なぜなら残るのはいつも痛みと後悔だけだからだ。
「あんたが悪いんでしょ、躾けるこっちの身にもなってよね」
やれやれといったリアクションの莉奈。
躾ときましたよ。まあなんとでも言うがいいさ、いい加減莉奈の辛辣な言動にも慣れ始めたおかげで『ツッコんだら負けかなと思っている』の心得を修得した今の俺はそう簡単にムキになって反論したりはしないという自負すらある。ここは俺が大人にならないとな。
「ま、それも変態マゾヒストのあんた相手じゃあんまり効果はないみたいだけど」
「誰が変態マゾヒストだ!」
俺の自負は一瞬にしてピーターパンシンドロームへと成り代わるのだった。
○
「今日は兄ちゃんは来ないのか?」
莉奈の準備も整った。
しかしいつも部屋を出る時には合流しているはずの兄ちゃんが今日はいない。
「今日は現地集合だから」
と莉奈は上着を羽織りながら素っ気なく答える。そして、
「一応あんたにも渡しとくわ」
と一枚のお札を差し出した。
「なんだこれ?」
手渡されたお札を見つめる。雫ちゃんも物珍しげに覗き込んでいる。
「結界護符よ。物理的、霊能力的どちらからも身を守ることが出来る呪符」
「なんでそんなものを俺に?」
「今回はあんたの尻ぬぐいなんてしてられないかもしれないから自分の身は自分で守りなさい、死にたくなかったらね」
最後に付け加えられた言葉の折、莉奈は鋭い目で俺を流し見た。
「……そんなに危険が伴うのか今回は?」
「四つ目ともなるとある程度はね。前提が力ずくで抹消する事だし」
「また……物騒な話だな」
「だから最初に言ったでしょ。男なんだから自分と雫の身ぐらいなんとかしなさい。雫放って逃げたりしたらどうなるか分かってるでしょうね?」
亡霊の時もそうだったが、既知としない事を想像だけでイメージするとそれは実際のそれよりも増長されるもので、ましてや莉奈がこういった言い方をすること自体始めてなのも重なって不安感が一層煽られる。
「うぅ……」
雫ちゃんも不安そうな顔をして俺を見ている。雫ちゃんほど争いごとに無縁そうな人もそうは居ないだろう。
「女の子置いて逃げる様な事はしないっての。こいつの使い方を教えてくれよ」
言ってお札を再び見つめる。
莉奈も腰から札を取り出し、
「別に難しいことじゃないわ、霊力込めて放つだけ」
莉奈が二本指で札を放るとその札は莉奈の前に貼り付く様に浮いている。
「どうなってんだ……これ」
「ふわー」
「太陽、そこの枕をこっちに放ってみなさい」
「枕? これか、ほいっ」
俺は言われた通り、ベッドの上にあった枕を莉奈にトスする。
が、枕は莉奈の前に浮いている札の横で壁にでもぶつかったように一瞬停止し、そのまま床へと落ちた。
「すげえぇ! バリアじゃんバリア」
「違いますよ太陽さん、ABフィールドですよ!」
興奮を隠せない俺達素人組。特に雫ちゃんのテンションが凄い勢いで上昇した。
「あんたもやってみなさい」
と一人冷静に莉奈。
「よーし」
俺は莉奈のと同じ様に札を目の前に、気合いを入れて放った。
「………………」
「………………」
「………………」
次の瞬間には全員が床に向かってヒラヒラと舞い落ちていった札を無言で見つめていた。
「……なんで?」
「霊力が無いんでしょ。霊体なら少なからず使えるようになってる事が多いんだけどこればっかりは仕方ないわね。持ってるだけでもある程度効果はあるし、才能の無かった自分を恨むのね」
「仕方ないって、じゃあ俺はどうやって身を守ればいいんだよ」
「そんなの自分で考えなさい」
唯一の護身アイテムが空振りに終わったにも関わらず、莉奈の口調は深刻さのかけらもない。
それが俺たちの身がどうなっても知ったことじゃない、と言われているみたいで頭に血が昇った。
「考えなさいはないだろ。お前は慣れてるからいいかもしれないけど俺たちはそんな危ないことなんて……」
ドン!
俺の言葉を遮るように、室内に大きな音が響いた。莉奈がその拳をテーブルに叩きつけたのだ。
雫ちゃんが驚きに跳ね上がったのもお構いなしに莉奈の表情が厳しいものになった。
「太陽、雫よく聞きなさい。力の無い事の原因を自分以外に求めるような事はするな。どの世界に生きようと自分に力が無いのは自分の責任。その結果、力のあるものに淘汰されても自分の責任。力が無いことを理由にしても時間も力を振り翳すものも待ってはくれないの。力を振り翳す奴が悪い? 助けてくれなかった奴が悪い? そういう理由付けをしたら自分が死んでも仕方がなかったって納得出来んの? 何かを守りたいなら……何かを成し遂げたいなら生き延びて力に対抗する術を身に付けなさい、自分で」
言い終わると莉奈は踵を返し「いくわよ」
とだけ言って玄関の方へ向かった。
「はぁぁー……」
莉奈が離れていったことを目で確認して、大きく息を吐いた。
また変な地雷を踏んでしまったようだ。
今回ばかりはいつもの理不尽な罵りとは勝手が違うようだ。
いくら口が悪い莉奈でも相手を責める為だけにあんなことを言うことはないだろう。経験則に性格が絡んでの発言だからこその忠告じみた言い方なのだろうと思えた。
だがそれを理解する程莉奈の事を知らない雫ちゃんはショックを受けてしまったのか何も言えずに立ち尽くしていた。
「大丈夫だよ、別に怒ってる訳じゃないから」
雫ちゃんが目に少し涙を光らせて俺を見上げる。
「俺が弱音を吐いたことに対しての憤りはあっただろうけど、ほんとに怒ってたらああいう言い方はしないよあいつは。最初から身の危険が伴う事も十二分にあるとは聞いてたし、それを再認識させようとしたんだと思う。性格的にああいう言い方になっちゃうだけで」
そういうことは以前にもあったしな。あの時は俺もかなり凹んだ。
「俺たちも行こうか、自分と雫ちゃんを守る方法は追々考えてみるからさ」
俺が言うと雫ちゃんは目を拭って、こくりと頷くと俺の後に付いた。
○
いい加減街の風景も見飽きた、というぐらいここ最近街を歩き回っているが今日はどんどん街の外れへと向かっているようだ。
莉奈は別としても雫ちゃんは部屋での出来事をまだ少し引きずっているようで道中は全くといっていいほど会話が無かった。
さすがにこの空気で世間話を振る勇気は俺には無く、ただ縦列を組んで歩くことしばらく、山道の入り口付近でようやく兄ちゃんが合流する。
「なんだ、今日はえらく静かにしてんな」
歩道も無い山道を登って行く中、事情を知らない兄ちゃんが口を開いた。正直、気まずい空気に嫌気がさしていたのでありがたい。
「ま、相手が神ともなれば緊張ぐらいするってもんか?」
「神? 何言ってんだ兄ちゃん?」
「今回もなんの説明もなしに付いて来たのかお前ぇら……」
どうなってんだこいつら、という含みで嘆息する兄ちゃん。
「莉奈、神ってなんのことだよ」
「知りたきゃそこの黒いのに聞きなさい」
莉奈は後ろから問いかけた俺に振り返ることもなく一言。どれだけ面倒くさがりなんだ、と思うと同時についには見た目の色で認識されてしまっている兄ちゃんが不憫でならない。
「教えてくれよ、黒い兄ちゃん」
「誰が黒い兄ちゃんだ。ったくどいつもこいつも……どこまで知っている?」
口では呆れながらもいつもの様に説明役を担う面倒見のいい兄ちゃんだった。
「取り敢えず危ない目に合うってことと誰かを排除するってのは聞いた」
「さっきも言ったが今回の相手は神だ。と言っても土地神だがな」
「土地神?」
毎度の事ながら聞き慣れない言葉に全く想像も付かない。
「実際の神霊とは違って役職に特別な意味は無い場合がほとんどだ。古くからその土地に眠っているだとか、宗教上、信仰上祀られていることでその土地の守り神の様な存在になっているって具合にな」
「それならなんでその守り神を排除する必要があるんだ? どんな理由でも神っていうぐらいなんだからそれを必要としている人もいるんじゃないのか?」
「通常土地神の行動に対して教会も霊術師も原則関与することはねぇ。ただ眠っていようが、民のためになにかをしていようがだ」
「だったらなんで……」
「生あるものと死した魂の調和を乱すことや生死に関わらず無意味に魂に危害を加えることは誰にも許されることじゃねぇ。ここ最近この先に眠る土地神が意味無く霊魂を狩っていることが発覚した。いつからそんなことをしてやがったのかは不明、実際協会の実働隊も二人ほど消された」
俺は固唾を飲んだ。
物騒な言葉が飛び交うこの状況は今までとは全く違う。これまで三つの課題をこなしてきたが特に危険を伴うこともなく、言わば幽霊たちのお悩み相談のような感覚でこなしてきた。だがこの先待っているのはどうやらそんな易しいものではなさそうだと始めて理解した。
部屋での莉奈の言葉も単なる忠告では無く現実味の話なのだと今理解が追いついた。
「なんでそんなことを……」
力なく言う。雫ちゃんも今の話で怖さが増したのか、少し後ろを付いてきていたのが今は俺にくっつく様に近い距離にいる。
「力あるものはその権威に酔いやすいもんだ、世に争いが無くならないようにな。実力が無ければ生き残れないという点では霊社会でも特にそれが顕著だろう。あの死神然りな」
「死神?」
またしても二次元でしか聞かないような単語に思わず反応する。
「お前らもこの先霊魂としてこの世に残るなら覚えておいて損はねぇだろう。死神ってのは史上最悪の謀反者の俗称だ」
「史上最悪って……一体何したんだよ」
恐る恐る聞いてみる。
「元々霊術師として特殊な力を持っていた奴だったが、やはり力に溺れ力を欲した。霊魂だけじゃねぇ、生命ある人間にも手を掛けた。協会の人間や霊術師も何人も殺され……何の真似だ小娘」
不意に兄ちゃんの言葉が止まったかと思うと莉奈を睨め付けた。
何が起きたのか分からない俺は莉奈と兄ちゃんを交互に視線で追うと、どうやら莉奈が何かを兄ちゃんに向かって飛ばしたようだ。
それを片手で受け止めた兄ちゃんが莉奈に鋭い目を向けている、という事らしく兄ちゃんの指には札が挟まっていた。
「誰がそんなことまで説明しろって言ったのよ。ただでさえビビって役に立ちそうにもないんだから余計な事吹き込まないで」
「大層な口ぶりだな。そんなやり方では人としての程度が知れるぞ小娘」
直接手を出されただけに兄ちゃんもそうですかと引くことはしない。ピリピリとした空気に拍車が掛かり、凄く嫌な空気だ。
「どういう意味よ」
「てめぇに触れて欲しくない部分があるのは構わねぇがそれはてめぇの都合だろう。相応のやり方ってのがあるってもんだ。それをこいつらのせいにしたり、ましてや俺に刃を向けるってのは了見が良くねぇな」
「知った風な口を……」
莉奈の表情が一層険しくなる。臨戦態勢といっていいぐらいに敵意を露わにしている。
「まあ、てめぇが止めろと言うならこれ以上は言わねぇでおくが、言葉にしねぇまま自分の思い通りに人を動かせると思うもんじゃあねぇ。力づくでってんなら結局奴と変わらねぇって事だ」
その言葉を最後に兄ちゃんの表情から険しさが消えた。
今回ばかりは莉奈のフォローも出来そうになかっただけに兄ちゃんの対応がその場を収めてくれたのは正直助かった。
莉奈もフン、と一言発したものの睨むことを止め、向きを変え再び先頭を歩き出した。
大事にならなくてなによりだとさっさと先に進んで行ってしまっている莉奈の遥か後ろで大きく息を吐いた。
「はあぁぁぁ、毎度の事ながらヒヤヒヤするよ」
「莉奈さん……今日は機嫌が悪いんでしょうか」
と不安げに雫ちゃんも言う。
「そうじゃねぇさ。誰にでも触れられたくない事の一つや二つはあるってもんだ。うっかり奴のタブーに触れてしまったんだろう。口が悪いのはいつものことだがな」
「タブーって前に言ってた闇がどうのってやつか?」
「断定は出来ねぇがあの小娘にとってそれだけ大きな事なんだろうよ。それこそ性格も変えちまうぐらいにな」
「性格も……ですか」
「それ以上は俺の口から言えることじゃねぇ。あんな性分だ、敵を作る事も多いだろう。お前らが支えてやるんだな、一本の道しか見てない人間は得てして道を踏み外すこともあるもんだ」
「そうだな、俺も友達が悪の道に行くのなんて見たくないし。にしても兄ちゃんはやっぱいい人だったんだな」
「どういう含みがあるのかは敢えて聞かねぇが……欲に溺れる奴や根が腐った奴なんざいくらでも見てきたからな。お前らはそうじゃねぇことぐらい分かるってことだ、小僧や嬢ちゃんも含めてな」
「怒ってる時の莉奈さんは怖いですけど……絶対に悪い人じゃないと思います。わたしも」
「そうだな。その為にもしばらくはせいぜい扱き使われてやるか」
言って俺は早足に莉奈を追いかける。雫ちゃんも兄ちゃんもそれに続いた。
少しして数十メートル先で立ち止まっている莉奈に追い付く。
俺たちを待っていてくれたのかと思いきや視線の先には山道の脇から続く一本の道。
同じようにその道に目をやると、位置的にもかなり不自然なのに加えてどこまで続いているのかも分からないほとんど獣道のような道がずっと先まで続いている。
風景としては何の変哲も無い山道にも見えるのだが、なぜかとても嫌な予感、もっと言えば禍々しい場所のように感じた。
「なぜだかわかりませんけど……すごく嫌な感じがします」
俺の後ろから怖々とした声で雫ちゃんが言う。
「うん、見た目の不気味さとは別に……入ってくるなって言われているみたいだ」
「あんたたちですら感じるレベルってことね」
「……やっぱり何かあるのか?」
俺が聞くと莉奈はその入り口に手を伸ばす。
「結界よ。といっても侵入を拒む為のモノじゃなく存在を隠す目的のようだけど。普通の人間じゃこの道を認識することが出来ないようになってる」
「てことはやっぱり……」
「ええ、この先にいるわね」
その言葉で全員が脇道の続く先を見据える。
「今回は俺はここまでだ。例の一件以来俺たちも中には入れねぇことになってる。何より結界が張られてる以上手を出せねぇ俺は居ねぇ方がいいだろう」
突然の発言に三人ともが兄ちゃんの方を向いた。例の一件というのは協会の霊が二人やられたという件だろうか。
「本来霊術師見習いに任せられるレベルじゃねぇのは俺たちも重々承知してるが土地神の処理をまさか余所者にやらせるわけにもいかねぇって事らしい。亜蘭も異議を唱えたらしいが本部の霊定会の決定じゃあ覆るはずもねぇ。最悪辞退するって道もあるが……」
「するわけないでしょ」
莉奈が兄ちゃんの言葉を遮った。
「何があろうと……わたしは立ち止まらない」
自分に言い聞かせる様に言う莉奈。
「逆に名を轟かせるチャンスじゃない。あんたは指咥えて待ってればいいわ」
「ならばそうさせてもらおう。だが一つ言っておく」
「何よ?」
「死ぬんじゃねぇぞ。俺はてめぇらの死後処理なんて御免だからな」
「はっ、誰に言ってんのよ」
莉奈が不敵に笑う。元より不安げな仕草など見せたこともない莉奈だったがここにきてその自信が増したようだ。自分に出来ないはずがない、という心持ちが見て取れるほどに。
そんな莉奈が頼もしいと思えてしまうのは男としては少し情けない気もするが。
「雫ちゃんも残った方がいいんじゃないか?」
危ない事がほぼ確定してる以上雫ちゃんは行かない方がいいのは明白だろう。兄ちゃんが残るのなら何かあっても対応してくれるだろうし。
しかし意外にも俺の提案を拒んだのは雫ちゃん本人だった。
「いえ……わたしも行きます」
「絶対に危ないって。ここからでも分かるぐらいなんだから」
「役には立てないかもしれませんけど……それでも行きます。仲間だから行くんです!」
雫ちゃんは量拳を胸の前で握りしめながら力強く言った。こんなに意志をはっきりと示す雫ちゃんは初めて見る。
「なにイチャついてんのよあんたたち」
「そ、そ、そういうのじゃないですよ~!」
あわわ、と手を振りながら慌てふためく雫ちゃん。
「莉奈……せっかくの雫ちゃんの決意を茶化すなよ」
「あら、緊張を解してあげようと思ったんだけど?」
と莉奈は悪戯な笑みを浮かべる。
確かに莉奈の言うように不思議と変に強ばっていた雰囲気が解消された気がしないでもない。雫ちゃんの言葉と合わせて少し心に余裕が出来た様な気さえする。
雫ちゃんだけは「うぅ~」と恥ずかしそうに赤面している中、莉奈は活気よく前を向いた。
「ま、覚悟だけは出来たようね。行くわよ」
「おう!」「はい!」
こうして三人は莉奈を先頭に未知なる道へと足を踏み入れた。
山の中をただ一本道を真っ直ぐに進んでいく。
振り返ってみても既に入り口は見えないぐらいの距離は既に歩いた。が、一向に目的地が見える気配はない。
「こうも同じ景色だと距離感が無くなってしまいますね」
と雫ちゃん。
「頂上まで歩けってんじゃないだろうな」
肉体的疲労は感じない体とはいえただ歩くだけの行為を続けていると精神的に疲れを感じるのを否めない。
「確かにおかしいわね、気配は感じるのに。同じ風景……はっ、そうか!」
莉奈が急に立ち止まる。
「おい、どうしたんだよ?」
「してやられたってわけね。ただの結界だと思ってたのが誤算だったわ。ちょっと離れて」
言うと莉奈は両の手をパチンと合わせた。次第にその手が青っぽい光に覆われたかと思うと同時に両手を地面に振り下ろした。すると、
「どうなってんだ……これ」
「ふええぇぇ」
莉奈の両手が地面に付いた途端、四方八方に立ち並んでいた木々が消えた。
視界に入ってくるのは整地された地面。そしてその先に建つ小さな祠とその祠の前に居る一人の人物。
「ホ、解術印を使えるのかえ。まあ十分楽しめたがのう」
と嫌に甲高い声で笑みを浮かべながらその人物は言う。
禿た頭に小さな背丈、杖を突いて立っているその風貌は単なる老人とは比べものにならない不気味さが溢れ出ている。
いっそ妖怪とでも表現した方がしっくりくるぐらい気味の悪い風采だ。とても口には出せないけど。
「やってくれたわね妖怪ジジイ」
言っちゃったよ。
「ホ、ここに入って来ることが出来る人間などそうはおらんでな。つい遊んでしまったわい。ホッホ」
またも嫌らしく笑う。その言動はいちいち不気味だ。
「それで、わしになにか用かえ?」
「白々しい。あんたを地獄という名の監獄にブチ込む為に来たに決まってんでしょ」
「ホ! 童子の戯れに付き合うてやるほど気は長うないでよ。主らもこの中に入る運命に変わりは無いがの」
言って老人は片手を上向きにかざすとどこからともなくゆるりと降りてきた壺の様なものがその手に収まった。
「壺?」
「なにが……入ってるんでしょうか」
俺と雫ちゃんが言うと、
「狩った魂をあの中に閉じこめてるんでしょうね。あの蓋に貼ってある札が中から出れないようにしてるのよ。いい趣味してるわ」
と憎々しげに皮肉った。
「あんた神様なんだろ? なんでそんなことするんだ、なにか理由があるのか?」
このままではまた莉奈が問答無用で食って掛かると思った俺は目の前の男に問いかける。悪い事をしたのは事実なのだろうがそれでも話を聞かずに事を荒げるだけで解決する事がいいことだとは俺は思わない。
「ホ、道楽よ道楽。ただこの土地に居るだけというのも退屈なものでな」
しかし土地神は悪びれる様子も無くあざ笑う。
「それはいくらなんでもメチャクチャだろ。神様だったらなにしても許されるのかよ」
「神だから許されるというのはちと違うの。許されるのは力があるゆえのことよ。神だから力があるのではない、力があるから神と成るのが摂理というものよ」
「ふざけんなよ。力があるのがそんなに偉いのか? 力ってそういうものじゃないだろ」
「偉いか否かは考え方それぞれじゃろて。力無き者にそれを論ずる資格が無いというだけのことよ。貴様に理解出来ないのも仕方が無いがの、弱き者」
その言葉で完全に頭に血が上った。怒りのあまり手が震えるのを感じる。
この男の言うことは間違ってる。どんな力だって振りかざす奴が居ればその分悲しむ人がいるということだ。
死んだ父さんも言っていた。本当に強い奴は弱い奴にその力を向けたりしないもんだって。
それを嘲笑しながら遊び半分に振るうこの男を許すことが出来なかった俺は感情の赴くままに男の方に突進した。
が、その瞬間莉奈にそれを止められてしまう。
「放せっ、一発ぶん殴ってやる! つーか髪を掴むな、痛い!」
「落ち着け馬鹿猿。ああいう根が腐った奴には何言っても無駄よ」
「言っても無駄だから拳で教えてや……」
ドーン!
言い終わるより先に、その場に大きな音が響き渡った。
視線を前に戻すと男がこちらに手をかざしている。そしてどういうわけかすぐ目の前の地面が円形にへこんでいた。
「な……なんじゃこりゃあああ」
「チッ、厄介な」
我を忘れる俺とは正反対に莉奈は冷静に舌打ちする。
「おいっ、なにがどうなってんだこれ! あいつがやったのか!?」
「霊力を飛ばしただけよ。とはいえ迂闊には近づけないってわけね。よりによって私の苦手な分野を……」
「飛ばしたって格ゲーの世界じゃないあるまいし、っていうか雫ちゃん落ち着いて。危ないから!」
恐怖のあまり背後で右往左往する雫ちゃんを制する。ハッと我に返った雫ちゃんは怯えながら俺の服を掴んでいる。
「神という割には大した霊力じゃないけど……それでも食らったら痛いじゃ済まないわね、これは」
「近づけないならどうすんだよ。こんなの洒落にもなってないぞ」
目の前で起こった出来事にただ動揺するしかない。土地神の男はこちらの反応を楽しむ様にほくそ笑んでいる。
そんな中、莉奈だけは変わらず冷静に腕を組み、
「こうなったら作戦は一つ! 当たって砕けるしかないわ、行くのよ太陽!」
「行けるかぁ! これ見ろよ! 地面がへこんでるんだぞ!? 死ぬっつーの!」
全力で正論とツッコミをぶつける。だが莉奈は、
「あなたが死んでも……変わりはいるもの」
と、主語を一人称から二人称に変えるだけで酷く残酷に様変わりした某新世紀名台詞を表情一つ変えずに言ってのけた。
どうやらこの場に俺の味方はいないらしい。端から見れば神と女神でも実際は前門の悪魔後門の鬼といったところか。
「鬼と悪魔……どっちが強いのやら」
「何ぶつぶつ言ってんのよ。ほらこれ」
言って莉奈は腰の後ろ、言い換えれば莉奈の後ろにいる俺には見えるが土地神にとってはは死角になっている部分で一枚の札を差し出す。
「お札?」
どんな意味があるのか分からない俺は莉奈に合わせて小声で聞く。
「封霊符よ。これをあいつの体に貼り付ければ勝ち目はあるわ」
「ふうりょうふ? これを貼るのか?」
「文字通り霊力を封印する呪符。強い霊力を持ってる奴にはほとんど効果は無いけど、あの程度なら十分効くはず」
俺は土地神に見えない様に札を受け取る。
なるほど、これをあいつに貼り付ければあの波動拳は使えなくなるのか。ただ無策で特攻させられるのではないことに少し安心する。
「危ないことに変わりはないけどあんたも男でしょ。成し遂げなきゃいけないことがあるなら命を賭けてみなさい。一発食らったぐらいですぐ死にゃしないわよ」
莉奈の言葉で全身に力が入る。
これがボランティアだったら命賭けなんてまっぴらごめんだ。でもそうじゃない、生き返る為に乗り越えなきゃいけない壁なんだ。怖いとか危ないとか言ってる場合じゃないんだと強く自分に言い聞かせる。姉ちゃんや新、湊の顔を思い浮かべると不思議と逃げたしたい気持ちが前を向いた。
男ならやってやれ、だ。
「ふう……よし!」
札をを強く握りしめる。覚悟を決めた。
しかしその動きを察知したのか、先に動いたのは土地神だった。
「何をこそこそとしておる。逃げ出す算段でもしちょるか?」
薄ら笑いを浮かべながら一歩、また一歩とゆっくりこちらに近づいてくる土地神。そして、
「愚かなり人間よ。せっかくの獲物を逃がすわけがなかろうて」
莉奈に広げた手を向ける。次の瞬間には光の玉の様なものがその手から莉奈へ向かって飛び出した。
「莉奈!」「莉奈さん!」
目を反らす間も無く、光の玉は莉奈の目前に迫る。
刹那、莉奈の顔がニヤリとしたかと思うと、素早く部屋で見たバリア札を発動させ、それを防いだ。
バシィィィ!
火花をまき散らすように光を放ったその塊は莉奈に届く前に大きな音をたててその眼前で停止すると、やがて徐々に消えていった。
目映い輝きが消え去った後に残ったのは莉奈の体を護る盾の様に一枚の呪符だった。部屋を出る前に見たあの護符だ。
「莉奈……良かった」
「情けない声出してんじゃないわよ。しもべの分際であたしを心配しようなんて一億光年早いのよ。あんな成り上がり野郎のショボい攻撃なんか屁でもないわ」
挑発混じりに莉奈は言う。反して土地神の顔が苦々しく歪んだ。
「に、人間の分際で舐めた真似を」
「これで分かった? 不用意に近づきさえしなきゃなんの驚異もないの。大人しくあの世に行く覚悟でもするのね」
続けて莉奈が挑発する。
しかしこれで相手が挑発に乗って接近戦になったら不味いんじゃないか? そう思ったところで気が付いた。
莉奈は危険を承知で敢えてそうしようとしている。封霊符を貼り付けるチャンスを作る為に。
「ホ、霊力使うだけが神と思うでないわ」
土地神がゆっくりと壺を地面に置いた。口調は落ち着いているもののその声は当初の甲高い声とは打って変わってうなり声に近い感じだ。
「貴様等を仕留める策などいくらでもあるよって」
言って土地神は再び莉奈の方に手の平を向ける。
「無駄だって言うのが分からないの? それとも神っていうのは頭の悪い奴がなるものなのかしら?」
「その神の頭脳、身を持って知れい!」
言葉と同時に土地神の手から先ほどと同じように閃光が飛び出した。
すぐに莉奈は護符を取り出し目の前に晒した。しかし閃光は莉奈の体に向かうのでは無く、目の前の地面に着弾する。
護符の結界も地面にまでは及ばないらしく地面が衝撃音と共に弾けた。幸い莉奈は弾け飛ぶ地面の砕片を予測し着弾の直前に側方に飛び退いている。
しかし、莉奈が飛び退いたその瞬間を狙って土地神がこちらに突進してくる。
「なっ!?」
土地神のスピードは異常に早く、身構える間も無く眼前に迫りくると俺に向かって手を翳した。
その手が光った瞬間俺は体を反らす。が、間一髪避けきれずに右肩を掠めた。
「いってぇ」
同時に患部に激痛が走った。まるで熱湯を掛けられたかの様な熱さと痛さの入り交じった感覚が右肩を襲う。
そして次の瞬間、
「きゃあっ!」
俺が痛みにうずくまると同時に土地神は俺のすぐ後ろに居た雫ちゃんに飛び掛かった。
俺と莉奈が後ろを振り向いた時にはすでに雫ちゃんは土地神の手の中にあった。盾にする様に雫ちゃんの首に手を回し自分の体と重なる様にしている。
「ホッホ、これで勝負ありかの」
甲高い声で勝ち誇る土地神。雫ちゃんは恐怖で声も出ないらしく、土地神の手の内でただ怯える表情をするばかりだ。
「何が神の頭脳だ、汚い真似しやがって」
傷みの残る肩を押さえながらも、怒りで立ち上がる。
「どこまでも下衆な奴」
莉奈もまた、軽蔑の眼差しで続けて捨て吐いた。
「ホホホ。卑怯、汚い……いかにも負け犬らしい台詞よの」
「雫ちゃんを放せ妖怪ジジイ!」
「ホ! 放すと思うてか」
「人質ってわけ? 私がそんな下卑た策にビビるとでも?」
「ホホホ、わしゃどっちでもええでな。貴様等が大人しく魂を差しだそうが……このままやり合う為に攻撃をしてこようがの。勿論後者の場合はこのおなごの魂が真っ先に冥府を彷徨うことになるがの、ホッホ」
「くそっ」
どうすりゃいいんだ! こっちから手が出せない異常雫ちゃんがやられるか俺達がやられるか、どちらにせよ時間の問題だ。
どうにか雫ちゃんを救い出さないと。どうする、何か方法はないのか。
「残念だったわね」
俺が必死に考えを巡らしている中、莉奈が揚々と言った。
「ホ?」
「私は男……特にあんたみたいなクズな男って死ぬ程嫌いでね。何があっても屈しないって決めてるの。雫、骨は拾ってあげるわ。私のしもべとして、誇り高く逝きなさい」
言って莉奈は右手の人差し指を立てるようにして土地神に向けた。いつから付けていたのか、その立てた指に付けている指輪が光り始めた。
「おい莉奈! お前何言って……」
雫ちゃんを見捨てる気か。そう言いかけた俺を莉奈の視線が遮った。
手の先の光が徐々に強くなっていく中、ただじっと俺を見ている。まるで何かを訴える様に。
そうか、莉奈には何か考えがあるんだ。それをアイコンタクトで伝えようとしてる。
その真っ直ぐな瞳に微かに希望を感じる。が、その何か、肝心の莉奈の伝えたい事が俺に汲み取ることが出来なかった。
今回ばかりは自分の馬鹿さを恨むぞ。俺は何をしたらいい、どうすればいいんだ。
決まってる。雫ちゃんを助ける事を第一に考えるんだ。
「ホ、その程度の霊力では何も出来んぞえ」
「それはどうかしら、ね!」
莉奈が言った刹那、その指から光の筋が放たれた。
俺はその瞬間、土地神の方に突進する。
「雫ちゃんを返せー!」
「あ、こら馬鹿! 何してんのよ!」
そんな声が後ろで聞こえたが考える余裕なんて微塵も無い。
「囮だと? 小賢しいわ!」
俺に気付いた土地神はすぐに俺に手を向ける。しかし莉奈の攻撃に気を取られていた事もあって間一髪俺の方が早い。ラグビーのタックルの様に妖怪ジジイの腰に飛び掛かると雫ちゃん諸共倒れ込んだ。
あとはこのお札を貼り付ければ……あれ?
「あ、あれ? お札は!?」
そう思った俺の手には何も握られてはいなかった。
どこだ? どこで落としたんだ、ていうか飛び掛かる前に気づけよ俺!
「何を企んでいたかは知らんが、犠牲者第一号は貴様の様じゃの」
倒れ込んだ状態のまま、土地神は再度俺に手を向けた。
も、もう駄目だー。
「……………………あれ?」
「…………ホ?」
覚悟して強く閉じた目を薄く開くとそこには目を閉じる前と同じ手のひらを俺に向けている土地神がいる。俺……助かったのか?
「年貢の納め時ね」
いつの間にか倒れ込む俺たちの真後ろに莉奈が居た。
唖然として見つめる俺をよそに莉奈はすぐに両手の人差し指、中指で十字を作るとそれを土地神に向けた。
たちまちその手から光り輝く五芒星が浮かび上がり、土地神を包んでいく。
「冥土の土産に教えてあげるわ。右の腰を見てみなさい」
莉奈の言葉に沿って俺も土地神に目を移す。
「あ!」
莉奈の指した土地神の右腰には俺が持っていたはずの封霊符が貼られている。いつの間に、というかなんで俺の手にあったはずの呪符があんなところに……そのどちらもさっぱり分からない。
「小癪な事を……く、体が動かん!」
「犯した罪、あの世で後悔するのね」
「や、止めろ! わしは神だぞ!」
「ふん、閻魔の前でも同じ言い訳をすればいいわ」
言葉と同時に五芒星が一層強い光を放つ。
「や、やめろ! 神だ、わしは……か……み……」
苦しむような声と同時に土地神の姿が徐々に消えていったかと思うと黒い人魂の様なものが天へと昇っていった。
これが強制成仏というものなのだろうか。文字通り、昨日のじいちゃんの時とは何もかもが違っている。
仕方がない事とはいえ苦しむ様に消えていくのを見るのはやはり気持ちのいいものではない。俺は思わず目を反らし、ただ終演を待った。
○
「ふう、終わったわね」
完全に土地神が消え、場に静寂が訪れる。莉奈は少し疲れた声で言った。
「雫ちゃん、大丈夫?」
言って俺は雫ちゃんを両手で起き上がらせる。俺の方は多少肩がヒリヒリするものの問題はなさそうだ。
「えへへ、わたし……頑張りました」
目に涙を浮かべながら見るからに作り笑いで雫ちゃんは答える。
「まったく、雫の方がよっぽど役に立ってんじゃない」
「もしかして……あの札は雫ちゃんが?」
「わたし動体視力と反射神経はいいんです。親によく物を投げつけられてたおかげで」
そうか、土地神にさらわれる瞬間に俺の手から抜き取ったのか。ほんとに大したもんだ。
とはいえ女の子が、特に気の強い方では無い雫ちゃんに怖くなかったわけがない。いつものネガティブジョークすらも今ばかりは強がりにしか聞こえない。
出逢って間もない頃の作り笑いばかりしていた雫ちゃんを思い出した。
もうそんなことはしなくてもいいんだ。笑いたい時に笑って泣きたい時に泣けばいいんだ、ここには雫ちゃんを嫌な目に合わせる奴は居ないんだから。そう思ってはいたが、それが雫ちゃんの心の傷であるならば口に出して言うことが必ずしも救いになるとは限らないのではないか、ならばせめてと思いを切に込めて俺は雫ちゃんの頭にやさしく手を置いた。
「ほんとに頑張ったな。雫ちゃんのおかげでみんな無事で済んだよ」
次第に雫ちゃんの笑顔が崩れる。そして、
「ううっ、うぅ~。怖かったですぅ~」
とうとう俺にしがみつく様にして涙を流した。
「緊張の糸が切れたのね。まあ今回は二人共少しは役に立ったから仕方ないわね。あんたのは完全に結果オーライだったけど」
「結果オーライでもいいじゃないか。みんな無事だったんだし」
「大体なんであんた勝手に突っ込むのよ。動くなって合図したのが分からなかったわけ?」
「ああ。あれそういう合図だったのか」
「なんだと思ってたわけ?」
「いや、何を言いたいのか分からなかったから、取り敢えず雫ちゃんを助けなきゃと思って」
「はあ、呆れた。ま、今回は命令無視も不問にしといてあげるわ。二人とも捨て身で挑んでたし、私のしもべって自覚が出来てきたんじゃない?」
莉奈は得意気に言う。まあこれも莉奈なりの賛辞なんだろう。
「言ってろ。でもほんとみんな無事でよかったよ。これで課題はクリアなんだろ?」
「ええ。これであの中に囚われている魂も解放されるわ」
莉奈の視線を追うとちょうど土地神が持っていた不気味な壺に張ってあるお札が徐々に消えていく。札が完全に消滅した後、中から出てきたのは無数の小さな光の玉だった。
「あれ何が光ってるんだ?」
「あれも魂よ。あんた達と同じ。あの中に入ってたせいで魂が弱ってるから人の形を維持出来ないのよ。ああなったらもうあの世に逝くのが賢明でしょうね」
「あれ? でもさっきの土地神のは黒かったぞ?」
「魂まで腐ってたんじゃないの?」
「あれ? 一つこっちに来ますよ?」
数々の魂の光が天に昇っていく中、一つだけこちらに近づいてくる光に気付いたのは雫ちゃんだった。泣き止みはしていたもののまだ少し目に涙が浮かんでいた。そして、
「もしかして、もしかせんでもあんたらが助けてくれたんか?」
「うお、しゃべった!」
急に言葉を発した光の玉に驚き仰け反る。
「そら喋るやろ。ウチかてあんたらとおんなじ幽霊やねんから。にしてもほんま助かったわ。いつかあの妖怪ジジイいてもうたろ思っててんけど自力で出れそうにもなかってん」
「偉大な私に感謝しなさい」
と横から莉奈が偉そうに言う。いきなり関西弁で話す光の玉に呆気に取られている俺達とは違い、普通に会話しているあたりが霊術師の凄さを感じる。
「いやーホンマ感謝感謝やで。あんたら何モンや? そっちの姉さんは幽霊ちゃうみたいやけど」
「私は霊術師。で、この二人は私のしもべよ」
「へぇー、現物に会ったんは初めってやわ。ウチと大して歳も変わらんのに凄いもんや。それでワルモンをやっつけとるっちゅうことか。あ、そや! ものは相談なんやけどウチもあんたらの仲間に入れてくれへんか?」
「「仲間に?」」
俺と莉奈が声を揃えた。
「いやな、ウチは元々死んでもうたんはしゃーないって割り切って幽霊ライフを楽しんでてん。そしたらその矢先にあの中に閉じこめられたやろ? せっかく出れたんやから改めて楽しまな損やん。で、どうせなら一人でおるより仲間とおったほうが面白いやろ? あんたらとおったら面白そうやし。な、頼むわ霊術師の姉さん、それからウチ好みの男前な兄さんにメガネちゃんも」
続けざまに俺たちを形容し懇願する。しかし幽霊ライフを楽しむって凄い前向きな考えしてんな。
「男前な兄さんねぇ。良かったわねモテて」と俺を見ながら言う莉奈。
「……豆電球にモテる覚えはないんだけどな」
「誰が豆電球やねん! 今はこんな状態やけど元の姿はそこそこイケてるんやで。お礼に元に戻った暁にはお嫁にしたるから楽しみにしときぃ。そんなワケやから頼むわ、仲間に入れてーな」
軽口も交えながら改めて意思表示をする豆電球。
「どうするんだ、莉奈?」
莉奈の一存で左右する問題だけに俺の後ろで「これが噂の『仲間になりたそうな目で見ている』状態ですね」とか言ってる雫ちゃんをスルーして莉奈に確認する。そもそもどこが目なのかも分かりゃしない。
「あんた、何か得意な事はあるの?」
「得意な事?」
莉奈の質問の意図を理解出来ずに聞き返す霊魂。
「私たちは仲間なんかじゃない。完全な主従関係。この雫は料理が出来るし、今回特に役に立った。こっちの太陽は……まあ……主に雑用全般をこなしてるわ。あんたは何が出来るの? ただの役立たずなら私には必要ないわよ?」
と莉奈はやや厳しい口調で返す。俺の扱いは雑用係かよ……。
「確かにウチは料理もできひんし雑用のプロでもない」
少し考える様な間を置いて霊魂がどこなのかも分からん口を開いた。ていうか俺だって別にプロじゃないっつーの。
「でも幽霊になってからもこの近辺にずっとおったからこの辺の幽霊事情には詳しいで、色々交流もあるしな。それじゃアカンか?」
「幽霊事情ねぇ」
莉奈は黙考し、
「ま、いいでしょう。あんたもしもべにしてあげるわ。条件は一つ、私を主と崇めて従うことよ」
と採用のお言葉。それを聞いた霊魂の語調は一気に明るくなる。
「ホンマにええの!? おおきに、ウチもご主人様の為に頑張るわ! 雫もダーリンもよろしくな!」
「ふふっ、また仲間が増えましたね」
と今度は純粋に嬉しそうな笑顔で俺を見る雫ちゃん。
「誰がダーリンだまったく」
と口では言いながらも仲間が増えることに悪い気はしない俺だった。
「で? あんた名前は?」
「それがよう覚えてないねん。せっかくやからこれを機になんか名前付けてくれへんか? ウチも名前が分からんのはずっと気になってたしちょうどええわ」
「確かに名前が無いのは不便ね。太陽、なにか考えなさい」
「え、俺? んー、急に名前を付けろったってなぁ……もう見たまんま豆電球でいいんじゃないか?」
「適当かっ! そんなセンスの欠片もない名前嫌やっちゅーねん! 豆電球呼ばれる生物がおるかい!」
霊魂が憤慨する。さすがに適当すぎたか。
「とは言っても名付ける基準が無いしなぁ」
「見た目で決めるにしてももうちょいあるやろ。蛍とか妖精とか……あ、でもウチ虫嫌いやから蛍は嫌やなぁ」
「んじゃ妖精で」
「まんまやないか……せめてもうちょい名前っぽくしてーな」
「名前っぽくねぇ……一文字とってヨウ? セイ? いっそ英語でフェアリーとか?」
「フェアリーか、確かに横文字で名前っぽいけど……そや、略してフェアってのはどうやろ?」
「可愛い感じがしますね」と雫ちゃん。
「それでいいんじゃないか? 妖精から取ってるんだったら女の子らしいし」
「じゃ、それで決定ね。名前も決まったことだしそろそろ降りるわよ。いつまでもこんな所に居たくないわ」
と踵を返す莉奈。
こうして莉奈様御一行にまた新たにフェアが加わった。
山道を降りた俺たちは兄ちゃんに課題通過を確認してもらって別れた後、山道の真横にある川辺に来ていた。
山の中に居る間には時刻の判断が出来なかったがすでに夕暮れ時を迎えている。
フェアの「元の姿に戻るぐらい回復するまで何か変わりの体を探してくれ」という発言を受けてその変わりの体を探しに来たのだ。
割と綺麗な川なのにも関わらず不法投棄の山となっているこの場所に心苦しさを感じるものの、生きている人間に憑依させるわけにもいかないので人気の無いこの場所で探すことができる以上今回ばかりは有り難いことだ。
ちなみにフェアにも移動中におおよその事情は説明しておいた。多少驚きこそしていたが「目的があった方が頑張れるやんか」と言ってくれた。
キャラの通り根本的に難しいことは気にしない性格のようだ。
「これなんかどや?」
「いいんじゃない? 動きやすそうだし」
めぼしいものを見つけたのか、散策する俺の少し後ろでフェアと莉奈の声が聞こえる。
「ダーリンこれどうや? ウチかっこええやろ? めっちゃ強そうやろ?」
とフェアがガシャンガシャンと音を立てながら近づいて来てギイギイと四肢を動かす。
その姿は誰が捨てたのかは謎だが、俺と同じぐらいの背丈の古びた甲冑だ。
「当分はこれでいいわね」と莉奈は冷静に納得している。
「いいわけねーだろ! どこの錬金術師弟だよ。こんなの連れて町中歩けると思ってんのか! すぐに騒ぎになるわ」
思わず全力でツッコむ。
「冗談に決まってんでしょ。何ムキになってんのよ」
「ツッコミは良かったけどもうちょいノってくれんとアカンわダーリン」
莉奈とフェアが続けて言う。
「……真面目に探す気あるのかお前ら」
「そないに落ち込みなや。ちょっとした乙女ジョークやんか」
「まったく……」
「というかハナっから物に入った時点で人前に出られへんのちゃうん? これに限らず」
「持ち歩ける物なら何とかなるだろ? 例えば人形とかぬいぐるみとかさ」
「なるほど。でもウチとご主人様が探してた場所にはそんなん一個も無かったで?」
「うーん、どうしたもんか」
無いものは仕方が無いが代案をどうするかと考え巡らせる。その時、
「太陽さーん」
と少し離れた場所を探索していた雫ちゃんが小走りでこちらに向かってくる。
「あ、雫ちゃんが帰ってきた」
「雫ー、なんかええモンあったか?」
フェアが尋ねる。
「ひゃあっ! え? これ……フェアさんですか?」
「そやで~、強そうやろ」
「かっこいいですー」
いきなり声を発した甲冑姿のフェアに驚いた雫ちゃんだったが、すぐにフェアに同意して目を輝かせている。
「で、雫ちゃんなにかめぼしい物見つけた?」
「あ、そうでした。この子なんてどうでしょう?」
と雫ちゃんが抱えていたものを差し出す。
「な……何コレ?」
「狸ちゃうか?」
雫ちゃんが両手で抱えていたのは猫の様な狸の様なよくわからない動物だった。大きさは兎ぐらいなのでまだ子供なのだろう。
「多分アライグマだと思うんですけど」
「アライグマ!? よく見つけたなそんなの。っていうかそれはさすがに無理があるんじゃ……」
俺が言いかけた時、
「その手があったわね。最初っから物に入れようってこと事態無理があったし、なんで気付かなかったのかしら」
意外にも真っ先に却下すると思っていた莉奈が肯定的に言う。
「その手がっあったってそいつ生きてるんだぞ? 大丈夫なのか?」
「別に人間じゃないんだからちょっとの間体を借りるぐらい平気よ。フェアも文句ないわね?」
「ウチは全然構わへんで。アライグマの体に入る体験なんかそうは出来んし、なんか面白そうやん」
と臆する様子も無く、むしろ歓迎といった感じのフェア。
すぐに莉奈がフェアの魂を甲冑から雫ちゃんが抱えるアライグマへと移す。同時に操る者の居なくなった甲冑は音を立てて崩れた。
「どう?」
莉奈が問う。
「問題あらへんで。若干動きにくいけど、その内慣れるやろ」
試運転とばかりにとことこと動き回りながらアライグマになったフェアが感想を述べる。どこまでも前向きな奴だ。
客観的に見れば完全に喋るアライグマなわけで、立ち上がって前足の動きを確認する姿は全く動物っぽくなどない。ごめんよ、アライグマの子。
「フェアの体も見つかったことだし、私は買い物して帰るからあんた達は先帰ってなさい。太陽は洗濯と風呂洗いと明日ゴミの日だからゴミをまとめとくのよ。あと米も炊いておいて、私が帰るまでに」
「無茶言うな! 大体家事の振り分けのバランスがおかしいんだよ。雫ちゃんは飯作ったりしてるからいいけどお前何もしてないじゃねーか」
そのくせ出来に文句ばかりつけるし。
「当たり前じゃない。主だもん」
「……何でもそれで通ると思うなよ」
こうして色々な出来事があった長い長い一日を終えて一人と二体と一匹は帰路に付いた。