【第三章】 二つめの課題と女湯突入劇
一つめの試験をパスして間も無く、またまた莉奈に付いて歩くことしばらく。
相変わらず莉奈はこっちから話し掛けないと口を開くことも無く、また周りに人の気配がある時は話し掛けてもだんまりだった。
そうしてようやく足を止めた先に俺は呆れ返る。
「ここね」
「おいおいおいおい……お前いい加減にしろよ? また風呂入んのかよ、一日に何回入れば気がごっ」
言い終わる前に莉奈の蹴りによって壁に刺さる俺。
と言うのも足を止めた目の前にあるのが銭湯なのだから言いたくもなるだろう。
「違うっつーのこの馬鹿猿。ここが二つ目の課題の目的地……なんだけど営業時間外じゃ出直すしかないわね」
さすがに昼前に銭湯は開いていないらしく、莉奈は俺には目もくれずに踵を返す。
変な兄ちゃんは「お前も大変だな」的な表情を俺に向けたものの無言にとどまるだけだった。
仕方なく俺は痛む頭を抑え、「ひどい扱いだ……」と一人呟いて無駄足に終わった道を戻る莉奈の後を追った。
これは余談だが部屋に戻った莉奈は当然の様にバスルームに消えたが俺は一切の不満を心の奥深くに仕舞い込んもうと誓うのだった。
○
数時間後。
そろそろ陽も沈み始めた夕暮れ時、俺達は再び銭湯の脇に居た。
あれだけ時間が空いたにも関わらず俺は相変わらず何の説明も受けていない俺。
「俺にだって準備ってもんがあるんだしさ」
「あんたに何の準備があんのよ」
「それはほら、心の準備とか……」
「無いわよそんなもん」
言い切ったよ。
「大体事前に説明したところで後で説明し直させられるのが目に見えてんじゃない。あんた馬鹿だし頭悪いし不細工だし」
「ブサイクは関係ねーだろ!」
「否定はしねぇんだな」
ボソりと兄ちゃん。
「否定していいかなあ!? 俺別に普通だよなあ!?」
「……んなもん男の俺に聞くなよ」
「ちょっとボンクラ共、これ見なさい」
「共ってのは聞き捨てならねぇな、こいつと一緒にすんじゃねぇよ」
「やっぱりあんたも敵かぁぁ!?」
俺は涙目でツッコんでから、渋々莉奈が取り出した課題の書かれた紙をのぞき込んだ。
手には二枚の紙が持たれていてその表面の一枚は何やら見取り図の様なものだった。どういう意味か二ヶ所に×印が付けられている。
「太陽、あんた霊道って知って……る訳ないわね。聞いたあたしが馬鹿だったっていうか考え無しだったっていうか……あまりの愚かしさに死にたくなるのを抑えるのに必死っていうか」
「そこまで言うか普通!? 暗に俺を馬鹿にしてるだけだろそれ」
「あら、良くわかったわね。簡潔に説明するから一回で覚えなさい」
「…………」
「返事は?」
「……はい」
せめてもの無言の反撃も莉奈の低い声と鋭い視線によって呆気なく崩れ去る。
莉奈の右手が自分に向かって伸びてきたのだから後悔はしていない。なぜなら眼球デコピンなんて二度と食らいたくないからだ。
「霊道っていうのは文字通り霊の通り道」
莉奈が説明を始める。銭湯の脇の裏路地は人通りなど無く、変な兄ちゃんは相変わらず宙に浮いて俺たちの様子を眺めている。
俺はまた怒られるのも嫌なのでとりあえずは口を挟まずに最後まで聞くことにした。
「って言っても霊道にも色々あるんだけど、あんたが今日接触した様な無害な浮遊霊なんかには必要無い。いわばこの世に残ることを選ばなかった霊達が通る道ってわけ。人の霊かそれ以外かによっても違うし、多くの人が同じ場所で死んだりした場合に新たに出来る事もある。通じる先も社寺だったり冥界だったり自分の眠るべき場所だったりそれぞれね……ってさっきから黙ってるけどあんたちゃんとわかってんの!?」
それはそれで怒られるらしい。
「結局ダメなんじゃねぇか!」
「は? 何急に? ダメってあんた自身のこと? 今さら自分のダメさ加減に気付いたとでも言いたいわけ? 相変わらずダメダメねあんた。ほんっとダメダメダメダメ」
「ダメダメうるせえよ! 全然そういうのじゃないし、ていうかそこまでダメダメじゃないし俺」
「悲しい人……現実に目を向けられないのね」
正体不明の哀れみの目を向けられる。
「余計なお世話だ!」
「で、わかったの? わからないの?」
毎度の如く、俺を罵るだけ罵ってさっさと本題に戻すという性格は今日も変わらないようだ。
口で莉奈に勝てる気がしない俺にとってはありがたかったり悔しかったりな訳だが。
「まあ……大体は理解したよ。それで今回はその霊道をどうにかするのが課題なのか?」
「そ、この銭湯の中を通ってる霊道をね」
「この中を通ってんの!?」
銭湯が心霊スポットになってんじゃん。
「別に珍しいことじゃないわよ。その辺の民家にだっていくらでも通ってるもんだし。必ずしも人に影響が無いとも言い切れないんだけどね」
「……どんな影響があるんだ?」
恐る恐る聞いてみる。
「道を外れた霊魂が部屋に留まってしまったりとか?」
「それ……なんか怖いな」
「滅多にあるもんじゃないわよ。原因としては偶然その場所、人物に惹き付けられる要因があった場合とか、霊道に切れ目が出来てしまった場合とかね。今回は後者、それを修正するのが課題ってわけ」
「なんか本格的な感じだな」
昨日から始まった未知なる世界での体験は信じられない様なものを目の当たりにし、知り得ないものを知り、聞いたことも無い言葉を聞く、そんな驚きばかりだ。
だが莉奈はお構いなしに懐から何やらお札の様なものを取り出した。
「これがその霊道を修復する呪符よ。これをこの印の位置に貼ることで修復されるってわけ」
そう言って莉奈は再び地図を見せた後、歪な文字の様な記号の様な物が書かれているお札を指さして言う。
「こっちが上に来るように貼らないと意味無いから。わかった?」
「いつも面倒くさがってまともに説明しないのに今回は丁寧に説明してくれるんだな」
俺が言うと、
「説明を省いてあんたがミスして二度手間になる方が面倒くさいもん。あんた馬鹿だし」
なにやらよく分からないことを口にした。
「俺が何をミスするんだ?」
「霊道の修復に決まってんでしょ」
「…………誰が?」
「アンタが」
「…………何を?」
「霊道の修復を」
「………………誰がいだだだだだ」
「付いてるだけで聞こえもしない耳ならいっそ取ってしまえばいいんだわ」
「ちょ、待て待て。理解したから耳を離して下さい!」
そこでようやく耳の痛みが引いた。そして、
「今回も俺が行くの?」
「当然じゃない」
とんでもない事を言い放った。
完全に「なにを今さら?」的な言い方だ。いやもう全然、全く、びっくりするぐらい当然じゃねーよ。
「……何で俺が?」
無駄だと思いつつも当然の疑問をぶつけてみると、
「私……極力自分ちの風呂以外は受け付けないのよね。なんか落ち着かないっていうか安まらないっていうか」
そんなことをさも深刻な話の様に言う。
「アホかお前! 入浴を楽しみに来たんじゃねーだろ!」
「どのみち中に入らなきゃいけないじゃない、そんな用意してないもん。ごちゃごちゃ言ってないでさっさと行きなさいよ、しもべ!」
「だってこれ片方女湯だぞ? 俺が入れるわけないだろ」
「心配しなくても客には見えないでしょ、こいつも居るんだし」
莉奈は後ろで傍観していた変な兄ちゃんを指さす。
兄ちゃんは「指差すんじゃねぇよ」と一言いったものの、俺と莉奈の口論には我関せずを貫いている。
「だからってそんな変態みたいな真似出来るか! 大体幽霊だからって許されんのかよ」
俺も兄ちゃんの方を見て聞く。
「こういった場合には特に問題はねぇよ。不必要にやりゃ問題はあるんだろうがな」
「あんた……抵抗とかないのか?」
「今さら生きた人間に興奮してどうすんだって話だ」
「ほら、わかったらさっさと行け」
莉奈はそう言うとお札を俺に押しつけた。
「それはあんたが持ってたって人の目には見えないから安心しなさい」
これで問題は解決ね、と言わんばかりに莉奈が言うが誓って俺が心配しているのはそんなことではない。
だが俺を除く二人は話し合いは終わりだと判断したようで、兄ちゃんはすでに入り口の方へと向かって行ってしまった。
「もうどうなっても知らないからな!」
俺は捨て吐いて後を追うしかないのだった。
まず、女湯云々の前に金を払わずに中に入ったことにすでに罪悪感を感じながら銭湯の中へと入った。
莉奈の言う幽霊だから、なんて理屈にそう簡単に順応できるはずもなく、とりあえずは女湯の方を後回しにしてもう一方から取りかかることにした俺達。
場所はボイラー室だ。
他の人に俺の姿は見えないとはいえ変な兄ちゃんとは違って壁をすり抜けたりは出来ない俺がボイラー室に入るにはドアを開け閉めする必要があるわけで、周囲に人が居ないタイミングでそれをこなすのも一苦労だった。
そればかりは兄ちゃんも協力してくれたが気分は隠密の忍者といったところか。
「これをここに貼ればいいんだな。こっちを上にしてと……これでオッケーだよな?」
俺は印の書いてあった場所に持っているお札を慎重に貼り付けると確認する。
というかどういう原理で貼り付いてるんだこれ?
「ああ、もう一方が済めば完了だな」
「……もう一方か」
考えただけで憂鬱になる俺。
「いつまで引きずってんだ小僧。男なら割り切ってやってみせろ」
「わかってるよ……やるしかないんだから」
言って俺は渋々向かう決意をする。
どうにか重い足取りで目的地に到着。
目に映る物それは裸、裸、裸……。
銭湯なのだから当然といえば当然の光景。勿論それが女性のものであることを除けばの話だが……。
六時を過ぎたぐらいの早い時間とはいえそこそこの客はいるようで、その客層も年寄りばかりだと思っていた俺の想像とは違って若い人もそこそこいる。
だからこそ余計に恥ずかしいんだけど。
当初空いている方の手で目を覆いながら入ってきた俺だったが、
「間違って何かにぶつかりでもしたらどうなるかわかってんだろうな」
なんて言われてそれも封じられてしまった。
見えていないと思っていても相当な罪悪感を抱え、目のやり場に困り、赤面するのを感じながらやっとのことで作業を終える。
人が居ないのを見計らっている時間や女湯の入り口で躊躇っている時間も含めて三十分はたっただろうか、俺はようやく銭湯を出て莉奈の元に帰り着いた。
あくびなんてしながら相変わらず暇そうに立っている莉奈。そしてその第一声は労いの言葉であるはずもなく、
「遅い!」
そんなどこかで聞いたフレーズだった。
「そんなに時間が掛かる作業でもないでしょ、ノロマ共」
「こいつが中々腹を括らねぇんだからしょうがねぇだろ」
俺には何の責任も無いと言わんばかりに変な兄ちゃんが言う。
……この兄ちゃん実はあんまりいい人じゃないのかもしれない。
「ちょっと時間は掛かったけど俺だって頑張ったと思うぞ? モラルや良心と葛藤しながらさ」
「なにがモラルよ、ヘタレ!」
……今に見てろよこの野郎。
「なんにせよこれで二つ目の課題はクリアだ。次はどうする」
「今日はもう疲れたから明日にするわ」
「お前なんにもしてねーじゃん!?」
「なんか言った?」
「……言ってません」
「じゃ、また明日同じ時間に」
莉奈がそう言うと同時に変な兄ちゃんはフッと消えてしまった。
しもべってのは大変なんだなあ……、空を見上げてしみじみと考える。
視線を下ろした頃には莉奈の姿はどこにも見当たらなかった。
○
莉奈と出逢って二日目の夜。
部屋に戻ると莉奈は自炊し、それが終わるとバスルームに消えていく。
いつのまにか食後の片付けが俺の仕事になっていることを除いては昨日と同じ様な生活リズムだ。
「俺は家政婦じゃないっての」
泡と、そして同時にカチャカチャという音を立てながらぼやく。
昼間の分の洗い物も加わっているためそこそこの量だ。
そんな愚痴も莉奈が居ないところでしか言えないあたりが救いようがない。
さらには上がってきた莉奈の「雑、やり直し」という一言で振り出しに戻り、仕方なく洗い直し始めた矢先に一足早く就寝体勢に入った莉奈に「うるさい」と言われた時、思わず涙が出そうになったのは目に泡が入ったせいだと信じたい。