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缶コーヒーで乾杯!

作者: 夏乃市

「コーヒーの缶詰ね?」

美弥子みやこ、それ冗談だよね?」

「あら、何か間違いまして?」

 確かに、美弥子の言うことは間違ってはいない。私たちの目の前に並べられたそれ──並べたのは私なのだけど──それは、間違いなくコーヒーの缶詰だ。

 でも──

「ねえ、美弥子。普通はこれ、缶コーヒーって呼ぶのよ」



 盛夏。

 窓の外に広がる広大な月美乃家の敷地には、ここが都心であることを忘れてしまう程に緑が多い。時折渡る風が起こす葉ずれに、微かなせせらぎが混じる。庭のどこかに小川が流れているのだろう。気温だって、きっと街中より何度か低いに違いない。

「で、この缶コーヒーはどうしたの?」

 美弥子の言葉に、私は視線を室内に戻した。ここは月美乃つきみの家の応接間で、目の前では親友の月美乃美弥子が缶コーヒーの山を物珍しげに眺めている。

「男ってさ、缶コーヒー好きだよね」

「?」

 美弥子は私の言葉にちょっと首を傾げてから、僅かに眉をひそめた。

「隼人さんとなにかありまして?」

「まあね……」

 隼人というのは私の彼氏のことだ。もちろん、私は今日、彼のことを愚痴るためにここに来ているのだ。

「昨日の土曜日さ、ふたりで遊園地に遊びに行ったの。で、喉が渇いたから喫茶店に入ろうって私が言ったら、隼人の奴、缶コーヒーでいいじゃん、て言うのよ」

「あら」

「ひどいと思わない?」

「それはひどいわね」

「お金がなかったわけでも、店が混んでたわけでもないのよ。なのに、缶コーヒーってなに? せっかくのデートなのよ? 彼女と缶コーヒー飲んで何が楽しいわけ?」

「で、その後はどうしたの?」

「置いて帰って来ちゃった」

「あらまあ」

「しっかり反省するまで許してやらないんだ」

「そう。ふーん……」

「……な、なに?」

 美弥子の視線が、ちょっと意地悪な色を帯びた。

「でも、理紅りくちゃんにも思うところはあったのよね?」

「な、何のこと?」

「だって、こんなに缶コーヒー買ってきて」

「う……」

「喧嘩が終わったら、缶コーヒーの話をしてみようと思っているんでしょ?」

 見破られている。いや、わからない方がどうかしているか。

「さっきも言ったけど、男って缶コーヒーが好きよね。どうしてそんなに好きなのか気になってさ。来る途中に買い込んでみたのよ」

「理紅ちゃんは缶コーヒー飲んだことないの?」

「ほとんど飲まないわ。美弥子だって飲んだことないでしょ?」

「私は缶入り飲料自体、めったに飲まないもの」

 さすが月美乃財閥のご令嬢だ。徹底している。

「ねえ、今日はふたりで缶コーヒーにチャレンジしてみない?」

「あら。なんだか面白そうね」

 こうして、真夏の缶コーヒー試飲会が始まった。



「ひと口に缶コーヒーといっても、色々な種類があるのね?」

 私たちはキッチンの一角に陣取っていた。美弥子が色とりどりの缶を矯めつ眇めつしている。

「〝コーヒー〟と書いてあるものと〝コーヒー飲料〟と書いてあるものがあるけれど、いったい何が違うのかしら」

「入っているコーヒーの量が違うんですよ、お嬢さま」

「!」

 突然割って入った声の主は家政婦の好恵よしえさんだった。私が遊びに来るといつもお茶を出してくれる人だ。

「それは『コーヒー飲料等の表示に関する公正競争規約及び規則』という規約による表示です。乳固形分が3%以上だと〝乳飲料〟で、それ未満だと〝コーヒー飲料〟になります。さらにその中で、100グラム中にコーヒー豆から抽出した成分が5グラム以上含まれたものを〝コーヒー〟としているんです」

「へえ、好恵さん物知り。じゃあ、この〝高温焙煎〟とか〝ダブルドリップ〟とかってあるのは?」と私。

「それは製法です。コーヒー豆からどうやってコーヒーを抽出したかを記してあるんです」

「なんだか青い缶が多いような気がするのはなぜかしら」

 美弥子が首を傾げる。

「諸説ありますが、主な購買層が男性だからでしょう。殿方は青い色がお好きですからね」

「うわ、でも黄色いのもあるよ。しかも練乳入り?」

「理紅お嬢さま、それはバカにしたものではありませんよ。千葉と埼玉の人はその缶コーヒーなしには生きて……」

 しばらく缶コーヒーについてのうんちくが続いた後、好恵さんははたと気付いたように私たちをみた。

「ところでお嬢さまがた、こんなにたくさんの缶コーヒーをどうなさるおつもりですか?」



 結局、好恵さんも巻き込んでの試飲会となってしまった。

 好恵さんが「直接缶に口を付けるなんてとんでもない」と言い張ったので、缶コーヒーはグラスについで飲んでみることになった。

「甘いわ」

「甘いね」

「缶コーヒーなんてこんなものです」

 ひと口で三人とも手が止まった。あまり美味しくない。

「ぬるくなっちゃったのがいけなかったかな?」

「そうね。温めてみたらどうかしら。好恵さんお願いできる?」

 好恵さんは、私たちの希望通り缶コーヒーを温めてくれて、さらにはコーヒーカップにまで入れてくれた。

「……」

「……」

 やっぱり美味しくない。甘ったるいだけだ。

 ブラックと書かれた缶コーヒーも試してみたけれど、今度は薄くて飲めたものではなかった。

「おかしいなあ、冬は温めて売っているのになあ」

「今は夏だし、冷やした方が美味しいのかもしれないわね」

「じゃ、今度は氷を入れてみる?」

 氷をいれた缶コーヒーは、温めたものよりはましな気がした。でも──

「わからないわ。なんで男どもはこんなものが好きなのよ」

「あら、そういう趣旨だったんですね」と好恵さんがなにやら得心した顔をする。「別に殿方だってそんなに美味しいと思って飲んじゃいないんですよ」

「どういうこと?」

 身を乗り出した私に、好恵さんが諭すような口調で言った。

「いいですか? 殿方が缶コーヒーに求めているのは、カフェインと糖分です。いわば気付け薬みたいなものなんですよ」

「「ええ──」」

 私と美弥子の声が重なる。

「でも、私とのデート中に気付け薬って……」

「深い意味はないのでしょう。殿方は保守的ですから。いつも同じ事をしようとするでしょう?」

「た、たしかに……」

「休憩イコール缶コーヒーが癖になっているんですよ。きっとそれだけです」

「……」

 でもそれって、私とのデート中に、あんまり私に気を遣ってくれていない、ってことにならない?

 好恵さんが、「わかりましたか?」って顔で私を見ている。でも、あんまり慰められた気がしない。さらに言えば、隼人を許してやる気にもならない。

「理紅ちゃん、缶コーヒーまだまだあるわ。もっと飲んでみる?」

「もう飽きた。でも、置いていっても困るよね? 美弥子」

「そうねえ……」

 と、好恵さんがぽんと手を打った。

「なら、ちょっとアレンジしてみましょうか?」

「アレンジ?」

「やすいお酒もお料理に使えば美味しくいただけます。それと同じですよ」



「まずは、中途半端に甘い缶コーヒーをトコトン甘くしてみましょうか」

 そう言って好恵さんが手にしたのは蜂蜜だった。

「美弥子お嬢さま、ミルクを温めていただいてよろしいですか?」

「いいわ」

「私は何をすれば?」

「理紅お嬢さまは缶コーヒーを温めて下さい。そこのミルクパンを使って。あ、お砂糖が入っているので焦がさないように気を付けて下さいね」

 私と美弥子はならんでコンロの前に立った。月美乃家はキッチンも立派だ。

「どんなものができるのかしら。楽しみね」

 ふふふ、と美弥子が笑う。まるでおままごとをしている小学生みたいに目がきらきらと輝いている。

「あ、美弥子お嬢さま。ミルクが温まったら泡立てておいて下さい」

「はーい」

 私たちの作業が終わる頃には、好恵さんは持ち手のついたグラスを三つ用意していた。その底には、蜂蜜と、何かお酒のようなものが入っている。

「これなんですか? お酒?」

「チェリーブランデーです。良い香りでしょ? さ、コーヒーをここに注いで下さい。グラスの四分の三くらいまで」

 さらにその上から、美弥子の泡立てた牛乳がゆっくりと注がれる。

「わあ!」と美弥子が手を叩いて歓声を上げた。

「〝メキシコ風ハニーコーヒー〟の完成です」

 グラスの中は、蜂蜜とブランデーの琥珀色、コーヒーの薄茶色、牛乳の白、とくっきり層になっている。なんだか混ぜるのがもったいなくなってしまう程綺麗だ。

「ささ、温かいうちにどうぞ」

 好恵さんに促されてグラスを手に取る。マドラーでかき回すと、ふわっとブランデーの香りが鼻をくすぐった。口に含むと、蜂蜜の甘さが優しく広がる。

「美味しいわ! これが本当にさっきの缶コーヒーなの?」

 美弥子の驚きももっともだ。

「もう缶コーヒーとは呼べないね。これは」

「本当ね」

「さて、お嬢さまがたはお部屋でおくつろぎ下さい。あとでまた冷たいものをお持ちします。あまり立て続けだとおなかを壊してしまいますから」

「それにも缶コーヒーを使うの?」

「もちろんです。おまかせ下さい!」

 好恵さんの腕まくりはなんとも頼もしい限りだった。



「理紅ちゃん、今週提出のレポートでき上がった?」

「まだ半分くらい。ここで少しやってもいいかな?」

「もちろんよ。私もまだ完成していないもの」

 水曜日が提出期限のこのレポートは、本当なら隼人と一緒にやろうと思っていたものだ。今はレポートを書くような気分ではないのだけれど──彼氏と喧嘩したからできませんでした、では教授は許してくれない。美弥子と一緒なら無理矢理にでも進められる。と、思ったのだけれど──

 レポート用紙と教科書をひろげてはや一時間。私のレポートは一向に進んでいない。

「ねえ、美弥子はさっきの話どう思う?」

「カフェインと糖分の話?」

「うん」

「まあ、一理あるんじゃない? 疲れたときにカフェインと糖分が効くのは本当だもの」

「でもっ……」

「隼人さん、遊園地とかあまり得意じゃないでしょ? ちょっと疲れてたんじゃない?」

「そんなことないよ。それじゃあまるで、私が疲れさせたみたいじゃない」

「そうかしら?」

「そうだよ」

「でも疲れたからじゃないとすると、何で缶コーヒーにしようなんて言ったのかしらね?」

「それはきっと……本当に缶コーヒーが美味しいと思っているのよ。あいつ、結構味覚が子供だから」

「……」

「いや、こうも考えられるわ。缶コーヒーで一休みっていうのは隼人のお気に入りの日常なのよ。だから、そこに私を参加させたかったの。私も彼のお気に入りの一部に……」

 ふと気が付くと、美弥子がにやにやして私を見つめていた。

「理紅ちゃん。さっきと言っていることが正反対よ」

「……はめたわね、美弥子」

「さあ、何のことかしら?」

「……」

 美弥子の笑顔が小憎らしい。なんだか──なんだか、もうどうでも良くなってきてしまった。たかが缶コーヒーでこんなに悩むなんてどうかしている。

 そう──あのときは、私も隼人も疲れていた、というのがきっと正解。

 混んだ土曜日の遊園地。たくさん並んで、たくさん遊んで、楽しかったけれど疲れていた。私は喫茶店でゆっくりしたいと思って、隼人は缶コーヒーで手早く一服したいと思った。お互いが相手の提案を検討する余裕をなくしていたんだと思う。

「あーあ、だめだ。明日明後日で何とかするわ」

 私はレポート用紙の上にシャープペンを放り出した。

「隼人さんを当てにしているんでしょ?」

 図星。仲直りの算段はこれからだけど。

「じゃあ、私もここまでにするわ。そろそろ好恵さんがおやつを持ってきてくれる頃合いよ」

 まるで計ったように、部屋のドアをノックする音が響いた。



「三種類つくってみました。どれでもお好きなものをどうぞ」

 好恵さんが運んできたトレーには、グラスが三つ載っていた。そうと言われなければ、缶コーヒーを使ったとは思えない三品だ。

「わあ、すごい。三つともいただいてみたいわ」

 美弥子の言葉には私も大賛成だ。結局、それぞれを三人で少しづつ分けて飲んでみることにした。

「まずは〝コーヒースムージー〟です。急速冷凍した缶コーヒーを牛乳と一緒にミキサーにかけました。コーヒーは特別甘そうなのを使いましたけど……いかがですか?」

「冷たくて美味しい。シェイクみたい」

 私の感想に美弥子が首を傾げた。きっとシェイクを飲んだことがないのだろう。

 ひんやりと冷たくて、シャリシャリとして、それでいてふわっとして、暑い夏の午後にはこれ以上ないくらいに嬉しい食感だ。牛乳のお陰で缶コーヒーの甘みも苦にならない。これは、こんど自宅でも作ってみよう。

「続いては〝コールド・モカ・ジャバ〟です」

「あら、このゼリーも缶コーヒーで作ったの?」

「残念ながら時間がありませんでしたので、出来合のものを使いました」

「コーヒーゼリーが常備してあるのがすごいわ」

〝コールド・モカ・ジャバ〟は、コーヒーゼリーの入ったアイスコーヒーで、生クリームのホイップがトッピングされている。さらにその上には、チョコレートシロップとアーモンドの薄切りがアレンジしてあって、気分はほとんどチョコレートパフェ。とっても美味しそうだ。

「作り方は、まずゼリーを入れて、それからミルクを入れます。そこにゆっくり缶コーヒーを注いで、あとは生クリームを飾って完成です」

「好恵さん簡単に言うけど……これってもうお店に出せるレベルじゃない?」

「理紅お嬢さまはお上手ですね」

 好恵さんがコロコロと笑った。

「ねえ、最後のこれは……パイナップル?」

「正解です、美弥子お嬢さま。これは〝パイナップル・カフェ〟です」

 三つ目はいままでで一番の変わり種だ。なんとアイスコーヒーの中にパイナップルがたくさん入っている。

「こちらには甘みのないブラックの缶コーヒーを使いました。パイナップルを適当な大きさに切って、そこにコーヒーを注ぎます。ちょこっとカカオのお酒を垂らして、ミントを浮かべたら完成です」

 美弥子が恐る恐るフォークを手にする。そして──

「あら、美味しい!」

「本当?」

「本当よ。理紅ちゃんも食べてみて」

「……あれ、本当に美味しい」

 意外にも、パイナップルの甘みと酸味がコーヒーに合う。パイナップルの見目は南の島を連想させる。なんだかハイビスカスを飾りたくなってしまう。これも夏にはうってつけのデザートだ。

「パイナップルの酸味が少し和らぐんだね」

「カカオのお酒? これが良い香りだわ」

「クレーム・ド・カカオです」

 私たちは、大騒ぎしながら三つのアレンジコーヒーを楽しんだ。どれも缶コーヒーを使っていることを忘れてしまう程美味しかった。

 なんというか──缶コーヒーもなかなかやるではないか。

「ちょっと見直した」

「缶コーヒーを?」

「うん。だから、隼人を許してあげることにする」

「そこって繋がるの?」

「繋がる」

 缶コーヒーを見くびっていた。でも見直した。だから昨日のことは許してあげる。だから──仲直りしよう。

 うん。これかな。

 あとでメールをしよう。

 きっと隼人も機会を伺っているはずだ。だから間違いなく乗ってくるだろう。

 ゴメンナサイは──私から先に言っても良いけど、きっと隼人が先に言ってくる。後からになっちゃっても、私もちゃんと言おう。

 そして、

 ちゃんと仲直りしたら──

 ……うん。


 缶コーヒーで乾杯かな!



《缶コーヒーで乾杯 了》



参考文献・ホームページ


『LightningVol.35コーヒースタイルブック』枻出版 2007

『男は、なぜ缶コーヒーが好きなのか?』姫野友美 経済界 2009

『ネスカフェ』ブランドサイト http://jp.nescafe.com/

初出:同人誌「エー文芸第六号」

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