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ただの高校生だった俺は、異世界召喚で空間を斬る最強になったのに、帰ってみたら幼馴染が王家の姫になっていた  作者: NOVENG MUSiQ


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第8話:置いていかれた夜

 愛斗の温もりが、指の隙間からすり抜けていった。


 緑の光の中で彼の輪郭が歪み、砂糖細工みたいに音もなく溶けていく。最後に残ったのは、私の指を握っていた手の感触だけだった。けれど、その感触ですら次の瞬間には、最初から存在しなかったみたいに消えてしまった。


 残されたのは、朽ちかけた社と、底の見えない井戸の口だけだった。


 瑠香「…………」


 声が出ない。名前を呼ぼうとした喉が、砂でも詰まったみたいに痛む。


 私はその場に立ち尽くしていた。足が動かない。目も逸らせない。まるで地面に根を張られたみたいに、一歩も動けなかった。愛斗が立っていたはずの場所にだけ、枯れ葉が不自然に散らばっている。


 祭りの喧騒が、急に遠い国の出来事みたいに聞こえ始めた。


 屋台の明かりも、人の笑い声も、吹奏楽の音も、全部が薄い膜の向こう側にある。たこ焼きの匂いも、甘ったるいアイスの香りも、もう自分とは関係のない世界のものみたいだった。


 胸の真ん中に、ぽっかり穴が開いたような感覚だけが残る。


 誰かに言っても、信じてもらえない。


 その予感は、思っていたよりずっと早く、ずっと残酷な形で証明された。


 駆け寄ってきた友達は、最初こそ心配そうな顔をしていた。けれど私の言葉が断片的で、しかも誰も見ていない光景ばかりを語っていると分かるにつれて、その表情はだんだん変わっていった。


 困惑。気づかい。呆れ。最後には、触れてはいけないものを見るような目。


 瑠香「本当に見たの! 緑の光に包まれて、愛斗が……愛斗が井戸の中に――」


 友人A「瑠香、ちょっと落ち着いて。祭りで疲れたんじゃない? それか、愛斗がどっか行っただけでしょ」


 友人B「そうだよ。あいつ、たまに急にふらっといなくなるじゃん。いたずらとかじゃないの?」


 いたずら。


 その一言で、胸の中の何かが音を立ててひび割れた。


 友人A「顔真っ青だよ。とりあえず座ろ? 水買ってくるから」


 違う。そうじゃない。疲れてなんかいない。見間違いでもない。今ここで、愛斗は消えたのだ。


 なのに、誰も信じない。


 私が見た光景は、まるで最初から私の頭の中にしかなかったものみたいに扱われていく。さっきまで確かにそこにいた愛斗という存在そのものが、少しずつ世界から薄れていくようで、足元が冷えていった。


 私は何も言えなくなって、立ち去っていく友達の背中をただ見送った。


 助けを求める言葉が、喉の奥で粘ついて出てこない。


 どれくらいそうしていただろう。


 足元には、愛斗がいたはずの地面だけがある。祭りの音はまだ遠くで鳴っているのに、それはまるで水の底から聞くみたいにこもっていて、自分のいる世界とはもう繋がっていないように思えた。


 どうして私は、あのとき動けなかったんだろう。


 どうして、あの光の中へ飛び込まなかったんだろう。


 愛斗を呼んだのは私だ。待っていると連絡したのも私だ。なのに、結局は自分があいつを置き去りにした。


 その事実が、細い棘みたいに胸へ刺さったまま抜けない。


 ふと、スマホに送ったメッセージを思い出す。


『着いたよ! 中央広場の大きな噴水のところにいるから、来たら連絡して!』


 さっきまで何の気なしに送ったその言葉が、今は罠みたいに見えた。


 もし、もっと早くここへ来ていたら。もし、あのメッセージを送っていなかったら。


 私はスマホを取り出し、震える指で愛斗の番号を呼び出した。意味がないと分かっていても、そうせずにはいられなかった。けれど画面に表示されたのは、『圏外』の文字だけだった。


 電波の届かない場所。


 ここは、世界の縁だったのかもしれない。


 探す。


 その言葉が、胸の奥で火みたいに燃え上がった。


 立ち尽くすのは終わりだ。誰かの気づかいに縋るのも終わりだ。自分の目で、自分の足で、愛斗が消えた先を追う。どんなに馬鹿げていても、どんなに信じてもらえなくても、もうそれしかなかった。


 私は踵を返し、百年祭の灯りを背にして走り出した。


 向かう先は、裏山の社跡。愛斗が消えた、あの場所だ。


 枯れ葉を蹴る音がやけに大きく響く。森の暗がりは不気味だったが、怖いとか怖くないとか、そういう感覚はもうどこかへ置いてきてしまっていた。


 社跡の前で立ち止まり、私はもう一度スマホを見た。画面にはまだ『圏外』の表示がある。通話履歴を開けば、最後に愛斗へかけた記録だけが残っていた。


 これが、あいつがこの世界にいた最後の証拠みたいだった。


 私は一度、山を下りた。祭りの喧騒へ近づくほど、胸の内側だけが冷えていく。


 中央広場の噴水は、まだ色とりどりの水を吹き上げていた。けれど、その光景はもう目に入っても何も綺麗じゃない。愛斗を待っていた場所なのに、そこにはもう彼の姿も気配もない。


 私はしばらく噴水の前で立ち尽くしたあと、駅へ向かった。


 ホームに上がると、ちょうど電車が発車していくところだった。発着案内の電光板が、無機質な光を投げている。もし愛斗が一人で帰ったのなら、ここを通ったはずだ。けれど、どこにもいない。


 当たり前だ。


 だって、帰ったんじゃない。消えたのだから。

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