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『余白の書は運命を補足する』  作者: さざなみ
第1章 禁書の拾得
1/6

第1話:余白の書

初投稿です。読んでくださってありがとうございます。

感想などいただけると励みになります。

白だった。


光でも、霧でもない。

ただひたすらに、紙の白さに近い。


その何もない『余白』に、音だけが落ちてくる。

風が擦れる音。どこかで石が転がる音。誰かの息が、渇いた喉を通る音。


(……俺、死んだんだよな)


終電。ホーム。白線。

目に焼き付いたヘッドライトの眩暈と、浮遊感。


肝心な過程だけが霧のように薄いのに、結論だけはインクで書かれたように固い。


(俺は、自殺した)


そういうことにした。そういう形で終わらせた。

理由を掘り返そうとすると、胸の奥がざらつく。吐き気に似た拒絶が湧く。


だから、触れない。


思考が閉じたその時――白が、ぺらりとめくられた。


視界に黒い文字が羅列される。

古びたフォント。読めないはずの言語。


なのに、意味だけが脳髄に直接流し込まれてくる。

目で追うよりも早く、知識として定着する。


まるで、誰かに無理やり「読まされている」みたいに。


【――世界定義をロード中】


紙面の端、脚注の位置に、短い断片が刻まれていた。


『余白の書は運命を補足する』

『世界は、その注釈を矛盾なく成立させる』

『ただし、補足には相応の代償を要する』


(……なんだ、それ)


安っぽいファンタジー小説の冒頭か。

けれど、胸の奥が「冗談ではない」と警鐘を鳴らしている。


これは設定ではない。ここでは、逃れられない**規則ルール**だ。


意味が染み渡ったところで、文字が遠のいた。


誰かが、紙を撫でた感覚がする。

表紙をなぞる指先の圧。微かな熱。


俺に「皮膚」はないはずなのに、触れられていることだけが鮮明に分かる。


「……あった」


少女の声だ。

ひどく息が切れている。


次の瞬間、白い世界が剥がれ落ちて――色彩が戻った。


暗い石の天井。崩れ落ちた本棚。

舞い上がる埃、割れたガラスの破片。


廃れた図書館特有の、カビとインクの匂いが喉に絡みつく。


俺は、誰かの腕の中にいた。

抱えられている。


背表紙の硬さ。ページが重なり合う重み。角の擦れ。

視界が揺れるたびに、俺自身の身体ページがサラサラと鳴る。


(……俺、本になってるのか?)


理解した途端、現実味が質量を伴った。

自分が“有機物”ではなく“物体”として扱われている感覚。


なにより、少女の腕が俺を抱え込む必死さが、それを決定づけていた。


少女は棚の陰から身を滑らせる。

足音を殺した、滑らかな挙動。逃げ慣れている動きだ。


遠くで、金属が擦れる音が響く。

ガチャ、ガチャ。鎧の音。複数の足音。


「――いたら出てこい」


男の声。温度のない、処刑人の響き。


少女の身体が硬直する。息を呑む音が、俺の表紙越しに振動として伝わる。

頬を伝う汗が俺の装丁に落ちた。熱い。


彼女は怯えている。だが、俺を放さない。

放した瞬間にすべてが終わると知っている手つきで、強く抱きしめている。


(……俺は、何扱いなんだ?)


ただの古本なら、ここまで怯える必要はない。

ただの盗っ人なら、ここまで命を賭けたりしない。


少女は廊下へ飛び出そうとして――ぴたりと凍りついた。

影が、動いたからだ。


闇の奥からぬるりと現れたのは、犬に似た獣だった。

眼球が黄色く濁っている。牙が長い。


人間を捕食対象として認識している距離だ。


少女は息を詰め、じりっと足を引く。

後ろは壁。通路は狭い。逃げ場はない。


彼女は震える手で、床に落ちていた棒切れを掴んだ。

頼りない、腐りかけた木の棒。先端は丸く、武器になどなり得ない。


獣が喉を鳴らし、地面を蹴った。


(間に合わない――!)


殺される。そう直感した瞬間。

俺の内側で、さっきの“余白”がひらいた。


世界の裏側。運命の本文の外側。

誰も見ないはずの空白に、小さな枠が浮かび上がる。


【注釈欄:未記入】


(……これは、さっきの)


――余白は本文を補足し、矛盾なく成立させる。

白い場所で流れ込んだ規則が、遅れて輪郭を持つ。


思考するより早く、獣が飛びかかってくる。

少女が絶望的な顔で棒を突き出す。届かない。速さが足りない。


衝突の直前――俺の意思が、余白に記述した。


『※ただし、その切っ先は鋼鉄より鋭い』


世界が、きしんだ音がした。


少女の手の中で、棒切れが変質する。

腐った木のざらつきが消え、表面が黒鉄色に硬化する。


丸かった先端が、最初からそうであったかのように、冷ややかな鋭角へと研ぎ澄まされる。


少女の目が驚愕に見開かれる。


「……え?」


反射で突き出された“槍”が、獣の肩口に吸い込まれた。

ズブ、と肉を裂く音。


鋭利な切っ先は筋肉も骨も貫通し、獣を縫い止める。


獣が悲鳴を上げて暴れるが、少女は手を放さない。体重をかけて押し込む。

叫び声を上げれば追手に見つかる。彼女はその恐怖だけで口を噤み、命を絶った。


獣が最後に一度痙攣して、動かなくなった。


しばらく、音が消えた。


少女は血濡れた棒を放り出し、その場にへたり込む。

肩が激しく上下し、顔色は紙のように白い。


けれどその瞳だけが、異様な光を帯びて俺を見ている。


「……助かった……?」


俺の内側で、光っていた注釈欄が、何事もなかったかのように閉じかける。


――直後、“抜ける”感覚が来た。


痛みではない。破壊でもない。

ただ、俺を構成する「何か」が、指の隙間から零れ落ちるように消えていく。


(……今、記憶なにかが……減った)


何を失ったのか、言葉にできない。

思い出そうとして、その「思い出そうとした対象」自体が消滅していることに気づく。


さっき読まされた『代償』という二文字が、背表紙に冷たく貼り付く。


(これが……代償? だったら、俺は)


腕の中の少女を見る。

彼女はまだ震えている。けれど、俺を手放そうとはしない。


命の危険を冒してでも、彼女が守ろうとしている“本”。


(俺は、ただの本じゃないのか)


注釈欄の余白。補足。代償。

点と点が、繋がりかける。


遠くで、鎧の足音が近づく。見回りだ。


少女は弾かれたように立ち上がる。


「……ここにいたら、終わる」


彼女は俺を抱え直し、走り出した。

廃墟の通路を迷いなく進む。抜け道を知り尽くした、「路地裏のネズミ」の動きだ。


(この子……何者だ)


少女は走りながら、俺の表紙をちらりと見た。

怯えている。疑っている。


けれど、そこには縋るような色が混ざっていた。


「……ねえ」


小声。独り言のように、彼女は呟く。


「あなた、本だよね」


当然だろ、と言いたい。だが、俺には口がない。


少女は小さく笑った。笑いというより、恐怖で震える頬を引きつらせただけだ。


「……私、文字、読めるの。本当は言っちゃだめなんだけど」


(読めるのを隠してる……?)


「でも、あなたのは……読むとかじゃない。勝手に入ってくる」


彼女は言葉を切った。


外へ抜ける崩れた壁が見え、冷たい夜気が流れ込んでくる。

外は暗い。遠くに街の灯り。


見慣れない石造りの塔と、監視者の影。

俺の知らない世界だと、肌が理解する。


その時、背後の闇で男の声が反響した。


「ミラを見つけろ! 『禁書』を持っている!」


次いで、別の怒号が重なる。


「探せ! 禁書を持ち出したガキだ、殺しても構わん!」


――禁書。


その単語が落ちた瞬間、胸の奥の断片が、ひとつの形に嵌まった。


白い場所で刻まれた規則。

余白。補足。代償。


そして今、俺を抱えて走る少女、ミラ。


(……禁書って、俺のことか)


ミラの肩がびくりと跳ねる。

彼女は答えない。ただ走る。


闇に紛れるように、夜の貧民街へ身を投じる。


俺の内側で、注釈欄が静かに閉じている。


開けば、助かるかもしれない。

開けば、また何かが減る。


何が消えていくのか、まだ分からない。

分からないのに、これからも必ず必要になる予感だけは、確信としてそこにあった。


ミラは壁際を伝い、暗がりへ滑り込む。


「……外れに隠れ家がある。そこまで行ければ……」


言いかけて、飲み込む。

希望を口にすると運命に裏切られる、と知っている顔だった。


俺は答えられない。

けれど、彼女の手の温度だけは、分厚い表紙越しに伝わっていた。


怖いのに、握る力が痛いほどに強い。


注釈欄はまだ、白いままだ。


――書くか。書かないか。

その選択の物語が、もう始まっていた。

読んでいただきありがとうございました。

次話ではミラが逃げる理由や、禁書の性質が少し見えてきます。

感想・誤字報告などいただけると嬉しいです。

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