序章:|遺《のこ》された|蔵《くら》」
明治大学考古学研究室・秋学期初日
櫛名田慎一(21)は、教授から呼び出された。机の上には、一年前に亡くなった祖父・幽学の名前が記された古い封筒が置かれていた。
「君の祖父さんは、生前、大学にこれを預けていたんだ」
慎一が開封すると、中から一枚の料紙が現れた。縦書きの毛筆でこう記されていた。
「慎一へ
余が死んだ後、必ず旧宅の書斎、東南の角の畳を上げよ。
そこに『幽界蔵』への入口あり。
中にあるものは、すべて汝のもの。
ただし、読む前に心せよ――
知識は時に刃となり、見るべきでないものを見せる。
すべてを読み終えたとき、汝はもはや平穏な日常へは戻れぬ。
――櫛名田幽学」
教授は複雑な表情で言った。
「幽学先生は…我々の学界では少々異端視されていた。民俗学と考古学の境界を、時に越えすぎると言われてな」
島根県・旧櫛名田家住宅(一週間後)
慎一は幼少期を過ごした山あいの古い家に戻った。祖父の死後、整理が滞っていた書斎は、本と資料の山がそのままだった。
「東南の角…」
指示通りに畳を上げると、床板に小さな金属の輪が埋め込まれている。引っ張ると、畳二枚分の床板が静かに上がり、階段が現れた。
地下の小部屋――「幽界蔵」は、思ったより広かった。壁一面の本棚には、和綴じの古写本、明治期の洋装本、戦時中のノート、さらには羊皮紙のようなものまで。
そして中央の机の上には、三つのものが整然と置かれていた。
三又の勾玉:黒、白、赤の三色が渦巻く奇妙な石。紐に通され、触ると微かに温かい。
手描きの地図:「幽界巡り図」と題され、日本列島が描かれているが、通常の地図とは異なる。特定の場所(出雲、諏訪、富士山、熊野など)が赤い点で印され、それらを結ぶように金色の線が走っている。
革装の手帳:「幽学 神代観察記 最終巻」と表記。
慎一が手帳を開くと、最初のページにこうあった。
「余が生涯をかけて知り得た真実は一つ――
日本神話は、終わった物語ではない。
それは今も続く『システム』であり、我々はその中で生きている。
『清明』と『荒御』、二つの道を行く者だけが、そのシステムを感知できる。
余は両道を歩もうとしたが、齢に勝てず。
汝にすべてを託す。
まず、三つの器を探せ。
一、出雲の石(国津神の契約の証)
二、纏向の鏡(天津神の地への目)
三、富士の根(黄泉と現世を繋ぐ柱)
三つ揃う時、『独り神』への扉は開かれる」
「独り神…?」慎一はぽつりと呟いた。
その瞬間、背中が熱く疼いた。左肩から背中にかけてある、生まれつきの「逆さ龍のアザ」が、脈打つように熱くなったのである。




