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王女の罪は薔薇の下

作者: 鈴川桜雪

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 戴冠式前日。秘密の友達に語りかけるよう、少女時代から綴っていた日記帳のページに、エレノアはそう一文を書きとどめて鍵を掛ける。割れた手鏡と共に日記帳を手に持つと、本棚にある一冊の本を傾けた。

 振動と共に扉が現れたことに迷いない足取りで、エレノアは進んでいく。王家の人間しか知らされていない隠し通路を進んだ先に佇む護衛騎士の姿に、エレノアは目を瞬きさせた。


「ご機嫌よう、フィン。素敵な夜ね」


 エレノアが優雅な一礼をすれば、メイドたちが騒いでいる端正な顔が歪められる。本当はエレノアを怒鳴りつけたい気持ちを我慢しているのだろう。

 フィンは咳払いをすると、わざとらしい笑顔をひくつかせながらもエレノアに尋ねた。


「エレノア様。明日はとっても大事な日なので、部屋から出ないとお約束しましたよね?」

「そうだったかしら」


 こてんとエレノアが小首を傾げると我慢が出来なかったようで、彼は声を荒らげる。


「とぼけても駄目ですよ! エレノア様! 『ひとりになりたいの』と貴女が他のお嬢さんたちと同じように、珍しくしおらしかったので、妹とおかしいとは話していたんですよ。まさかと思い、張っていれば嫌な予感が当たるとは思いませんでした」

「人払いまでしたのに、お前たちにはお見通しだったのね」

「残念ながら、長年、俺も妹も貴女のわがままに付き合わされてきましたからね。妹は貴女の不在を誤魔化してくれています。それで、俺たちまで巻こうとして、どこに行かれるんですか?」

「……内緒」

「エレノア様?」


 表情こそ柔らかな笑みを浮かべているが、彼の咎める視線の圧力に負けて、エレノアは庭園に行くと渋々、告げる。


「お供します」


 エレノアが『ついてくるな』と命令を下しても、彼は自分の後を追うだろう。ひとつ溜息を落とすと、エレノアは首の動作でついてくるように伝える。

 白い薔薇の元へと訪れると、土を掘ろうとしたエレノアの手をフィンが留めた。


「俺がやります」

「いえ。これは私がやらなくてはいけないことだから」

「ですが、お手が」

「命令よ」

「……エレノア様はなんでも命令をすれば、俺が折れると思っていますよね?」

「あら? 違って? 私付きの貴方は命じられたときから私の物だもの」

「俺は貴女を揶揄する『氷の女王様』を訂正して周りたい気分ですよ。いつまでも貴女は『お転婆姫』のままです」

「親しい人にだけ分かって貰えればいいわ」


 掘った穴の中に日記帳と手鏡を埋めて土を被せてしまうと、エレノアは日記帳の小さな鍵をフィンに手渡す。


「なんですか、これ?」

「フィンにあげるわ」

「はい?」

「だから、大切に持っていてね」

「……かしこまりました」


 秘密を開く鍵を信用をしている彼に渡してしまえば、誰もエレノアの冒した罪には気づかないだろう。

 この日記を読むことが出来るのは、自分の子孫になるのか、王朝を研究する歴史学者になるのかは分からない。国は続いているのに、どうして女王は人類が滅んだ記述を思わせる文を書いたのか、そんな研究が後世で繰り広げられるかもしれないと考えると滑稽であり、思わず口許が綻びそうになるが、エレノアの顔はまた見る者を圧倒する〈氷の女王〉と揶揄される表情へと戻る。王家の色とされる銀色の髪と紫水晶のような瞳が他人から近寄りがたい印象を与えるらしい。

 仮に一文を読まれたところで、自分以外の人間にはなんのことかは分からないだろう。

 家庭教師から王家の人間たるもの相手に陥れられるような愚かな行為をしてはいけません、と口を酸っぱくして言われていたが、周りから冷徹だという評価を受けても、それは長年の教育の賜物だ。罪悪感もあり、自分の弱味に繋がるかもしれないとはいえ、エレノアはどこかに吐きださずにはいられなかった。

 パチパチと何かが弾ける音がして、夜空を見上げれば、眩い光の花がいくつも打ち上げられる。


「綺麗ね」

「皆、貴女がこの国を治めることを楽しみにしてるんですよ。街でも有名な店の屋台が出て、お祭り騒ぎみたいです。行きたいですか?」

「いえ、やめておくわ」

「明日は槍が降るんですかね。エレノア様がお忍びをしたくないなんて。今日も串焼きを求めて、部屋から出たのかと考えてました」

「……鏡の破片なら降らせたけれど」

「エレノア様?」

「なんでもないわ。フィン」


 新たな女王の誕生に民衆たちは湧きだっているようだが、エレノアは同じように浮きだった気持ちにはなれない。

 埋めた手鏡に映るのは、あの日以降、自分の姿だけだったが、もし、この鏡にはかつて別の世界が在ったとエレノアが口にすれば、女王を擁立することを反対している勢力に精神的におかしいと判断され、そんな自分の下に就くのはごめんだと、彼らは即位式の中止を言い出しかねない。例え、弟の繋ぎとしても君主は男性であるべきだと主張していた強硬派の人間は、自分の弱みを見つければ嬉々として、首の挿げ替えを狙うに違いない。


「お兄さまがあんな女に騙されなければ、こんな重責を負わずにすんだのに」


 つい愚痴めいた言葉を唇にのせてしまうが、フィンが知らない顔をしてくれたことに、エレノアの強ばっていた表情が和らぐ。

 王位継承権をエレノアも持っていたものの、自分の頭に王冠を被せられる日が来るなんて思いもしなかった。


 

 エレノアには兄と歳の離れた弟妹がいるが、本来なら重たい王冠を被っていたのは、あの女に出逢うまでなら理知的で次期王に相応しいと言われていた兄だった筈だ。定められた許嫁である侯爵家に、エレノアは降嫁される予定であったのに、人生とは分からないものだと思う。

 ある日。教会が異世界から招かれたという、ひとりの少女を城へと連れてきたことで、エレノアの未来が変わったと言ってもいい。

 王の謁見を教会は求めてきたが、父である王は愛する妻に先立たれてしまい、政務をまともに出来る状況ではなかった。このことは一部の家臣にしか知らされておらず、兄と彼が信頼している従者。補佐としてエレノアが入ることにより何とか国としての体面を保っている状況だ。

 王の謁見は代わりとして兄とエレノアで行っていた。


「この者は?」

「文献に載っていました、異世界から訪れた〈聖女〉だと思います。アリサ、ご挨拶なさい」

「は、初めまして。王子さま。小鳥遊有紗です」 


 女性が足を出すというのは、この国では恥ずかしいことだが、彼女が纏っている服は海軍が身に纏っているような大きい襟が開いた服に、紺色の短いスカートからは太ももが顕になっている。

 彼女の奇抜な装いに目を背ける貴族たちの中。兄の興味を持った瞳が少女を捉えたことで、エレノアはざわりと肌を撫でられた嫌な感触を覚える。

 お茶会で自らが選び、長年、時間を積み重ねてきた婚約者もいるのに、兄と友人たち。そして自分の婚約者までもが、アリサと名乗った少女に恋焦がれる。

 婚約者たちの少女から諌めてくれと、何度も言われたものの、人が変わったように兄はエレノアを侮蔑するだけで、忠言に耳を傾けようとはしてくれなかった。アリサ本人に話をしようとしても、彼女は威嚇された小動物のように、わざとらしく震え、兄や婚約者の後ろに隠れてしまうので話のきっかけさえ掴めない。

 教会からアリサの召喚と共に落ちていたという手鏡を渡されたエレノアだが、この手鏡のことを尋ねようと彼女に声を掛けようとしても、兄が睨みつけてくるばかりか、アリサもいじめられているような態度で接してくる為、返すことも出来ず、エレノアが預かることになってしまった。

 今の自分はさぞ疲れた顔をしているだろうと手鏡を覗くと、そこに映っていたのは自身の顔ではなく、見たことがない場所を映し出していた。

 驚きのあまり、手鏡がとっさに手から滑り落ちそうになるのをエレノアはなんとか留める。鏡の中に自分たちが通っているような学び舎が映り、謁見時のアリサと同じような服を身に纏った年頃の男女が映っていく。


「あの子だわ」


 この鏡が映すのはアリサが召喚される過去の出来ごとなのだろうか。彼方の世界でも彼女は男性には媚びを売り、女性たちへの態度の違いから反感を買っているようだった。


「エレノア!」


 兄が自分を咎めるような声が聞こえた為。ひとまず手鏡を化粧台に置くと、エレノアは扉を開く。


「なんですの。お兄さま。騒々しい」

「お前、アリサを仲間はずれにしているそうだな!」

「仲間はずれ、ですか……?」


 身に覚えのない言葉に、エレノアは首を傾げる。


「アリサが泣いていたぞ。エレノアが周囲に命じて、自分をいじめているのだと」

「まぁ、まるで私が悪女のようじゃありませんか。仮に私がいじめたとしたら、今ごろ、彼女の命はありませんわ」

「貴様……っ!」


 父もそうだが、ひとりの女のせいで、ここまで盲目になってしまうのは血筋なのだろうかと、エレノアは思う。

 優しかった兄は棺桶にしまわれ、残っているのは恋に囚われた哀れな男だ。

 教会が聖女だと認めているとはいえ、エレノアが本気で排除を考えたなら、彼女は『元の世界に帰還した』ことになるだろう。


「勘違いならさないことね、お兄さま。私は重たいだけの椅子に興味はございません。けれど、国を傾けるような愚か者からは、奪う気概はありますのよ?」

「……俺の騎士にお前を見張らせるからな」

「ご自由に」


 兄が顔を真っ赤にして部屋から去っていったものの、頭の痛い状況が試練のように続いていくことに、エレノアは溜息を吐く。

 このままだと兄は廃嫡されるに違いない。まだ幼い弟の繋ぎとしてエレノアが王座に就くことは自分の意志に関わらず、命じられるだろう。

 今まで国に女王を擁立したことがなかった為、議会が揉めることは想像しなくとも分かる。

 アリサが兄の辺境伯の婚約者を側室とし、聖女である自分がこの国の王妃となるべきだと、茶会で言っている噂が宮中雀たちに囁かれていることも、頭が痛くなる要因のひとつだ。

 王家が娘を侮ったと辺境伯が隣国と手を組めば、この国は簡単に歴史から名前を消す。お花畑にいる兄たちの記憶から何のために結ばれた婚姻なのかが消し去られてしまったらしい。恋の為に国を犠牲にしていることが、エレノアには理解出来ない。

 まだ王家にとっても救いなのは兄の婚約者にエレノアが信頼されていることだろうか。


『エレノア様にも裏切られたら、私、悲しくなってなかったことまで、お父様にお話してしまうかもしれませんわ』


 エレノアが間違った判断を下せば、彼女は簡単に国を棄てるだろう。

 手鏡を再度、手に取れば、アリサが徒党を組んだ女子たちに囲まれ、ひとりの青年の背に庇われる姿だった。彼女たちの言語は分からないが、アリサが泣いている少女から青年を奪ったことを察する。

 同様に婚約者をアリサに奪われた少女たちから責め立てられても、自分は悪くないと婚約者たちの背に庇われる姿が重なった。

 彼女は自分の国でも同様の騒動を繰り返していたようだ。呆れたように彼女たちがアリサたちから背を向けたあと、アリサを庇った青年と彼女が口づける姿をみたエレノアの手は堪えていた感情のせいか震える。


 穢らわしい。


 誰でもいいのならどうして、この国を無自覚でも混乱に陥れたのかが分からない。アリサへの怒りのあまり手鏡を床に叩き割れば、鏡の中から阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。

 鏡の端に映ったのは空から硝子の破片が刃に姿を変え雨のように降り注ぎ、叫び声をあげ逃げまどいながらも倒れていく人々だった。

 想像を越えた出来ごとに両手で口を抑えるエレノアだが、部屋の外の気配が騒がしいことに扉を開く。


「どうしたの?」

「エ、エレノア様。アリサ様が急に頭から血を流して絶命されたそうです」

「アリサが? お兄様はどうしたの? 一緒だったのでしょう?」

「その様子を見られて」


 それ以上は口を噤んでしまった騎士に、エレノアは指示する。


「……連れていってちょうだい」


 騎士の後について行けば自分の人間以外にアリサの姿を見せたくないのか、彼女を覆うように抱きしめる兄の姿が目に映った。彼女が好んで纏っていたドレスは白色が多かったが、白い薔薇が気に食わないからと染め直されたように鮮やかさを纏ってゆく。

 繰り返し、アリサの名前を呼びながらも咆哮をあげる兄の姿を一瞥すると、エレノアは部屋からそっと立ち去る。


「エレノアさま?」

「……お兄さまはもう駄目ね」

「?」

「貴方はお兄さま付きだったわよね? 今後、誰に付くのかを考えた方がいいわよ」


 エレノアの予想通り、兄はアリサを自分の目の前で失ったことに狂ってしまい、(おおやけ)の発表としては急な病の為、亡くなったことにされ、厳しい監視の元、別邸へ監禁になった。アリサに夢中だった兄の友人たちも、茫然自失としてしまい、以前の姿が想像もつかない有様だという。

 エレノアの婚約者だった彼は『誤解だ』や『あの尻軽に騙されていた』と騒ぎたてたので追い払ったが、その後、侯爵家の爵位は兄ではなく弟に移ったことを、彼の父が謝罪に訪れたことで知る。今後は自分に迷惑をかけることはないと宣言をした為、エレノアの瞳に元婚約者を二度と映すことはないだろう。

 直接、手は下してはいないが空から硝子が降り注いだことで彼女の国は意図せず滅び、元いた世界の糸が断ち切れていなかった為、アリサも絶命したのだろう。

 あれ以降、割れた手鏡は普通の鏡に戻ってしまったが、この罪は永遠にエレノアが背負っていかなければいけないものだ。



「エレノア様も大人になられたのですね」

「……フィン?」

「隠しごとを俺にも知られないようにと、ここ数日は日常以上に怖い顔をしていました。幼いころはなんでも話してくれたのに。貴女が悩んでいることは俺にも話せませんか?」


 埋めた場所をじっとみていたエレノアを気遣うようにフィンが声を掛ける。


「ねぇ、フィン。例え、故意ではなくとも、罪のない大勢の人々を私が殺めてしまった言ったら、貴方はどうする? 私を軽蔑するかしら」

 フィンはエレノアの言葉に、軽口を叩くような口調で告げる。

「私はエレノア様の物なので、貴方に後悔がなければ何とも思いませんよ? 貴方が悲しめというなら悲しみますし。その罪を代わりに背負えというのなら、全て負います」

「なら、私の罪は永遠に薔薇の下だわ」


 これからもエレノアは国を背負う以上、自分の意思とは関係なく、罪を負うこともあるだろう。これ以上の罪が増えても秘密は薔薇の下に隠してしまえばいい。

 罪を知るのは物言わぬ薔薇だけだ。

 数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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