4 鍋・風呂・矢
シロは今日まで流浪の暮らしをしていたそうだ。
行く先々で虐げられ、家族とも生き別れになってしまったらしい。
そして、安住の地を求めてこんな北の辺境地まで逃れてきたのだとか。
凄惨な生い立ちを、シロは他人事のように語ってくれた。
我が家の記念すべきお客さん第1号ではなかったが、私としては温かく迎えてあげたいところだ。
ということで、アチアチの鍋でささやかな歓迎会を開くことにした。
パカッと蓋を持ち上げると、美味しそうな香りが湯気と一緒に居間に広がった。
わあああっ、とシロは目を輝かせている。
「タクナ、これ食べていいの!?」
「もちろんだとも。たんとおたべ」
私は片手で四苦八苦しながらお椀に具をよそった。
「肉いっぱいがいい。その草、いらない」
「野菜と言え、野菜と。この地域じゃ肉より貴重なのだよ?」
「狼は草、食べないし」
「へえ、シロは狼系の獣人なんだ。じゃあ、同族鍋だね」
「どーぞくなべ?」
首をかしげるシロに私は狼の生首を見せつけた。
そして、ニチャアと笑う。
「この鍋に入っているのはね、私とあんたを襲った狼の肉なのだよ、ふふふ」
「おーかみ肉、めっちゃうまい!」
少しくらい驚くかと思ったが、シロは逆手に握ったレンゲで肉をガツガツと掻き込んでいる。
お気に召したようでなによりだ。
ちなみに、毛皮はマフラーにするつもりだ。
完成したらシロにくれてやろう。
同族マフラーだ。
「切り傷まみれだね」
私はシロの両手を見て目を丸くした。
さっき腕の不自由な私に代わって肉を切り分けてくれたから、そのときに切ったのだろう。
「だって、包丁初めてだったし」
「不器用系ヒロインみたいな奴だな、君は。ほら、手を出してみな」
私は片手で悪戦苦闘しながら、シロにあかぎれ用の塗り薬を塗ってやった。
なんで、こいつは怪我人に手当てさせているんだろうと心底思う。
「タクナの家、あったかい。床もぬくいし」
腹が膨れるとシロはだらしなく床に転がった。
「ほう。床暖房に気づくとは、あんた、いい目をしているね」
我が家には床下スペースに暖炉が設けてある。
床暖房は私の発案だったが、作ったのは爺さんだ。
ドワーフだけあって、言えばなんでも作ってくれる手先の器用な人だった。
このこたつだって、そうだ。
「ごはんもおいしいし、あったかいし、ここ、天国みたい……」
シロはうとうとしている。
天国ねぇ。
ちょっと外に出て見れば、およそ天国とは程遠い極寒の地獄が広がっている。
ここが、理想郷のように思えるのなら、きっとそれは、シロが今日まで家というものに縁がなかったからだろう。
廃墟や木陰を仮の住まいとして、各地を転々としていたのだろうから。
ずいぶん苦労したに違いない。
「シロ、大変だったねぇ。こっちおいで。お姉さんがなでてあげるから」
よしよしと頭をなでていた私は床に散らばった白い粒みたいなものを見つけて口をあんぐりさせた。
それは、一見、雪の結晶のようにも見えた。
しかし、よく見れば動いている。
目を凝らしてみて、その正体がわかった。
「シラミだ……」
頭ジラミだ。
シロの頭をなでると、髪の間からポロポロとこぼれ落ちてくる。
こたつに入れるより湯船に入れるほうが先だったらしい。
「脱げオラ!」
伝染ったら最悪だ。
私は追い剥ぎよろしくシロの衣服を剥ぎとった。
「は、離せ! このババア……!」
「なにをォ! このガキんちょめ!」
シロが無駄に抵抗するので、途中から鎧で担ぎ上げて風呂場に走る。
食事前に湯を焚いておいて正解だった。
『うらあ!』
どっぼーんと頭から湯船に投げ込み、両脚掴んでモップみたいにジャブジャブする。
そして、貴重な石鹸をありったけ使って髪を泡立てる。
「タクナ! ねえ、タクナぁ! 鎧の人が僕を沈めあぶぶぶ……」
シロが居間にいる私に助けを求めるが、鎧の人は歯牙にもかけず、代わりにお湯を頭からぶっかけてやった。
流した水が心なしか茶色い……。
一体どんだけ汚れていたんだ。
『もしかして、シロはお風呂入るの初めて?』
「おふろってなに!? なんで沈めるの!?」
『そうかー。そもそもバスルームがある家庭自体珍しいもんなー。この辺は寒いし、水浴びもしてなかったんだね。あ~、汚い汚い~』
「おい、鎧野郎! お前なんかタクナが倒あぶぶぶぶ……」
『怪我人を頼るんじゃありません』
風呂から出してやると、シロは鎧を蹴飛ばして私の本体に飛びついた。
「やめろい、濡れるだろうが」
「僕、あの鎧の人、嫌い!」
「どっちも私だっつの」
髪を拭き、替えの服を着せてやる。
私がまだ小さかった頃の服だ。
ついでに、髪にくしをかけてやる。
「手のかかる子だな。あんたが私の世話を焼くって話だったろ?」
でも、爺さんがいた頃みたいで張り合いがあっていいかもしれない。
やることがあるってのは、いいことだ。
退屈よりはね。
「シロの髪の毛、細いねぇ」
私の髪の10分の1ほどの太さしかない。
でも、毛量は10倍くらいある。
「猫の毛みたいにサラサラだ。クセになりそう」
獣人族の特徴だろうか。
ちょっと嫉妬だ。
髪を整えたシロは見違えるほど綺麗になった。
絹糸のような真っ白な髪は雪の精を思わせる。
拾った汚い石を磨いたらブリリアントカットのダイヤモンドが現れた気分だ。
「今日から毎日お風呂に入ろうな、シロ」
「やだ。お風呂と鎧の人は嫌い。でも、タクナは優しいから好き」
自分で言っていて恥ずかしくなったか、シロはカーッと頬を赤くした。
「でも、このくらいで気を許すと思うなよ」
一転して、険を帯びた目で睨んでくる。
しかし、尻尾は正直だ。
忠犬みたいにフリフリしている。
可愛い奴め。
「む?」
ふと私は言いようのない違和感を覚えて顔をしかめた。
まぶたの裏にまつ毛が入り込んでいるような。
奥歯の間にピーナッツが挟まっているような。
喉に小骨が引っかかっているような。
しかし、そのいずれでもない不思議な感覚。
これは、オート操作している鎧になんらかのアクシデントがあったことを表すサインだ。
おおかた雪だまりにでもハマってしまったのだろう。
世話の焼ける鎧だ。
私はこたつに潜って目を閉じた。
――――。
一面の銀世界が見える。
珍しく空が青い。
陽光を照り返す雪原のせいで状況を飲み込むのに時間がかかった。
人影が見える。
なんと3人もいる。
男2人に、女が1人だ。
男たちは剣と槍を持ち、女は弓を構えている。
そして、緊張した面持ちでジリジリと距離を詰めてくる。
バス――ッ。
足元に矢が突き刺さった。
なるほど。
よくわからないが、一大事みたいだ。
大変だ……。