3 白い尻尾
狼を屠ったその足で、私は家の裏手にある納屋に向かった。
納屋には爺さんの鎧コレクションが兵馬俑のごとく整然と並んでいる。
その中のひとつ、聖騎士風の白銀鎧に触れてから、私はばたりと倒れた。
死んだわけではない。
鎧に乗り移っただけだ。
だというのに、例の魔族の少年は私の体にすがってわんわん泣いている。
死んだと思い込んでいるらしい。
『がおー』
ちょっとイタズラ心が兆したので、鎧を操って脅かしてみた。
空っぽの体に反響した声がイイ感じに不気味だ。
関節もギギギィ……、とそれっぽい音を立てている。
少年はまず、あまりの出来事に凍りついた。
そして、次に、両手を広げて鎧の前に立ちはだかった。
私の本体を守ろうとしてくれているようだ。
魔族は人を食べるなんて噂もある。
でも、どうやら嘘っぱちだったらしい。
震える小さな体で必死に私をかばう姿は健気なものだった。
『からかって悪かったな』
ご褒美に頭をぽんぽんしてやった。
おっと、こんなことをしている場合ではない。
怪我したままぶっ倒れている本体のほうを早くなんとかしてやらないと。
私は自分の体を抱き上げて、家の中に急いだ。
本体をこたつに寝かせて、湯を沸かす。
患部を確認したところで、『ひぃぃ……』となった。
出血こそ少ないものの、左腕にはくっきりと狼の歯型が残されていた。
乙女の柔肌によくも……。
あの狼、後で鍋の具にしてやる。
『よく洗浄して……、よし。そんでもって傷口を縫うっと』
肉を縫い合わせるのは初めてだったが、針仕事は暇つぶしでよくやるから割とうまくいった。
それに、スキルを使っている間、本体は寝ている状態なので痛みを感じないのも都合がいい。
この方法なら自分を手術することもできるだろう。
絶対にしたくないけどな。
小1時間ほどですべての作業に片が付き、私はめでたく本体に戻ることができた。
「うひぃー、痛いンゴ……」
起きて早々のたうち回る。
痛みが引くまでは鎧暮らしをしたほうがよさそうだ。
「……お前、もう大丈夫なのか?」
居間の隅の暗がりからそんな問いが投げかけられた。
少年がいたわしげな目で私を見つめている。
大丈夫な痛さではない。
が、私は笑って手招きした。
「ささ、少年や。こっちさ来て、こたつに入りたまえよ。そっちは寒かろうて」
「こたぁ、つ?」
少年は首をかしげながらも、こたつ布団をめくった。
これは、私が元の世界から輸入した代物だから戸惑うのも無理はない。
だが、こたつに世界の垣根はない。
恐る恐る脚を突っ込んだ少年だったが、すぐにこの驚異的暖房器具の魔力に魅せられたらしい。
こわばっていた頬がチーズみたいにとろけた。
「ふわぁ……」
と可愛い声まで漏らしている。
私はあらためて少年を見た。
どこか、やさぐれた雰囲気のある子だ。
立派な角が目を引く。
そのうえ、頭の上には真っ白なケモ耳があり、お尻からはボリューミーな尻尾まで生えている。
ずいぶんと個性的な子だ。
魔族と獣人族の混血といったところだろうか。
どっちも見るのは初めてだから目が離せない。
触ってみたいまである。
そもそも、私は子供に会うこと自体初めてだ。
この世界に来て会ったことがある人間と言えば、ドワーフの爺さんとお隣のイケメンエルフの2人だけなのだ。
「……」
私の視線を感じてか、少年は角をフードで隠した。
威嚇するように犬歯を剥き出しにし、ぐるるる、と喉を鳴らしている。
この反応ひとつ見ても、この子がどんな目に遭ってきたかわかる。
魔族というだけでずいぶん苦労したのだろう。
「角は隠さなくていいよ。あんたが魔族でも取って食ったりしないからさ」
そう言ってやると、少年は少し顔を上げた。
綺麗な子だ。
私好みの顔をしている。
好みのド真ん中の顔立ちだ。
まるで、神様が私の注文を聞いて届けてくれたみたいにストライクゾーンの真ん中だ。
あと5年もすれば傾国の美男子に仕上がるに違いない。
「私はタクナ。あんたは?」
「名前、……ない」
しばらくしてから、そんな声が返ってきた。
名前はない、か。
物心つく前に親と行き別れたのなら、そういうこともあるかもしれない。
「じゃあ、シロシッポね。それが今日からあんたの名前だよ」
私は少し笑って言った。
「……シロシッポ?」
「尻尾が白いからね」
尾が白いだけに面白い名前だろう。
別にふざけているわけではないよ?
身体的特徴が名前になるのは珍しいことではない。
たとえば、セシリアには「盲目」という意味があるし、キャメロンという名は「曲がり鼻」に由来するらしい。
そう考えれば、シロシッポにも違和感はないだろう。
と思ったのは私だけで、少年は凄まじく嫌そうな顔をしている。
「じゃあ、縮めてシロってことで」
「いいけど」
少年あらためシロはぶっきらぼうに頷いた。
そして、もじもじしながら、私を睨んだ。
「……タクナ、さっきは助けてくれて、ありがと」
「いいってことよ」
誰かにありがとうを言われるのは久しぶりだ。
思えば、私は転生して初めて人助けをしたかもしれない。
助けるほど人がいないのだから、したくともできないのだ。
「お前、どうして助けてくれたの? 僕、魔族なのに……」
訝しげな目が見つめてくる。
どうして、か。
別に、打算や思惑があって助けたわけではない。
反射的に体が動いただけだ。
「シロは私に助けられて嬉しかった?」
「うんまあ」
「じゃあ、私も嬉しい。助けた理由なんてないけどさ、でも、助けてよかったなって心から思うよ」
ニコッと笑いかけると、シロの両目で涙の玉がじわぁーっと膨らんだ。
それを誤魔化そうと一生懸命睨んでくるが、最後には赤ん坊みたいに泣き出してしまった。
人に親切にされることに慣れていないのだろう。
シロの肩を私はそっとさすってやった。
「タクナのことは僕が面倒見るから」
泣き止むやそんな申し出を受けた。
「プロポーズかな?」
「違うやい! そんな怪我じゃ大変だろうから気遣ってやってるの!」
気遣いねえ。
自分自身を手術することができる私にガキんちょの手を借りる必要などない。
と思ったが、過信は禁物だ。
これから熱出してぶっ倒れるかもしれないし、子供でも人手があると心強い。
「じゃあ、お世話になろっかな」
「僕にできることならなんでも言って。おい、そこの鎧。お前も手伝えよ?」
「いや、そいつも私だから」
こうして、私に同居人ができたのだった。