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第七話 コールド・コールエイジ

1.コールド・コールエイジ


エンジンがうなりを上げ、機体がきしみ音を立てる。


プロペラの回転音は次第に甲高い唸りへと変わり、機体全体が微かに震え始めた。

どうせなら昔ながらの、咳き込むようなエンジン音を聞きたかった、とも思う。


それでも、ギィギィと軋む音が耳に入るたび、心臓が心地よく高鳴っていく。

座席の下から伝わる細かな振動が、機体の“古さ”をはっきりと伝えていた。

機体は大きく震えながら滑走を続ける。ほんとうにこれが飛ぶのか、不安になるほどだ。

けれど数秒後、思いがけない軽さでふわりと浮かび上がった。

その基礎設計の古さからは思いもよらない。


――20世紀末、グラハムらはこう書いた――”窒素分圧は顕生代を通じてほぼ一定であったと考えられている。したがって、現在の大気濃度と比較して、酸素濃度が35%の大気では空気密度と気圧が21%高くなり、酸素濃度が15%の大気では13%低くなる。より密度の高い大気は、揚力を増加させ、レイノルズ数や境界層の厚さなどの特性を変化させることで、昆虫の飛翔の進化に好ましい影響を与えると考えられる。密度の変化は、換気機構から風せん断抵抗に至るまで、生物学的プロセスにも影響を及ぼすと考えられる。粘性、比熱、熱伝導率などの物理的パラメータも、低酸素大気と高酸素大気で変化する”


そう、この惑星の大気は、密度2割増しなのだ。

そして――揚力は空気密度と翼面積に比例、速度の二乗に比例するから、揚力もまた、2割増しである。

――本当に飛んじゃったよ。


機内に充満する振動、軋み、そしてわずかな油と金属のにおい。

機内では、配線や計器がむき出しのまま、無造作に突き出ている。

今の航空機は、設計段階からパーツを三次元的に組み込み、構造体の中にすべてを埋め込んでしまうのが普通だ。

たとえ露出があっても、機能的なカバーに隠されている。

3Dプリンティングの普及によって、構造物の大半はフレームごと成形され、損傷があればモジュール単位で交換する。それが“普通”だった。


一つ一つの部品をむき出しにし、手作業で点検しながら飛ばすようなやり方は、もはや過去の遺物であり、昔の映画でしか見られないものだと思っていた。

だがこの機体は、まさにその遺物だった。

板金とリベットがあれば、何とかなる面も多いだろう。

無理なく作れて、無理なく直せる。

この辺境の惑星において、それほど頼もしいものはないのだろう。


貨物室と客室を隔てるのは、粗末な網一枚。中は繋がっている。


原始的だ。

だが、その粗野さこそが魅力だった。

旧世紀の人間たちが組み上げた、まさに「機械」としての質感。


振動のたびに、薄いシート越しに金属フレームの感触が背中に突き上げてくる。

決して快適とは言えない。

けれど、その不格好さが、今はたまらなく愛おしい。


そっと、座席の金具に指先を触れた。

まるで、誰にも気づかれないように、ひとり静かに愛でるように。

機体の震えが金属を通じて掌へ沁み込み、静かな歓声が胸の奥に湧き上がる。

――これも、数世紀前の人間たちが残した「技術」なんだ。


「ケイ、ほんと楽しんでるね」


リリィの声に、アリアは微笑みながら頷いた。そしてさらりと言う。


「そうなの。こういうときの顔、本当に、愛しいのよ」


リリィはその言葉に、小さく瞬きをした。

アリアの横顔を見て、それからケイへと目を移す。

「リリィ、なんかあった?」

リリィはなにか、遠いものを見るような目をしていた。

……その目は、なにかを見ようとして、そして、そっと諦めたようでもあった。


アリアはもう一度、窓の外を見つめるケイに目をやる。

かつては名前すら覚えてもらえなかった。

そもそもケイには「他者を意識する」という感覚そのものが希薄だ。

だから、その表情は本物だ――演技するという概念すら持ち合わせていないのだから。

今ケイが見せている表情は、ただ、純粋に、機体が空を飛ぶということ――旧時代の鉄の塊が、自分たちを乗せて空を駆けるという、その事実に心を動かされているだけ。

その無垢な反応が、アリアには眩しかった。


エメラルド色の海が、どこまでも広がっている。

フライトの大部分は、その光景に費やされた。

アマゾン盆地を覆うこの浅海——Itaituba-Piauí sea ともよばれるが地質学的に定まった名はない――は、何が棲んでいたのか、いまだに完全には解明されていない。

化石は沢山見つかっている。

が、先ほど見かけたゴニアタイト類すら、既知の種に属するのかどうか判然としない。


通常の環境で化石化するのは硬い殻を持つ生き物だけだ。

柔らかい身体を持つものや、そもそも殻のない生物たちは、想像と憶測に頼るしかない。


ここがもし他の植民惑星だったなら――植民が始まってからの50年の間に、先人たちがある程度は調べておいてくれただろう。しかし、この血塗られた辺境惑星において、そうした記録は軒並み、30年前のカタストロフで燃えてしまった。


地上ですら涼しい石炭紀。

まして、上空の気温はさらに厳しい。

窓に指先を当てると、ひやりと冷たさが伝わり、吐いた息はうっすらと曇った。

石炭紀は寒い――そう聞いてはいたが、こうして身をもって体感してみると、その冷たさは想像を超えていた。


リリィが肩をすくめた。

「コンゲラードは南緯35度だけど、年平均気温は10度よ。『凍った町』という名前の通り、年中寒いわ。まあ、標高も高いんだけど」

現代の感覚なら亜熱帯に位置する宇宙港ですら、地表の気温は二十度ほどだった――夏なのに。


これから向かうコンゲラードは、さらに南に位置し、夏でも多くが雪と氷に閉ざされているという。

リリィは笑いながら続けた。

「石炭紀は氷河期なのよ! でも、でっかい昆虫がいたり、宇宙港が赤道近くにあるせいで、うっかり半袖半ズボンで来ちゃう人も多いの。だから副業の衣類レンタル業が大繁盛なのよね!」


――大繁盛とは、どこの誰、基準なのだろう。

少なくとも、n数は3桁に届いていないのはほぼ確実である。それに――その「衣服レンタル」、あの麻布的な貫頭衣レベルのものなのではなかろうか。すくなくとも、この星にまともな服があるとも思えない――雨にも火にすら耐えうる、この野外作業用ジャケット以上のものは。

でも――着てみて、とか頼まれる未来も考えられうる。困ったな。


そんな事態はついぞ、起こらなかった。

人の行動を予測すると、たいてい外れる。



アリアは、窓の外の海を見つめたまま口を開いた。

「でも、どうしてこんなに寒いの?」


――素朴、しかし、どこまでも深い疑問だ。

まず――寒いとは、何か。

気温が低いことだ。地球が寒いということか?それとも、ここが寒いということか。

――氷河期なのは、あのいまいましい着陸用ロケットから何日も見下ろして、わかりきったことだ。

”宇宙から眺めた石炭紀の地球には、両極に輝く白い氷帽が広がり、温帯域にはところどころに茶色や赤みを帯びた乾燥地帯が散在していた。そして赤道地帯には、広大な緑の帯──鬱蒼とした熱帯雨林──が連なっていた。”

そんな一節を思い出した。

まず――ここが寒い理由だ。

「寒流の影響を受けることがあるかな。さらにゴンドワナの一部が南極にかかっていて巨大な氷床が発達しているのは、宇宙から見た通り。パンサラッサの海流はゴンドワナ沿いに北上しているから、ゴンドワナの沿岸は常に極地からの海流によって冷やされる。」


「同じ緯度の海としては大陸の反対側に古テチス海があるけど、そっちは暖流が循環するように流れるからもうちょっとは暖かいはずだよ。」

そう、手元の地図に書き加えながら答える。


石炭紀は、海流からして寒い時代だ。古テチス海とて、南方ではそれなりの高緯度になってしまう。

それほど暖かいわけではなかったはずだ。


石炭紀は氷河期にはじまり、氷河期に終わった。

そして石炭紀前期のおわり、ひときわ厳しい氷河期がはじまった。

その時起きた絶滅イベントを、サープコビアン絶滅(Serpukhovian extinction)という。これはオルドビス紀末の絶滅イベントより深刻だったという人もいて――ビッグ5の末尾はこの絶滅であるべきだ、という意見すらある。

その後――石炭紀後期を通じて、驚くほど海洋生態系に変化がなかった。


――そう、いわれている。

石炭紀後期は、冷たい海が支配する時代だった。

冷たく、単調な海。

だから――この旅で、海に行くつもりはあまりない。


「こんなにこの星が寒いのは?」


――そっちか。

また読み間違えた。そして――それを言い出したら、それこそ本が一冊書けてしまう。


「氷河期だからね。その原因はさっき言ったような氷床の発達がひとつ。もうひとつは簡単に言うなら、当時の降雨量と植物の生産量、石炭の堆積。パンゲア形成に伴うケイ酸塩鉱物の露出と風化促進。あとはパンゲアによる海流の隔離、さっき言ったやつ。ほかにも…」

――理由はいくらでもある。きりがない。


アリアが地図を覗き込み、指さしながらいう。

「森林の時代っていう印象があったけど、こうして見ると氷河と砂漠ばっかりじゃない?緑なのって本当にこの、赤道を取り巻くベルトだけ」


 もちろん、アリアが石炭紀の世界地図を知らないわけがない。

ただ、動画の収録のため、あえて視聴者目線で振る舞っているのだ。

つまり――有名な、石炭形成による炭素隔離の話に持っていきたい、というわけだと理解する。


しかし、それだけではじつに、味気ない。

というか、言ってほしいことを言っても、私がやる意味がない

――そういえば、企画の時点でそういう話はさんざんしたものだ。

つまり――好きなようにやっていいし、むしろそうしてくれ、ということなんだろうと思う。


「そう、降水量は主に赤道付近──つまり、ゴンドワナ大陸北端からユーラメリカに集中していた。赤道付近の降水量は多かったけど、それ以外の地域では沿岸部を除いてほとんど雨が降らなかった。それは――なぜか。」


「熱帯収束帯があるから?」


アリアは即答する。さすがだが――いささか教科書的だ。


「ひとつはそう、今と同じ。でも――それ、中生代にも言える?」


中生代を歩いてきたアリアにとって、それは見慣れた光景とは真逆だったはずだ。

彼女は状況を整理するかのように、回想し始める。


「たしかに…私が見てきた中生代の赤道付近は、いつだって乾燥してたわ。中でも白亜紀の低緯度は最悪だったわよ。空気が焼けつくように熱くて、風が顔に当たると肌が燃えるように痛むの、汗も出る前に乾いちゃって。二酸化炭素濃度が高すぎて、歩くだけで眠気を誘う。水場なんて全然なくて、サボテンみたいな多肉質の針葉樹がぽつんぽつんと生えてるだけ。たしかに――まるで真逆ね。」


話を聞いていて、――フレネロプシスかな、だとすればサボテンよりアッケシソウとかマオウの方が似てる、と思いながらも、そこに突っ込むと脱線するのでやめておいた。


「そう、熱帯収束帯には雨が多くて熱帯多雨林が発達する、というのは全然、当たり前のことじゃない。むしろ新生代と、石炭紀からペルム紀に発達した現象。木が地球に生えるようになってこちら、熱帯多雨林がある時代は半分もないんだよ。残りの半分以上で、赤道は乾燥してる」


「石炭紀からペルム紀に、新生代——氷河期だからって、こと?」


ようやく本題に近づいてきた、と思う。


「そうでもない。始新世は氷河はないけど熱帯雨林が発達した。気温勾配はいいけど、氷河までいくとむしろ逆効果。氷河はむしろ水を閉じ込めてしまう。更新世の氷河期は石炭紀によく似た気候だけれど、石炭紀とは逆に氷期に乾燥が進んでる。」


「そうよね…」


「となると、別の要因を考えざるを得ない。つまり――大量の蒸散があったから、大量の降雨があった。」

「本末転倒じゃない?それ。だって植物も雨から水を得るわけだし…」


「そもそも現代においてすら、熱帯雨林の奥深くに入ると降雨の60~88%は植物の蒸散による。植物がなければ、熱帯、とくに内陸は乾ききってしまう。」


「あ、たしかに。ジュラ紀とか白亜紀のサボテンっぽい針葉樹、たとえばプセウドフレネロプシスとか、ブラキフィルムとか――全然蒸散しなさそう。カサッカサだし。広葉樹ならともかく――白亜紀後期まで出てこないから、そっか」


――詳しいな。そりゃ恐竜の主食だから、恐竜をやるうえで知っていなければならない――ってまあ、前の白亜紀行きで私があれだけケイロレピディア科の話ばかりしていたら、そりゃ覚えるか。


「白亜紀後期には限定的ながらも熱帯雨林ができ始める。そう――蒸散能力の高い植物が熱帯に繁茂すると、海からもたらされた水が、地上で回り始める。そこで、地図をもう一度見てみよう――

赤道に沿って、パンゲアがちょうど凹んで低地ができている。これは前縁盆地といって、パンゲア形成にともなう地殻の歪みによって凹み続けている。そこに、周囲から表土が流れ込んでくると、広大で肥沃なエリアができる。そこに植物が育つと、雨が降るようになって、さらに水が溜まる。すると、水浸しでも育つリンボク類やシダ種子植物が繁茂する。」


「リンボク類ってそんなに水吸い上げるの?なんか見た目は針葉樹なみにヒョロいけど」


「史上最大級の仮道管は被子植物と同等の水輸送効率を意味する、らしい。メドゥロサ類はじめとしたシダ種子植物とか、スフェノフィルムとかのトクサ類もまた巨大な仮道管をもっていて、やはり大量の蒸散を行っていた――というか、そうするしかなかったんだ」


「そうするしかなかった?」


「酸素が高いだけじゃなくて二酸化炭素も足りないから、気孔を目一杯あけて気孔コンダクタンスを上昇させる。すると水もその分出て行ってしまうから、そのぶんだけ水を吸い上げないといけない。結果として、大量の水を吸い上げて大量の水を蒸散する植物が赤道の低地に繁栄した」


「…となると、更新世とは逆に氷期になると赤道付近が湿潤化するのは…」

流石、話が速い。

「単純に海退で低地の面積が上がったから、それだけ蒸散する植物が増えて雨も多くなったようだ、もちろん他にも理由はあるけど、氷河によって水が奪われるより、湿性植物に適した土地が増える方が影響として大きかったみたい」


「わかったわ。その結果、ユーラメリカ大陸やカタイシア大陸には巨大な湿地帯が形成されていった。そして、この湿地帯こそが寒冷化の生物学的な原因のひとつ、と」


まあ、ここまで来たら炭素隔離の話をせざるをえまい…


 そんな中、リリィが首を傾げる。

「湿地帯があると寒くなるの?」


「例えばだけど――木の葉が落ちたとき、水中と陸上、どっちが早く腐ると思う?」


 リリィは考え込みながら、手にしていた宇宙干物(フリーズドライ)のおやつをかじる。

アリアがお土産として持ってきていたものだった。

この星では、現金より食べ物、とくにお菓子系の方が喜ばれるのだとか。

「水の中かな? だって乾燥してた方が長持ちするもの」


「まず、酸素がある方が活発に分解する。水中だと酸素が少なくなるから、分解速度はだいたい半分くらいに落ちる。それに、落ち葉の上にどんどん新しいものが積もっていくと、さらに分解が遅くなる。法医学ではキャスパーの法則とも呼ばれる現象だよ」


 アリアが顔をしかめる。

「その例え、おやつどきには向かないんだけど」


 「ごめん」

むろん、リリィを思ってのことである

――ただ、この辺境惑星に法医学なる概念があるのだろうか、とふと思った。

医学の時点で――若干怪しい。


「こうして湿地帯に落ち葉や枯れ木が蓄積すると、腐らずにどんどん溜まっていく。しかも、有機酸が溶け出して水が紅茶みたいに茶色くなる。その過程でpHが下がる」


 リリィが身を乗り出しながら、目を輝かせる。

「紅茶! 地球で有名なあれ!? 飲んでみたいのよね!こっちには泥炭茶とかスギナ茶しかなくて」


 アリアは笑いながら応じる。

「たしか宇宙干物(フリーズドライ)に入れてきたはず。コンゲラードに着いたらお茶会しましょ」


「紅茶はともかく……」

――って、泥炭茶って、なんだそれ。

スギナ茶も、ハーブティーの類だけど味が謎だ。まずい気しかしない。

それにそもそも、絶対スギナじゃない――飲んでみたい。


「話遮ってごめん」


苦笑しつつ、続ける。

「pHが低くなると、微生物の活動が抑えられる。つまり、分解がさらに遅くなるんだ。」


「ジュラ紀の沼地は落ち葉が分解されずに積もって、何メートルも層になっていたわ――水に沈んだ落ち葉を主に食べる恐竜すらいるわ」とアリア。


「そうやって枯れた植物が溜まっていくと、泥炭が形成される。でも――それだけでは、石炭紀後期からペルム紀前期までに世界の石炭の9割が堆積した、というレベルの説明はむずかしい」


「キノコがまだいなかったからって習ったけど」


「20世紀末にロビンソンが唱えた説で、リグニン分解酵素をもつ菌類が石炭紀にはまだ出現していなかったから――という説だね。でも、デボン紀のアーケオプテリスの幹にすら腐朽の痕跡があるし、石炭紀の化石もしばしば腐朽の痕跡があるから――ちょっと無理がある。だいいち、そんなに腐らなかったら植物化石研究がよほど楽になっていたはずだよ」


「となると、とにかく湿地帯が巨大だったから?」

「そう、巨大な湿地帯がバリスカン造山運動による前縁盆地に常に沈み込み続けた上に、間氷期には上に堆積物が積もって”パック”され、さらにそこには周辺の高地から表土が流れ込み続けたから、肥沃な湿地が保たれた」


「でも、何か制限要因はなかったの? 例えば白亜紀もすごい植物の生産量があったけど、二酸化炭素が多くて肥料が不足するのが成長の制約になっていたわ。恐竜が歩いた場所だけ土壌が肥えて、そこだけ異様に茂っていたのよ」とアリア。


「地球の野菜を密輸した人がいたけど、全然育たなかったけど、関係ある?」とリリィ。


「一番厄介なのはもしかすると、酸素かも。石炭紀の地球は酸素濃度が30~35%にも達していた。でも、通常の植物の光合成は酸素が多すぎると光呼吸により阻害されるんだ。実験によると、酸素濃度を30%にすると現在の植物の光合成速度は40%も低下する。」


「思ったより致命的…中生代で農業やるとむしろ収量増えるから、それだけに・・・」


「二酸化炭素足りないより、酸素多いのが致命的になりうるんだよね。正確には比だけど――つまり、酸素が多いのは植物にとって、むしろ悪いこと。」


「しかも、森林火災が増加して、それ以上は酸素濃度が上がらなくなると推測されるんだ…つまり、石炭紀の植物が、ほんらい植物の生産が低下するはずのこの高酸素低二酸化炭素環境に適応して増え続けたことにも、石炭堆積の責任があるはずなんだ」


「石炭が堆積したのは、単に沢山育ったからってわけじゃないのね」

「そう。そして、そうした特殊な植物たちはペルム紀にみんな絶滅してしまった。酸素が多く二酸化炭素が少ないという特殊環境や、氷河期に適応した結果、二酸化炭素が増えて酸素濃度が下がり気温が上がっていくととメリットがなかったのかも。もしくは、他の原因があるのかも。そこはよくわからない」


挿絵(By みてみん)


カメラが切れた瞬間、小さく息を吐いた。

しまった、海流遮断とか、氷床のアルベド効果の話とか、ぜんぜんできなかった。

石炭紀の寒冷化は、植物だけのせいじゃない。


大陸が極地に乗り上げたことで雪が反射し、熱を逃がした。

赤道を横断していたレイク海が閉ざされ、暖流の循環が止まった。

それはちょうど、300万年前にパナマ地峡ができて、北半球が凍り始めたのと同じ構造だ。

ほかにもめちゃくちゃ沢山ある──補足はあとで収録しよう。

というか、ネタは尽きない。



2.でっかい虫のこと


ケイのデバイスには、後期古生代氷河期について述べた21世紀初頭の論文が映し出されていた。

ふと後期古生代氷河期について、復習しないとと思ったからだった。

黙り込んでデバイスを見つめる。

――空気悪い、とか思われてるんだろうな。そうとはいえ、そこを何とかして話を始める器量はないし、会話に食い込むことなど、できない。いい天気だね、と話しかけたところで、次に何を言えばいいのか全然言葉が浮かばない。そんな内容のない会話というか、自動botの応酬のような「コミュニケーション」には、意味がないともうすうす思ってしまう。そして、だからこそ、会話できないのだ。

――AIにでもやらせとけ、で地球では切り抜けている。しかし、この星では電力供給もおぼつかないし、データセンターなど望むべくもない。だから、省電力な電子ペーパーを覗き込むしかないのだ。


そこに、リリィがおそるおそる声をかける。


「石炭紀の昆虫が大きい理由って、この寒さと関係あるの?」


鋭い。ケイは少し驚き、すぐに真顔で頷いた。


「関係あるかもしれない。実感としても、寒いところで大きな虫を見た記憶が多いんだ。コーカサスオオカブトを見に行ったときなんか、薄着で行ったら、ライトトラップ仕掛ける間に凍えそうになって」

――とくに、夕暮れに明かりをともして、明け方まで寝ずの番でライトの前で虫を待ち続けるライトトラップでは、放射冷却がガツンとくる。あれは――ガチで寒かった。それでいてコーカサスは雄一匹。Gnapholoryxが2種とれたのはうれしかったし、勿論他の昆虫もしこたま採集できたのだが――


リリィが目を丸くして聞き返す。

「コーカサスオオカブト?」

「地球の熱帯にいる、巨大な甲虫。熱帯にいるけど高山帯にいるから、夜は冷え込む――ほとんど風邪をひくくらいに。それ以降、虫取りの時はどうしても重装備になっちゃうんだよね――そう、熱帯の低地は虫が小さい傾向がある。高山に行かないと大きいのがとれない。そうすると、寒い。」



そう言ってから、ケイは少し口ごもった。



リリィがぽかんとしたままだからだ。

「甲虫?」

そう、石炭紀には甲虫がいないのだ。

「こんなの」

ケイが端末に写真を表示すると、リリィは食い入るように見た。

「すご……この殻、まるで鎧ね。翅まで装甲化してるみたい。それに角…角っていっていいのよね?・・・こんなの見たことないわ」

アリアもまた驚いた様子で声を上げる。

「中生代でもこんな凄い昆虫、見たことない!ってかこんなのいる環境、まだ残ってるんだ」


「ふふーん、いないでしょ、こんなの。」


そう、現代の昆虫も結構凄いのだ。


「中生代で派手な甲虫見た印象ないかも。小さいのばっかり。前に白亜紀で一緒にとってた…ムカシゴミムシ、だっけ?、とか…。ケイ、あれ結局どうなったの?」

「そう、中生代の甲虫は基本小さいよね。ああ、あれ?あのムカシゴミムシ、新種だらけだったんだよ~。」

「結局専門家に届いた?」

「うん、なんかめっちゃ嬉しがってて、気付いたら法外な礼金をつかまされてた。なんか過去で生き物乱獲して売り飛ばしてるみたいな気分になって、ちょっと嫌になったけどね」


脱線したところを、リリィが戻した。

「昆虫のサイズ差があるのって・・・中生代に比べて、地球や石炭紀が寒いから?」


「そう、かもね。石炭紀の昆虫も、もしかしたら似た感じなんじゃないかな。確証はないけど。

酸素駆動説が有名だけど――それで全部説明つくわけじゃないのかもしれない」


アリアは目を瞬かせながら、思わず聞き返しそうになった。

「酸素じゃないの?逆ベルクマン則が働くから寒かったら小さくなるんじゃ?」と。


「寒い環境で大型化する」といえば、ベルクマンの法則だ。

真っ先に思い浮かぶのはクマなどの恒温動物。

そして、昆虫や節足動物のような変温動物には、その逆・・・

逆ベルクマン則:「暑いところの方が大きくなる」

が働く、といわれている。

恐竜が大型化したのも逆ベルクマン則が関連しているかもしれない――恒温性といいつつ、現在の鳥類や哺乳類に比べるとだいぶ代謝が低いのだ。


彼女が専門とするのは、灼熱の時代。

温暖化が進む環境で、その温度上昇とともに進化し、みるみる大きくなった恐竜たちだった。

そして――そこにも、それなりに大きな昆虫がいた。


「酸素が少なくても、昆虫は大きくなる。

中生代版キリギリスとでもいうべきタイタノプテラ類や、クレスモダの仲間、アエスクニディウムの仲間など――現在よりも酸素が少ない中生代の昆虫もこれまた、現在の昆虫の感覚だとそうとう大きなものがいる。ただ、全部大きいわけじゃない――ごく一部のグループ――不完全変態の昆虫だけが大きく、完全変態の昆虫はむしろ、現在よりはるかに小さい、気がする。」


――そんな話を、以前の白亜紀行きのとき、吸虫管で集めた5ミリもないような虫を整理しながら、ケイが呟いていたのを思い出した。


中生代は、高温な時代だ。まさに常夏、極地以外基本的に熱帯、という環境。

だから中生代の昆虫は、酸素が少ないにもかかわらずしばしば大きいのだ。

――そう、アリアは思っていた。

しかし、ここで「寒い方が大きくなる」といわれると、中生代の大きな昆虫が説明できなくなる。


いや、中生代の昆虫も、寒いともっと大きくなる…??高山帯はまだ調査が追い付いていないから、なんとも言えない。

そしてもしそうならば、さらに酸素濃度が高ければ――


「なるほど…面白い仮説ね」

とアリアは呟いた。


ケイはその呟きを聞き逃さなかった。

「そう!かつて飼育が流行ったクワガタやカブトムシの場合、低温で飼育するほど大型の個体が羽化することが知られていたんだよね。仮説としては、成熟に要する有効積算温度の基準温度と、成長に要する基準温度が違うことが考えられていたんだよね。」

アリアは少し困惑したようだった。

「有効積算温度・・・?基準温度・・・?」

知らない語というわけではないけれど、話の地平を合わせるためだった。


ケイは嬉々として説明を始める。

「有効積算温度は植物や昆虫の生育に関して用いられるんだけど、彼らは体温調節できないじゃん?」

「うん、それで?」

「となると、一日の中で、ある一定の温度、これを基準温度というんだけど、以下だと育てないんじゃない?という概念がまず想起されるんだよね。」

「なるほど。。。わかった気がする」

「だから、その一定の温度以上の時間が成長に重要だろうと考えてみる。1日当たりの日平均気温から基準温度を引いて、発育日数をΣすることで求められる」

「つまり、日平均気温のうち、育つのに必要ない温度を引いた分の総和が成長に寄与するってわけね。」

「そう!その総和が一定に達した時、成熟して羽化したり、花が咲くと考える。このとき、成熟のための基準温度が、成長のための基準温度よりも高かったら?」

「1日当たりの平均温度-基準温度が、成熟のためのものよりも成長のためのものの方が大きくなるわね」

「そう、グラフにしてみると、成熟のための有効積算温度は一定なので、温度が高いと短い期間で成熟が達成される。このとき、成長に用いられた積算温度は、成熟のための積算温度=一定+、成長に用いられた日数×(成熟のために必要な基準温度ー成長のために必要な基準温度)になるよね?」

「そうなるかも」

「となると、低温でゆっくりじっくり時間をかけて育てた方が大きく成長できるという話になる。ま、これは仮説の一つに過ぎないけどね」

アリアにはとてもしっくりくる説明のように思えた。

「なるほどね・・・つまり、涼しいと、そもそも大きなものが、さらに大きく育ちやすいのかも、ってことね。」

だがケイはこの点に関しては慎重だ。

「もしかしたら、のはなし、あくまでも。」


アリアは嬉々として語るケイを見ながら、思う。

──まったく、この子は。

話が興味のある方向に振れると、急に機関銃のように話し出す。

それでいて、目線は合わない。

声はどこか頼りないのに、語られる知識はまるで大学講義。

そんなケイの語りに、どうしてこんなにも心を奪われてしまうのだろう。


アリアは思い返す。

彼女自身、過去の世界を歩いてきた。何度も。

白亜紀の灼熱地獄、ジュラ紀の針葉樹サバンナ、三畳紀の雨が止まない森。

過去の世界に踏み込み、誰も見たことのない世界を歩き続けた。


それでも――ケイが語る世界は、新しかった。

世界が持つ構造を、底から知ろうとしている。


だからこそ、その姿は危うく、そして目が離せない。

……だから、誘ったのだ。この動画シリーズに。


学問的な驚きだけじゃない。

その“語り”を、誰かと共有したいと思った――そして、自分もまた、その隣で世界に触れたかった。


だが、ケイは乗り気じゃなかった。

理由はいつも同じ。お金がかかる、と。

旅をするより、地球の都市部で資料を集め、現代に残るわずかな自然を観察する方が、ずっと安上がりだと。でもアリアはわかっていた。それはケイが本当に望んで選んだ場所じゃない。


荒廃した都市の片隅で、劣悪な空気と汚れた水と、目に見えないストレスに囲まれて、じわじわと心を摩耗させていく日々。ケイがそれに耐えられるのは、生きることに無関心なのではなく、むしろ誠実すぎるほどに全てを受け止め、解釈し、納得してしまうからだ。


だからこそ──アリアは決めた。

旅費のことなんてどうでもいい。無理やりでもいい。

ケイをこの時代の外へ、過去の世界へ連れていく。

そうでなければ、きっとケイは、自分の声すら聞こえなくなってしまう。


あの眼差しが、あの声が、もう一度過去の風に触れて輝くなら──

それだけで、旅の意味はある。



――ふと見下ろすと、機体は森の上に差し掛かっていた。




今回の引用

グラハムら(1995)

Graham, J. B., Aguilar, N. M., Dudley, R., & Gans, C. (1995). Implications of the late Palaeozoic oxygen pulse for physiology and evolution. Nature, 375(6527), 117-120.

『Carboniferous Giants and Mass Extinction: The Late Paleozoic Ice Age World』George McGhee



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