テイク2/ Have you seen this tree? (Day7)
「そう。あと、もう1バージョン撮ってもらってもいい?説明をメインにしたもの。面白い動画になるかは、わからないけど――」
「いいわよ。こっちは十分に楽しんでるし、ケイが満足するのがいちばんだから。」
「じゃ、また出発するね。知識と語りベースになるから、面白くないことは承知の上だけど」
「いいのよ、面白さとか気にされたほうが、私にとってはつらいから」
そして、一面に立ち並ぶレピドデンドロンを前にして、ケイは語り始めた。
「Attention: Have you seen this tree?」
この木、見たことがありますか?
……え? あるんですか?
それはちょっと困った。
「これは『レピドデンドロン』。いわゆる鱗木。
石炭紀、およそ3億年前の植物です。
……見たって? 本気で?
たぶん時空の裂け目に落ちましたね。
大丈夫、深呼吸して。まずは現実に戻りましょう。」
——これは、21世紀に流行したネットミームの一つ。
「遅刻の言い訳がレピドデンドロン」なんて冗談が飛び交っていた時代が、かつてあったのです。
古生物学が、まだ日常に息づいていた頃の話。
──でも、私たちは違います。
かつて残された資料にあったその“絶滅植物”を、今ここで見ています。
そう、私たちは本当に、レピドデンドロンの森に来てしまったのです。
アリアはこの話に、ひそかに受けていた。
「それ、ホントにあったの?AIのフェイクじゃなくて?
……レピドデンドロンで遅刻って、どんな世界線よ。
そもそもそんな有名だったの?」
「ほぼ確実に本当のネタだよ。21世紀――人がまだ人であれたころ、古生物学はそのくらい人口に膾炙していたんだよ。2020年ごろのミームかな。「AI以前の黎明期ミーム百科」で知ったけど、すくなくとも3つの別々のソースで確認した……“見たことありますか?”ってやつ。絶滅種の画像に添えて、半分ジョーク、半分ノスタルジーで投稿してたらしい。レピドデンドロンは特に沢山投稿されてたみたい。」
「黎明期ミーム百科…なにその何にも役立たなさそうな本」
「無駄を作るのも人間のいい仕事だよ。さて、続けていいかな?」
「勿論よ。そういうのが聞けるってわかってたから、ここに来たの。」
一面の”草原”に立ち並ぶ、天を衝くような巨塔。
どれも真っ直ぐに立ち上がり、空を串刺しにする。
何十、何百、いや、何万か。
見渡す限りに、緑灰色の柱が、風景そのものを塗りつぶすようだった。
レピドデンドロン。別名、鱗木。
だが、”木”というには、あまりに異質な存在。
”塔”の高さは30mから50メートル。
その大きさは、いまいちピンと来ないかもしれない。
ウルトラマンやゴジラと肩を並べ、自由の女神像すら見下ろすほどだ。
巨木で知られるセコイアオスギには及ばずとも、ふつうにみられるケヤキの倍はある。
日常ではまず見ない大きさの植物。
幹の太さは基部で2mを超える。
それでも──この植物の本質は、草なんだ。
胞子をばらまいたら、枯れてしまう、定命の植物。
悠久を生きる木とは、タイムスケールが全然違う。
アリアの声が、インカム越しに入る。
「ウルトラマン? ゴジラ? 自由の女神? ねぇ、21世紀の風俗で語られても私、わからないんだけど……」
「まあ、そうだよね。でも、もっと時を遡るよ」
──十九世紀。
ヨーロッパで産業革命が始まり、石炭の採掘が本格化するなか、炭鉱では奇妙な事故が相次いだ。
坑道の天井から、突如として巨大な石の柱が落ちてくる。
灰色で、かっちりと硬く、まるで人工物のように整い、ときには幾何模様の刻まれた石の柱。
それは、石炭の上に生えていた植物が、立ったまま化石化したものだった。
炭鉱を探す過程で、そうした柱はあちこちで見つかるようになった。
中には、全長34メートルの幹に、6メートルもの枝がついたという記録すら残っている。
ちょうど、チャールズ・ダーウィンと同時期の話。
人々はその迫力と巨大さに圧倒され、魅了された。
でも、そうした巨大な植物化石の多くは、今はもう存在しない。
三十メートル級の石柱を丸ごと切り出して保存する手段もなければ、それを展示できる施設もなかった。
標本は回収もできないまま風化し、採掘の過程で崩され、記述とスケッチだけが学会誌や博物図に残された。炭鉱がはやらなくなると、新しい化石が見つかることも少なくなった。
そして、”植物界の恐竜”は、セピア色の紙面に封印された。
……でも今、私たちはその森の中に立っている。
「ダーウィンは、友人であるライエルが鱗木類の巨大な幹を発見したと知って、強く興味を抱きました。その異様な外見、しばしば海産動物と共に見つかるという事情から──当時一部で唱えられていた“海中植物説”に想像を巡らせたようです。そして、彼のもう一人の友人であり、当時を代表する植物学者フッカーに、興奮気味の手紙を送っています。」
ケイは静かに言葉を継ぐ。
「その手紙を読んだフッカーは、激怒しました。
どのくらい怒ったのかは記録に残っていません。たぶん、手紙を残さないくらいには、怒ったのでしょう。でも──ダーウィンですらそんな仮説を持ち出してしまうほど、この植物は常識外れだったということです。」
ケイは歩きながら、巨大な幹に手を置いた。
目を上げて、その頂を見つめながら語る。
「レピドデンドロンをはじめとする鱗木類は。その巨大な体躯にもかかわらず、成長の最初期に幹の太さが決定され、その後は遺伝的なプログラムに沿って、ほとんど定型的に成長していきます。成長速度は不明ですが、埋没した化石の数の多さから、十年未満で成木になるのではないかと推測する研究者もいました。」
「ただし、それほどの速度は物理法則と矛盾するという意見もあります――たとえば、そもそも現在の小葉植物はそんなに急激に光合成できないので、現生種の数百倍の光合成効率がいるのではないか、というものです。でも――実際の成長期間は未確定です。──この旅のあいだに、ぜひとも観察したいテーマですね。」
手のひらを幹に軽く押し当てた。
「はっきりしているのは、百年単位ではないということです。この植物の幹の下部は、成長の最初期に作られた基礎構造であり、それ以降は成長も更新も行われず、ただ朽ちていくだけです。」
一拍の沈黙ののち、ケイは静かに言った。
「樹木が何百年もかけて成長し、個性豊かな樹形を獲得するのとは、根本的に異なります。
この──もはや木とも草ともつかない、名状しがたい存在。それが、レピドデンドロンとその仲間たち。すなわち、鱗木類なのです。」
アリアは撮りながら、空にそびえる鱗木の塔を見上げた。
たしかに――これは、一般に向けての動画としては三流以下だと思う。
言葉にしすぎたくない情報と、映像に委ねるべき瞬間のあいだで、何を組み立てるのか。
ケイの語りはいつもそうだ。正確で、論理的で、でもどんどんジャンプして聞き手を振り落とす。
ギャップと意外性が面白さだと思っているから、なのかな。
語りたがるくせに、コミュニケーションに全く関心がない。
――でもそれが彼女らしさ。変わらないでいてほしい、と思った。
もし、ケイがもっと”人間的”になったら??
それは――もう、私が望む存在じゃない。いや――それはむしろ、彼女の「死」なんだ。
容赦なく照りつける直射日光が、肌を刺すような痛みを残していく。
その中を歩くケイの背中は、ゆっくりと先へ進んでいく。
足元の水が、思いのほか冷たい。
巨大なかんじきが取り付けられた長靴越しに、水の温度がじんわりと伝わってくる。
踏み出すたびに、水面がわずかに鳴る。
足元に広がる、レピドデンドロンの根にケイは触れる。
黄緑色のそれは、節のない円柱状の茎を持ち、膝ほどの高さまで伸びている。
湿原に生えるイグサやカヤツリグサを思わせる姿、一本、そっと折り取ってみると、中は空洞だった。
「そう。この“草”、実は鱗木の根なんです。緑色をしていて、光合成をおこなっています。
鱗木の根は、こうして地表に出て、密生して群生し、まるで草むらのような景観をつくる。
そして、その間から塔のような主幹が立ち上がっている。
すべてが、一つの植物──鱗木なんです。」
そして、ケイの目がふと止まる。
“草”の群れのなかに、ところどころ、苔むしたような、丸く盛り上がった塊がある。
谷地坊主のような、不規則な葉の集合体。
しゃがみ込み、それに顔を寄せた。
──あれは何だ。
その葉にそっと手を触れ、目を見開いたまま、ぽつりと言葉が漏れた。
「……おお……これだ……これを見たかった……」
声は震えていた。
瞳は驚きと高揚で潤み、手のひらで目元をぬぐおうとした瞬間、ぽろりと涙がこぼれた。
それを拭うこともせず、ただ、その感動に身を預けている。
自然と、笑みが浮かんでいた。
そして、きた。
唐突に上体を起こし、大きくヘッドバンキング。
そのまま、感動の臨界点を突破したかのように、マシンガントークが始まった。
「この若いリンボク!根だけが先に形成されて、タコみたいな形になって、その“タコの頭”が成長して塔になるんです!そして、成長の最終段階で枝ができる!この成長様式は長い間謎とされてきたけど──19世紀に活動していたドイツの古生物学者アウグスト・ゴルトフスが、『ドイツの化石』(1826〜44)の挿絵として、しれっと描いてるんです!あの本は未完で終わったんですが、最後に描かれた『石炭紀の全景』には、若いリンボクがボール状に描かれてる!これはつまり──あ、ちょっと脱線しましたね。当時はリンボクの若葉が長さ1メートルもあるとは知られてなかったので、根と茎の塊だけなんですが……いやぁ、すごい……惚れ惚れするなあ……昔の人の観察眼って、ほんと、すごいなあ……!」
アリアはその様子を見つつ、そっとメモ帳に書き込んだ。
「ドイツの化石」「石炭紀の全景」──撮影候補。あとで絵の出典も調べる。
……うん、こういう面白さ、私は好きだ。だけど――たぶん視聴者の大半は「どの絵?」ってなるだろうな。せいぜい思い浮かぶのは、19世紀の復元画といえば『ドゥリア・アンティクイオル』(1830)──
イクチオサウルスがプレシオサウルスを食ってる、あれくらい。
……いけないいけない。私まで置いてきぼりにしてどうする。
そんなときだった。
根の隙間で、小さなものがのそりと動いた。
ケイがしゃがみ込み、そっと拾い上げる。
掌にのせると、それは長い棘をもったカブトガニだった。
体長は数センチ。硬い甲羅に、細い脚がすばやく動く。
「エウプロープスですね。石炭紀に生きていたカブトガニです。
現在の種よりもずっと小さく、手のひらにのるほど。
20世紀の古生物学者によれば──こうやって、体を丸めることもあるんです。」
たしかに、エウプロープスは腹部をくいと折り曲げ、棘を外向きに立てながら、丸くなろうとしていた。ダンゴムシのように綺麗な球体にはならない。むしろ、棘を振り回して身を守ろうとする動きに近い。
ケイの指先から、エウプロープスが転がり落ちそうになる。
その口元──顎基と呼ばれる、脚の基部が発達して顎のようになった部分に、黄緑色の塊が挟まっている。
「鱗木の胞子を食べてますね。現代のカブトガニはゴカイや貝を食べる肉食性ですが、まあ、目の前にあれば何でも食べるって、飼育員の人も言ってました。押し込めば。」
ケイはまるで手の上の動物と語るように言うと、そっとそれを戻した。
その拍子に、水面がぷくりと膨らんで揺れる。
……足元が、また沈みはじめていた。
「私が動けなくなる前に、少し動きましょう。足元には、時おりごつごつとした塊があって──それを綱渡りのように伝って歩いています。それも、リンボクの一部なんです。それが担根体……あまり聞き慣れないと思います。根をつける特殊な構造で、根とも茎とも葉ともつかない。現生では、イワヒバやミズニラに名残が見られる程度です。」
ケイは辺りを見回した。
水面の下、沈んだ地面の下。どこまでも緑が続いている。
「この大地は、担根体と根でできているようなものです。枯れた幹や地面の隙間に入り込み、30㎝から長いときには1メートルにもなる根を四方に放射する。そうして、死んだ幹を埋め、空間を埋め、最後には──“地面”そのものを作ってしまう。」
ケイは足元にしゃがみ込み、地表をじっと見つめた。
「ほら、石や砂の一粒も落ちていないでしょ?」
そこにあるのは、土ではなかった。
泥炭層──生きて、育ち、枯れていった鱗木のなれのはて。
目に見えるすべてが、鱗木。
空を刺す塔も、地表の根も、そして足元の大地そのものも。
──この大地は、植物の屍でできている。
「泥炭地では、足を踏み外したらおしまいです。どれほど危険か──歴史を見てみましょう。」
ケイは足元の水面を見下ろしながら、静かに語り始めた。
「16世紀、イギリスのソルウェイ泥炭地。当時、ヘンリー8世が率いるイングランド軍と、スコットランド軍が対峙しました。しかし戦闘は、一方的なものでした。スコットランド軍の騎馬部隊は次々と泥炭に足を取られ、沈み、やがて逃げ場を失って降伏したのです。後年、武装したままの軍馬が泥の中から発見されたと記録されています。」
その声は、淡々としていた。
アリアは視線を落とした。
泥炭の水面が、さざなみひとつ立てず、ぬるりと広がっている。
昨日──この水の下で、ケイは沈んでいった。
何も言わず、まるで自然の一部になりたいかのように。
もがきもせず、あのまま死んでもおかしくなかった。
なのに。なぜ、そんなに……
怒るほどじゃない。でも、どこか、冷たい水をかけられたみたいだ。
アリアは、カメラ越しにケイの横顔を見つめた。
あのとき、何を思っていたんだろう。
「ほら、また、だんだん沈んでいっているでしょう?」
ほんの少し、楽しそうですらある。
ふと、自分の胸に手を当ててみる。
鼓動は穏やかだった。でも、心の底に、何かがつっかえたままだ。
それを、どう処理すればいいのか──まだ、わからなかった。
ケイはふと顔を上げ、空を見上げた。
「そしてこの泥炭が──三億一千万年の時を経て、石炭になります。
人類はそれを掘り起こし、エネルギーとして燃やし、蒸気機関を生み出し……産業革命を起こしたのです。」
静かな声だった。
「人類がいくら考えることができても、エネルギーの問題を解決しなければ、飛躍はなかった。
この巨大な湿地帯こそが、人類を根本から変えたんです。」




