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不浄なるもの(Day7)

ほどなくして、河岸に仮設の船着き場が見えてきた。

この先は長丁場らしいので、トイレ休憩――というより、のぐそ休憩だ。

船着き場は木製の筏を浮かべただけのもので、上陸するときしむ板が不安定で頼りない。

中央には穴が開けられており、そこにしゃがみ込むだけの簡素な構造だった。隠すものなど、どこにもない。


順番を待つあいだ、何となく視線を川上にやると――

船着き場の周囲を、異様な植物が取り囲んでいた。

おそらく、半水生のメデュロサ類——マクロネウロプテリスMacroneuropterisだろうか。

それは奇妙な姿で川岸に佇んでいる。

高さは1.8~2.4メートルほど。茎は腕ほどの細さしかないが、そこからは2メートル近い巨大な葉が傘のように広がっている。


葉の羽片は手のひらほどもあり、新芽は毒々しいえんじ色。だが、やがて浅緑へと変化し、成長とともに深緑に。葉は横に広がり、やがて重力に負けて――いや違う、基部から下向きに屈曲して支柱のように、下向きに軟泥に突き刺さっていた。茎の半分ほどの太さがある葉柄が、株元を傘の骨のように固定していた。

その姿は、タコノキやマングローブの気根を思わせる。

しかし、現代の植物ではほぼ類例を見ないデザインだ。

葉柄の間からは不定根が伸びているが貧弱であり、植物体を支えるほどの強度はないようだった。

おそらくはあくまで吸収用なのだろう。


ふと足元を見ると、釣り竿が数本、立てかけられている。

柄の部分には、さっきの植物の葉柄が使われているようだった。

触ってみれば、しっかりと木質化しており、根元のほうが黒ずんでいる。

そして先端に行くほど柔らかく、硬くよくしなる。



再び上空を仰ぐと、遥か頭上にシギラリアの塔が霞んで見えた。

双眼鏡で覗けば、幹には縦に走る条と、規則的な葉痕が刻まれている。Sigillaria brardii の特徴に近いかもしれない。

巨大なオオトンボは遥か上空で旋回しており、ちょっと採集は無理そうだ。


突如、パキパキと音がするので振り向いてみれば、用を足し終わったアリアが何かを万力で潰している。見てみれば――メデュロサ類の種子。クルミ大はある。形態属だと、Rhabdocarpus型か。

水によく浮き、船着き場に沢山流れ着いている。


アリアは、潰したメデュロサ類の種子を針に通しながら、少し首をかしげるようにして言った。

「シギラリアの“実”はよく魚が釣れるのよ。……って、聞いたことある気がするんだけど?」


——いや、それは明らかにメデュロサ類の種子だ。

おそらく、周辺にたくさん生えているマクロネウロプテリスの種子ではないだろうか。

水によく浮くことやサイズ感は、現生種だとサキシマスオウノキ Heritiera littoralis によく似ている。


私は水面に浮かぶ、松ぼっくりのようなものを拾い上げた。

シギラリアの大胞子嚢穂、Sigillariostrobus だ。


「それ……狙った?」


アリアは顔を上げなかった。「何が?」

針を結び終え、口元をわずかに引いた――まるで、すべてを承知で遊んでいるかのように。


「だってシギラリアの“実”って……こっちでしょ。実ですらないけど」

じっとりと湿った、松ぼっくりそっくりな胞子嚢穂を少し手の中でほぐすと、数ミリもある粒状の巨大な胞子が詰まっている。一部はすでに発芽し始めていた。


「そう、もちろんそうなんだけど。なぜか、ここの人たち、“シギラリアの実”って呼ぶのよね。これのこと」

歴史的誤認の追体験だ。そう思うと胸が躍る。

そう、十九世紀、黎明期の古植物学でも同様の混乱があった。

ドーソンはシギラリアと同所的に見つかったメデュロサ類の種子を、シギラリアの種子と見なしたのだった。それは、シギラリアとメデュロサ類が比較的近い場所に生育していたことを意味していたのかもしれない。そう思うと、目の前に映る景色がもっと鮮やかになる。

「……面白いね。ドーソンも、そう思ってたよ」


その直後、トイレ(とは名ばかりの、筏に設けられた穴)から戻ってきたリリィが手を拭きながら、さぞかし恨めしげに言った。

「……あんたら、今どこに糸垂らしてるか……わかってるよね?」


アリアは悪びれずに笑う。

「大丈夫、食べないから。ここでも便所魚を生餌にするのはセーフでしょ?じゃなかったらここにおあつらえ向きな竿があるわけないし」


リリィが肩をすくめる。

「まあ、そうだけど……それ配信に載せるの、どうなのよ」


アリアはにっこり。

「逆に見たいって言われるのよ、“便所”って。下品なネタの爆発力はときに怖いわ」


ケイが静かに補足する。

「便所釣りはボクもやったことある。カリマンタンだったかな。人が出して、魚が食べて、人に還る――それだけ。何が便所にいるのか気になったってのはあるけど」


「豚トイレとか犬トイレも経験してたよね」


「うん、あれはちょっと自分も食われそうで怖いけど、魚なら安心感がある」


「何、地球怖い」


「え、火星はもっとひどいわよ?何を出したか記録されてて、排泄=貢献、余計なもの流したら罰則。だってそれがいずれ口に入るから。」


「気になる、それ。こっちじゃない風習とかある?」

私は用を足しながら言った。ふと穴を覗き込むと、銀鱗が躍っている。


「小学校に“排泄貢献週間”があるとか?地球にはないわよね?。全校生徒の尿窒素濃度を比べて、優勝者には人工コーヒーの権利が……」


その瞬間、アリアの竿がしなる。

「さて、何が釣れてくるかな!」



**同様の後書きを前にも書いたのですが再掲。

*東南アジアのOverhung latrine(川に直接トイレをする形式)に魚が集まっているので釣り糸を垂らしたところ、なんとテッポウウオが釣れた、という話をどこかの雑誌か本で読んだことがあるのですが、出典を忘れてしまいました。

あまりにも衝撃的で心に深い傷を残したものですが、同様の報告はインターネット上には見当たらないので貴重な観察例です。


クロホシマンジュウダイScatophagusに関しても、Overhung latrineの周囲で見られることはあるため、「実際に糞を食べるという報告はない」とする説がどれほどの正当性を持つか疑問です。一匹でも糞をくわえた個体がいればその説は崩壊するのですから。

東南アジアに限らず、川に野糞をして何が集まってくるか観察することは、人類の未知のテーマに触れることになるかもしれません・・・そういう情報こそ、案外ない情報なのです。

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