夜の桟橋観察 (Day6)
集落に戻るころには、すでに日が暮れていた。
赤みを帯びた電灯の光が、水面にちらつく。
人々が行き交いながら、巨大な皿を右へ左へと運んでいるのが見えた。
船から降りると、ぼんやりと照らされた桟橋をひょこひょこと小さな生き物が歩いている。
手に取って見れば、小さなウミサソリ類のAdelophtalmusだった。
パドル状の遊泳脚を振り回して抵抗するが、他の棘だらけの脚は背中まで回らない。
背中から掴む分には比較的安全そう…いてっ。パドル状の遊泳脚の先端にはやや尖ったところがあり、背中から持っても器用にこれが突き立てられると結構痛い。これは…ゲンゴロウに既視感がある。
ちなみに「ウミサソリ」とはいうものの、毒はない。尾は剣のようだが、カブトガニだってそうだ。
どうやら走光性があるらしく、桟橋に上陸している個体は一匹や二匹ではなかった。
水面付近を泳いでいる個体を見ると、遊泳脚をほとんど水平に目まぐるしく振り回しながら泳いでいる。驚いたことに前だけでなく、上下左右に泳ぐことができる。
バックも微速後退くらいならできるようだ。遊泳速度は遅いが、夜闇に紛れて魚や厚エビ類を捕まえている。棘魚類を抱え込んだ個体が現れたときには、まだ見られていないので先を越されたような気がして、とても悔しかった。
水の濁りはひどいが、生き物の気配には満ち溢れていた。
ふと懐中電灯で水面を照らせば、桟橋沿いに魚があちこちで寝ていた。
体高の高い、どこかタイに似た印象の魚――プラティソムス類のなにかだろう。
見た目はおいしそうだが、この村の人々は決して手をつけようとしない。
というのもこの魚は便所にたかって人糞を食うからである。
この村の便所はダイレクト水洗便所とでもいうべきもので、艀に開けられた穴から直接糞便を落下させる。すると、ビチビチと音を立ててこの魚が食いつくのだ。
東南アジアにいるクロホシマンジュウダイはスカトファグス属…などという名前がついているほどだ。本当かどうかはさておき。
まあ、東南アジアの水洗便所(発展途上国では、川に糞をすることをいう)で実際糞を食っている魚はといえば、クロホシマンジュウダイだけではないので、特にこの習性が変ったものとは言えないだろう。そういう東南アジアの便所で気になって、釣りをしたことがある。
しばしばテッポウウオが上がってきた。
しっかり私の糞を食べていらっしゃったので、イメージダウンも甚だしかった。
現代と同じく、節足動物も夜になると活発化する。
パレオカリス類の厚エビ類は夜になると活発になるようで、ひらひらとその周囲を泳ぎ回っている。時折、ウミサソリがそれを追って捕食していた。堤防の縁には小さなカブトガニ類のEuproopsが歩き、堤防にこびりついた淡水二枚貝やMicroconchidをつまんでいる。Microconchidというのは、この時代の淡水域でもっともよく見られる付着生物のひとつだ。だが、その分類学的位置も構造もきわめて特異で、完全に絶滅してしまった名状しがたいグループである。小さなとぐろ状の殻を持ち、外からの見かけ上はウズマキゴカイそっくりだが、違うグループだ。現生に同様のものは存在しない。
二枚貝は、採取すればおそらく種の特定も可能だろう。
予想を立ててもいいが、水上体とやや自信がない。
濁った淡水域に群生する姿は、カワヒバリガイを思わせるものがあった。
そんな付着生物のあいだを、細長い、ウナギに小さな手を付けたような両生類がうねっているのが時折みられる。しかし、小さいために捕まえてみないとはっきりした種はわからない。
ところで、元祖「長物」は、顎口類においてはむしろこういう四足動物なのではないかとすら思う。
石炭紀の硬骨魚類で、明確に細長い体を持つ種といえば、せいぜい Tarrasius くらいしか思いつかないからだ。
そんな観察をしていると、不意に“ぬっ”と巨大な頭が水面から現れ、ぎょっとした。
「Baphetes かその仲間よ」
アリアは一目見るなり即答する。特徴的なのは、目の前にあるくぼみだという。
彼女は水中カメラを操作しながら、「なんとか引きずり出せないかな」と呟いた。
その執着の理由はわかっている。
Baphetes は上半身しか知られていない。この場所に以前アリアが訪れた際、食卓に Baphetes の煮つけが出たことがあったのだが、よりによって“上半身だけ”が盛り付けられていたという。
そのときの悔しさを、彼女はいまだに引きずっている。
しかも Baphetes は、この時代の四足動物のなかでも特に原始的な系統に属するらしい。だからこそ、その「全身像」を執念深く追い求めるのも無理はなかった。
桟橋は食後にまた見回るとして、まずは食事だ。
*東南アジアのOverhung latrine(川に直接トイレをする形式)に魚が集まっているので釣り糸を垂らしたところ、なんとテッポウウオが釣れた、という話をどこかの雑誌か本で読んだことがあるのですが、出典を忘れてしまいました。
あまりにも衝撃的で心に深い傷を残したものですが、同様の報告はインターネット上には見当たらないので貴重な観察例です。
クロホシマンジュウダイScatophagusに関しても、Overhung latrineの周囲で見られることはあるため、「実際に糞を食べるという報告はない」とする説がどれほどの正当性を持つか疑問です。一匹でも糞をくわえた個体がいればその説は崩壊するのですから。
東南アジアに限らず、川に野糞をして何が集まってくるか観察することは、人類の未知のテーマに触れることになるかもしれません・・・そういう情報こそ、案外ない情報なのです。




