コールスワンプ・ランディング (Day6)
1.
レピドフロイオスの森を漕ぎ進めるにつれ、水深は浅くなっていく。
レピドフロイオスの根は水面に長くたなびき、水底はほとんど見えない。
はじめは水深1m以上はあったが、いまやボートの底にごつごつと根が当たる感触がある。
いまや小舟というより、ソリの方が近い。
レピドフロイオスの幹に小舟が近づくと、ぱちゃり、ぱちゃりと水音が上がる。
遠目には、何かが剥がれ落ちているようだった。
最初は何だかわからなかったが、近づくまで接近できるとその正体が良く分かった。
手のひらに載るほどの、小さな小さなカブトガニである。
エウプロープスEuproops、このとげとげしく小さなカブトガニは水際に上りたがるようで、水面から1mほどの範囲内にしばしば列をなして佇んでいた。そして、驚くと体を丸めるようにして水面に落下するのである。そして落下すると素早く沈降し、泥炭の中に潜っていってしまう。
捕まえようとするが思ったより警戒心が強くて一向に近づけない。
ほかにも水辺には命が溢れている。ダシレプタスDasyleptusに近縁とみられるイシノミ類は、レピドフロイオスの幹にたくさんへばりついている。それらは幹の表面に生える気生藻を齧りとっているようで、幹の上をすべるようにして動き回る。動くとき以外は背景によく同化してしまい、レピドフロイオスの樹皮の隙間に身を潜めがちなこともあって、どこにいるのかわからなくなる。
そして驚くと跳ねる。その瞬間、全身があらわになる。
そして、木の下にあるのは、水面。
水面に波紋が広がっていく…
水中にはハプロレピス類が待ち構えていて、すかさず食いつこうと上がってくる。
しかしその瞬間、体をひねって水面を水きり石のように跳ねていくのだ。
水面に茂るレピドフロイオスの根にとまって、一休み。
そして、また飛び跳ねながら隣の木へと渡っていく。
見覚えがあると思ったら、トビハゼに近い。
ときには船内に飛び込んでくるものもあった。
すかさず捕らえようとするが、船内で跳ね回っていっこうに捕まらない。
手を伸ばすとぬらりと体をひねり、また20㎝ほど跳ねて”瞬間移動”する。
こういう跳ねまわる昆虫は水面に落ちれば動きが封じられるのが定石だが、さっき見たようにこいつは水面でも跳ねまわる。
その時、アリアが漕ぐオールが空を切ったかと思うと、船が片側に大きく傾き、私の体もぐらりと傾いた。全身にぞわっとした悪寒が広がり、心臓がきゅうと重く痛む。
「ちょっとケイ!バランス崩れる!」
オールを漕いでいたアリアが叫んだ。
そう、非力なケイ…私にかわって、殆どアリアに漕いでもらっているのである。
「ごめん…」
私は何も言えなかった。
終わってから冷や汗が出てくる。
あぁ、危なかった…もし機材が水没でもしていたら、一生かかっても弁償できないかもしれない。
アリアは何も言わず、黙ってオールを握りなおした。
しかし表情は硬いままだ。時折底に乗り上げ、がくりと舟が揺れる。
私は身を任せ、できるだけ振動を増幅させないように縮こまるしかなかった。
アリアは下唇を噛みながら言う。
「上陸ポイントがまるで見当たらないわ。遠浅すぎて、全然岸に近づけない」
仕方なく一旦、深場に向かって漕ぎ進める。
深場に戻ると、船はその正しい居場所を取り戻したかのようにしっかりと安定した。
アリアの表情がほころぶ。
「ケイ、なんかいい案ない?」
——こんな時だけ、少しだけ自分の知識が役に立つ気がする。
「できるだけ細くて、深いところをドローンで探す、とか。」
「ここで簡易な地形図を作るってことね。」
アリアがヘッドマウントディスプレイを被り、一番大きな報道用ドローンを出そうとする。
いや、そこまでする必要はない。私は手を伸ばして制止した。
「アリア、それは撮影に温存しよう。視覚でも判断できるはず。」
アリアは眉を顰めたが、すぐに納得したように小さく頷く。
「オッケー。航続距離の面でもその方がいいわね。でもどうして?」
そう、直径30㎝ほどと小さめの空撮ドローンを準備しながらいう。
「泥炭の割れ目に沿って進めば、極端な遠浅にはなっていないはず。湧水とかがあればいいんだけど」
「なるほど、裂け目がうまく陸地まで達していれば、上陸できるってわけね」
「水深はどう判断する?でかいやつなら、LiDAR積んでるから地形も一発で読めるはずだけど?」
「湧水があれば、黒いか白いかは微妙だけど…ただ、周囲とは色が違うはず。それにレピドフロイオスの根をみて」
レピドフロイオスの根は、先ほどの深い部分では水面に届く程度。そしてこの浅場では水面に長くたなびいている。
「あ、そういうことね!それなら確かに大きいのを出すまでもないわ。上からみたら、浅いところは根がたなびいて黄緑色に、深いところはブラックウォーターの地が見えると」
「そう。陸か水中かは植生でもわかるはず。陸上に出れば、レピドフロイオス以外の植生が出現するはずだから。」
「それ、植生の色味が違うとかで分かるかな…。モニターにも表示するから見てね、私そこまで植生に詳しくない」
「いけるはずだよ」
アリアが鷹匠のようにドローンを差し向けると、ドローンは高く、高く舞い上がっていった。
「…やっぱり、頼りになるじゃん」
2.
ドローンが高度を上げると、視界は一気に開ける。
木々の底にいながら、モニター越しに上空から見下ろす。その視界の片隅に、私たちの姿があった。
リンボク類の樹冠は非常に疎らだ。
だから上空から見たときの色合いは樹冠ではなく、その足元で決まる。
その「湿地林」は、森というより…様々な小型植物や水面からなる地面から、緑色の電柱が乱立しているかのように見える。
その足元は…トリカラーだ。
無数の水路とそれを取り巻く地面の凹凸が、その水深に応じて染め分けられている。
浅瀬では水中に茂る根が黄緑色に輝き、赤いブラックウォーターにたなびいている。
「少なくとも、黄緑はさっき経験したように浅すぎて座礁するし、根がオールに絡まる。」
「ずっと漕がせててごめん…疲れるよね」
「引っかかった拍子に水に落ちかねないから座ってて」
その赤は水深が深まるごとに深みを帯び、焦げ茶色になり、ついには漆黒の闇に沈んでいく。
「でも、遠浅になっているところが多くて岸に近づけない…そもそも岸をまだ見られてない」
「そして、深いところにはレピドフロイオスしか生えてない」
そしてそんな中に…リンボク類の足元が、濃い緑色に覆われている場所が点在している。
カメラが拡大すると、シダのような巨大な葉が水面に向かって手を伸ばし、オーバーハングしている。
葉の長さは1mほどのものから、大きなものでは5m以上はありそうだ。
おそらく何かしらのシダ種子植物か、シダ植物ではあろう。
「ケイ、本当にシダっぽいのが茂ってるところは陸地とみていいんだよね?」
「うん、一応抽水耐性があるものもあったことは知られてるけど、少なくともほとんど陸地」
「一応抽水耐性、ねえ…」
「そう、一応、そのはず。推測に推測を重ねてるけど、少なくともかなり浅いはずだよ」
正直言うと、プサロニウスなどの木本性リュウビンタイ類には抽水に堪えるものがあったとする説があるので、必ずしも正しいわけではないが…ただ、現状を把握するためにはましな部類の推測だろう。
「船で近づけて上陸できるとなると…紅茶色のところと濃い緑色が接してるところ、ね…」
「あとは砂は白いはずだから、白いところも上陸ポイントになるはずだよ」
「・・・なんで白いって?わたしたち、この森に来てから一度も砂を見てないのに」
「泥炭のpHが低いから漂白されて、少なくとも表層は白砂のはずだよ。熱帯ポドゾルだね」
「なるほどね、それはある程度参考になりそうかな…でも、そもそも砂なんて…」
「ちょっと望み薄かも。氾濫の影響で泥炭が押し流されたり、新たに堆積した場所じゃないと…」
「そういうところ、何か違う生き物がいそうね」
「御明察。」
赤黒い網目模様の中に浮かぶ、3色のパッチワークに目を凝らす。それは形をなし…
アリアの顔がパッと明るくなった。
「ケイ、みつけたわ。ドローンを回収したら向かう。空撮データは端末に送信したから、案内お願い」
モニターの画面を見ると、木々の間に、真っ黒な帯が広がっていた。そしてその先は陸地に突き刺さっている。
「りょうかい!」
ハチの羽音のようにドローンが降りてくる。レピドフロイオスの樹冠はひじょうに密度が低く、下から見ると青空が見える。引っかかる心配はない。
アリアはさっとドローンを回収して防水パッケージに詰めると、オールを漕ぐ手に力を込めた。
レピドフロイオスが水中から柱廊のように立ち並ぶ中、オールの波紋が広がる。
3.
ティーカップの上を泳いでいるようだ。
焦げ茶色の水路に、オールの波紋が広がる。
樹冠が疎らなこの森では、木陰の恩恵などほとんどなく、空からの光は容赦なく降り注ぐ。赤道直下の太陽が、肌を焼くようだった。
柱のように立ち並ぶレピドフロイオスの合間に、ひときわ巨大なシダ状の葉が見えた。
たしかに、その根本は地面についているように見える。
葉の下をくぐるように小舟を進める。
見上げた葉の裏にはずらりと胞子嚢が並んでいて、幹は無数の黒い根で覆われている。
おそらく、プサロニウスの仲間だろう…
アリアは小舟の速度を緩め、頭上に茂る葉を見上げる。
「すごい木性シダね。中生代でもよく見るような…」
「・・・中生代の木性シダというと、Weichseliaとか、Tempskyaとか?あとはゼンマイ科とかにも…」
アリアは木性シダを見上げ、何かに気づいたようだ。
「そうそう。現代の木性シダは葉が三角形っぽい形をしているけど、中生代のは丸っこいのが多いわ。その方が原始的かと思ってたけど…石炭紀の木性シダはむしろ、三角形ね」
うーむ、たしかに。中生代は白亜紀に一回行っただけだけれど、そんな気がしなくもない。それに…
「たぶん生態と競合者の関係じゃないかな、石炭紀だと、シダ種子植物の葉は概形が丸っこい傾向がある気がする」
「そうね・・・あと、シダ種子植物ってちょっと、被子植物っぽい茂り方をしてる気がする」
「それ、凄く的を射てると思う。まだ観察できた種類が少ないから何とも言えないけど…今の木性シダが被子植物に対抗する必要があるのと同じように、石炭紀の木性シダはシダ種子植物に対抗しなきゃいけなかったのかも」
サンプリングしておかないと。私はさっと葉をむしり、紙封筒に入れた。
アリアは少し首をかしげていう。
「紙封筒?」
「古風だけど、胞子の観察には、丁度よく乾くからいいんだよね」
たぶん多くの人々からしたら「いまさら本を読んでいる古風な変な人」だろうし、採集器具が紙封筒というのもまた古風なのもまあ否めない。
するとアリアは少し考えるようにして…
ぽん、と指を動かしながら、
「・・・まさか、持ち帰って育てる気?」
と言った。
まさか。熱帯域では湿らせておくとあっという間に腐って、わずか数時間おくだけでDNAすら抽出できなくなる。いつでもDNA分離装置を持ち歩けるお貴族様と違って、持ち帰ってからサンプル処理しなければいけないビンボー旅人の知恵なわけだけれど…
「そのつもりじゃなかったけど…悪くないアイデアかもね。石炭紀の胞子が乾燥に耐えるかわからないけど。でもこれ・・・長くかかりそうだね」
粉のような胞子から巨大な木性シダになるまで、いったいどのくらい時間がかかるのだろう。
「…10年、とか?」
「100年、かもね」
小舟は巨大なシダ状の葉の間をくぐり、ついに横付けする。
「いやー、長かったねぇ…私はちょっと漕ぎ疲れたし、ちょっと舟で休む…先行ってて…」
そう言う声には、力が入っていなかった。
アリアはここまでの疲れがどっと来ているようだ。
オールから手を放し、小舟の上で、まるで湯船に漬かるかのように腕を投げ出し、頭上に広がる木性シダの葉を見上げていた。
本当にすみません…
「じゃあ、お言葉に甘えて」
おそるおそる足を踏み入れると…根が案外しっかり張っている。一歩足を進めるごとに地面がゆっくりと沈み込むが、しかしバランスを崩すほどではない。細かいプサロニウスの根はマットのように積み重なり絡み合い、まるで目の粗い不織布のように地面を覆っている。
結構いける、と思った瞬間。地面が急に抜けた。
マット状に広がった根に穴が開いた瞬間、まるで地面が液体であったかのように一瞬で落ち、胸まで漬かった。
音もなく沈んだ。
声をあげる暇すらなかった。
頬を冷や汗が伝う。身動きが取れない。これは…化石になれるパターンだ。
あ、でも泥炭地で沈んだら、骨は溶けてしまうか。
「ケイ~?そろそろ行こうかと思うんだけど、どんな感じ?」
「化石に・・・なれそうだよ」
「はい?」
復元メモ: ダシレプタス Dasyleptus および”モヌラ類” Monuraについて。
⁂ステムグループ・イシノミ類
ダシレプタス Dasyleptusは現在知られている昆虫の中でもとりわけ原始的なものです。
現在のイシノミの腹肢にも腹部には腹肢があり、甲殻類を思わせるものがあります。
しかしダシレプタスの場合腹肢はとくに発達しており、あたかもしっかりとした関節肢があるように見えるのです。ダシレプタスは石炭紀からペルム紀の水辺ではありふれた生き物であったらしく、多くの化石が知られています。ダシレプタスをはじめとしたモヌラ類はイシノミに近縁ということで陸上の原始的な昆虫である・・・と勝手に解釈されがちですが、カイエビなどの水生生物が主に見つかる場所から(他の陸生昆虫は断片的にしか見つからないにもかかわらず)きわめて保存状態が良い標本が見つかるなど、実際には水辺の生き物であったとする証拠が豊富です。
その甲殻類じみた外見から最古の水生昆虫であるとする意見もあるのですが、筆者としては根拠と確信をもって半水生の水際~水辺に生息する陸生昆虫として描いています。
それがその生痕化石であるトンガノキシクヌスTonganoxichnusで、これはダシレプタスに似た動物が湿った泥に突っ込んだ後とみられる、「まさに型をとったような」そのまんまな体の印象化石と、その直後に腹部や体が宙に浮いた痕跡、そして尾を引きずって飛び跳ねた痕跡を残します。ダシレプタスはかなり短足なので、体を陸上で浮かべるのは困難です。つまり、ごく浅い水面に着水したダシレプタスが水底に着底して生痕を残し、その後水面に浮かび水面で飛び跳ね、全長の半分ほどを占める尾が泥をひっかいた痕と考えられます。Tonganoxichnusは何例も報告されていて、しかも集団で見つかっています。ダシレプタスが水生生物とともにありふれて発見されることや、明らかな鰓がないこと(腹肢はそう読めないこともないが)、またダシレプタスの形態が現生イシノミ類の幼虫(とくにMachiloidesなど)に酷似し、現生イシノミ類に水生種はいないことから、水辺の陸上に生息し水面を飛び跳ねるライフスタイルが最も考えやすいです。
「モヌラ類」(Monura)はダシレプタスが当初入れられていたグループですが、ダシレプタスと現生イシノミ類の幼虫は酷似していることなどから現在ではイシノミ類の初期のグループとされています。
最後に、復元メモです。
ダシレプタスは古代の節足動物としてはあるあるなことに、非常に復元やメディアに恵まれていません。2025年4月12日現在、Wikipediaで「Dasyleptus」の頁にある写真は巨大な尾扇を持っており、前方5節以上に足を持っています。明らかに、パレオカリスなどの厚エビ類です。
しかも、多くの復元に引用されているKukalova-Peckの美しい復元図はあまりにもイシノミをベースにしすぎていて、というかイシノミを描いたように見えて、ダシレプタスで非常に印象的な巨大な小顎髭(関節肢様なので小顎肢と書くこともあるし、小顎蝕鬚と書くこともあっていまいち和訳が安定しない)が描かれず、バランスや全体像に関してもダシレプタスから大きく逸脱しています。
現時点で復元として一番マシなのはSharov, 1957の素朴な復元図です。しかしこれもまた68年前の復元図で…「人生七十、古来稀なり。杜甫」。
この生き物に関しては再び取り上げるでしょう。
というかその前に、まずは実際の化石記録に基づいてまともなダシレプタスの復元図を描きなおす必要があるでしょうね…。こういうのはまったく、「なろう」「小説」のやるところじゃないんですが。
70年間誰もまともに描かなかったって、どういうことですか。




