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エンボロメリ(1) (Day5)

日が暮れつつある中、集落には暖色のランプが灯り始める。

空はよく晴れ、紺色に染まっていく空には、星が見え始めた。

静かな川面には、揺れる光が波間に滲んでいた。

そう、住居はコルダイテス類の木材で組まれたはしけの上にあるのだ。

大河に浮かんだ足元は、杭によって川底につなぎ留められているのみ。

村では常に足元が船のようにふわふわと上下し、安定した地面という感覚はない。

耳を澄ませば、艀に打ち寄せる波の音が響き、板が軋む微かな音がそれに重なる。森の中からは時折、何かが茂みをかき分ける音が響き、水面を何かの魚が飛び跳ねたのか、水音も時にあった。


せっかくの天気である。

外で食事をしよう。甲板の上に腰かける。

昼間は蒸し暑かった空気は、夜になると急に涼しくなっていく。

ランプには、ムカシアミバネムシ類が集い始めた。ひらひらとぎこちなく舞うそれは、しばしば一度着陸してしまうともはや自力では再離陸できず、じたばたと羽を広げながら6枚の翅を広げてもがくのだった。その多くは小さく、翅長5㎝ほど。この大きさの種はあまり記載されていないので、おそらく新種だろう。見つかってこなかったのは保存バイアス故だろうか。

レピドデンドロンの周皮でできたテーブルには、鱗状の葉枕はもうないものの、その付け根に相当する部分がびっしりと、風合いある模様を描いていた。


夜風が運んでくるのは、湿った泥炭の土臭さと、炊事艀から漂う香草のスパイシーな似た香りだった。どこか懐かしくもあり、しかし今まで嗅いだことのないその匂いは、腹を空かせた胃をくすぐる。


この村では各家庭での煮炊きは行われず、食事の支度は炊事艀で一括して行われる。集落のはずれにあるその艀からは、家ごとに分けられた大皿が次々と運び出され、艀の間に掛けられた橋を通って、各家庭へと届けられていた。早々に到着した過程では、もう大皿を囲んで歓談が始まっていた。

大皿は長さ1mを越えるものもしばしばあり、一家全員でその大皿を囲むのがここでの恒例である。


さて、その中でもひときわ大きい皿が運ばれてきた。

巨大な”ワニ”料理が到着する。


「お待ちどう! 今日の”ワニ”はとりわけデカいぞ!」


巨大な皿を運んできた屈強な村人が、息を弾ませながら甲板を進む。レピドデンドロンで作られた頑丈なテーブルの上にそれをどんと置くと、艀全体が一瞬揺れ、テーブルが軋んで悲鳴を上げた。

ランプの明かりが揺らぎ、影が甲板の上で踊る。


「フォリダーペトンね! しかも丸ごと一匹!」


アリアは目を輝かせ、思わず身を乗り出してその巨大な”ワニ”の姿を見つめた。彼女の手は無意識にテーブルの縁を握り、口元には子供のようにはしゃいだ笑みが浮かんでいた。


皿の上には、細長い鱗に覆われたフォリダーペトン Pholiderpeton が鎮座している。

わき腹に深く切り込まれた裂け目からは、ほろほろと崩れそうな白身が顔を覗かせ、まるで柔らかな雲が黄金色のスープに浮かんでいるようだった。油の粒が光を反射し、湯気とともに立ち上る香りは、食卓に座る者全ての目を釘付けにした。

その姿に、ケイはかつて南米に行ったとき食べた、Caldo de carachamaという豪快な料理を想起した。これは50㎝はあろうかという巨大なプレコを丸ごと香草とともに煮込んだスープで、その骨から出る出汁と脂がじつに濃厚である。そして、でかすぎて食べきれなかった。プレコの殆どは頭と装甲板で、可食部が殆どないにもかかわらず。なんとも申し訳ない気分になったのだった。


「なんというか・・・豪快だね」

ケイは、彼女の身長を軽く超えるその巨体を見上げ、呆れたように首を振った。『これ、どうやって食べるんだよ…』と呟きつつも、どこかその豪快さに引き込まれるような複雑な表情を浮かべていた。


「このサイズを丸ごとなんて、さすがに見たことないわね」

リリィもまた驚いていた。

リリィは”ワニ”の丸煮には見慣れていた。しかしそれは大きくても30㎝から50㎝ほど。このサイズ感はさすがに初見である。普通はぶつ切りにしている。


アリアは目を輝かせていた。

「もしかして前来た時のこと、覚えてくれてたの⁉」

アリアは以前ここを訪れた際、ロクソマ Loxomma の煮込みを食べたことがある。

それは絶品だったものの、供されたのは頭から肩の部分のみ。

そして、それが問題だった。ロクソマLoxommaとそれを含むロクソマ科Loxommatidaeは、化石からはほとんど頭しか知られていない。つまりその後半身は誰も知らないということである。その生きた個体が、全身が、見られるかもしれないというのは古生物学者としてはまさに夢だったのだ。

しかしぶつ切りにされて各家庭に分配されてしまったため、確かめるすべが失われてしまった。彼女はその時、料理の美味しさに感謝しつつも、全身が見られなかったことを惜しく思い、「狩りに連れて行ってほしい」と頼んだのだった。しかし、結局ロクソマの全身を見ることは叶わず、代わりに捕まえられたのがこのフォリダーペトンだった。


「そゆことだろうな。『あのお客は尾頭付きじゃないと満足しない』ってお頭が言ってたぜ」


皿を運んできた大男が笑いながら言った。昼は泥炭を運び、朝夕は鍋を運ぶその隆々とした肩は、ランプの暖色に照らされて汗がきらめき、血管が浮き上がっていた。


「よし、まずは撮影から!」


アリアはすぐさまカメラを取り出し、興奮気味にレンズを向けた。

彼女はすでに完璧なアングルを見定めている様子だ。嘗め回すように撮影する。

丈が高く、どことなくポリプテルスのものをほうふつとさせる箱型の頭は大きく開いており、口の端にびっしりと並んだ1㎝ほどの小さな歯と、口蓋から突出する”牙”が見えていた。そこにはびっしりと血管が張り巡らせられており、それ自体が何らかの探知器官であることを示していた。鼻先の両側には1対の奇妙なくぼみ…鼻唇溝がある。アリアはそれをさぞかしアップしていたので、何かしらの面白さなり理由があるのだろう。後で聞いてみよう。


さて、この巨大な炭竜類は2m以上にも達したと考えられており、石炭紀中期、モスコビアンの泥炭湿地では、化石記録から知られている最大の生物の一つだ。

その個体数はおそらくそれほど多くはなく、アリアは前回の旅でも見たというが、この旅でも生きた個体に出会えるかどうかわからない。


体側から開くのは現在の魚からすると奇妙なさばき方だが、腹を見ると納得だ。

Pholiderpetonの腹部は鎖帷子のような皮骨に覆われている。まるで腹に装甲をまとっているかのようだ。さらにこの皮骨はしっかりと肉に食い込んでおり、皮を剥いだとしても引きはがせない。

この皮骨は石炭紀の原始的な”両生類”の多くに共通しており、たとえば分椎類にも普遍的にみられる。つまりこの特徴は見慣れた性質であり、いま魚を捌くように腹を割って内臓を取り出す方法は発達しなかったのだろう。


香草の役割を果たしているのは、さまざまなシダ種子植物だった。

レモンのような香りがありながら独特のケミカルな味のするメデュロサ類の実(PachytestaやTrigonocarpusとよばれる)や、生のまま細かく刻まれたまた別のシダ種子植物が香味を添えている。残念ながら、リンボク類やコルダイテス類、シダ植物などは殆ど香辛料として使われていないようだった。

さて、いにしえの古生物学者というのは驚くべき観察力を持っていた。

灰の一片からでもそれがどの植物からきたのか突き止める、それが古植物学者である。つまり、こうして切り刻まれ、ときに煮込まれた食材からそれがどの植物だったのかを突き止めることは容易い。食べる前に一部を回収して、保存しておく。あとで気が向いたときに楽しめるだろう。


さあ、手をつけよう。

分厚い皮は煮込むことにより弾力を帯びているが、細長い鱗が深く食い込んでいるので食べられなさそうだ。ナイフとフォークを使って浅く切れ込みを入れ、一気に剥くと、魚のものにそっくりな白身が姿を現した。手足はほとんど退化しており、上下肢にはほとんど可食部がない。ゆえに、四足動物でおもに食用となる肢体につながる筋肉はほとんど発達せず、魚肉のような体幹の筋肉しか見当たらない、


一口目を噛むと、濃厚な旨味が舌の上で弾けるように広がった。

肉質は舌の上でほろほろと崩れていくほどきめ細やかで、やはりどんな四足動物の肉よりも魚肉に似ている。敢えて言うなら、一部のナマズ類の肉に似ているかもしれない。しかしそれともやはり違っていて、より濃厚だ。繊維を感じないほどきめ細かく口の中でとろける身から、じわりと溶け出すスープの風味と油の甘みが口いっぱいに広がる。脂ののった部分は淡水魚なら泥臭いのではないかと警戒する部分だが、そうした泥臭さや癖と言ったものは皆無だ。

食材として、完璧なまでの美味だった。

味付けはほとんど塩と香草だけとシンプルだが、レモンに似たシダ種子植物の香りが、爽やかな余韻をくわえる。十分以上だ。


「……すごくおいしい」


素直に感想を漏らしたケイに、アリアが満足そうに微笑む。リリィもまた、スプーンを手に取り、慎重に口に運ぶ。


「うん、悪くないわね。でも……もっとしっかりした肉質かと思ってた」


「それもそのはず。このフォリダーペトンは、あまり動かない待ち伏せ型の捕食者よ。筋肉は柔らかく、むしろ脂がのっているの」


アリアは得意げに語りながら、次々に口に運ぶ。

彼女は大柄なだけでなく、よく食べる。

以前の旅ではケイのぶんまでみんな平らげてしまったこともあり、一緒に食事をする際には急いでかきこまないと自分の分がなくなることを学んだが、今日はその心配はないだろう。


ケイはゆっくりと安心しながら、一口一口を味わって食べる。

現代の魚で見慣れた小骨は一切見当たらず、安心して食べられる。現在の魚の”小骨”というのはだいたい、上神経骨、上椎体骨、上肋骨の複合体だ。極めてザックリというと、背側にあるのが上神経骨、”血合い骨”は上肋骨か上椎体骨を指している。そのいずれもが四足動物にはみられず、上肋骨にいたっては肋骨に成り代わっている。つまり、四足動物の肋骨と魚の肋骨は相同ではない。

そういう成り代わりが、脊椎動物の進化ではよく起きている。


うーん、いくら小骨がないとはいえ、やっぱり魚っぽい生き物は箸で食べるのがしっくりくるな。ケイはそう思いながら、荷物の奥に手を伸ばした。ごそごそと探り当てた竹製の箸を手に取ると、指先で軽く擦って感触を確かめる。慣れ親しんだ道具の感触に、ほっとしたような笑みがこぼれた。


リリィが箸をじっと見つめ、首をかしげて眉をひそめた。

「それ、何?新手の解剖道具?」

ケイはくすっと笑いながら箸を手に持つ。

「いや、箸だよ。2本の棒でつまむようにして使うんだ。ほら、こうやって――」と、フォリダーペトンの白身を軽くつまんで宙に掲げた。

「へえー、器用ね!」リリィは目を丸くして身を乗り出し、

「え、ちょっと待って、どうなってるの?その棒、魔法でもかかってるの?」

と箸の先を指差して覗き込む。


「感覚としてはペンを持つ感じで・・・でもうーん、教えようとすると難しいな」


アリアが突然目を輝かせ、両手を叩いて叫んだ。

「おおー、箸、持ってきたのね!私にもちょうだい!食べてるふりしながら解剖できるなんて、最高のツールじゃない!私、特訓してきたんだから!」

そう言って、彼女は勢いよく手を伸ばし、ケイの手から箸をひったくるように奪い取った。

早速フォリダーペトンの皮骨をつまみ上げ、得意げにニヤリと笑う。



アリアが箸を手に持ったまま首をかしげた。

「ピンセットを食卓に持ち込むとさ、周囲の目が冷たいんだよね…。ほんと謎なんだけど、ピンセットを食事に使わないって何でだろう?使いやすいし細かく小骨を取り除けるしさ」

リリィが肩をすくめて笑いながら割り込んだ。

「え、ちょっと待って。この星じゃピンセットで食事するのが当たり前なんだけど…それって世間的に変?田舎者の発想?」

ケイは苦笑しながら箸をくるりと回した。

「変…じゃないよ、多分。まあ、日本の昔の食器を使ってる私たちの方が相当変だって言われるけどね。箸使ってるとさ、『何それ、古典アニメでしか見たことない!』とか『それ本気で使ってるの?』って驚かれるんだよね。」

リリィが目を丸くして身を乗り出した。「日本?それって地球の魚を食い尽くして回ったっていう、あの国?」


ケイは肩をすくめて笑った。「ああ、先祖のせいでそんな風に言われてるよ…。まあでも、魚のおいしい食べ方に関しては、どこにも負けない自信があったみたいだね。箸だってその遺産の一つだしさ。」口元は笑っていても、目はどこか遠くを見つめるように曇り、微かな寂しさが滲んでいた。


アリアはその一瞬の気まずさに気づき、箸を手に持ったまま目を輝かせた。

「そういえば、ケイが白亜紀の旅で箸使って魚の骨をピッて取るの見てさ、『解剖みたい!』って感動したんだよね。

そしたらケイ、笑いながら『昔の日本じゃ普通の技術だよ。魚ばっかり食べてたおかげさ』って。」


ケイは荷物から予備の箸をもう一膳取り出し、軽く指で挟んで感触を確かめた。フォリダーペトンの背側の筋肉をそっとつまみ上げると、箸の先で白身がふるりと震え、スープに浸かった部分から透明な滴がぽたりと皿に落ちた。「ほら、こうやってつまめば、脂の乗った部分も崩さず口に運べるんだよ。」一口頬張ると、温かな肉質が舌の上でほろりとほどけ、濃厚な旨味がじわりと広がった。箸の繊細な動きが、まるでその味わいを丁寧に引き出しているかのようだった。


あんなに大きくて食べきるわけがないと思っていたフォリダーペトンだが、アリアの食欲の前にどんどん骨が目立つようになってきた。箸を使って骨の周囲を丁寧に除肉していく。

・・・そして、気付いた。


「どうなってるんだ、これ??」


椎体が、神経棘の数に対して「倍」存在しているのだ。


挿絵(By みてみん)


石炭紀の四足動物は、水中に高度に適応したものがよく知られている。そして、すみやかに手足を退化させた。それはデボン紀の肉鰭類が鰭を足のように発達させ、イクチオステガやペデルペスといった初期の四足動物がきわめてがっちりした足をもち、アカントステガなどの水生四足動物ですらもかなり大きな手足を持っていたのとは対照的です。

その傾向は石炭紀に存在した脊椎動物のかなり多くの系統で顕著で、定行的な進化があったのだろうと思われます。石炭紀の水生四足動物が手足を退化させ、活発に水中に進出したのは不思議なことのように思えますが、その理由はデボン紀末の大量絶滅に求めることができるかもしれません。デボン紀末の大量絶滅において肉鰭類は壊滅的な打撃を受け、とくに四足形類はリゾドゥス類とメガリクチス類の2系統しか残らず、この2系統も進化が殆ど止まってしまいました。ハイギョも壊滅的な打撃を受け、ほかにも板皮類が全滅したため空いたニッチに四足動物が進出したと思われます。

それらは鱗を持ち、汽水から海水に主に生息したとする見解が強いです。

しかしながら本作では、彼らを淡水で描いています。本作ではできるだけ嘘をつかない主義を貫くので、この理由づけに関してもある程度の根拠を用意しています。

それについては後でまた描こうと思います。


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