シギラリア・トラップ2 (Day5)
本当に、あの幼い時からずっと憧れてきた、史上最大の節足動物に出会ってしまった。
そう、アースロプレウラに見て、触れて、家庭訪問までしてしまった。
時間が引き延ばされ、もう何日もこの暗闇にこもって観察していたような錯覚を覚える。
カメラで何を撮って、何を話したっけ。
ケイが滑落したアースロプレウラの巣穴の入り口には、アリアの上半身がカメラを抱えたままぶら下がっている。一見すると穴にはまって動けないようだが、彼女は探検家だ。本当に挟まって動けなくなったわけではなく、撮影のために体幹を寸分たがわず固定していたのだ。
ずっと静止していたアリアが、息を整えてから慎重に体を反らせ、何事もなかったかのように隙間から身を引いた。その瞬間、頭上から日の光が差し込んだ。
そして、手を差し伸べるのだった。
ケイはアースロプレウラの穴から這い出し、顔を上げる。
腕にじんわりとした痛みを感じながら、ケイは腐葉土に手を突っ込み、ゆっくりと体を持ち上げた。
空を見上げる。
穴の中の薄暗さから一転、陽光がヘゴそっくりな木性シダの葉を透かしていた。
その幹には無数の着生植物がとりつき、ぽつぽつと、ムカシアミバネムシ類がセミのように幹に口器を突き刺している。そこには現代にもつながる、一つの生態系があった。
時代やとりついている生き物こそ違えど、現在にも見られる光景。
風がその葉を揺らし、隙間から直射日光がさす。
ここは、たしかに熱帯雨林なのだ・・・
熱帯雨林特有の蒸し暑さがじわじわと体を包んでいく。
光の強さに、ケイは目を細める。
そして思うのだった・・・いままで下ばかり見ていた。古生代らしい奇妙で現代に類例のないいきものばかり見ようとしていたのかもしれない、と。
ようやく、感覚が地に足がついてくる。
興奮が、日の光と暑さによって蒸発するように、酔いが醒め、薄れていく。
すると、恐怖ではなく好奇心と感動で限界まで鼓動を速めていた心臓が。
落ちたときに強打し、さらに人間より大きな陸生節足動物を初めて見たことによって凝り固まった全身の筋肉が。
一斉に身長140㎝ほどしかない小柄な体を襲う。
一瞬気が遠くなったような気がして、がっくりと膝をついた。
全身が汗ばんでいる。
膝が震え、しばらくの間、地面をしっかり踏みしめることができなかった。
あのふかふかの腐葉土。服にこびりついたそれを見ると、周囲の土とはやはり性質が全く違う。しっとりと黒く染まったそれは程よい団粒構造を持ち、すこし指の上で転がすとぱらぱらと細かく砕ける。よく完熟された、すこし甘い香り。いい土だ。周囲の土は白っぽい砂質ないし粘土質の上にぼそぼそとしたリンボク類の破片が積み重なったポドゾルで、こんな堆肥のようなフカフカした土は皆無だ。
さっきまで、この土はただの『地面』だった。だが今は違う。自分を救ってくれたもの――アースロプレウラが何世代にもわたって作り続けたもの。生命の営みが積み重なり、堆肥となり、そして今日、彼女の命を守ったのだ。ほんの一握りの土には、時の流れと生命の歴史が凝縮されている。
「ケイ、大丈夫?」と、アリアが心配そうに声をかけた。
「アクシデントだったけど、最高の収録になったよ」と笑う彼女の声に、ケイは「う、うん、なんとか」と小さく答えた。
服に残った土を指でつまんで見せると、
「大ヤスデは土を作り恵みをもたらす」と、狩人の一人が言う。
すると狩人たちはケイが先ほど落ちた穴を一同で拝み、懐から骨を取り出して供えるのだった。
ケイは一瞬、彼らが何をしているのか理解できなかった。
だが、静かに頭を垂れる彼らの表情を見たとき、それが彼らなりの誠実な感謝の形であることを悟った。そこには戸惑いながらも、どこか心を動かされるものがそこにはあった。
それは、穴の底に棲むものへの贈り物なのか、それとも、命を拾ったこの場への感謝なのか。言葉にされずとも確かにそこに根ざしていたのは、信仰だった。
この惑星に人が植民を始めて30年。石炭紀の厳しい自然と生態系は、入植当時に作られた都市を最初の3年で飲み込み、その跡すらも残さなかった。生き残った者たちが学んだことは、自然と戦うことではない。森に生かされること。彼らの経験は浅く、持つ知識はまだまだ少なく、迷信も多い。しかし、恵への彼らなりの感謝を忘れることはなかった。
ケイが無事に戻れたことを、彼らは森の意志と受け止めていた。
もし運が悪かったら…いや彼らなりに言えば、森に排除の意思があったとしたら、背筋が凍る。
それが決して笑ってすまされる問題ではないことは、化石を学んだものならば誰もが知っている。
19世紀から知られていたと、行きのロケットで読んだ。
化石記録は、フウインボクの切り株がどんなに恐ろしいものになりうることを教えてくれる。
1843年。ライエルはジョギンス化石崖とのちに呼ばれる露頭で、直立したまま埋もれたフウインボクの木々を発見した。その10年後、ライエルとドーソンはそこを訪れると、その中には骨が詰まっていることに気づき、それにオーウェンがデンドラーペトンDendrerpeton(樹の這うもの)と名付けた。それは1853年、ダーウィンが『種の起源』を出す6年前、進化論という概念すらない時代の話だった。
しかも、それは一本だけの偶然ではない。その後200年にもわたって、何十本もの骨が詰まった木々が見つかり続けたのだ。以降、ジョギンス化石崖のフウインボクは石炭紀の陸上生態系を知るうえで再重要資料であり続けている。
骨が詰まっているのはジョギンスに限ったことではない。フローレンス近郊で発見された巨大な切り株は、直径1m、深さ5メートル以上の落し穴となり、中にはいくつもの階層を為して無数の骨が詰まっていた。たった2本の切り株から、いくつもの骨格と5種ほどが新種記載されたほどだ。
もし私の落ちた穴が、そうなっていたとしたら…
その想像が脳裏をよぎった瞬間、ケイの背筋に冷たいものが走った。
喉がひりつくように乾く。指先が無意識に震え、胸の奥がじわりと痛んだ。拳をぎゅっと握りしめ、無理やり呼吸を整えた。
その高さから落ちるだけで墜落死し、遺体を回収する手段すらなかっただろう。
一瞬、アリアが集落で言った「恐れるとより危なくなるわ」といった趣旨の言葉を思い出す。
それ以上は考えるな、と自分に言い聞かせた。
だが、地面を踏みしめる感覚が、どうしても今までのように頼れるものではなくなっていた。
先ほどケイがアースロプレウラの巣穴に落ちたせいで、大幅に見回りが遅れている。
ケイとアリアがアースロプレウラの撮影に夢中になっていたというのは勿論大きいが、彼女たちが脱出した後も未知の落とし穴が地下に潜んでいないか、狩人たちはまるで地雷原を探査するように、慎重に足を運びながらぐるぐると周囲を探索し続けていた。ブーツの底が湿った土を押し固める音が響き、槍の柄を地面に突き立て、枝葉をかき分ける動作が繰り返される。
彼らが動くたび、地面に空いた小さな穴からさまざまな節足動物が這い出す。どれも小さく、2~3センチといったところだ。一番多いのはゴキブリに似た昆虫と小さなヤスデ類、そしてカゲロウの幼虫が陸に上がったような…カゲロウの幼虫と同程度に形態の多様な、さまざまな昆虫の幼虫だ。次に多いのは鋏角類で、今見掛けるものとあまりにもそっくりなサソリやザトウムシ、サソリモドキなどもいれば、今では見られないワレイタムシ類や巨大なクツコムシもいた。クモはほとんどおらず、唯一見られたものもあっという間に隠れてしまった。
穴に逃げ込んだ生き物はどうにも捕まらない。見るのは簡単だが、捕まえたり撮影するのは極めて難しかった。穴の正体は、リンボク類の担根体だ。まるで木の根のようなそれは長さ10mにもおよび、分岐を繰り返しながら地下に張り巡らされている。そして重要なことにそれは中空で腐りにくく、枯れた後も簡単にはつぶれない。やがてそれらはチューブ状のネットワークとなり、トンネルのように中にいろいろな生き物が住み着いているのだ。
土壌生物の中には動きが鈍く、観察しやすいものもある。キセルガイにやや似た陸生貝類が代表で、骨によく集まることから、このあたりでは「骨くい」というそうだ。Jogginsからは知られている中では最古の陸生貝類であるDendropupaが多産し、それによく似ている。しかしながら陸貝は移動性に乏しいから、本当に同じものであるとはいいがたいだろう。
かれこれ一時間ほど、同じ場所にとどまってしまっている。
時間の経過とともに、森の空気はどんどん熱く、湿り気を帯び、体から漂う腐葉土と汗の入り混じった香りが一層濃くなった。遠くで何かが葉を踏む音がし、狩人の一人が身じろぎして耳を澄ませるが、すぐに警戒を解いた。
狩人のリーダーは細身だがほかより一回り背が高く、肩にナタを担ぎ、目だけが鋭く光っていた。
彼の視線は落とし穴の縁を丁寧に追い、足場を確かめながら静かに周囲を観察している。
風が吹くとプサロニウスの葉がざわめき、その細かな影が彼の顔を覆い隠す。
「…すみませんでした」ケイは、不器用に、しかしできるだけ真摯な声で謝った。彼女の短い黒髪には泥がつき、膝にも汚れが広がっている。落ちたときの衝撃が残っているのか、彼女の手はわずかに震えていた。
「急ぐこたぁねえ、安全第一だ」
リーダーがゆっくりとした声で言うと、他の者も頷く。彼らの顔には苛立ちの色はなく、むしろ余裕すら感じられた。
彼らはハンターとして想像されるのとは全く裏腹に、陽気でおおらかだった。
同行するにあたって、事前に気を付けなければいけないことを聞いたとき、ケイは驚かされた。
「足音だけ気を付ければいい」と、彼らは笑いながら言ったのだ。
「話し声は?」
「気にしなくていい。せっかくの旅だ、楽しんでくれ」
その言葉が今でも耳に残っている。
石炭紀の動物たちは、人の存在を知らない。
人がここに住むようになって、まだ三十年。
警戒心が芽生えるにはあまりに短く、過剰な採集圧がかかるほどの人口でもない。
一度は森によって絶望の淵へと叩き落とされた植民者たちは、やがてその恵みに楽園を見出し、森とともに生きる「森の民」となった。
フウインボクは、村の背後にあたる区域だけが刈り払われている。
建材として利用するため。
切り株を落し穴として活用するため。
あるいは、倒木による被害を防ぐためか。
意図はひとつではないだろうが、それはもう生活の一部に溶け込んでいた。
一行は再び、歩きだした。
フウインボクが伐られた跡地で、もっとも優勢なのは巨大なシダ種子植物の、メデュロサ類だった。本来は木本だが、伐採後に芽吹いたばかりの個体ばかりで、茎はまだ短く、地表にロゼット状に広がっている。その短さが、フウインボクの伐採後に生えてきたことを物語っていた。
メデュロサ以外にも、灌木性のシダ種子植物が目につく。高さ1メートルほどの茎に、互生する羽状複葉をつけたそれらは、外見こそ“草”に見えても、茎の多くは木質化しており、明らかに樹木に近い性質を持っている。植物の系譜を思い出す。種子植物は、おそらくアーケオプテリスのような前裸子植物の木本から進化したのだろう——この旅で出会った種子植物に、今のところ明らかな草本はいない。
林床には草本性のさまざまなシダ植物も茂っている。その多くは現在のシダと違って、ロゼット状ではない。長い地下茎を伸ばし、そこから疎らに長い茎が直立し、そこに互生するようにシダ状の三角形の羽状複葉をつけて上に伸びていく。現在のロゼット状でランナーをもつシダ植物は、この直立する長い茎がギュッと縮まったものだと思うと納得がいきやすいと思う。
現代のシダにも葉の一部から子株を拭くものがあるが、石炭紀のシダ植物にも葉の羽軸が極端に伸長してそれが触れたところから子株をふくなど、奇妙な増え方をするものがある。ボトリオプテリスBotryopterisだと思うが確証はない。
そうした奇妙なシダ植物がとりわけ多く生えるのは、もっぱらプサロニウスの幹だ。
木性シダであるプサロニウスは、この森でもっとも現代的な植物と言えそうだ。これが現在のジャングルに生えていても、気を抜いていれば見逃すかもしれない・・・とケイは思った。
この森ではかなり大きな株しか見られず、その切り株もない。どうやら原生林ではあるもののフウインボクと違って伐採の対象にならないらしい。プサロニウスは木のように直径を増加させるのではなく、ちょうどヘゴと同じように幹の周囲に気根を密生させ、外側から大量の気根で体を支える構造をしている。そのフカフカと茂る気根に覆われた幹にはさまざまな動植物が住み着き、まるでそれ自体が小さな森のようだった。
対岸に見える森をあらためて双眼鏡でのぞく。ほとんどプサロニウスとフウインボクの2種のみによって構成されており、密生した木々に阻まれてプサロニウスの幹には着生植物の姿もほとんどないし、中型の草本もみられない。どうやらこの森は雑木林のように、人の手が入ることによって生物の多様性を大いに増しているらしい。
道に張り出した葉を、リーダーがナタで切り落とす。
葉とはいっても長さは人の背丈の倍ほどもあり、葉軸の太さは腕くらいある。それを一刀両断するリーダーの姿は頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。
巨大な葉がざわりと湿った地面に落ちる。腕ほどもある葉柄を割った断面から、ねっとりとした樹液が滲み出し、針葉樹と柑橘の混ざった香りが辺りに広がる。この信じられないほど大きな葉は、メデュロサ類のものだ。
葉は革質で、しっとりと湿っている。大きさに目がくらむが羽片をよく見ると、化石収集の入門編としてよく紹介される、ネウロプテリス型のものだ。ネウロプテリスと聞いて化石収集家が想像するのは親指ほどの大きさの分離した小羽片だが、それが3回羽状複葉ともなると短いもので2m、大きいものでは5mほどにもなる。行きに食べたのはアレトプテリス型の葉のもので、香りも少し違っていた。食べ比べしてみたいものである。
リーダーが動きを止め、大きく張り出した葉を切り落とさずに指さす。
「ちからシダの実だ」
羽軸から5㎝ほどの、緑の肉質の皮に包まれた実がなっていた。パキテスタPachytestaと呼ばれるものの、まだ若い実である。
狩人たちはその実を指さし、「噛んでみるかい」と言う。
指でこするとわずかに油分を感じる。慎重に口に含み、歯を立てると、内側からじわりと甘い液体が滲み出た。次の瞬間、頭の奥で何かが弾けるような感覚があり、視界の輪郭が鋭くなる。汗が皮膚を伝う感触までがはっきりと意識され、鼓動の速さとともに聴覚までもが増幅されたように感じられる。
「”ちからシダ”だ、これさえあればいつまでも動けるな」と笑った。
——この物質、ただの植物性アルカロイドじゃない。明らかに精神作用がある。アリアもリリィも、顔には出さなかったが、ケイと同じことを感じていた。これは危険だ。まるでコカの葉のような。
向精神作用と依存性が恐らくある。
なぜこのような成分を含むのだろう?
もしかするとこれに魅了された何かの生き物が好んで食べ、種を運ぶのかもしれない。ただこのロジックには問題がある・・・向精神作用をもつような植物を好き好んで使うのは人間くらいなのだ。むしろ逆の方が考えやすいかもしれない。これは本来なら毒であり、未熟な実を食べられないようにしている・・・そのほうが有望な仮説だろう。
狩人たちは言う。
「フウインボクを伐る、すると大ヤスデがきて土を作る、大ヤスデはワニと交わってちからシダを産む」
「・・・・・・・?????」
繰り返す。
「フウインボクを伐る、すると大ヤスデがきて土を作る、大ヤスデはワニと交わってちからシダを産む」
彼の声は抑揚もなく、まるで古くから伝わる祈りのようだった。
ケイは意味を飲み込めず、眉をひそめたが、村人たちは当然のように頷いている。
「フウインボクを全部伐ったら?」
ケイがそう尋ねると、一瞬、場が張り詰めた。狩人の一人が険しい顔で言う。
「森が怒る」
その声には、迷信者の曖昧な口調ではなく、既に起きた事態を淡々と語る者の重みがあった。まるで「またそうなる」と決めつけているような、諦念にも似た静けさがあった。
現代技術の最先端で作られたはずの植民都市が3年で壊滅した、というのがどのくらいの大惨事であったのか。彼らは深くは語らない。
——森に逆らうな。森は、見ている。
森への過度な干渉は、壊滅的な天変地異を通じて身を滅ぼしうる。
――森の意志に従って生きるのが正しい道である
それが彼らが学んだことだった。
それが、彼らの思想であり、新たな信仰だった。
道中様々な生き物を見かけたが、その中で最も印象的なのはやはり、ムカシアミバネムシ類だろう。トンボのような見た目と大きさ、蝶のような多様性と美しさ、そしてセミのような生態、カブトムシのような捕まえやすさを併せ持つ、ほんとうに素晴らしい昆虫である。
それらはしばしば手のひらほどの大きさがあり、トンボのように羽を広げてとまり、そこにはっきりとした模様がしばしばあるのでとても目立つ。どれも違う種と言っていいほど種類が多様で、しかもその違いがわかりやすい。羽の模様や大きさ、色合いなどがそれぞれ違っている。こんなに大きくて、しかもコレクション性の高い昆虫と言えば、蝶しか思いつかない。それでいてなかなか逃げない。近寄ってみると、葉柄や羽軸にしっかりと口吻が刺さっており、そう簡単には逃げられないらしい。手に取ってみると羽をゆっくりとばたつかせ、その太い口吻で突き刺そうとしてくるが、頭の可動性は低い。指の間で両翅を挟めば、刺されないようにするのは簡単だった。
それにしてもムカシアミバネムシ類は、まるで「害虫駆除業者が適当に描いた蚊」のような口をしている。つまりその針状だが太い口器は格納されずに頭の前に突出しており、そんな頭を無理やり植物に突き刺して樹液を吸うのである。狩人たちはこの昆虫を、「蝶」といっていた。たしかに、あまりはずれてはいない。メドゥロサ類の”花”に集まって、その花粉を体につけている様子もよく見かけた。
先を行く狩人の息が荒くなる。獲物がかかっているらしい。
「ワニだ」
その言葉に、無意識のうちに背筋が凍る。ワニはいないとわかっていても、「ワニがいる」と言われると、オーストラリアで襲われた時の記憶がよぎって、ぎくりとしてしまう。しかし、どうやら彼らにとっては四足動物はすべて「ワニ」らしい。では、一体どんな生き物がかかっているのか。
狩人たちは、石炭紀の生き物に慣れていない我々一行のために、道を開けてくれた。
ふと足元を見る。先ほどまでは何の変哲もない地面に見えた場所に、突如としてぽっかりと大穴が口を開けていた。
直径は1.5メートル。覗き込むと、闇が地面の奥深くへと沈んでいる。深さは…3メートルほどだろうか。思った以上に深い。間違って落ちたら、とても這い上がれそうにない。
想像をはるかに超えるレベルの深淵だ。
その底に、じたばたと蠢く影が3つ。
ちっぽけな生き物──とはいえ、50センチほどもある。細かい鱗に覆われたしなやかな体が光を反射し、四肢を必死に動かしている。
「ほらな、ワニだろ?」
狩人のひとりが得意げに言う。
頭の大きさは10センチほど。箱型の頭部は丸みを帯びており、異様に大きな目がよく目立つ。たしかに──アリゲーターの子供とオオサンショウウオを足して2で割ったようだ。
しかし表面や色合いはそのどちらにも似ていない。体は蛇を思わせるような細長い鱗に覆われており、カエルやサンショウウオにみられるようなぬめり気はまるでない。黄土色と黒の線が入り組んだ迷彩模様が全身を覆い、落ち葉の積もった地面に溶け込むような色合いをしている。今は穴の底の裸の土の上で暴れているが、普段はどこに潜んでいるのかわからないような姿だったのだろう。
私たちが覗き込むと、3匹の生き物は口を大きく開け、シューシューという音を出して威嚇した。
そこには口の縁にそってずらりと並ぶ歯と、奇妙なことにその内側から口蓋に並ぶ大きな牙が見えた。
その口の奥で光るものがある。
歯が異様だった。口の縁に沿って小さな鋭い歯がびっしりと並んでいるだけでなく、さらにその奥、口蓋の内側にまで大きな牙が並んでいたのだ。
「分椎類ね。何とか引き上げて撮影できないかしら」
「無理だな」
狩人たちは肩をすくめた。彼らの武器は返しのついた槍──というか、ほとんど銛に近い。突けば仕留められるが、生け捕りにするには適していない。
「仕方ないわねえ……」
アリアは荷物をあさり、超高強度カーボン製の竿を取り出した。先端には、直径60センチはあろうかという玉網がついている。慎重に穴の底へと進めていくと、狩人たちはその様子を固唾をのんで見守った。彼らにとっては魔法の道具に見えるのだろう。
なんとか掬い上げられた3匹の分椎類は、しかしすでにかなり弱っていた。
尾は体の半分ほどを占めるが、すでに力を失い、だらんと地面に投げ出されている。発達した後ろ足もぐったりとして動かない。どうやら、墜落の衝撃で脊髄を損傷してしまったらしい。
しかし、上半身はまだ生きている。
半身を激しく振り回し、口を大きく開けて近づくものに容赦なく噛みつこうとする。そのうち、3匹は興奮して同士討ちをはじめ、もみくちゃになった。
──上から見たときはワニのようだと思ったが、改めて近くで観察すると、魚にも似ている。
首はほとんどないに等しく、肩が頭部のすぐそばに接している…いや、これは発達した鎖骨だ。
魚で言うと、カマに相当する。
そしてその後ろに、肩甲骨が付随している。
まるで魚の鰭をそのまま足に付け替えたような印象を受けた。
「アリア、種類わかりそう?」
「石炭紀の陸上脊椎動物は、わかっていないことのほうが多いわね。少なくとも分椎類だけど……デンドラーペトン Dendrerpeton に近いかな。でも、外見だけじゃ断定できないのよね」
「デンドラーペトンって、Joggins のシギラリアの幹から大量に出るんだっけ?」
「さすがケイ、よく知ってるわね。だから Dendro-(木の) peton(這うもの)って名前がついてるのよ」
その後もトラップ回収は続く。
穴を見下ろした狩人たちは面倒くさそうに槍を穴の底におろした。
「とりあえず引き出すぞ」
上がってきたのは、アースロプレウラだ。先ほどの個体よりはかなり小さく、全長50㎝ほどだろうか。
この辺りではごく普通に見られる生き物のようで、その後もたびたびトラップにかかっていた。
化石記録においてわりと希少であることからは、違和感があるとケイは感じた。
狩人たちは不思議なことに、それを見つけるたび穴の外に逃がしている。槍を伝わせるようにアースロプレウラを引き上げる。そして穴の外へ放り出す際には、慎重な仕草を見せる。
アースロプレウラがお世辞にもおいしそうに見えないのはさておき、ケイには不思議でならなかった。
「こいつらが先に入っていると、獲物が踏み台にして逃げるんだよな」
なるほど。罠の深さは1~3mほど。しばしば2mを超えるアースロプレウラが入り込んだ状態で獲物が入ると、逃げようとしたときにちょうどいい”梯子”になってしまうというわけである。
「それに神聖な生き物だ。殺すと森が怒る」
『森が怒る』という言葉が口にされた瞬間、その表情には微かな畏れがにじんだ。それは単なる言い伝えを口にする者の表情ではない。まるで、実際に森の怒りを見たことがあるかのような――あるいは、それが決して迷信ではないと信じて疑わぬ者の顔つきだった。
どうやらこれは彼らの信仰に関わる問題のようだ…アースロプレウラを採集するのは、やめておいた方がいいかもしれない。彼らにどういう目で見られるのかわからない。
石炭紀は巨大節足動物の時代、というイメージが強い。巨大なオオトンボ類の化石がフランスで19世紀に見つかって以降、「巨大昆虫の時代」というイメージが石炭紀には常に付きまとう。
犬ほどの巨大な昆虫が、小さなトカゲのような脊椎動物を追い回す・・・というものだ。
しかし、このトラップの様子を見てみればそれが必ずしも正しくないことがわかる。
トラップにかかっていた巨大な節足動物はと言えば・・・アースロプレウラ、ただ1種のみである。
この落とし穴はただの罠ではない。地面に張られたフウインボクの樹皮は、ごく薄く削がれ、踏み抜かれるよう計算されている。つまり、これにかかるのは、むりやり地面に潜ろうとするものか、樹皮を齧るもの、あるいは体重が5キロを超えるものだけ。――そう、アースロプレウラ以外の節足動物は、ことごとく罠を破るには小さすぎたのだ。
アースロプレウラ以外にかかっているものはと言えば・・・
四足動物だ。
それはきわめて多様であり、その個体数も決して少なくない。さらに、大きい。
30㎝以上は当たり前、1mを超えるものすらあった。
結局のところ、アースロプレウラという特異点を除いては脊椎動物の方がはるかに大きいのである。
しかしそれらの特徴は、一目見て簡単にわかるものではない。
それらの姿は、一見するとどれもただのトカゲのように見える。しかし、頭の形をよく見れば違いは歴然だった。丸みを帯びたもの、尖ったもの、横に細いもの、縦に扁平なもの――だが、胴体は正直どれも似たようなものだ。首の長さや肩の構造を見れば、もっとはっきり違いがわかるのだが、それを指摘したところで、一般の視聴者が興味を持つかどうかは疑問だった。
時には帆のあるものをはじめとして派手な見た目のものがいてうれしくなるが、アリアは「どうやら未記載のものよ。動画には載せられないわ」といって、自身の研究のために法外な額で買い上げてしまうのだった。
ケイは不覚にも、狩人たちがそれらをみんなひっくるめて「ワニ」と一緒くたにしてしまう理由がわかった気がした。視覚的な差異もあきらかでなく、実用的な認識もほぼ同じ。彼らにとって大切なのは、それが何の動物かではなく、どう扱えばいいのか――それが罠にかかるか、狩る価値があるか、食えるかどうか。それ以上の分類など、日々の暮らしには不要である。
そして、それはおそらく、視聴者にも…
伝わらない違いをどう伝えるか?
伝える意義とは何なのか?
あらためて、考え直さねばと思うのだった。
今回の古生物
フウインボク(シギラリア) Sigillaria(樹皮) Stigmariopsis (担根体)
リンボク類の中でも数少なく、乾燥地(というか湿地以外)に適応できた種。石炭林に占める要素としては少ないが撹乱の影響を受ける氾濫原や川沿いの堤防などさまざまな環境に出現した。二叉になった復元図が有名なものの、おそらく多くの種は二股にならなかった。シギラリアはとても変なリンボク類だけれどリンボク類の基本を見てからでないと奇妙さに気づけないので、そのうち。
デンドロピューパ Dendropupa・・・いままでに知られる最古の陸生腹足類(要するにカタツムリのようなもの)。ジョギンス化石崖からおもにみつかる。
デンドラーペトン Dendrerpeton・・・陸生の分椎類。化石から知られるのは最大で35~40㎝といったところ。最大1mと書いてあるものもあるが、過大推定と指摘されて久しい。ジョギンス化石崖からおもにみつかるが、他からも知られる。
アースロプレウラ Arthropleura・・・長さ2.5mほどになる巨大な多足類。石炭紀前期からペルム紀はじめにかけて様々な産地から知られる。化石記録からは石炭林の湿地というより、より乾燥した条件からよく見つかっている。その大きさから足跡化石も多く知られ、他の巨大節足動物とは産出数もその時代範囲も大きさも桁違いである。長らく頭部が不明だったが、眼柄をもつ巨大な頭を保存した幼体標本が最近見つかりようやく復元できるようになった。
メデュロサ類 Neuropteris(葉), Pachytesta(果実), Medullosa(幹)・・・石炭紀を代表するシダ種子植物。
ムカシアミバネムシ類
プサロニウス Psaronius(幹)Pecopteris(葉)
Dipteridaceae
Botryopteris
今回の創作ポイント(要するに嘘吐いた部分)
アースロプレウラがリンボクの茎に住んでいるという描写・・・これには今のところ明かな証拠は存在しないが、あれだけの巨体をどこに隠すかという点においてそれ以上の答えが思いつかなかった。
スティグマリア(正確にはスティグマリオプシスのつもり)に住む節足動物・・・・構造からするとそうなったはずだが確実な証拠例を知らない。
パキテスタの薬効・・・これは完全に創作。南米の探検記といえばコ〇という印象なので、それに相当するものが欲しかった。
今回の元ネタなど
プサロニウスの幹・・・実際にボトリオプテリスはじめ沢山の着生植物を保存していて、天然のヘゴ板のようにはたらいていたようです。なおプサロニウスはステファニアン以降の方が目立ちますが、それはより巨大なリンボク類が激減したからであって、ペンシルバニアン中期にもこの仲間はいたようです。なおプサロニウスは木性リュウビンタイだといわれており、いまにつながる系譜の最初期のメンバーです。
プサロニウス、メデュロサとムカシアミバネムシ類・・・実際に吸汁跡が見つかっています。リンボク類は標的にされづらく、これらが主な吸汁源だった様です。
土壌生物について・・・そのうち特集しますが話が動かなくなってしまうのでここではサクッと。
メデュロサの香り・・・メデュロサ類は大量の油脂をその材や葉に含んでいたためそう描写しました。裸子植物であることから針葉樹っぽいヤニ臭さを追加。
分椎類のウロコ・・・かなり多くの種から見つかっています。というか両生類がヌメヌメツルツルなのは、現在まで生き延びたグループが並行的に鱗を失った結果。古生代の両生類は鱗を持った生き物。
背びれのある四足動物・・・ペンシルバニアン中期のオフィアコドン類、Echinerpetonに帆らしき長大な神経突起が最近指摘された。しかし全身が出ているわけではない。盤竜類ももういる時代なのでそういう可能性も大いにある。
巨大節足動物の不在・・・半陸生ウミサソリ類のヒベルトプテルス類、ミクテロプス類はこの罠にかかりうるボリュームになるが、これらは推定される生態をもとに違う環境で描く予定。
プルモノスコルピウスはこれにかかりうるほど大きいが、ミシシッピアン(石炭紀前期)の種であり時代に合わない。ほかにキログラム級になりそうな節足動物がアースロプレウラ以外みあたらない。明らかに別格。
***脊椎動物回はそのうち改めて作って、全部ワニ状態を奪回するまでがセットなのでご期待あれ***




