カラミテス/オオトンボ類 (Day5)
蛇行する大河、熱帯雨林、水に浮かぶ村…
ケイは思い出さざるを得なかった。
かつて旅した、アマゾンのことを。
アマゾン川流域――かつては広大な熱帯雨林に覆われていたというが、
私が訪れたときには、そのほとんどが荒野と化し、
人の姿もまばらで、かつての栄光は遠い過去のものになっていた。
森を失ったアマゾンは、ますますその激しさを増していた。
年間の水位差は10メートル以上にもなり、流路は毎年のように変化する。
もはや、どんな生命の手にも扱いきれない、暴れ川だった。
それでも、私は旅をした。
そんなアマゾンのどこかに、かつての残響が残っていないかと、願って。
そして見たのは、私たちにとっては“豊か”とすら思える自然だった。
水際には粗末な高床の家が点在し、人々が魚を獲って暮らしていた。
かつてよりもその数は減っていただろうが、
網には今なおピラニアやプレコなど、驚くべき魚たちがかかっていた。
そんなアマゾンで、私が最も驚かされたのは浮草だった。
ホテイアオイ。ボタンウキクサ。野生イネ。ハイホテイアオイ――
それらは、増水にも流路の変化にも驚くほど柔軟に適応し、
乾季には普通の草のように振る舞い、雨季には水面を覆うほどに伸長して繁茂する。
水面に、まるで草原ができたようだった。
その上を鳥が歩き、ワニやカメが日向ぼっこをしていた。
だが、それは偽りの大地だった。
ボートで近づけば、カメたちは“草原”に沈むように姿を消し、
オールでつつけば、それが水に浮いた草のかたまりに過ぎないと気づかされる。
深さを測るたび、背筋が凍った。
水深はたいてい5メートルを超え、ときに7メートルにも達していた。
一見、ただの地続きのように見える場所が、実は底知れぬ深みなのだ。
“目に見える地面”というものは、時に、あまりにもはかない。
私にとって、それですら驚異だった。
だが先人たちは、いったいどれほど壮大な自然を目にしていたのだろう。
私たちは、本当の大河も、本当の熱帯雨林も知らない。
文献をひもとくか、あるいは過去に遡るほかに、その姿を知る術はない。
失われるとは、そういうことだ。
その存在すら、記憶から消え、寂しさすらもが残らない。
失ったことを知って、はじめて、
その届かぬ憧れを知るのだ。
私たちにとって“自然”とは、
はかなく水面に浮かぶ葉きれのようなものだ。
1.
水上集落の雰囲気は、だいたいつかめてきた気がする。
少なくとも、私たちの生活とはかなり異質であるということ。
いつまでも観察していたいと思うほどだった。
”人には興味ないくせに、人の暮らしには興味あるんだ”
――そう言われたら、たぶん否定できない。
その指摘は、正しいかもしれない…
パーソナルなコミュニケーションと、異質なシステムとしての観察や理解。
それはおなじ「人」に対してでも、全く違っている。
けれど、それだけを見ているのは、もったいない気がした。
なぜならここは、石炭紀の湿地林だ。
過去何百年にもわたって人々があこがれ続けた、本物の古生物が息づく地。
私は艀から身を乗り出しながら、周囲を一望する。
岸辺には水上集落より遥かに背の高い、信じられないほど巨大なトクサ類が茂り、視界を妨げている。
その向こうには川を縁取る自然堤防があるはずだが、対岸や、トクサ類が刈り払われたところから垣間見るしかない。
そこでは遠目ながらも、リンボク類とシダ種子植物が河畔林を形成しているのがみえた。
上空を見上げれば、翅一枚が手のひらほどありそうなオオトンボ類が飛び交っている。
トクサ類の高さは5メートルを超え、艀の屋根よりもはるかに高い。
もはやトクサというよりも、竹に近いサイズ感だ。
だが竹と違って、太さのわりに背はそこまで高くない。
印象としては、マレーで見たSchumannianthus dichotomusや、アマゾンにわずかに残っていたMontrichardia arbolescensに近い。
艀から手が届きそうな距離にも生えていたが、多くはすでに水中で刈り払われていた。
艀の運航に支障をきたすためか、あるいは倒れると危険だからだろう。
なるほど、水中で切断すれば、髄腔から水が侵入して枯れる──これは現在でもヨシなどを制御する際に使われる方法だ。
このトクサ類には短い輪生する葉がついており、トクサというよりも成長したアスパラガスの葉のような印象も受けさせられた。短く細い葉もまた、いちぶのアスパラガス属に似たものが見られる。いっぽうで現存するトクサ類はといえば、葉は皆くっついて茎を取り巻くチューブ状の鞘になってしまっている。
葉が葉鞘にならず、輪生してついていること、そして腋生の胞子嚢穂──それらから見て、これはおそらくカラミテス類だろう。
だがその姿は、古生物学の古い文献に描かれる復元図とはだいぶ異なっていた。茎の太さは10センチほどで、枝もまばら。
試しに茎を折ってみようとしたが、想像を超える硬さで、人力ではほとんど変形すらしない。
仕方なく切断された株を探して断面を観察した。
中はほとんどが木質で、中心の髄腔はわずかしかない。現生のトクサのようにストロー状の構造ではなく、周囲に木部を発達させて自重を支えているのだ。
側枝をひねって外してみると、根元にかけて円錐形に細くなっている独特の構造をしていた。強度的には難がありそうで、実際、枝の抜けた痕が残る株もあった。
その後背に茂るのは、直立した分岐しない茎の先端に、長さ70㎝ほどの細い葉が叢生する巨大な木々。基部が膨らんでおらず、幹が上部では緑色で、葉が遠目には糸状に見えるほど細いことをのぞけば、トックリヤシによく似ている。
こんな樹形の植物はこの時代、ひとつしかない。
リンボク類である。
その姿はフウインボクの古典的な復元を彷彿とさせるが、早計はできない。
リンボク類の若木はどれも樹形が似ている。
最後に分岐して枯死するまでの間、直立する幹に細い葉をつけ、電柱のように上へ上へと伸びていく。
だからあのフウインボクの復元図はむしろ、若い姿のまま成熟する、幼形成熟のリンボク類の姿といっていい。フウインボクは幼形成熟するリンボク類の代表である、それだけだ。
正確な種を特定するには、樹皮を覆う葉枕(葉が脱落したあとの、クッションのような膨らみ)の形状、葉枕の配列、胞子嚢の付き方と構造などを調べなければならない。
双眼鏡を使ってみたが、倍率が足りなかった。やはり手に取るような距離での観察が必要だ。
さらに足元には、緑色の糸くずのような植物がびっしりと生えていたが、何であるかまではわからなかった。
目を凝らしてみたが──この距離では、判別は難しい。
集落周辺は木々が刈られており、代わりにシダのような葉をつけた低木が茂っていた。
幹よりもはるかに長い葉をつけており、全体としては草本のような印象すら受ける。
端末の測定機能で高さを推定してみると、幹の高さは3〜5メートル、葉は5〜7メートル。葉は基部から二つに分かれ、外側に広がるのではなく、内側へ向かってカーブし、先端でくっつくような独特の形をしていた。
その葉の隙間から、リンボク類の切り株が顔をのぞかせている。
どれも奇妙なことに中空で、まるで地面から突き出した黒いパイプのようだった。
観察をしていると、ふと視界に入るものがあった。
――毛鉤だ。
2.
空を見上げれば、巨大なトンボが飛び交っている。
アリアがはじめ、巨大昆虫についてのテーマで収録しようと私を誘ったのも納得だ、とケイは思った。
この時代からも巨大トンボは知られているが産出数は多くはなく、かなり探さないと見つけられないものだと予想していた。
しかし集落のまわりはたしかに巨大トンボの楽園であり、鳥や翼竜といった空を飛ぶ脊椎動物がまだいない空を我が物顔で飛び回っている。
オオトンボ類はトンボに近縁だが、直接の先祖ではない。
トンボに似た昆虫、としては現在のツノトンボ類も挙げられるが、これはばたばたと速度の出ない、なんとも不格好な飛び方をする。では、オオトンボ類はどうだろうか?
その飛び方は現在のトンボによく似ているが、より滑らかで優雅な印象を受けた。
つまり、飛行中にトンボ類は突然進行方向をカクッと曲げるが、オオトンボ類はバンク角をかけて滑らかに回る。
その飛び方は航空機のものに似ていて、河面で発生する上昇気流をつかんで舞い上がりつつ、何か獲物らしきものを見かけたり、ライバルが接近したりしたときには、最小限の翼の動きで位置エネルギーを加速に変える。
この動きの違いは、単にその巨大さゆえなのか、天敵が少ないためなのか、それとも古生物学で議論されてきたように、翼の結節を欠くことにより翼の受動的な変形性が現代のトンボより劣り、それによってフラッピングに必要な力が多く必要となって相対的にパワー不足になるのか。観察しているだけでは答えは出ない。
しかし一つ確かなのは、オオトンボ類がその巨体に似合わず驚くほど高速で飛び、敏捷性や機動性はさておき、飛行技術においては見事な完成度を誇っているということだ。
見ている限り、石炭紀のオオトンボ類はあまりものにとまりたがらないようだ。
現代でも一部のトンボはほとんどものにとまることなく一生を終える。
しかし村に点在する杭のように、見はらしが良く周囲よりやや高い構造物にはとまっている個体があり、そうしたものは先端に足をかけてぶら下がったり、ほかのオオトンボ類が近づくと胴を高く上げて縄張りを主張するのだった。
村に点在する杭は、単なる飾りとして高く掲げられているのではない。
本来は村全体を固定するためのものだ。周囲で魚が獲れなくなったり、嵐の予兆があると、川岸につないでいる錨や杭を抜き、それぞれの集落が移動できるようになっている。
大雨の際には、艀ごと陸に引き上げるのだという。
常にすべての杭が地面に打ち込まれているわけではなく、今日のような穏やかな晴れの日には、こうして立てて干されているのだ。
杭の先端に止まった一匹のオオトンボを視線で捉え、ケイはじっくりと観察を始めた。
オオトンボ類は現在のトンボに非常に似ている。まず頭部。巨大な目は頭部の殆どを占め、やや長い触角があることをのぞけばトンボそっくりだ。胸部は現在のトンボと比較してもかなり前傾しており、長い刺に覆われた足は頭の真下に向けて伸びており、非常にバランスが悪い。
そのため普段は杭に対してぶら下がるように止まり、威嚇の際には後脚をぐっと伸ばして倒立するようだ。
端末の測定機能によれば、翼開長28㎝。
この仲間はメガネウラMeganeuraやメガネウロプシスMeganeuropsisといった翼開長50㎝を超えるようなものが有名だが、これらはやや後の石炭紀後期~ペルム紀前期、リンボク類の湿地林が崩壊した後の生き物である。
この時代にもそのような巨大なオオトンボ類がいたのかどうかは、大変興味深いところだ。
今後の観察で見られればうれしいものだ。
そんな思索に浸っていると、突然視界の端から何かが飛んできた。
——毛針だ。
そして、杭に絡まった。引っ張って解こうとするがなかなか取れない。
誰がやったのかは明白だった。アリアだ。
さっきから毛針のようなものを振り回しては、カラミテス類にひっかけたり、杭に絡めて回収しに行ったり…釣り、というより自分からひっかけにいっているようだ。
引っかかった毛針を外そうと悪戦苦闘が始まると、オオトンボ類は驚いて飛び立った。
ぶら下がった状態から足を踏ん張って倒立に近い形となり、そこから足をもう一度曲げ、跳ねるように飛び立つ。一瞬のことだったが、翼の力で飛び立つトンボの離陸というより、鳥の離陸に近いものを感じた。
「またやっちゃった」
アリアが苦笑いしながら呟く。
「んー、なかなか釣れないわね、トンボ」
現在のトンボ類ですら捕まえるのは大変だが、オオトンボ類はさらに難敵のようだ。
観察している限り、高さ3mより下にはまず降りてこない。
杭にとまる個体もさきほどの個体をはじめごく僅かなようで、ほとんどは遥か高い上空を滑空しており、とても捕獲できそうにない。
毛針には針の代わりに特殊なトリモチがつけてあるらしく、それが絡まりやすさを増大させていた。
「アリア? 村に3回引っかけたら禁止って言ったわよね?」
リリィが鋭い声でぴしゃりと釘を刺す。
「これで3回目だから作戦変える…」
悪戦苦闘してようやく毛針を回収したアリアの額には、汗がにじむ。
表情には明らかに焦りがにじんでいた。
何とか捕まえねばならない。
捕まえなければ種類がわからない。な
にせ、昆虫の分類は翅脈の分岐を数えないことには始まらないのだから…
浄水器を見に戻ると、十分な量の飲み水がボトリングされていた。
まずは村の周囲を見て回ろう。リュックサックに飲み水を詰め込み、ついに冒険が始まる。




