南原雀
坂上はもう保健室に着いただろうか、無事に借りられただろうか。
考えながら犬田は、言われた通り空き教室で待機していた。
ガラッ――。
「ほら、借りてきたやったぞ」
坂上の帰りは予想外に早かった。
あれから10分と経たない内に戻ってきたのだ。
そしてその手にはジャージと体操着がしっかり抱えられていた。
「早かったですね」
「いいから着ろ。…んで、行くんだろ」
「ああ、はい。ありがとうございます。」
「くれぐれも、…面倒事だけは起こさないよーに」
坂上はそう念を押すように言うと
職員室だろうか教室だろうか。さっさと行ってしまった。
「よーしよしよし。煩いのがようやっと消えたか…。
服装の問題は解決したんだ、感謝しようじゃないか」
坂上をうまく利用したつもりなのか
人が変わったように小言を言う犬田。
猫被りは専売特許だった。
こちとら伊達に虐められっこやってねぇんだぞ…
友達の居ないぼっちの犬田だが、生命力溢れる男であった。
生き延びることへの執着心は人一倍強い。
「おいだれだ俺をゴキブリ扱いしてるやつは!」
それも家に引きこもるようになってからだろうか
独り言が多くなったようだ。
*
犬田は服を脱いで、ジャージに着替え始める。
ゴソ…、ゴソ――
布の擦りきれる音が誰もいない教室に響き渡る。
しかし
上着を脱いだところでふと犬田は手を止めた。
「なんだ…妙な視線を感じるな…」
ハッとして振り返り、教室を見渡すと
「お前、独り言多っ」
教室の一番後ろの席に
頬杖をついてこちらをみつめる男がひとり。
遠目からでもわかる、コイツ…顔偏差値高ぇ
イケメンは問答無用で犬田の敵だった。
「あのーいつからいらっしゃったんでしょうか」
「あ。いいって。猫被らなくて」
「いつからいたんだよ!!」
居るならそうと声掛けてくれたほうかマシだ。
なんて悪趣味な男だろうか。
「坂上に蹴られてたあたりから」
「最初っから居たのか!!? …まったく気づかなかった」
「あぁ。さっきは床で寝そべってた」
「いや助けろよ!!!」
「なんで」
「『何事だ!いきなり生徒を蹴る教師があるか!大丈夫か君?』
とか、なんかあるだろ!?」
「助けろって言えよ」
「気づかなかったって今言ったばかりだろうがむつくなお前!」
「よく言われる、なんでだ?」
「自覚無し、だと…?」
またしても変な男が現れ、犬田は頭を抱えたくなった。
「あのさ、早く着替えれば?」
「あ、ああ」
「見せる暴力」
「失礼だなアンタ!!!見なきゃいいだろ!せめて着替える前になんか言えよ!!!!」
「おお…的確な突っ込みだ」
「だめだ…、なんかお前には適わない気がする」
「ケンちゃんさあ」
「初対面であだ名つけるか、大物だな…
っていやいやいやちょっとまておかしい!
なんで俺の名前…じゃないけどその呼び名知ってるんだよ!!
そしてケンちゃんなんて呼ぶな!犬田陸だ、覚えておけ!」
「さっきの休み時間、西崎が転校生がきたとか
犬とかケンちゃんとか騒いでたぜ。
お前のことだろ?」
「クソ、不良西崎…じゃなくて西崎さん…!
口の軽そうな男だとは思っていたがやはり…
ってお前知り合いかよ!!」
よくもまあこの広い校舎で、西崎絡みの人間ばかりに出くわすな…
つくづく疑問に思う犬田だった。
「で?どこいくの?」
「トイレだ。さっき居たんなら聞いてただろ?俺がトイレからきたって」
「坂上信じてなかったな。ぷっ」
「笑うな!!信じろとはいわないけどな!!
けどな、あのあと正門で色々あったんだよ。」
「ふーん」
「つまりだな、俺がここに戻ったってことは帰れなかったってことだ」
「帰りたくなかったんじゃなくて?」
「そうだ。どうやら俺はこの学校に閉じ込められた」
「へー?」
「事の発端はトイレだ!
来た場所から戻る、これが筋だ!絶対そうだ」
「ついてってやる」
「おう!ついて来い!!
…て、はい?」
「面白そうじゃん。どうやって人がトイレから帰るのか」
「絶対面白がってるだろ」
「あぁ。」
「むかつくくらい正直だな…まぁ一人よかいいか。
それじゃあ行こうか、えーっと…」
「南原雀。」
「南原くんね、よろしく」
そうしてひょんなことから、 南原と向かうことになった犬田だった。