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第22話 憑り代


 牡丹ぼたんのことばに、祢禰ねねはしばらく沈黙した。

 やがて気怠そうに手を持ち上げ、耳の上あたりを掻く。


 「……何のことかの……と、とぼけても無駄のようじゃな」


 牡丹は面を下げ、指先を膝の前で揃えたまま、動かない。

 髪とおなじ白銀の眉を持ち上げ、祢禰は、嘆息した。


 「……どこから聴いた」

 「……敵手、です」

 「なんと」


 呆れたような、驚いたような、妙な表情を祢禰は作ってみせた。


 「菖蒲あやめか。接触したのか」

 「はい」

 「……り合った、のか」

 「……はい」

 「……そうか。腹の傷も、そのときのものじゃな。遊楽はどうしていた」

 「云いませんでした」

 「ん?」

 「敵手は、わたしの頭のなかに直截じかに話しかけてきたのです。おやかたさまの仰った、例の会場への道すがらで。はじめ無視していたのですが、瑞香さんの身の安全を云うものですから、こちらから敵手の空間に入りました。先生には、黙って」

 「ふぬ……やり方は、相手が教えてきたというわけじゃな。思念でもって」

 「はい。実は……それ以前から、なんども声は聴こえていました。が、下らないことを云うだけなので、聴こえない態度ふりをしていたのです」

 「下らぬこと」

 「……りるる、沈丁花のあやかしを、わたしに与える、と」


 祢禰の目が大きく見開かれた。

 背筋を伸ばし、息を吸い込む。


 「……それで」

 「……闘いのなかで、敵手は、他にも言葉を送ってきました。たくさんのことを聴かされました。むろん、易々、信じたのではございません。ですが……まったくの虚偽うそと思えなかったのです。ですから、どうか」


 牡丹はさらに深く頭を下げた。絞り出すような声。


 「どうか。お聴かせくださいませ。真実ほんとうのことを」

 「……」

 「……我ら、花神巫はなかんなぎ。遠い世の帝の恩寵で力を得て、ひとびとの安寧をまもるために継いでゆく。わたしは、そう、教えられました。親にも、そうして、あなたさまにも」

 「……そうじゃ」

 「妖術使いが生み出した恐ろしい怪異ばけものを、七人の術者が討ち果たした。わたしたちの、遠い御先祖さまです。このこと、違いございませんか」

 「違いない」

 「……では、その怪異。名は、なんでございましたでしょう」

 「……伝えられておらぬ」

 「りるる」


 わずかに頭を起こし、牡丹は小さく、しかし強い口調で短いことばを吐いた。


 「花神巫の始祖が倒したとされる怪異の名は、りるる。このこと、おやかたさまは、ご存じだったのですか」


 祢禰は、応えない。

 牡丹の伏せた顔を、哀しげな表情を浮かべて、っと見ている。

 しんとした暗い部屋の温度が、わずかに下がったように思われた。


 「……ご存じ、だったのですね」

 「……」

 「術者たちは、怪異を滅することができなかった。力を弱め、封じることが精一杯だった。そして怪異は、何世代かごとに蘇る。蘇って、自分を封じた世界に災いをもたらす。そのことが、判明わかっていた。花神巫、彼らを継いだものたちの最大の役目は……」


 躊躇い、それでも、牡丹は告げた。


 「……古代の悪鬼、りるるの復活を阻むこと。そう、聴かされました」

 「……菖蒲の花神巫は、ずいぶんとお喋りなんだの」


 祢禰はいつしか、正座している。膝に手を置いている。その手を、きゅっと握りしめている。視線は変わらず、牡丹のうえに穏やかに落としていた。穏やかなのは、その囁くような声も同様であった。


 「じゃが、よう、調べておる。異国の間諜は、優れておるの。にゃ、はは。漏らした心算つもりもなかったが、儂もこころを読まれたか。不甲斐ない」

 「お認め……なの、ですね」


 祢禰は一拍置いて、深く息を吸った。吐く。微笑を浮かべている。


 「……ああ。そうじゃ。りるるは、遊楽が造ったものではない。花神巫の始祖の時代、世を滅ぼしかけた、大悪鬼。それが、りるるじゃ。そなたの云うとおり、時を経て、蘇る。復讐のためにの。それを封じるのが我ら、花神巫の真の責任つとめ

 「では、瑞香さんは」

 「いずれ、喰われる。りるるに、の。瑞香はいわば、憑り代(よりしろ)であり、餌じゃ。自分を下ろした身体を喰うことで、悪鬼はほんとうの意味で復活する。それを、遊楽は防ごうとしておる」

 「……どのように」

 「連れてゆく心算なのじゃろう。その刻限ときが来れば」

 「どこへ、でしょうか」


 応える代わりに、祢禰はしばらくの間を置いた。


 「……遊楽の力は、真物ほんものじゃ。儂のるかぎり、花神巫の歴史のなかでも最強じゃろう。異常なほどにの。その遊楽の生まれと、瑞香……りるるの憑り代の生まれが、同じ時代。封じるために生まれ、封じられるために生まれる。因縁じゃな」

 「……瑞香さんが依り代ということを、遊楽先生はご存じだったのですか」

 「ああ。あの一族、沈丁花はの、代々、りるるの芽を宿した女が生まれるのを監視みはってきた。儂にもその秘傳ひでんは明かされておらぬがの。祖先を喰われた怨念は、千余年を経ても薄れぬようだ」

 「喰われた……」

 「沈丁花の始祖はの、りるるを封じるために、自らを喰わせた。喰わせて、魂の根を縛り、彼岸あのよへ連れて行った。現代いまのよで遊楽がやろうとしているのも、同じことよ」


 そこまで云い、祢禰は牡丹の反応を待つように沈黙した。

 牡丹は、いつか小さく、震えだしている。


 「……そのとき、瑞香さんは、どうなりましょう」

 「遊楽は救う心算じゃろう。が、難しい」

 「……ともに、死ぬる、と」

 「……牡丹。云いたいことは、よう判明わかる。理の尽くされておらぬことじゃ。瑞香に何の咎もない。遊楽にも、の。じゃが、りるるとは、そういう鬼。そうまでしてでも、封じねばならぬ、怨敵なのじゃ」

 「……ならば」


 牡丹が、ぐいと、目の当たりを擦った。顔を上げる。充血した目を祢禰に向ける。眉を逆立てている。


 「ならば、この度の敵手、菖蒲の花神巫に理がございます。あの声は云いました。りるるを、瑞香さんから引き剥がし、わたしに与えると。菖蒲の国の呪術と、花神巫の力を併せれば可能になると。りるるを制御し、使役できるように、わたしに力を貸すと」

 「無理じゃ」


 祢禰は、牡丹の頬に両手を当てた。手のひらは、冷たかった。


 「できぬ。りるるの力は、そのようなものではない。万がいち仕挫しくじれば、悪鬼をただちに蘇らせることとなってしまう。してはならぬ賭けじゃ」

 「国が、軍が、挙げて研究しているそうです。この邦の、旧いやり方ではない、新式の方法で」

 「できぬ」

 「かの国の神は、祈るものに力を与えると。勁い力だそうです。げんにわたしは、やられました。あの力なら。あの力を、使えば」

 「できぬのだ」


 牡丹の頬の雫を、祢禰は、柔らかく親指で拭い取った。獣のようなその爪が牡丹の肌をわずかに擦った。


 「菖蒲が、その国が、どのようなものかは儂も識らぬ。が、理解わかっておらぬのだ。りるるの力を。最恐の悪鬼の、呪いの大きさを」

 

 牡丹は顔をふたたび伏せ、しばらく黙して、にじり下がった。両手を揃え、額を床につける。


 「……瑞香さんを、遊楽先生を、救う方法があるのです」

 「ならぬ」

 「わたしが、りるるの……沈丁花のあやかしを、飼い慣らしてみせる」

 「牡丹」


 牡丹は応えず、立ち上がった。

 その背に祢禰は、低い声を出す。


 「……止めることになるぞ」

 

 牡丹は、やはり返さない。

 引き戸に手をかける。

 その背後に、音もなく影が興った。


 影はいくつかに分かれ、長い鞭となって牡丹に殺到した。

 束縛は、だが、失敗した。牡丹がすでにその位置にいないためである。

 祢禰の横に立っている。腕を伸ばす。祢禰の右手を捻りあげようとする。が、白銀の髪が踊り、祢禰の身体は宙にあった。跳びながら両手を交差させる。空間が歪み、圧力となって牡丹をあらゆる方向から押し潰した。

 く、と息を吐いて膝をつく牡丹の背後に祢禰は着地したが、手をついたまま回転した牡丹の足が、祢禰のそれを払う。転倒しかけて、四肢をつき、撓めたそれを爆発的に伸長させた。獣のように飛んだ祢禰は牡丹に組みつき、だん、と押し倒した。

 向き合う、顔。


 「……ゆくな、牡丹」


 唇を噛み、眉を悲しげに歪めた祢禰に、牡丹は薄く笑いをみせた。

 口角を上げ、なんらかの言葉を呟く。この邦の文言ではなかった。

 その文言は昏い粒子となり、凝集し、ながれて祢禰の耳から、口から、侵入した。


 「……がっ……」


 祢禰は苦悶の表情を浮かべ、胸を抑えた。身体をあげ、仰け反り、倒れる。

 それを冷ややかに見下ろしながら、牡丹は立った。

 手の甲を見る。異国の文字が薄く青く浮かび、輝いていた。


 祢禰は引き戸を開けて出てゆく牡丹の背に、手を伸ばした。

 牡丹はそれを、振り返ることはなかった。


 


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