1 『渦巻』
ボイコネライブ小説大賞への応募作品として書きます。
主人公:僕は今年で二十歳になる。大学へは通っているけど、友だちは3人だけ。
それもあっちからしたら僕は友達だと思われてすらいないかもしれない。
ナレーション:夏が終わり秋が来たはずなのに冬のような気温である10月。友人や彼女、彼氏、はたまた趣味や仕事などで時間を潰すことができなかった人々は何かが体から出ていく喪失感を感じる。
多くはそれをな夏の暑さの名残が消えたことへの感情だとか考えたりすぐに忘れたり、あまり気にしなかったりである。
実際にそうなのかもしれないし、もしかしたらそれは1年の終わりが近づいたことへの焦りなのかもしれない。
主人公:けど僕はそんなんじゃないと思う。だって僕の心はそんなしょうもない気持ちなんかじゃい、とても僕には理解できない何かで満たされているんだから。
ナレーション:満たされない心とはよく言うものだが、満たされすぎた心というのも考え物だ。
10月というのは1年も残り四分の一、つまり3か月しかないのである。一生は語るには長すぎる。けど筆を折るには短すぎる。
私たちはカゲロウのように死に急ぐこともできず、蝉のように生きた証を盛大に残せるわけでもない。
主人公:それなのに僕たちは急かされた。学校では勉強をしろ。家では勉強をしろ。そして社会からは勉強のできない子供たちと言われた。子供たちに反論する力がないのを知った大人たちは常に子供を見下していた。
大人になれ。ずっと子供のままでいるな。
そんな言葉に縛られて、僕はどう生きたらよかったのか。
ナレーション:人生100年時代が現実のものとなるだろう私たちの生きる時代。1872年から始まった本格的な国民皆学だが、それから150年がたった今も続いており、小学校から大学までの16年、大学院に行けば若くても27歳。そんなにも時間が経っているのだ。
主人公:人生21年しか生きていないのに大学を出てしまえば、先70年を一人で歩く羽目になるだろう。友人ができてもきっとそれは親友にはなれないし、趣味を見つけても結局それは僕を繋ぎとめてはくれないだろう。
もし、もしも僕に友達か趣味があったなら、何者をも恐れずにいられたのだろう。
ナレーション:友人、趣味、そのほか何か大切なものを持っている人と、特になにも持たない人。どっちになりたいかと問われれば迷わずに前者を選ぶ。
しかし生きていると私たちが選択する権利を持っていることを意図的あるいは無意識的にわすれてしまうのかもしれない。生きているだけで選択する権利がもらえる。しかしそれには期限がある。
主人公:僕は選択できることは知っていた。そして選んだんだ。いや、選ばされたのかもしれないね。
だって僕にっとって、時間はあまりにも短すぎたから。ミスばっかりの人生を生きていたくない。選択できたはずの正解をいくつもいくつも、いくつもいくつもいくつも無視して生きてきた。今思えばそれで何かを得られるはずもない。周りには僕より劣ったやつ、優れたやつ、一杯いた。
ナレーション:八方美人ということわざがあるようにすべてを選べる選択肢はいつだって悪い方向へと転がる。八方美人で生きる人もいるしそれを批判する気はないけど、私なら絶対に友達になりたくない。
だって悲しいでしょ。私が歩いた道を隠されたみたいで。
主人公:少し気持ちが落ち着いてきたかな。というよりもこれじゃあ雰囲気がないからね。
僕は21歳の大学生だし、別に話し相手がいないわけじゃない。でもその人たちが本当に僕を知ってくれているのか不安なんだ。僕の心の深いところを知っていなくてもいいんだ。ただ僕を⋯僕が生きていて、存在していることを知ってくれているのかなって考えちゃうんだ。
ナレーション:少しだけ。私は生きている。存在している。
だから忘れないでほしい。隣にいたことを。
主人公:もしみんな幸せなら運命ってなんなのかな。もしみんなが運命を手に入れるならそれは当然のことに成り下がってしまうのかな。