空言葉の奥様
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
誰にも言えないようなこと、言いたくなってしまう瞬間、先輩にはありませんか?
隠しごとって、墓場まで持っていった方がいいケースもあるだろうに、それができなかったために起きた、プラスの出来事、マイナスの出来事はいろいろありますよね。
どうして人間って、口を堅くしづらいんでしょうね。私が考えるに、言葉を口にすると何かしらの、快感を感じる物質が出るんじゃないでしょうか?
売り言葉に買い言葉とか、脳みそ死んだままでも成り立たせられるような会話の類、昔から語られていますよね。
こうノリとか条件反射で紡いでいけるような。ひょっとすると知られていないだけで、口にはサブの脳みそがあるんじゃないですかね? 頭と舌の回転が速い人って、実はこのダブル脳システムを搭載していたりして。で、そんな第二の脳から直に出るものですから、「言霊」なんてパワーが付随するんじゃないでしょうか?
――妄想かぶれ、おっつおっつ?
ふふん、先輩は本当にそう思って言ってます? お話を引き出そうとする挑発であること、見抜けない私だと思うてか? というとこですよ。
まあ、出されたものはいただく私。乗っかっちゃいますよ、そこらへん。というわけで、ご賞味あれあれです。
先輩はおままごとのたぐい、したことや誘ったことあります?
あれって人同士なら、適当なおしゃべりができるんですけどね。人が足りなくて、人形を相手にするときなんか、少し難しいんですよ。リアルに近づけようとすると。
ある程度のストーリーを頭の中で組み立てておいて、相手する人形のキャラもある程度は決めておき、場合によってはアドリブを付け加えることさえあります。
ちょっと凝り始めると、はた目にも少し気味悪ささえ覚えちゃうことも。
私の友達のひとりが、いい例でしたね。
彼女、私と同じ年で幼稚園にあがる前後くらいから、おままごとを始めたんです。ところが、ある時期を境に私を含めた誰も、おままごとに誘ってくれることがなくなりまして。
もっぱらお人形さんたちを使い、公園にある遊具たちを家具に見立てて彼らをおいて、声をかけていくんです。
私たちがすぐそばにいるにもかかわらず、ですよ。
「まあ、今日はずいぶんとお急ぎでしたのね、お隣の奥様」
そういって、地面に半ば埋め込まれたタイヤの上。小石で作られたテーブルの上に、これまた小さいティーカップのおもちゃを乗せられて、その真ん前に置かれる女の子のお人形。
これがリボンを頭にあしらって、水色ベースのアンダーの上に、白いエプロンを身に着けた、童話にでも出てきそうな女の子。
腰を下ろし、足を伸ばし、だらりと手首をタイヤにつけて。うつむき加減に前方へ体重をかけて、後ろへ落ちないように気をつかわれていました。
なにをもって「お急ぎ」なのかは、ひと目見ればわかります。そのお人形のエプロン、あちらこちらに泥その他の汚れを、こびりつけたままの状態でしたから。
「――はあはあ、今回は意地悪な野良猫に追いかけられていたと。災難でしたわね奥様。ささ、お茶でもどうぞ」
くいっとカップを傾けて、お人形の口元へあてていく友達。はっきりとそばで見たわけではありませんが、その頬にはうっすらと、爪を立てられたと思しき三本傷がありました。
友達の持つおもちゃのカップは、もともと紅茶を半分ほどたたえた姿で、デザインされていました。
そこへあえて、公園の水道から水をつぎ足し、ふちぎりぎりまで溜め込んでお人形の口へ運びます。
もちろん、「奥様」はそれを飲むことができません。たぱたぱと音を立てて、水がエプロンの上に垂れていきます。「あらあら」と友達が、目を細くしながらカップを戻しました。
ぽんぽんと、ハンカチで濡れたところを押さえながら、友達はまた呼びかけます。
「奥様、そんなに急いで飲まれては、喉に詰まってしまいますわ。どんなときも優雅にたしなまれるのが、お上品の道ですわよ」
そんな風に世話を焼きながら、お人形ままごとを続ける友達を、私たちは遠くからチラチラ見やって、「おかしな人だ」と思っていましたね。
会話劇は100歩譲ってスルーしたとしても、あのような遊びは家の中でもできるはず。それをわざわざ外で、しかも私たちのような他の人がいる前で行う、というのが分からない。
はたからじゃ、一方的な会話に終始しているわけですからね。私はこの独り相撲なしゃべりって苦手なんですよ。
その友達が、人形遊びを卒業したのは小学校高学年に入ってからですね。しかし、例の独り相撲な会話が、一緒に終わったわけじゃありません。
この時期、私たちのような子供でも携帯電話を持つことが、おかしくない頃ですからねえ。あの友達も用意をしたらしいのですが、私たちに見せた数回をのぞくと、手に持つことをしません。
ハンズフリー通話、というやつですか。ポケットにケータイを入れたままで、あたかも相手が目の前にいるかのように、話し出すんですね。
初めて見たときはビビりましたよ。一瞬、向こうから来る人が、どうにかしちゃったんじゃないかと。よくよく聞いてみれば、誰かと打ち合わせしているような内容ですし、電話してるのかと分かれば、ひとまず安心できますね。
そのハンズフリーをですね、件の友達が頻繁にやるんですよ。
それこそ、使用を制限される学校外で、ほぼ毎日のようにです。たいして気を払わない人は分からないと思いますが、あのお人形の奥様会話していることがあるんですよ。
家族と連絡を取っているような内容も、カモフラージュでしょうね。数聞けばテンプレ、ぱっぱと打ち切りと分かりますんで。
――はい? それが分かっちゃうくらいにストーキングしている、私の方が怖い?
ちゃ、ちゃいますねん。
行き帰りの道が途中まで同じなのが、あかんのです。他の道を使おうとすると、えらく遠回りを強いられるもんで。
あの子、登下校中もあたりはばからないボリュームで話すんです。意識せずとも、耳へ入ってきますよ。私の周りにいる人も、把握していました。
奥様会話は、まあこれまで通りです。あの「お茶」をこぼしておっとっと、みたいな会話をのぞけば、機嫌のよしあしを決めて話しているぽかったですよ。
あの時までは、ね。
二学期になって、久々にクラスのみんなと再会してからでしたね。
件の友達は、女子の中でも猛烈に肌を焼いて、黒々としたボディになっていました。ただ目のあたりは気持ち落ちくぼんでいましてね、相当寝不足だったんじゃないかと思ったんです。
始業式で授業もなく、ぱっぱと帰れるとあって、ようようと私は校門をくぐります。
「――あら、奥様。今日はやけにご機嫌ななめですのね」
すぐ後ろから聞こえてくるのは、彼女の声です。
また奥様会話かと、一顧だにせず先へ歩いていく私。その日は頭上からカンカンに太陽が照り付けていまして、今も目の前のアスファルトの上で、羽を半分広げた蝶がへばっています。
ぱっと私はまたいでかわすも、ほどなく背後からは友達の声がします。
「奥様、こちらがお気に召しました? ならおおせの通りにいたしましょう」
んん? と違和感を覚えて振り返ります。
私の数メートル後ろ。友達はしょったランドセルの肩ひもを両手で押さえていますが、その足元あたりに転がっているはずの蝶の姿が、ありませんでした。
――気のせいかな?
私が向き直るや、危うく顔面直撃コースで飛んでくる、物体がありました。
カナブンです。さっと首をひねることができたのは、ほとんど奇跡ですね。直撃は免れましたが、カナブンはそんな私をあざけるように、顔のあったところで一瞬止まると、90度の直角ターン。
数十センチ横へ移動し、また真っすぐ飛んでいったんです。しかし、ほっとするのも束の間。
「あらあら奥様、そんなにもがっついて……はしたないですわよ」
振り返った先には、ぽんぽんと肩のあたりを撫でる友達の姿がありました。
けれども、あの時の蝶と同じです。勢いよく飛んでいったカナブンがどこにもいないんです。
「――まだ足りませんか、奥様。でしたら前の……」
もう私は駆け出していましたね。そのままだとろくな目に遭わないと、直感していました。
ほどなく、ぐっと喉が締まるような感触がありました。シャツの第一ボタンは開けていますし、のどをしめるような肩ひものかけ方もしていません。
けれども進むたび、前から見えない手が押さえつけてくるような圧迫感が増してきます。のどもとのただ一点に対して。
足を緩めるわけにはいかないと、交差点までどうにかついたとき、垣根の角からこちらへ曲がってくる車を見て、ほっと安心しちゃったのは確かです。
もし、そのままこの車が進んだらどうなるか、薄々予想できていたにもかかわらず。
私とすれ違い、どんどん奥へ走っていく車。そのタイヤの音が小さくなり始めたころに、友達がまたつぶやきます。
「残さず、召しあがれましたか? ご立派ですわ、奥様。ささ、早く休みましょう」
私を追い抜いていく真っ黒な肌の友達。私はその背が完全に見えなくなるまで、動けませんでしたよ。
少しして、私はこの道の先で置きた事故のことを耳にします。
学校のそばまで真っすぐ通じるこの一本道。その校門近くで路駐していた車に、あの曲がってきた車がぶつかったらしいんですね。
しかし、ぶつかった車にドライバーは乗っていませんでした。サイドブレーキなどは下りているものの、勝手に車が動き出すような下り坂ではない。
ナンバープレートから、持ち主の住所も割り出されましたけど、家族によれば件の車で出かけてから帰ってきていない、とのことなのですよ。
それから、彼女とは距離を取るようにしましたけどね。