第二話 一悶着
今日は午前中のみで放課となり、朔夜達はさっさと教室から出た。勇人達とコンタクトを取ることも考えたが、やめた。下手に距離を詰めようとすると逆に警戒されかねない。接触の機会はこの先充分にあるのだから、今日のところは引き上げることにした。
「朔夜~我はもう疲れた。ボトルたっぷりに満たされたコーラを飲みたい。だから早く帰ろうではないか」
「そうか。近くに美味いジェラートを出す店があるらしいのだが?」
「何!? それを早く言わんか! こうしてはいられない。急ぐぞ!」
「疲れたんじゃ、なかったのか……」
早足になるフィーテの背中を見ながら、朔夜は呆れたように呟いた。
ここ学園区には校舎だけではなく、学生向けの飲食店などもたくさん並んでいる。その数たるや、全軒回るには毎日違う店で食べても一年はかかると噂されている。流石に誇張だろうが、それだけたくさんの店があるということだ。
正面玄関から外に出ると、前方で何やら揉めているらしき男女が見えた。
「なあなあ、何も難しいことを言ってるんじゃない。僕は、ただ君にランチを奢らせて欲しいだけなんだ」
「け、結構ですから……もう許してください……ごめんなさい……」
「やだなあ、なんで謝るんだよ」
なるほど、ナンパか。朔夜は冷静に悟った。
男の方は長身で金髪。恐らく外国人だろう。江殿市には世界中からドラグナー志望者が集まる為、珍しいことではない。ブレザーのネクタイの色は三年生を表す緑色をしていた。
対するは小さく縮こまって小動物のように震えている女子生徒。ブレザーのリボンは青色。朔夜と同じ一年生であるようだ。
三年の先輩が早速気に入った新入生に目を付け、ハンティングしようとしているといった状況だろうか。
それに、朔夜は男の顔と名前を既に知っていた。
先程行われた入学式において紹介された十名の実力者、竜星会。その中に、彼の姿もあったのだ。
「あいつ……セルリオか」
セルリオ・ローエンリック。学園ランキング10位の男。入学式ではなんだかきざったらしい挨拶をして、場の温度を下げていた。
女子生徒は怯えが限界に達しつつあるのか、今にも泣きだしそうな顔をしている。先輩はそれに気
付いていないらしく、尚もしつこく誘い続けていた。
「ふん。女を落とす腕は三流だな」
「何を言っているか。そなたも童貞のくせにいでででで!!」
車のドライバーがアクセルを全開にするかのように、朔夜はフィーテの足を思いきり踏みつけた。
道行く生徒達は誰も女子生徒を助けようとはしない。入学初日からいざこざに巻き込まれたくはないのだろう。
だが、それはあの女子生徒も同じだった筈だ。きっとこれから始まる学園生活に希望を持っていたに違いない。
それが台無しにされることを、許せる筈はなかった。
「うーん、気の長い僕でももうそろそろ限界だ。さあ、もう行こう」
痺れを切らしたか、セルリオは女子生徒の手を強引に掴もうとした。
「ふふっ、意外とがっしりした腕をしてるんだね。まるで男の子みたいだ。まあ、そんなギャップがあってもいいと思うよ、僕は」
「それは俺の腕だ」
「え……?」
セルリオが振り向くと、彼が掴んでいたのは朔夜の手だった。
「昼食を奢りたいらしいな。ならば俺が遠慮なく奢られてやる」
「今ならもれなく我もついてくるぞ!」
「ふざけるな! 気持ち悪い!」
即座に手を離し、セルリオは悪態を吐いた。つい数秒前までの穏やかさは跡形も無く消えていた。
「ふん、僕は君なんか知らない。でも君は僕を知っている筈だ。そうだろう?」
「ああ。入学式の痛々しい挨拶も憶えている」
「それはそなたもどっこいどっこいたたたあたー!」
「えぇ……」
右足の脛を蹴られ転げまわっているフィーテを困惑の表情で見つめるセルリオ。しかしすぐに気を取り直し、ずいと朔夜に詰め寄る。
「じゃあ、君は僕がランキング10位のセルリオと知った上で邪魔立てしようっていうんだね? なるほど、類を見ない愚か者だ」
確かに。学園の実力者である彼に喧嘩を売る者はそうそういないだろう。逆らったところで勝てる訳ない。だから誰も背後で震えている女子生徒を助けようとはしないのだ。
だが、朔夜は違った。
彼は悪く言ってしまえば自己中心主義だった。しかしそれは、決して周りに流されることなく、自分の善を成し、自分の悪を挫く。その信念を表すものでもあるのだ。
目の前に溺れている者がいれば手を差し伸べる。これはそれと同義だった。
次第に周囲の人々からの目線も集まってきている。それに気付いたセルリオは何かを思いついたらしく、ニヤリと笑った。
「よし、決めた。ならばドラグーンで決着をつけようじゃないか。契約竜はもういるみたいだから、できるだろう?」
この学校には一つのルールが存在していた。それはドラグナー及びその契約竜が揉め事に陥った時、戦いの勝敗で決着をつけようというものだった。
朔夜は不敵に笑みをこぼす。
「敗者は勝者に従う。単純明快なルールだな。悪くない」
「ふっ、そうこなくちゃね」
するとセルリオは携帯を取り出し、誰かに電話をかけた。
「もしもし、クーゲルか? 今からドラグーンを行うことになったから、練習用のバトルフィールドまで来い。……そうだ、今すぐだ。何度も言わせるな」
電話を切ると、セルリオは再び朔夜に向き直る。
「それじゃあ、僕がバトルフィールドまで連れて行ってあげよう。そこの君も観戦に来るといい。従うべき強者は誰なのかはっきりするだろうから」
「えっ……!?」
声を掛けられた女子生徒がびくっと肩を強張らせる。
そのまま小鹿の様に足を震わせたままでいると、朔夜が耳元で囁いた。
「大丈夫だ。俺が助けてやる」
その言葉は、不思議と重みがあった。安心感という名の重みが。
少女の震えが、少し収まったような気がした。
朔夜達が連れてこられたのは、校舎に隣接するある施設だった。
ここはドラグーンの練習試合や各種トレーニングを行うことができる総合型ジムで、ドラグナー養成科に属する生徒ならば無料で自由に利用できる。
今日は始業初日ということもあってか、鍛錬をしている者の数は少なかった。
にもかかわらず、観客席には大勢の生徒が集まっていた。
「あいつがあのセルリオ先輩に喧嘩売った一年か!」
「俺、同じクラスだよ! すげーヘンな自己紹介してた」
「セルリオ先輩に挑むとか無謀~!」
「ヘンな自己紹介してたくせに勝てるのかあ?」
彼らの視線は、バトルフィールドの真ん中に立つ四人に集まっていた。
朔夜は野次馬を一瞥すると、尋ねる。
「お前が呼んだのか?」
「ああ、観客がいた方が盛り上がるだろう」
「申し訳ございません。こんなことになってしまって」
そう頭を下げてきたのは、セルリオの契約竜だった。
外見はまだ十歳程の少女だった。こんな幼い竜が戦えるのかと疑問を持つ者もいるだろうが、人間と契約している以上参加資格はある。
彼女は外見に似合わないしっかりとした口調で言う。
「恐らく私の主が何か無礼を働いたのでしょう。彼に代わり、深くお詫び申し上げます」
「おい、口が過ぎるぞ。クーゲル」
「は、はい……。すみません」
クーゲルと呼ばれた彼女はしゅんと俯いてしまった。
「さて、ルールを確認しようか。試合時間は無制限。相手のドラグナーと竜、両方を降参または戦闘不能まで追い込むこと。……これは最終警告だ。本当にいいんだな? この僕と戦うという事で」
セルリオは朔夜に詰め寄り、低い声で言う。その目は、ここから先はもう引き返せないということを示していた。
しかし、その程度でたじろぐ朔夜ではない。
「くどい」
そう吐き捨て、フィーテと共にフィールドの初定位置までスタスタ歩いていく。
どこまでもふてぶてしい態度に、セルリオははらわたが煮えくり返りそうだった。
ギリギリと歯を食いしばる彼を見かねて、しばらく黙っていたクーゲルが声をかけた。
「セルリオ様、どうか落ち着いてください……」
「うるさい! こうなったらもう一切の情けもかけない。完膚なきまでに叩き潰す」
激情に駆られながら、セルリオは荒々しい足取りで初定位置に向かう。
だが、その途中で秘かにほくそ笑んだ。
確かに今のところ朔夜は余裕を持っているようだ。しかし、本当の余裕というものを持っているのは彼ではなく自分なのだ。
なぜなら、学園ランキング10位である自分が入ってきたばかりの一年生に負ける道理が無い。
(馬鹿な奴だ。せいぜい大勢の前で恥を晒すことだな)
セルリオが観客を集めたのは他でもない、公開処刑の為だ。調子に乗って自分に楯突くとどうなるか、良い見せしめにしてやるとしよう。
『両者、初定位置での待機を確認。これより10秒後、試合を開始します』
その機械アナウンスを合図に、場の緊張は一気に高まった。
長い十秒間、互いは目を離さない。既に戦いは始まっているのだ。
朔夜は腰に帯びている剣を抜きながら、自身の契約竜に問いかける。
「いけるか? フィーテ」
「何を今更。私もあの男の態度には腹が立った。少々灸を据えてやるとしよう」
二人は笑みを交わした。慢心とは違う、信頼の笑みを。
そして、遂に火蓋は切られた。
『3、2、1……試合開始』
それと同時に、二人は駆け出した。
並走しながら、肩越しにフィーテが尋ねてくる。
「さて朔夜、どちらからやる?」
「奴の竜契器は……、ハンドガンか。後衛型である可能性が高い」
初期位置から動こうとしないセルリオは、手に持った濃緑色の拳銃を手でクルクル回している。その少し手前で身構えているのがクーゲルだ。
竜契器とは、竜と契約した際に生み出される武器のことで、朔夜の場合は愛用している黒い剣がそれだ。
「まずは銃撃を警戒しつつ、二人であの竜を叩くぞ。そして頃合いを見て俺が離脱し、セルリオに接近する」
「承った!」
フィーテは加速し、朔夜のやや前方に出た。
対するセルリオチームは、予想通りまずクーゲルが迎え撃ってきた。
跳躍し、出会い頭に飛び蹴りをかまそうとするフィーテだったが、その初撃は躱された。
しかし、そこで待ち構えていたのが朔夜だった。
「はっ!」
軽く息を吐きつつ、空気を切り裂きながら剣を振る。流石に二回連続で回避することは叶わず、クーゲルはその斬撃を受けた。
「うあっ……まだまだ!」
痛みに顔を歪めながらも、クーゲルは動きを止めずに朔夜の右足に蹴りを見舞った。
しかし、朔夜は難なくそれを剣の刀身で防御した。
クーゲルは血を流し続ける二の腕を押さえ、数歩後退する。だが、既に後ろはフィーテに塞がれている。
朔夜は相棒に呼びかける。
「セルリオに近づかないよう気を付けろ。距離が縮まれば狙いも定めやすくなる」
「分かっている。だが、これだけ離れていればまだ大丈夫だ」
フィーテはセルリオの方を一瞥してから、再度クーゲルへ殴りかかる。
現在、セルリオとの間隔は約三十メートル。拳銃で狙うには少し難しいだろう。多少接近されても余裕はある。
その筈だった。
乾いた破裂音が響く。
それに間髪入れず、フィーテの脇腹に固い物体が超高速で突き刺さった。
不意に襲う痛みに、彼女は動きを止めた。
ドラゴンデータ
名前……フィーテ
種族……呪厄竜
ステータス……パワー B ディフェンス C スピード A スタミナ C スペル A