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遠征

僕たちの生活が一変する知らせは、前触れなく届けられた。


「遠征が決まりました。」

「遠征、ですか。」


晩餐後にお茶を楽しんでいると、エリーが切り出した。


「詳しく申し上げることはできませんが南の方へ。」


南といえば、数年前に蛮族討伐と銘打って進軍したことが思い出される。

軍を進めたはいいが遅々として進まず、国境沿いでの小競り合いが日常と化しているという。

そこに彼女が投入されるのだろうか。


「そう、ですか……。」


心配ではないと口に出すことはできない。

行かないでほしいと口に出すことはできない。

エリューシア・テム・アルストロメリアは軍人であり、アルストロメリア侯爵令嬢であり、僕の妻なのだ。

僕は彼女を送り出さねばならない。


「期間は……?」

「最低でも一月、長ければ三月以上かかるやもしれません。」


彼女は静かにカップを置いた。


「わたくしのような加護持ちが戦場にいるかいないかでは、戦局は大きく変わります。」


「わたくしが戦場に出ることによって、一人でも国民の命が助かるのであれば喜んで向かいます。国の兵士にも家族がいるでしょう。悲しむ人がいるでしょう。」


僕は黙って聞く。


「わたくしが敵国の指揮官を殺すことで、戦闘が早く収束するのであれば喜んで殺します。敵国の兵士にも家族がいるでしょう。悲しむ人がいるでしょう。」


彼女は真っ直ぐに味方の犠牲も敵の犠牲をも、減らしたいのだと言う。


「それが、力を持つ者の努めだと教えられてきました。」


とても、止められない。


「今までは、ただ戦場へ赴き、帰ってくる日々でした。日常においても、そう。使用人たちには、ずいぶん苦労をさせてしまいました。でも、あなたと結婚してからは、帰ってくるのが楽しみになりました。屋敷の中に変化があり、あなたが出迎えてくれるのですから。」


驚いた。僕の見ていた彼女はいつも楽しそうだったから。

そんな無機質な生活をしていたとは思えなかった。


「今は、あなたがわたくしの帰る場所です。」


彼女はいつも通り、凛々しく微笑んでいる。

僕は強がって、その目を真っ直ぐ見つめた。


「僕はあなたを止めることはしません。でも、毎日心配します。もしかしたら怪我をするのではないかとか、命の危険があるんじゃないかとか、毎日毎日心配します。勉強も庭の手入れも手につかないかもしれないです。食事も喉を通らないかもしれない。でも、毎日無事を祈ります。帰ってくるまで、毎日。」


言っても言っても、言い足りない。

何を言っても、足りることはない。


だから僕は、言わなければいけない。


「……いってらっしゃい。」

「行って参ります。」


彼女は笑っていた。


◇❖◇


一か月というのはこんなに長かっただろうか。


エリーの出征は、僕たちが話し合ってすぐだった。


それからの生活は、朝晩の会話が無くなったことを除けば、変わりなく過ぎてゆく。

毎朝起きて、食事を取り、領地からの報告や使用人たちからの報告を受け、処理していく。

頭の片隅ではいつも彼女の心配をしていた。

最初はスチュアートも使用人たちも気を使ってくれか、そっとしてくれていたが、一度ボーっとして階段を踏み外してからは、常に誰かが付き添う厳戒態勢だ。


エリー、君が帰ってこないとそろそろ仕事が滞ってしまいそうだ。


そんな事を毎晩便箋に書き綴り、封をして、引き出しにしまう。

こんな個人的な手紙を軍に預けるわけにもいかず、出せない手紙が増えていく。

引き出しに手紙をしまった後、まだ眠る気にもなれず、そのまま肘をついた両手に頭を預ける。


庭園の花の季節が変わってしまった。君はダイアンサスの花も好きだろうか。

帰ってきたら好きな花を聞こう。彼女の好きなものを知ろう。


神に彼女の無事を祈って、寝台に入る。眠れるわけではない。エリーのためにも屋敷を回していかなければいけないのだから少しでも体を休めなければ。



「旦那様、奥様からの手紙でございます。」

「エリーから?」

「はい、先ほど使者の方がいらっしゃいまして。」


受け取った手紙には確かにエリーの文字が書かれている。

内容は、戦場ではあるがつつがなく過ごしていること、あと半月ほどで帰れる見込みであることが簡潔に書かれている。文末には短く、僕がいなくて寂しいとあった。


「スチュアート、この先二週間ほどの予定はどうなってる?」

「奥様が帰宅されるのですね、おそらくは帰国に併せて領地から大旦那様がいらっしゃるでしょう。それ以外の急ぎの仕事はございませんね……もうお出迎えの準備を始めてもよろしいかと。」

「わかった、ありがとう。食材などの手配はいつも通りに任せるよ。」

「かしこまりました。」


まず何から手を付けようか。

庭の手入れもしていない。

エリーのお気に入りの茶葉のストックを確認しなくては。

献立の相談もしたい。

リネンはどうだっただろう。


これはもう、メイド長に直接確認したほうが早いかもしれない。

そのあと厨房へ行って、それから庭園だ。


「スチュアート、少しメイド長のところに行ってくる!」

「また階段から落ちられては困りますからね、私も参りますよ。」


執務机になんて座っていられない。

スチュアートを伴って、僕はあわただしく部屋を出た。


◇❖◇


庭園にはダイアンサスやガーベラ、クロッカスが見事に咲き誇っている。

2週間前からメイドたちには頑張ってもらい、屋敷の磨き上げもばっちりだ。

古くから仕えているという料理人も今日はエリーの好物ばかり作ろうと張り切っていた。


先ほど先達から、帰宅の旨を告げられていた。

あとは、エリーを待つばかり。


エントランスでうろうろしていたのだが、スチュアートに見つかって邪魔だとばかりにサロンへ押し込められてしまった。

僕についてくれている侍女のオルガがお茶を淹れてくれる。おそらく、スチュアートが代わりにエントランスで待っていてくれるのだろうが、全く落ち着ける気配もない。


「旦那様、奥様は王宮でのご報告があると思いますわ。今は座ってお待ちくださいませ。」

「……すまない。」


サロンのソファに腰を落ち着けてお茶を口に含むが、紅茶の香りも味も感じられない。

そわそわと落ち着かない僕を見て、オルガも微笑ましそうだ。


「そうだな……サロンとダイニングに飾る花でも摘みに……。」

「旦那様、花の準備でしたら私どもがやりますのでここで『大人しく』お待ちいただけますか。」

「はい……。」


使用人たちの過保護はまだ続いている。

オルガに念を押され、僕は大人しくソファの背もたれに体を預けた。


「あ~……。」


手を動かしていないと次から次に気になることが出てきてしまう。

エリーが遠征に発ってから一月と半分。

僕はこんなに落ち着きがない男だっただろうか。


遠くで馬の蹄の音がする。

笑顔のメイドが、僕を呼びに来た。


駆けだした僕を廊下の使用人も笑顔で見送る。


エントランスにたたずむスチュアートの横を通り、玄関を飛び出す。

門扉の前では馬に乗った彼女が微笑んでいた。


「フィエン、ただいま帰りましたわ。」



「おかえり、エリー。」



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