第五十四話
“この劇は終わらない。誰かが犠牲になるまで。その誰かの中に自分は入っていない。何故なら、私の代わりに犠牲になる子が居るから。それを私は邪魔する事は出来ない。それこそが彼女の演じる役なのだから”
シロクマ王国での公演開始から二日目の夜。
私はリエナさんの演技を袖から見守っていた。相も変わらず凄まじい気迫の演技だ。今は王に仕立て上げられた女の子に、かつての師である老人が説得に来るシーン。老人は共に逃げようと言ってくれる。でも女の子は首を縦には振らない。
老人はその時、こう思った。きっと国の偉い人達が、女の子を洗脳しているのだと。しかし女の子は確かに自分の意志でそこに立っている。でもそのことをどんな言葉で老人に聞かせようとも、老人は納得しない。
この時、どちらかが折れていれば……ラストの悲劇にはならなかったんだろうか。
女の子が折れて老人と一緒に逃げるか、老人が折れて女の子を助けるのを断念するか。
どっちがいいのかと考えてみても、答えは一向に出てこない。当たり前だ、どっちもどっちだからだ。
「ヴァイオレット、最近熱心ね。そんなにリエナの演技が気に入った?」
「……まあ、前から気になってますよ……それこそ初めて会った時から……」
袖へと次の出番が回ってきたラスアさんが。彼女は女の子の躾け役だ。現実とそう変わらない役柄なのに、舞台の上では全くの別人に見えるのは、それこそ役者だからだろう。
「ヴァイオレット、貴方から見て……リエナの演技はどう? 今のシーン……実は老人を殺せとリエナは命じられているのよ」
「そうなんですか……。それは残酷ですね。かつての師を弟子に殺させるなんて……」
「そう、とても残酷なお話よ。でもそれは救いでもあるのよ」
……どこが? 救いようのない話にしか見えないが。
「老人は弟子である女の子を説得に来た。でも女の子の性格を熟知している彼は、彼女が折れない事も承知の上。そして今自分が行っている行為は、まさに国への反逆行為。いつ殺されてもおかしくない状況よ。なら、どうせなら弟子に殺してほしい。それが老人の心境よ」
「あの小説家……エグい話書きますね」
「でも同時に女の子も、他の誰かに老人を殺されるくらいなら、自分が殺してやりたい、そんな思考の持ち主。普通じゃ考えられないわよね。でもリエナはそれを演じなければならない。貴方から見てどう? リエナはちゃんとそんな風に演じれてる?」
どうと言われても。私の演劇に関する知識なんて、微々たる物だ。黒蛇さんに連れられて、昔この劇団の劇を見に来た。それから護衛になって、裏側も含めて今は見ているけど、私は劇の事なんて全然分かっていない。むしろ謎が増えた。普段と全く違う人間になってしまう団員が……どうしてああなるのかが分からない。
「……私にはよく分かりません……分かりませんが……私ならたぶん……躊躇いなく老人を殺します」
「……それは何故?」
「殺傷するのが私達の仕事だから……。もうそれが日常と化してるんです。きっとそれは仕方無い事なんだって割り切って……」
「成程……勉強になるわ。私達は殺人者を演じる時、殺気やらなんやら……頑張って表現するようにするけど、そもそも日常と化してたらそんなの必要無い物なのね」
「状況によりますけどね……でももしかしたら……私だけ特殊なのかもしれません……」
そうだ、私はD2部隊に……あの機械みたいな部隊に配属される前に黒蛇さんに引き抜かれたから、まだ良かったけど……
「私、心が半分死んでるんですよ。正直、皆が笑ってる時……何が楽しいのか分からないんです。皆が泣いてる時、何が悲しいのか分からないんです。私はそういう風に教育されたチャイルドソルジャーだから……」
「ヴァイオレット、忘れてない? 私も元々軍に居たのよ」
ぁ、そうだった……ラスアさんもアルストロメリアの軍人だったんだ。
「……じゃあ、知ってますよね。私がD2部隊用に教育されてた事……」
「知ってるわ。黒蛇が貴方に目をかけてたこともね。あいつは現実主義者よ。貴方なら……って思ったんじゃない?」
「……何がですか?」
「それは……」
その時だった、舞台から大きな音がした。何かが弾けるような音。それは舞台の演出では無い。この場面でそんな物は存在しない。
私は咄嗟に袖から出て、リエナさんの首根っこを掴んで袖の方へ投げ捨てた。混乱するリエナさんを後ろから抱えるように、さらに奥へと引っ張っていくラスアさん。
予感がする。
私の死んでる心が震える予感が。
「……瀆聖部隊……」
大きな音の正体。それは黒いトカゲが舞台へと落ちてきた音。無作法にどこからか落ちてきて、舞台を滅茶苦茶にしようとした。老人役の役者は腰を抜かしていた。でも男の子なんだから自分で逃げなさい、と睨みつけた瞬間、一瞬でトカゲが私の視界から消えた。そして右頬に走るチリチリとした感覚。咄嗟にそれを避けるように体を逸らした。それとはトカゲの手刀。鋭い爪で私の顔を裂こうとした。
「コイツ……っ!」
問答無用と言う事か、私のこの可愛い顔を狙うなんて常人じゃない。というか瀆聖部隊のゼマだ、こいつらは軍人。それもあのオズマの部下。まともな人間な筈が無い。
何故こいつがこのタイミングで劇団を襲うのか、今はそんなの後回しだ。とりあえず……こいつを消す。
頭の中がクリアになる。目的を設定すると同時に、体から余分な力が抜ける。そいつを殺せ、と自分で自分に命じる。でも私はもう機械じゃない。あのイカれた機械みたいな特殊部隊の一員じゃない。こいつは生かして拷問してやる。
「……魔女、ヒキワタシテクダサイ」
低い、しゃがれ声。その異質な声とは裏腹に、まるで……少年のような言葉使い。
一瞬で察した。こいつも……私と同じなんだ。
心に炎が宿るのを感じた。
久しぶりに胸が躍った。
何故か、コイツの事を気に行ってしまったから。
「私を殺してからゆっくり探しな、クソガキ」
「…………」
死んでいる心が脈動するのが分かる。
やっぱり私は、こっち側の人間なんだ。
生きて、殺し合え。




