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第三十一話

 “湿っぽくて暗く、ただただ静かな牢屋の中でミコトの寝息だけが聞こえてくる。ここは居心地がいいと感じてしまうのも、その寝息のせいかもしれない。だがそろそろ、この寝坊助を起こさねば”



 ミコトはあれから一度も目を覚ましていない。しかし寝息は立てているし、時折俺の名前を呼ぶという可愛い寝言も言うのだから生きているとは思う。

 

 この牢屋の中に放り込まれて丸々三日。食事は三食しっかり与えられるし、煙草もある。やろうと思えば簡単な運動も出来る為、何気に居心地がいい。このまま何かしらの変化を待ってみてもいいが、数時間前に凄まじい地響きを感じた。地震とは違う、世界が震える音を聞いた。


 魔女だ。魔女が怒ったのだ。

 もしかして俺の母国、アルストロメリアの魔女に俺がニア東国に掴まった事がバレて激怒したのだろうか。もしそうなら一刻の猶予も無い。急いで戻らねばならない。だが焦りは禁物だ。まずは……あの時落とした心血武装を見つけねば。恐らく誰かに拾われている可能性がある。あの時、結婚式場には軍関係者しか居なかった。もしニア東国の魔女の手に渡っていたら……最悪だ。


 そう思案していると、地下へと誰かが降りてくる足音が。足音からして軍人ではない。もっと柔らかい靴……そう、ニア東国の一般市民が好んで履くような草履のような……


「よう、元気そうだな、若いの」


 地下へと降りてきたのはアギスだった。ニア東国の心血武装持ち。

 俺は「何だ、お前か」と小声で零しながら、牢番から頂いた煙草に火を付ける。ちなみに今、その牢番は娘を保育園へ送りに行っていた。毎朝の日課のようだ。スルガの国境警備隊は平和らしい。


「何だは無えだろ。せっかく顔を見に来てやったのに」

「余計なお世話……って、なんだ、その顔」


 アギスの顔、右頬は大きく腫れあがっていた。見事に手形がくっきりと見て取れる。魔女の側近にこんな事が出来るのは……魔女だけだ。痴話げんかでもしたのだろうか。


「いや、ちょっと……な」


 頬を撫でながら、懐を探るアギス。そして牢屋ごしに、俺へと一本の鍵を見せてきた。それはまさしく、俺の心血武装。


「……お前が持ってたのか」

「感謝しろよ。その辺の軍人に拾われてたら間違いなくゴミ箱行きだ」

「なんだ、それで……親切にも返しにきてくれたのか?」

「あのなぁ、牢屋に入ってる奴に返せるわけねえだろ。心配しなくても、その内牢屋から出してやるよ。その時に返してやる。まだ何も変化は起きてないみたいだな」

「……変化?」


 一体何のことを……。何が変化?


「ところで牢番はどうしたんだ」

「あぁ、娘を保育園に連れてってる」

「おいおい、平和ボケしすぎだろ。いくら暇だからって……」

「それより……さっきの地響きは何だ。ただの地震じゃないだろ。あぁ、もしかして魔女があんたにビンタした時のなごりか?」

「どんなビンタだ。さっきの地震は調査中だよ。まあ、大方どっかの魔女がくしゃみでもしたんだろ」


 冗談交じりに言っているが、アギスの表情は笑っていない。恐らくこいつも俺と同じことを考えている。だから俺に会いに来たのだろう。アルストロメリアの魔女が怒っているのではないか、と。


「世界の滅亡の足音かもな。俺をここから出してくれたら世界が救われるかもしれん。試してみる価値はあると思うが」

「それが出来たら苦労しねえんだよ。このニア東国って国はな、既に魔女は(まつりごと)から外されてる。だから平和だし、厄介な状況とも言える。魔女の恐ろしさを知らねえ奴が大半なんだよ」

「苦労してそうだな。まあ、アルストロメリアも大して変わらないがな」


 俺のその一言は、アギスへと状況が切迫している事を知らしめるには十分だったようだ。アルストロメリアは現在軍部が実権を握っている。魔女の側近が他国に拘束されたと分かっても、即座に救出とはいかないだろう。事実それは正解だ、悪戯に他国を刺激するような真似は避けた方がいい。しかし魔女が怒り狂えばそれまでだ。このニア東国にアルストロメリアの軍が攻め込んでくる前に、世界が滅びるかもしれない。


 アギスは隅のベッドで眠っているミコトへと視線を。

 

「いよいよヤバくなったら逃がしてやる。それまで出来るだけの事はしてみるつもりだ」

「ヤバくなってから逃がされても遅いんだがな。迅速な判断を所望する」


 そのまま鼻で笑いながら去っていくアギス。俺は煙草の火を消しつつ、頭の中を整理……


「……っ! な、なんだ?」


 心臓が、鼓動が……激しく、とつぜん、いきなり……血が、血が……


 なんだ、なんだこれは……熱い、体が……熱い……


 内臓が煮えて……心臓が破裂してしまいそうな感覚。


「な、なんだ……これは……」




 ※




 黒蛇と牢屋越しに会話したアギスは、己の嫌な予感が的中しそうだと歯ぎしりする。数時間前に突如として感じた地響き。あれは一体なんの衝撃かと考えれば、十中八九魔女の手によるものだろう。

 魔女が怒っている。それを世界に知らしめたのだ。この時点でアギスの中で可能性は二つあった。一つはミシマ連邦。先日、ミシマ連邦の軍人の中核を担うと言ってもいいオズマがクーデターを起こした。それに対してミシマ連邦の魔女が怒っている可能性。そしてもう一つは、黒蛇をニア東国に奪われたアルストロメリアの魔女が駄々をこねている可能性。どちらも脅威だ。だがアギスとしては、アルストロメリアの魔女の方が問題だった。


 ニア東国の魔女、スミレはアルストロメリアの魔女、サクラと大層仲が悪いとされている。今回、黒蛇を捕らえる事によってスミレはサクラに対し嫌がらせをしているわけだが、今この状況がどれだけ不味いのか軍人の大半は理解していない。いや、もしかしたら自分と黒蛇だけではないか? とアギスは冷や汗を。ニア東国もアルストロメリアも平和ボケが過ぎる。どちらの国も魔女の恐ろしさをまるで分かっていないのだ。


「迅速な判断か……黒蛇を逃がしたと知れば……魔女様は俺をまた叱るんだろうなぁ……」


 腫れあがった頬を撫でるアギス。魔女にビンタされたものだが、その原因は黒蛇の心血武装を持ったまま謁見したからだった。


『そんな臭い物を持ってくるな!』


 心血武装とは魔女の心臓。ニア東国の魔女、スミレは他国の魔女の心臓を懐に入れているアギスを叱責し、部屋から追い出すとともにビンタ。しばらくは腫れは引かないだろう。


「……臭い、か。アンタ、その臭い魔女の側近を捕まえてるんだぜ……」


 何故か要らぬ心配をしてしまうアギス。一体黒蛇をどうするつもりなのか。もしや、さらなる嫌がらせをしようと、黒蛇をあの美貌で骨抜きにしてしまうつもりなのか。


「いやいや、んなわけねえ。あの黒蛇にだって魔女の匂いが染みついてるんだ。そんな奴を……」


 だが完全に否定はできない。アギスはスミレの性格は熟知している。相手が嫌がる事なら、なんでもしようとするのがあの魔女だ。事実、自身が嫌う神化した人間を処刑しろという法も作ろうとしていた。

 

「……今夜だ。善は急げってね……」


 今夜、黒蛇を逃がす。そしてアルストロメリアへと帰還させる。それが出来れば、世界がいくらか救われるかもしれない。だがアギスはそれは建前だと自覚していた。本当は嫌なのだ。スミレが別の男に絡む姿など、想像もしたくない。





 ※





 日が落ち、暗闇に支配される時刻、スルガの国境警備隊、地下水路から全身タイツの四人組が静かに姿を現した。警備のデジョンシステムをハッキングし、軍施設へと容易く侵入した四人組。全員が暗視スコープを装備しており、バックパックからハンドガンを取り出すと、サイレンサーを装着する。全員が女性、ちょうどヴァイオレットと同世代程の。


 四人組はバラバラになり、静まり返った軍施設の闇へと溶け込む。その中の一人が、黒蛇の居る地下牢へと向かっていた。


 その歩みからは足音など一切しない。監視カメラを目視すると、その制御を一瞬で奪い去り、自分だけが映らないように操作する。端末など一切使用せず、ましてやカメラに触れてすらいない。


 そんな彼女達は“D2部隊”と呼ばれるアルストロメリアの特殊部隊だった。エレメンツを脳内に移植し、驚異的な力を発現させる事に成功した者達。彼女達の目的は黒蛇の救出……の筈だった。


 だが命令は直前で変更される。


『こちらβ。命令が変更された。黒蛇を殺害せよ。繰り返す、目的が変更された。救出では無く、殺害せよ』




 ※




 “体が熱い。とてつもなく熱い。気が付けば俺は気絶していたようだ。目が覚めると、視界は真っ赤だ。暗い牢屋の中、ただ真っ赤に染まっている。それが暗闇に戻った時、俺は自身の変化に気付くまで時間はかからなかった。一体、これは何の冗談だ”


 

 耳鳴りが酷い。真っ赤だった視界は自分の血の涙だったと気づいた時、床に血だまりが出来ている事に気が付いた。これは全部俺の……血か? ちょっと待て、なんて出血量……死んでしまう。


「っく……一体何が……ぁ?」


 自分の声に違和感を感じた。思わず喉を摩る。すると自分の喉が細く、そして肌の質感が変わっている事に気が付いた。声が高い、そして肌の触感が酷く敏感になっている。思わず血まみれの燕尾服を脱ぎ去る程に。


 そして脱ぎ去って、ようやく自分の変化に気が付いた。胸がある。いや、落ち着け、男にだって胸はある。ただこんなに膨らんでは……


「ん……にゃぁーっ、よく寝たにゃぁー」


 って、なんてタイミングで目を覚ましやがる、この猫娘。

 今の今まで、実に三日強も眠り続けていた奴が……。


「んぅ……ん? 血の匂い……むむ、君誰にゃ、っていうかここ何処にゃ」

「……ここは……」


 その時、牢屋の外側に人の気配が。どうやら牢番が見回りに来たらしい。俺に煙草を分けてくれて、娘を保育園に連れていくと公私混同しまくった軍人が。


「……あ? おい、どうした、その血は……いや、っていうかお前誰?」


 ミコトと全く同じ反応をする牢番。俺の体は……あろうことか、女になっていた。まさかこれは……神化? この血は、体を作り替えられた際の……いや、まさか……俺が?


「にゃ、にゃあぁぁあぁ! 牢屋! 牢屋の中にいるにゃ! なんでにゃ! だしてにゃぁー!」

「お、落ち着けミコト! 大丈夫だ! 別に食われたりしないから!」

「にゃぁぁぁ! 落ち着いていられないにゃ! っていうか君、ホントに誰にゃ! 君みたいな可愛い娘……あれ? どっかで会った事あるにゃ?」


 マジマジと俺の顔を見つめてくるミコト。

 いや、なんて説明すればいいんだ。っていうか近い、顔が近い、俺が男の時もそんなに近くは……


 その時、牢番が牢屋の中に居る筈の人物が居ないと焦りだした。そう、それは俺だ。男だった俺だ。俺が女になってるから、男だった俺は居ないのは当たり前……あぁ、っていうかどうなってんだ。


「っ! あの野郎、女と入れ替わったのか?! 身代わりのつもりか?! ゲス野郎め!」

「いや、ちが……俺だ! そいつは俺だ!」


 しかしそんな説得は無駄に等しい。牢番は背追っていたアサルトライフルのセーフティーを外すと、無線で俺が逃亡したと報告を。すると数秒後、軍事施設に響く警報。そのまま厳戒態勢へと移行。


「おい、お前! あの野郎は何処かに行くとか言ってたか?!」

 

 牢屋ごしに、俺へと詰問してくる牢番。

 いや、というか俺は俺だし……あぁ、どうすればいいんだ。頭が働かん……まだ耳鳴りが……


 その時、地下へと降りてくる足音が。

 警報と耳鳴りで聞き取りずらいが、この足音は……草履じゃない。だからと言って軍人が履いているブーツでもない。だがこの歩き方は……明らかに手練れだ。


 牢番も足音に気が付いた。その足音が軍人の物でない事にも気づき、銃口を階段前へと向ける。


 だが向けた瞬間、牢番の肩が撃ち抜かれた。そのまま両足も。

 銃声がしない、サイレンサーか。


「騒がしい夜ですね、しかし貴方との出会いにはちょうど良いかもしれませんね」


 牢番を撃ったのは男。白いスーツに、白いストローハットをかぶった男。その表情は常に笑顔が張り付いるような……。


「にゃ? 誰にゃ?」


 男は牢屋の前にくると、牢番から鍵を奪い開錠しようとする。

 だがその前に俺の姿を見て首を傾げる。


「……ん? ここに捕まってると思ったのですが……間違えたましたか。失礼しました、お嬢様方」

「お、おい待て! 誰を探してる!」

「いえ、黒蛇という方を……」

「俺だ! 俺が黒蛇だ! ちょっと変わってるが俺が黒蛇だ!」


 ミコトも、白スーツの男も「えっ?」と俺を凝視してくる。

 一体何を言ってるんだ、コイツは……と言わんばかりの表情。男は苦笑いしつつ


「何か嫌な夢でも見たんでしょう。今夜はこんな夜です、牢屋の中の方が安全かと……」

「待て! 待て待て待て! 頼む、出してくれ! 何だ、どうすれば俺が黒蛇だと信じてくれる!」


 今だ、今しかない。この牢屋から出るには今、このタイミングを逃せばやってこない。

 俺は必至に白スーツの男へと懇願する。男は床の血を目にすると、ふと顎に手を当て


「……まさか、今、このタイミングで神化が?」


 察しがいいな。いや、神化かどうか分からないが、今はそういう事にしておこう。


「俺はアルストロメリアの軍所属だった男だ! ついでに言えば劇団「真祖の森」の護衛役でもある! 俺のコードネームを知ってると言う事は……あんたも軍関係だろ、なら俺の本名も……」

「いえ、それは知りません。分かりました、信じましょう」


 男は牢屋を開錠し、扉を開いてくれる。しかしまだ半信半疑……と言った感じだな。当然だが。


「ぅ……」


 その時、牢番が呻き声を。白スーツの男は止めをさそうと牢番の男の頭部にハンドガンの銃口を向ける。俺は咄嗟にその手を止めた。


「……? どうしました?」

「煙草を分けてもらった借りがあるんだ。見逃してくれ。それに既に三発撃ちこんでる。これ以上弾を無駄にするな」

「……分かりました。確かに煙草の借りは大きいですね」


 男はそのまま引き金から指を外す。そのまま俺達へと大袈裟にお辞儀をしながら自己紹介をしてきた。


「私はムライと申します。以後お見知りおきを」

「……ムライ? 確か、アクゾーン社の……」

「積もる話はありますが、とりあえず脱出しましょう。そちらのお嬢様も連れて行くので?」


 ミコトを見定める白スーツの男、ムライ。

 俺は頷きつつ、ミコトの手を引く。その時、ある事に気が付いた。


 ミコト……俺より背高い。

 

「黒蛇……クロ? クロにゃ?」


 げ、そういえば……ミコトは俺のコードネームなど知らない。それに先程俺は元軍部の人間であることをペラッペラと……。

 大量の出血をしたせいか、頭が回らない。別に体に外傷があるわけでも無いが。


「そうだ。いくぞ、逃げるんだ、ミコト」

「……クロ? うわぁぁぁん! クロが女の子になっちゃったにゃぁぁぁ! 神化しちゃったにゃぁぁぁ!」


 ええい、おちつけいっ! と俺はミコトの額に軽くチョップ。


「よろしいですか? では私が先導します。車が隠してあるのでそれで一気に駆け抜けましょう」

「おい待て、車って……ここは軍事施設だぞ、ハチの巣にされるに決まってる」


 ムライは相も変わらず笑顔。だがさらに不敵な笑みを。


「ご心配なく。少々、じゃじゃうまをご用意しましたから」






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