第三話
“夢は夢のままで。それが許される世界だったらどんなに良かったことか。でも人の夢は貪欲に実現されていく。デジョンシステムという、悪魔の技術さえも”
日が落ちたメラニスタの街。中央に聳える城塞の目の前の広場、その上空に劇団船が碇を降ろしていた。
碇を降ろすと言っても、劇団船はまるで重力に逆らうかのように浮いている。そのカラクリはデジョンシステムと言われる技術の一端だ。二千年前に世界を滅ぼしかけた、悪しき古代文明と人々に認識されている物。だが便利な物は使わない手は無い。安全だと判別された物は、人々は積極的に生活に取り入れていた。
何をもって安全なのか。大半の者はそんな事は気にも留めない。
二千年前に世界を滅ぼしかけた技術など、今の人々にとっては遠い過去。
だが紛れもない事実でもある。何せ二千年前、デジョンシステムから世界を救った七人の英雄は未だ健在なのだから。
※
劇団船の甲板に設置された舞台、そこで繰り広げられている光景に夢中になるメラニスタの住人達。文字通り夢の中だった。夢を見ているようだった。
舞台の上で繰り広げられているのは、遠い世界の話。ブリテンと呼ばれる国の王が、三人の娘に国を分割して与えようとするが、その中の一人、コーディリアは父であるリアに実直な物言いをし、勘当されるところから物語は始まる。
コーディリアは勘当された身でありながら、フランスの王妃となる。一方、リアは残った二人の娘に裏切られ荒野を彷徨う事に。
コーディリアは軍を引き連れリアを助けに向かうが、二人共に投獄されてしまう。
リアはかつての従者の尽力で助け出されるが、コーディリアは獄中で殺害されていた。
ラストは娘の遺体を抱いたリアが悲しみの絶叫をあげ、この世を去る所で幕を降ろす。
紛れもなく悲劇。今舞台の上では、勘当されたコーディリアがフランス王に見初められるシーンが繰り広げられていた。勿論メラニスタの、特に富裕層は結末を知っている。だからこそ涙無しには見る事は敵わない。この後、コーディリアに降りかかる悲劇を連想せずにはいられないから。
コーディリアを演じるのは劇団船の看板女優、リエナ。
舞台の上は質素なセットだが、人々には見えていた。リエナが演じるコーディリアが、今まさにフランス王の眼前、その王宮に居る事が。彼女の演技のおかげで派手な装飾や舞台装置は要らない。彼女の挙動の一つ一つが、まるでそこが煌びやかな王宮であると錯覚させる。否が応でも夢の世界へと手を引かれていく。
勿論、それはリエナ一人の功績ではない。それを支える数多くの裏方が居て初めて成せる事。
「三番照明上昇。音響班、レベルをEからAに」
劇団船の一室、そこでは一人の女性がモニターを睨みながら各裏方に指示を与えている。そしてその後方には、黒蛇と同じく暗殺を主な生業とする女性が。
赤髪の女だ。軍から支給されたジャケットを羽織い、同じくモニターを見つめながら黒蛇をサポートしている。
『ヴァイオレット、ホールまで来た。これから枝を仕掛ける』
「了解です」
ヴァイオレットはモニターへと映し出される城塞の外観、そして舞台の上で演じるリエナを見つめる。元々ヴァイオレットは黒蛇と同じ軍に所属していた。しかしある日突然、黒蛇は軍を辞めると言い出し……ついでにとヴァイオレットも引き抜かれてしまった。
当時は困惑したヴァイオレットだったが、今ではすっかり劇団船に馴染んでしまっている。団長から役者として迎えてもいいと言われたが、彼女は護衛として船に乗る事を選んだ。
「ヴァイオレット、そっちは順調?」
「黒蛇さん待ちです。そっちはどうですか、モニカさん」
裏方の総指揮を執っている女性、モニカは画面を見つめつつ「まあまあ」とだけ答える。
「……今日のリエナ、嫌に気合入ってるわね。こういう時、何かやらかすのよね、大抵」
「そうなんですか? リエナさん、いつも完璧に熟してると思いますが」
「そうでもないわよ。この前だって舞台の上で派手に転んじゃって……。咄嗟にヒーローがフォロー入れなかったら完全に終わってたわ」
ヴァイオレットはこの前、と言われて思い出した。ロミオとジュリエットの演目で、ロミオへと駆け寄るシーンでドレスの裾を踏みつけて派手に転んでしまったのだ。その際、咄嗟にロミオが機転を利かしフォローした。しかし……
「あのフォロー……どうなんですかね。ジュリエットが突然、恋の病に倒れてしまったって……」
「まあ、元々喜劇&ラブロマンスって感じだったから。でも団長は怒ってたわね。ロミオならジュリエットを受け止めろ! ジュリエットは転ぶならもっと飛べ! って」
「あの団長、たまに無茶な事言い出しますね。普段は気弱そうな感じなのに、劇の事となると人が変わったように……」
「誰しも、誰かを演じて生きてるのよ。団長は先代の団長を演じてるのかしらね」
「先代……?」
すると劇が進行し、それに合わせモニカも忙しく裏方へと指示を送り出す。
ヴァイオレットはモニターを見つめながら、未だ枝を仕込まない黒蛇へと催促を。
「黒蛇さん、まだですか?」
そしてようやく枝を仕掛けた事を知らせる表示がモニターに映し出される。
ヴァイオレットは「来た来た」とキーボードを勢いよく叩き始めた。
『ヴァイオレット、頼む』
「了解です。三十秒で終わります」
そのままデジョンシステムを掌握するヴァイオレット。常人がこの作業をしようとすると、裕に数時間かかる。だがヴァイオレットはものの数十秒で熟してしまう。
モニターに映し出される城塞の様々な情報。その中でヴァイオレットは監視カメラ、セキュリティをチェック。その中で、特に厳重なエリアを発見した。そこは地下。そしてデジョンシステムの干渉を一切受けておらず、もし魔女を監禁するのであればうってつけの場所だとヴァイオレットは判断する。
「完了しました。少女の居場所を特定……地下です。そこから北側に向かって下さい。虹彩認識でロックされてる扉があります。その先が地下への……って、ん?」
その時、地下へと続く扉周辺に仕掛けられた監視カメラに、人間の死体が映し出されている事に気が付いた。監視カメラの死角が多い為、画面の端に映っている程度だが確実に絶命している。なにせ辺りは血の海で、その死体には下半身が無い。
『……どうした?』
「……警備が殺されています。一体何が……」
そして直後、監視カメラに映る人物。太刀を背負い、眼帯をした白髪の男。顎鬚も蓄えていて、その身なりは軍服。だが明らかにメラニスタの警備とはデザインが違う。
ヴァイオレットはその人物に見覚えがあった。無い筈がない。軍人なら嫌でも知っている。世界で最も軍事力が高いと言われている国で、一番有名であろう男。
「……ミシマ連邦のオズマ……!?」
『……やっぱり絡んでたか』
「やっぱりって……知ってたんですか?! なんで教えてくれないんですか! 心臓止まるかと思いましたよ!」
『不確定な情報だったんだ。奴はこの先にいるのか?』
「ええ。虹彩認識の扉の前で立ち往生してます。ロック開いてあげますか? 何しに来てるのか知りませんけど」
『……俺が直接聞きに行く。そのままモニターしてくれ』
「は? ちょ、黒蛇さん?!」
※
ホールからオズマの元へと向かう黒蛇。そこへ近づくにつれ、濃い血の匂いにも気が付いた。むせ返る程の臓物臭。それを放っている死体が、角を曲がった瞬間溢れかえていた。まさに地獄絵図のように。
武装したメラニスタの軍人。当然ボディアーマーを着こんでいたが、その男によって両断されていた。
「……おい、オズマ」
「……ん? おう、来たか。黒蛇」
あっけらかんとした対応。まるで黒蛇がそこに居ると知っているかのような発言。
「一体何のつもりだ。何故俺を呼び寄せた。監禁されている少女を助けるだけならお前だけで十分だろ」
「……二つ、訂正がある。お前を呼び寄せたのは俺じゃない。確かにアドバイスはしたが。そしてもう一つ……俺の目的は旧友の救出だ。もう殺されていたがな。そこに転がってる死体に」
オズマが親指で指す肉塊があった。細切れにされ、人間であったかどうかすら疑わしい姿となり果てている。
「……誰だ?」
「自称、ここの王様だ」
「違う、俺を呼んだのは誰だ」
「俺の殺された旧友さ。俺に少女の救出を求めてきたが……魔女様はメラニスタには関わるなとの事だったんで……お前に助けを求めるようにアドバイスをした。だが数日前に連絡が途絶えてな。お前が潜入するタイミングで助けにきたわけだが……遅かった」
黒蛇は舌打ちしつつ、無線でヴァイオレットへと「開けろ」とだけ伝える。ほどなくして開錠される扉。
だがその時、異常に気が付いたメラニスタの兵が。二人の元へと。
「誰だ!」
黒蛇は腰のハンドガンを握り応戦しようとする。
だがその瞬間、黒蛇の横を一瞬で通り抜ける風。それはオズマ。
メラニスタの警備兵は一瞬で切り殺される。ボディアーマーごと、まさに一刀両断に。
「行け、俺の旧友が守りたかった少女がその先に居る。助けてやってくれ」
「……その旧友の名前は?」
「ウェストン……ウェストン・バールだ」
「……お前の指図を受ける気はない。俺はウェストンの依頼を受けてここに来た」
それだけ言い捨て、黒蛇は地下への階段を降りる。
背からメラニスタの警備兵とオズマが応戦する音が聞こえた。銃声が城塞へと響き渡り、小気味いい肉を切り裂く音も黒蛇の耳に届いてくる。
『黒蛇さん! 一体何が……』
「ヴァイオレット、船を出せ。三分で戻る」
黒蛇は地下へと急ぐ。
暗闇に閉ざされた空間へと。
※
人の気配がした。黒蛇は蝋燭に火を灯しつつ、少女の元へと急ぐ。
恐らく表で劇団船は出港準備をしているだろう。そしてオズマは警備兵と応戦している。状況だけみれば劇団船が襲撃者を連れてきたと言っているような物。急いでこの場から離脱せねばならない。
黒蛇は人の気配、そして血の匂いがする牢屋へと向かう。
蝋燭を灯しながら確実に。地下は悪趣味な拷問器具が散らばっていた。針で満たされた棺桶、付けるだけで気が狂いそうになる鉄仮面、何に使うのか想像するもしたくない極太の釘。
どれも赤黒い染みが付いていた。黒蛇は腸が煮えくり返る思いで、その牢屋の前へと立つ。
「……?!」
その牢屋の中には少女が一人、うずくまっていた。
黒蛇はその少女の顔を見た時、思わず固まってしまう。そして思い出した。かつて自分が見殺しにした顔を。
十五歳の少女だった。無法地帯、リャナンシーの地で逞しく生きていた村が、一夜で皆殺しにされる事件が起きた。
当時、軍の任務でその地に赴いていた黒蛇は、その少女から情報を収集していた。黒蛇達、軍の任務とは、その付近を根城にしている武装集団の排除。
だが突如としてその任務は放棄される事となる。その武装集団の規模が予想より遥に巨大だったからだ。
黒蛇達は一時撤退を余儀なくされた。本国に戻って応援を要請せねば応戦する事は出来ないと。
撤退する折、黒蛇は叫び声を聴いた。上官の命令をも振り払い村へと駆けつけた黒蛇が見たのは、村人が皆殺しにされる惨劇。
少女も無残に殺された。鉈で四肢を切断されて。
黒蛇は特攻し、助けようとした。だが体が動なかった。自分が動けば軍の、他の隊員が危険にさらされる。
黒蛇はそう“言い訳”をしたと思っていた。
本当は自分の命が惜しかっただけだと。飛び込んでも殺されるだけだと。
そして今、目の前にいる少女と、あの時助ける事が出来なかった少女の顔が重なる。
瓜二つどころではない、双子ではないかと疑ってしまう程。だが双子の筈がない。あの悲劇は三年前の出来事。あの少女の双子が、全く同じ姿でそこに居る筈が無い。
思わず泣きそうになった。
黒蛇はあの時の情景を思い浮かべ、瓜二つの少女へ勝手に誓いを立てた。
「……すまない、遅くなった。今度は……必ず助ける」
虫のいい話だと分かっていた。
その少女を助けても、あの少女は蘇ったりはしない。自分が許されるわけでもない。その誓いはただの自己満足。自分が救われたいだけの。
黒蛇はそれを分かっていて、自分の愚かさをも受け入れ、まるで贖罪するかのように誓いを立てる。
今度は、必ず助けると。




