第二十一話
薄暗い空間の中で、蝋燭の灯りのみが寂しく揺らいでいる。
黒蛇は冷たい石の地面へと腰を下ろしながら、目の前の格子を見つめていた。
石造りの狭い部屋。その隅のベッドにはミコトが寝息を立てている。
黒蛇達はスルガの国境警備隊、その地下施設へと投獄されていた。
ミコトと同じ牢屋へ入れられたのは、アギスの口添えがあったからだ。
「…………」
黒蛇は溜息を吐きながら壁にもたれかかり、ベッドで眠るミコトの姿を眺める。
あれから黒蛇達はニア東国の軍人に取り囲まれ、逃げる事など到底不可能となった。
なにせ魔女の目も黒蛇に向かっていた。そいつを捕まえろ、決して逃がすなと。
アギスも魔女に逆らうわけにはいかない。黒蛇に大人しく捕まる以外の選択の余地は無かった。
ちなみに劇団は無事にニア東国を出国した。どうやら魔女の指示でわざと逃がされたらしい。
黒蛇の脳裏に嫌な予感が駆け巡る。
わざと劇団を逃がした。それは恐らくアストロメリアの魔女、つまりは黒蛇の母国の魔女への挑発と警告だろう。ニア東国とミシマ連邦の魔女は犬猿の仲。だがアストリメリアの魔女とも中々に仲が悪い。
やっと母国へと帰還した劇団船に黒蛇が乗っていないと知れれば、恐らく母国の魔女は怒り狂う。下手をすればニア東国に攻め込んでくるかもしれない。
「悪いな……団長」
あとは祈るしかない。団長が母国の魔女を宥め、出来るだけ時間を稼いでいる内に黒蛇は帰還せねばならない。今まで魔女の我儘で右往左往してきたが、今回ばかりは洒落にならんと黒蛇は項垂れる。
「どうした? 気分が悪いのか?」
その時、ニア東国の軍人が格子越しに話しかけてきた。黒蛇立ち上がり、格子へと近づきつつ、体を半分預けるようにしてもたれかかった。
「いや、ちょっと……この先の事を思うと頭が痛くてな。あんた、どこまで知ってるんだ?」
「どこまで……とは意味深な質問だな。まあ同情はしてるつもりだ。お互い、魔女には苦労するな」
潔癖なニア東国の軍人にしては、珍しいタイプだと黒蛇は感じた。尤も、半分以上黒蛇の偏見が混ざっているが。
「なあ、俺はこれからどうなる?」
「悪いが詳しい事は言えん……と言いたい所だが、俺も良く分からん。まあ確かなのは、あんたが必死に花嫁を助けようとしていたっていうのは分かる」
黒蛇はひとまず安心する。どうやら自分の素性が全てバレているわけでは無いらしい。尤もアギスが魔女に嘘をつくとは思えない。恐らく魔女には伝わっているだろう。自分が心血武装を引き継いでいるという事は。
「吸うか?」
その時、軍人が煙草を格子越しに手渡してきた。黒蛇は素直に受け取り、口に咥えると目の前の軍人が火を貸してくれる。
「悪いな。いいのか? 囚人にこんな事して」
「あんたに掛けられた罪状は……大佐殿の花嫁を奪おうと画策した事。あの劇団もグルなんだろ?」
「まあ……そりゃバレるか」
「昔、あの劇を家族で見に行った事があるんだ。息子は大喜び。普段カリカリしてる奥さんも昔に戻ったみたいに可愛くなってな。結構いい思い出があるんだ」
「……だから、俺にも良くしてくれるのか?」
「まあ、他にも理由はあるさ。例を言うと大佐殿の今回の行動は常軌を逸してたからな。あの歳で嫁を迎えたと思ったら、自分の娘と言ってもいいくらいの子が相手で……。正直、あんたの行動には惚れ惚れしてる。花嫁を奪うなんてカッコイイ真似しやがって」
黒蛇は鼻で笑いながら煙草を吸い、大きく煙を吐いた。
ニア東国の煙草は少々辛すぎるが、今はこのくらいがちょうどいいかもしれない。寝ぼけた頭にはいい刺激だ。
「そういえば食事がまだだったな。持ってくるか」
軍人が立ち去ろうとした時、黒蛇はその腰にある装備を見つめる。アクゾーン社のハンドガンに、ニア東国ならではの刀。黒蛇にとって、牢屋の鍵を開錠するなど容易い。しかしいざここから脱出したとして、自分一人ならまだしもミコトも居るのだ。軍人が刀を携えていると言う事は、少なくとも剣術の心得があるという事。
黒蛇は脳裏にオズマの姿を連想する。風が吹いたかと思えば、既に獲物を抜き敵を斬り終わっている剣術。ニア東国の刀を持っている軍人が全部が全部、アレと同等なわけがない。しかし黒蛇は必要以上に警戒してしまう。
「今は……駄目だ。せめて何か変化があれば……」
再び壁へともたれ、腰を下ろす黒蛇。
いつ変化が起きるか分からない。今はその時の為に集中力を高める。
そしてオズマの姿を連想しながら、対剣術の攻略を何度も頭の中でトレースする。
もはや失敗するわけにはいかない。もう二度と、自分の目の前で女に死なれるわけにはいかないと。
※
一方、オズマ率いる瀆聖部隊によって陥落したメラニスタ。今その広場には、ミシマ連邦の軍服に身を包んだ軍人達が隊列を成していた。そして街の外にも”四本脚”と呼ばれる起動戦車、劇団船を襲った無脚型の戦闘機などの兵器類が約五十機。全てエレメンツだ。
「どうしてこうなった……」
その軍人達を城の窓から眺めるオズマは、思わず溜息混じりに項垂れる。確かにミシマ連邦を見限り“多少”の軍人達と兵器を頂戴する計画を立てていた。だが今目の前に広がる光景は多少どころではない。アルストロメリアやミシマ連邦、それにレスタード王国などには歯が立たないだろうが、それ以外の国ならば下手をすれば落とせる程の戦力。
「ジスタ、お前らどれだけ拉致って来たんだ」
オズマは同じく城の中で食事を貪っている瀆聖部隊員へと尋ねる。下半身は人魚、しかし上半身は人間のようで、鋭い牙や爪を持つ女性へと。
ジスタと呼ばれた女性は、軽く火を通しただけの生肉を丸かじりしていた。森で狩った猛獣の肉を大雑把に捌いた物を。
「仕方ないでしょ。みんな来るって言うんですたい。そんだけ親っさんの信頼が厚い証拠でしょ」
「限度があるだろ。しかもなんだ、あの数のエレメンツは。あれだけの数をどうやって整備する気だ。ここにはそんな設備も人員も無いんだぞ」
「人員はあるでしょ。広場に隊列してる奴の中に」
その時、オズマの隣に控える少年兵が挙手し、発言を求めてくる。
彼はメラニスタのスラム街の出。オズマが建国をすると言い放った時、繰り返し質問をした彼だ。
「なんだ、リオル」
「……設備の方も心配はないと思います。この城の地下にエレメンツを整備するための設備がありますし……。確かに数は多いですが、拡張は可能かと……」
「拡張だと? その資材や資金はどうするんだ。それにあれだけの人数をこれから先食わせて行くとしたら……先立つ物が圧倒的に足りない」
リオルは確かに……と唇を触りながら思考する。メラニスタは自給自足が出来る程、豊かな土地ではない。今までは貴族連中が金に物を言わせて、主にミシマ連邦から必要な物資を取り寄せていた。だがここで疑問が。そもそも、その資金は何処から出ていたのか。
メラニスタの貴族達が働いているところなど見た事も無い。国王と名乗っていた男でさえ、何故ミシマ連邦からあれだけの兵器類を取り寄せる事が出来たのか。
「メラニスタの資金源は一体どこから……今まではただ単にお金持ちが多いくらいにしか思いませんでしたけど……」
リオルの呟きに、オズマの脳裏に一人の男の顔が。
いつも笑顔でのらりくらりと生きているアクゾーン社の幹部、ムライ。
オズマはメラニスタの兵器類、および資金源の一部は、確実にムライから齎された物だと考えていた。
ならばそもそも、ムライの目的は何なのか。メラニスタに投資する理由など、オズマには皆目見当がつかない……と、言いたい所だが心当たりが一つだけある。魔女の開発だ。
ムライの目的は魔女の開発? それをミシマ連邦内で出来ない理由は分かる。魔女のお膝元でそんな事をしようものなら、粛清されるのは目に見えている。しかし実際、ミシマ連邦の魔女はメラニスタで起こる事を黙認していた。
オズマは嫌な予感がする、と目尻を抑える。ムライはオズマでも行動が読めない男。そんな男と魔女が手を組んでいたとしたら、相当に厄介、いや、厄介どころではない。
そして今、オズマがしようとしている事は、ムライにも魔女にとっても目障りな行為。恐らく魔女は心血武装の持ち主であるマギスを差し向けてくるだろう。そしてムライもなんらかの形で介入してくる。
「前途多難だな……。ジスタ、スポンサーの方はどうなってる」
「連絡はついてますたい。でも問題は……そっちとやり取りする前に……」
「あぁ、最初に最大の難関が迫ってくるな」
ジスタとオズマ、その二人の会話についていけないと首を傾げるリオル。
「あの、難関って……」
その時、一発の砲弾が空高く打ち上げられた。それは赤く光を灯しながら空を漂う。信号弾のようだ。
「来たか、予想より早いな。そりゃ、これだけの軍人が基地から消えてれば嫌でも気付くわな」
「派手にぶち壊してきたんですけどねぇ。マギス大佐にはそんなの目くらましにもなりませんでしたかい」
「なってるさ。だからこそこのタイミングなんだ。マギスが本気で潰す気なら、行軍中に襲われてる。そして奴の性格なら……俺達に容赦など一切ない。ジスタ、勿論お嬢さんは連れてきてるな?」
「もちのろんですたい」
※
メラニスタの南には広大な森が広がっている。東西には街道が敷かれており、金払いのいい貴族達へ物を売りつける為、商人達が頻繁に利用する。そして北側。そこにはひたすら荒野が広がっていた。メラニスタからひたすら北へ進めばミシマ連邦の領内。
男はその荒野を、たった一人で歩いて来た。ミシマ連邦軍の大佐という立場でありながら、周りには誰も居ない。男はたった一人で歩いてきた。
「オズマ……そこにいるのか?」
男は懐から鍵を取り出す。魔女から託されし、心血武装。
「オズマ……尊敬していた。そして畏怖していた。貴方のその強さ、求心力に」
男はたった一人で歩いて来た。
部下も連れず、その二本の足で。
何が男にそうさせたのか。それはひたすらな罪悪感。
男はすぐに気が付いた。空爆された基地から見つかる死体が少なすぎるという事実に。
そして消えた軍人がどこに向かったのかも察する事が出来た。ならば何故彼は、徒歩という手段を選び、わざわざ二万人の軍人達とオズマの合流を許したのか。
それは罪悪感。
出来る事ならば、自分もオズマの下に就きたい、そう一瞬でも思ってしまった。
そんな事が許される筈が無い。自分は魔女から心臓を託されたのだ。魔女を裏切るなど在ってはならない。
しかしそれでも、揺れる自分がいる。
魔女とオズマの狭間で、まるで時計の振り子のように心を乱される自分がいる。
「オズマ……どうか……先に逝ってくれ」
だが男は覚悟を決めた。かつて憧れた男を殺す決心をしたことを、覚悟というのなら。
寝返った軍人も、瀆聖部隊も、メラニスタの住人も、全て粛清する。
その男には、たった一人でそれが出来る手段がある。
男はゆっくりと鍵を回す。その瞬間、空が割れ、その中から巨大な艦が顔を覗かせる。
「戦場以外でこれを使うのは初めてか……ここは戦場じゃない。魔女の……おもちゃ箱だ」
マギスの心血武装、夢幻艦隊。
その心血武装は、この世界を単独で滅ぼせる程の力を持っている。
否、単独ではない。空からは次々と空を駆ける艦が姿を現す。もはやメラニスタの空を埋め尽くさんとするように。
男に勝利の文字など無い。敗北の文字も無い。
心血武装を使用する。それはもはや闘いではない。一方的な虐殺になる。
そう、その時まで男は思っていた。
突如として空を埋め尽くさんとしていた艦隊が一瞬で葬られる。
一瞬で凍り付かされ、砕かれた。艦隊は幻に消えうせ、代わりにと、その空に浮かぶのは一人の少女。
「まさか……覚醒体か!」
瀆聖部隊、最大の切り札にして最高に危険な少女。
ミコトと同じく覚醒体として目覚め、心血武装に匹敵する力を有する人間。
少女は白いドレスのような物を身に着けており、大気にまざる氷が光に反射し、幻想的な光景を演出するかのように舞う。その姿は神々しいと言ってしまえばそれまでだが、どこか儚げで狂気に満ちていた。
『……誰? あの人なの? 貴方が、あの人なの?』
少女はマギスを確認するなりそう呟き、敵と認識する。
『もし貴方があの人なら……きっと私を……』
メラニスタの空が凍り付く。文字通り、一瞬で分厚い氷で太陽が遮られた。そして一瞬でそれは砕かれ、分厚い氷の岩石が辺り一面に降り注ぐ。物量だけ見るなら、まさに心血武装。
だがマギスも負けてはいない。
ここでようやく、マギスは敗北の文字を脳裏に浮かばせた。勝利の文字はまだ見えない。
「また俺に覚醒体を殺せというのか、貴方は……」
新たな艦隊を生み出すマギス。
メラニスタの空は赤く燃え上がり、そして白く染まった。




