第二十話
“助けて、その一言を投げるだけで、恐らくあの男は手を差し伸べてくれる。でもその手を取るわけにはいかない。私には守るべき者が居る。私一人が大人しくしていれば、誰も傷つかずに済むのだ。私は絶対に言うわけにはいかない。助けてなんて、絶対に”
私の結婚式が始まったらしい。
らしい、というのも、まずは雰囲気づくりのために、クロ達の劇団が劇を披露してくれるようだ。
私も馬鹿じゃない。クロは何か企んでいる。あの男は一見女ったらしで、女性と見るや誰にでも優しい軽い男。でも私はそんなクロの裏の顔を知っている。私は知らないフリをしているけど。
『嫌よ……たとえ王族の御眼鏡に適ったとしても、彼と別れるなんて出来ない』
簡易的に作られた舞台の上。そこでは一人の女優がボロボロの身なりで台詞を。
私も知っている女優だ。でも看板女優……リエナではない。彼女よりも一回り小さめな子だ。
『でも、私が王族の方の元へ赴かないと……お父様もお母様も、家族皆が処刑されてしまう。それは絶対に避けないと。あぁ、私と貴方は何故出会ってしまったの? 出会わなければ、こんな思いはせずに済んだのに』
思わず口元が緩んでしまう。
やっぱりだ。クロは、いや、クロ達劇団は何か企んでいる。この内容はまさに今の私だ。
心臓の音が聞こえる。
きっと、クロは私を連れ去る気だ。そんな事頼んで無いのに。私はただ、クロに店の子達を守って欲しかっただけなのに。
『きっと貴方は私を迎えに来る。私はどうすればいいの? 彼と一緒に逃避行する? そんな事をすれば、家族はどうなるか分からない。一体、どうすればいいの?』
決まってる。自分一人で済むのなら、黙っていればいいだけの話だ。
確かにクロの事は……好きだ。でも恋なんて一時の気の迷い。そのために家族を見殺しになんて出来ない。
心臓の音が聞こえる。
だから私はこのまま黙って座っていればいい。もしクロが目の前に現れて手を差し伸べてきても……無視すればいい。それで全てが終わる。全てが丸く収まる。
『……お願い、分かって。私は王族の元へ赴きます。だから貴方は……もっといい人を見つけて、幸せになって。私はそう、置手紙を残した。これでいい、これでいいんだ』
そう、それでいい。
自分だけ、自分だけで済むのだ。なら迷わずそうすべきだ。
心臓の音が聞こえる。
だから私は
心臓の音が聞こえる。
このまま……
心臓の音が聞こえる。
黙って……
心臓の音が聞こえる。
「いや……いや……誰か、助けて……クロ、助けて……!」
※
「クロ、助けて……!」
劇の途中、そうミコトが叫んだ。黒蛇はその悲痛な叫び声を聴くなり、舞台の袖から飛び出す。予定と違うが、このままミコトを奪って逃げるしかない。
だが舞台の袖から飛び出した黒蛇が見た物は、想定外どころの話では無かった。
そこにミコトの姿はない。あるのは青く発光した巨大な繭。
「あ? な、何?」
突然の光景に言葉を失う黒蛇。軍関係者の観客達も、一瞬呆けてしまうが、即座に行動に移した。
「下がれ! 下手に手を出すな!」
そう叫んだのはミコトを見初めたニア東国の大佐。
部下達を下がらせ、自分は腰に携えていた儀礼用の刀を抜く。
それを見て黒蛇は何をする気だと飛び出しそうになるが、目の前の繭を見て止まってしまう。
一体、なんなのだ。この繭はミコトなのか?
黒蛇の脳裏に浮かぶミコトの笑顔。そして神化という現象の情報を総動員し、今目の前で起きている事を分析しようとする。だが分からない。一体何故、こんな事になるのかが。
「覚醒体だったのか……」
そう呟いたのは軍の大佐だった。
黒蛇はその言葉を聞き逃さない。覚醒体、確かにそう言った。この男はこの場で唯一状況についていっている。
「大佐、撃ちますか?」
「止めておけ。覚醒体に対応できるのは心血武装だけだ。魔女様に連絡を取れ、いそぎアギスをこちらに向かわせろと……」
瞬間、巨大な繭から一本の巨大な物が飛び出してきた。大佐とその周辺に居た軍人達は、その“物”に突き飛ばされ、会場の壁に激突する。
黒蛇、そして会場に居た誰もが息を飲んだ。それは巨大な尾。何かの哺乳類、体毛に包まれ丸みを帯びた尾だった。
そしてその尾は、次は舞台の上の女優を狙ってくる。女優は動けない。突然の事で体が固まってしまっている。しかし間一髪、黒蛇が女優を抱きかかえ尾を避けた。一瞬の事で、女優は何が起きたのか分からない。
「ぁ、黒蛇しゃん……ちょ、ちょっと出た……」
「会場から逃げろ、すぐに出航しろと団長に言え」
そのまま黒蛇は女優を腕から降ろし、懐から鍵を取り出す。
それは心血武装。だがここで黒蛇は迷ってしまう。ここで展開させれば、黒蛇の心血武装はニア東国の軍人達の衆目に晒してしまう。心血武装は兵器。それを所有する者が他国に侵入していたとなれば、下手をすれば戦争になる。
しかしその迷いが、黒蛇の動きを鈍らせた。
尾は黒蛇を狙い、そのまま勢いよく薙ぎ払った。黒蛇は舞台裏まで吹き飛ばされ、手に持っていた鍵は宙を舞い……とある人物の目の前に落ちた。
「おいおいおいおい、どうなってんだよ……」
その人物とは、アギス。黒蛇からの要請でいつでも大佐を抑えれるよう準備していたが、想定外すぎる出来事に溜息を吐きながら嘆いた。
そして黒蛇の落した鍵を拾い上げると、それを懐に仕舞い、代わりにと自身が所有する心血武装を取り出す。
「覚醒体……二十年ぶりだな。まあ仕方ねえ、このまま放っておいたら国が潰されちまう」
アギスは鍵を回す仕草を。その瞬間、会場内に広がる黒い霧。
「死にたくねえ奴は失せろ! この場はニア東国の魔女、スミレ様が側近、アギス・バールが預かった!」
アギスの心血武装、百鬼夜行。
黒い霧の中から巨大な影が現れ、それを見た軍人達は素早く退避する。
一方、劇団員達もワケも分からぬまま会場内から逃げ出していた。その中でリエナの護衛役であるマルコは、メイド服姿のまま吹き飛ばされた黒蛇の元へ駆け寄る。
「黒蛇さん、黒蛇さん! 起きて下さい!」
「起きてるよ……体が……動かなかっただけだ……」
ゆっくり体を起こす黒蛇。激痛で上半身を中心に麻痺していたが、金縛りを解くかのように無理やり体を動かす。
「マルコ、団長にすぐにニア東国を出ろと伝えろ。俺は残る」
「何言ってるんですか……! こんなところに残って何を……」
「決まってるだろ。ミコトを助ける。良く分からんが窮地なのは一目瞭然だ。リエナを眠らせてでも連れて行け。あの女は何を言っても引き下がらないだろうからな」
「で、でも」
「行け、ヴァイオレットが俺の代わりになる。今後はあいつに従え」
まるで今生の別れのような事を言い出す黒蛇に、マルコは納得できないと顔を顰める。
しかしリエナを放っておくわけにもいかない。黒蛇の言う通り、リエナは放っておけば積極的にこの事態に介入するだろう。
「絶対戻ってきてくださいよ……!」
「あぁ、任せろ」
マルコはリエナの元に駆け出した。するとリエナは混乱しつつも、マルコを見つけると
「マルコ……! 一体どうなってるの?! 早くミコトちゃんを……」
「ごめんなさい……!」
そのままマルコはリエナを肩に担ぎ、会場をあとにする。黒蛇の耳にリエナが喚き散らす声が聞こえ、思わず頬を緩めた。
「邪魔者は居なくなったな……くそ、鍵を落とした……」
黒蛇はよろよろと立ち上がり、そのまま青く発光する繭。そしてアギスの展開した心血武装を睨みつける。
「アギスはミコトを殺す気か。そして例の大佐は……なんとか動けるのか」
ニア東国の大佐。彼は儀礼用の刀を杖にしながら、なんとか立ち上がっていた。そしてそのまま会場内に残った人影を確かめるように目を細める。
今会場内に残っているのは、黒蛇、アギス、そして大佐のみ。
「おーい、あんちゃん、お前もさっさと逃げろー。こいつは俺が潰しておくから」
アギスは黒蛇へとそう言い放った。黒蛇はその言葉で納得するわけが無い。淡々と繭へと近づいていく。
「おい、待て、近づくな! そいつは……!」
「黙ってろ! ミコトは俺が連れ戻す! そう……決めたんだ。頼む、アギス」
黒蛇はアギスの顔を見つめ、アギスは頭を掻きむしりながら歯ぎしりする。
その瞬間、再び黒蛇を狙う尾。黒蛇は床に張り付くようにしてそれを避け、そのまま繭の中へと飛び込んだ。
この現象がどういった物なのかは分からない。
だが黒蛇は何処か懐かしさに似た、なんとも言い難い感覚に襲われていた。
まるで、幼い頃、同じ場面に遭遇したかのような感覚に。
※
繭の中へと入った黒蛇を待っていたのは、ミルクの中に入ったかのような深い霧に包まれた森。
まるで絵本の中のような世界。木々や草花は現実感など皆無で、触ってみてもまるで紙のような感触。
「なんだ、ここは」
自分は繭の中に入った筈だった。しかし黒蛇は全く別の場所、いや、別の世界に居る。
そんな時、黒蛇の耳へと届いてくる子供の泣き声。思わず黒蛇は駆け出した。その声はミコトの物だ、ミコトが泣いてる。
そして黒蛇は森の中に湖を見つけた。その湖には桟橋が掛かっており、その先端に白い服を着た子供が蹲っていた。そのまま、そっと子供の背後まで近づく。そしてその子供の肩を、優しく叩いた。
「おい、ミコト?」
黒蛇はミコトらしき子供へと声をかける。
何故子供の姿なのか。もはや疑問にすら思わなかった。こんな現実感の無い世界なのだ。たとえ熊が喋っても、自分は問題なく受け入れるだろうと黒蛇は思っていた。
そっと振り返る子供。その頭には猫耳。間違いなくミコトだと、黒蛇は確信する。
「……助けて」
「あぁ、そのために来た。行くぞ、ミコト」
「……駄目、行けない。魔女様が見張ってるの……」
魔女様? と黒蛇はあたりを見渡す。
すると湖の向こう、深い霧の中に人影が見えた。
「あれが魔女なのか?」
「うん……私を作った人」
作った? と黒蛇は首を傾げる。
本来ならば無理やりミコトを連れて、さっさとこの世界から抜け出すべきだろう。
しかし黒蛇は何故か、その魔女と話をしたくなってしまった。好奇心では無い。ただそうせざるを得なかった。まるで逆らえない夢のようだ。
「ここで待ってろ」
ミコトへとそう言い残し、黒蛇は人影の元へと。
深い霧は黒蛇が近づくごとに薄くなり、だんだんと人影もはっきりと見えるようになってきた。
そしてそこに佇んでいた女性は、黒蛇の知らない人間だった。全く見覚えは無い。
「あんた……魔女か? どこの国の魔女だ」
「私に国は無いわ。その前に殺されてしまったから」
殺された? 魔女は不老不死だ。心血武装という、魔女の心臓を抉りだしたとされる兵器からも分かるように、魔女は心臓が無くても生き続ける。死から拒絶された存在。
黒蛇は首を傾げつつも、魔女の言葉を受け入れてしまう。
こいつが言うなら、そうなのだろうと。
「一体、誰に殺されたんだ」
「七人の魔女達。でも私は肉体を無くしただけで、今もこの世界に居る。あの子は、私のせいであの体になってしまったの。私の魂が強く影響してしまって」
それは神化の事か。
黒蛇は話を鵜呑みにするわけでは無いが、何故か納得してしまう。
神化のメカニズムは未だに分かっていない。ミシマ連邦が全力で解析を試みても、結局その一端すら解明する事は出来なかった。
「神化とは……なんだ」
「今言った通り。私の魂に深く同調してしまった人が変異してしまう。それ以上でも以下でもない」
「なら……あの繭は何だ。ミコトは何故あんな姿に……」
「鏡。私の肉体として、私の意思を映し出す鏡。神化した人達の中でも、そこまで私の魂と同調出来る人は限られてる。あの子は今、魔女と同等の力を手にした。それこそ心血武装に匹敵する程の力を得た」
ミコトが兵器になったという事かと、黒蛇は顔を顰める。
「どうすればいい、どうすればミコトを元に戻せる?」
黒蛇は望み薄に、その質問をしていた。
神化した人間が元の姿に戻れないように、恐らくミコトは人間の姿に戻る事は出来ないだろうと、思っていた。
「貴方なら簡単の筈よ。でも忘れないで、彼女は一度この世界へ足を踏み入れた。次は……もっと易々と乗り越えてくる」
「俺なら簡単……? いや、待て、そもそもこの世界は一体……」
「ここは私が作り出した世界。気を付けて。魔女達は貴方の力に気付いた途端、きっとその力を欲してしまうから。魔女達は待ってる。自分達を裁いてくれる存在を」
「待て、一体何の話……」
「無知は罪だと……一体誰が裁いてくれる? 私達が犯した罪を、この世界の誰が……」
次の瞬間、再び濃い霧の中へと黒蛇は戻された。そして傍らにはミコト。
「帰ろ……クロ」
「……あぁ」
黒蛇はそっと……ミコトの手を握り締める。
そして現実へと、戻っていく。
※
一方その頃、心血武装を展開したアギスと大佐は睨み合っていた。
何故睨み合っているのか。それはアギスにとって、大佐はただの邪魔にしかならないからだ。
「どういうつもりだアギス。何故覚醒体を守る」
大佐は繭を切り捨てようと刀を振り下ろそうとした。それをアギスが止めたのだ。心血武装である百鬼夜行、その“鬼”を使って。
「ただの気まぐれさね。というか……我が魔女様から、あんたを消せって言われててね。理由は言わんでも分かるだろ?」
「はっ……それはそれは……」
思わず大佐は小躍りしたい程だった。こうも都合よく自分の望みが叶うとは。
「だったらやって見せたらどうだ。若造」
「俺を若造呼ばわりしてくれるのはアンタくらいだよ。というか、四大四天王とやらはどうした? 呼ばなくていいのか?」
「いらん。ここは俺の戦場だ」
満面の笑みを浮かべ、儀礼用の刀を構え直す大佐。アギスも腰に携えた刀へと手を添え、抜刀術の構えを。
「心血武装は使わんのか?」
「冗談はよせ、これを生身の人間に使える程……俺は悪趣味じゃねえんでね。ミシマ連邦のオズマならまだしも……」
「なら俺にも使った方がいい。俺はオズマの片目を奪った男だ」
緊張感が増す。
空気が張り詰めるのが嫌でも分かる。
この世界には自分達しかいない、そんな感覚。
そして互いが互いに呼吸を合わせた瞬間、同時に一歩を踏み出した。
だがまさにその時、繭に異変が。突然繭が霧のように消え去り、その中から人影が出てくる。
「まさか……帰ってこれたのか」
アギスのその声は驚きの声。
そしてそれは大佐も同じだった。二人は知っている。覚醒体という現象を。二十年前に起きた戦争に投入された、反則的な兵器を。
繭の中から出てきた黒蛇。
その腕の中には、全裸のミコトが抱えられていた。しかし猫耳は前より大きく、尾も長くなっている。
「馬鹿……な」
そのミコトを見て、大佐は開いた口が塞がらない。
神化した者が覚醒したのにも関わらず、元の姿になって戻ってきた。
「マジか、あり得ねえ……」
そしてそれはアギスも同様。
そしてアギスの心血武装を通し、暇つぶし程度に様子を伺っていた魔女も。
魔女は高らかに笑う。
その笑い声はアギスにも届いている。
いつ以来だろうか、こんな魔女の笑い声を聴くのは。
『やりおったな! ミシマにサクラ! 奴等め、我々をものの見事に裏切りおったわ!』




