第二話
黒蛇が婦人から依頼を承った一時間後。城塞に侵入する四十八時間前。
劇団船の一室で会話する二人の男がいる。一人は黒蛇、もう一人は劇団船の団長、ヴァレス。
二人は物置に等しい一室で、互いに荷物に腰を下ろしながら話していた。会話の内容は勿論、黒蛇が承った依頼についてだ。
「いやいや、どう考えても怪しいでしょ。あの婦人、なんでお前のコードネーム知ってんの」
「まあ、そこだよな……俺も驚いたが……婦人によると、知り合いから聞いたらしい」
ヴァレスは呆れた顔でボサボサの髪を掻きむしる。知り合いとは一体誰の事だ。
「お前、いつのまにそこまで有名人になったんだ? 裏の世界でも黒蛇っていうコードネームだけが通ってて、容姿の類は憶測で一人歩きしてる程度だろ」
「あぁ、だから俺の見た目を知ってる奴は限られてくる。この劇団船のメンバー以外だと……軍の人間くらいだが……」
黒蛇は元々母国の軍人。三歳の頃に魔女に拾われ、十二歳で軍に入った。それから十年間を軍で過ごし、魔女の我儘で劇団船に乗り込む事となった。しかし黒蛇に演劇など出来る筈も無く、護衛という形で籍を置いている。その際、軍からの要請で不穏分子の暗殺を手掛けていた。黒蛇のような者は劇団船の中に他に数名居る。
「しかし……あんな麗しい婦人に軍人の知り合いが居るとは考えにくいな……」
「麗しいって……お前、まさかとは思うけど見た目に釣られてホイホイ引き受けたんじゃ……」
「そんなわけあるか。確かに儚げで好みのタイプだ。これは俺の想像だが、きっと夫に先立たれて毎夜毎夜寂しく……」
「もういい、それよりここはミシマ連邦が近いだろ。もしかしてアイツ等が関わってるんじゃ……」
「……オズマか」
ミシマ連邦、それは七人の魔女の内の一人が統治する国。
機械帝国とも呼ばれ、その軍事力は世界を三度滅ぼせるとも言われている。そして黒蛇はかつて、その国の官僚を暗殺した。その際、オズマという軍人と遭遇し……
「お前が殺されかけた相手だ。もし奴等が関わってるなら……メラニスタへ公演に行くのも中止にした方が……」
「殺されかけてなんかいない。あの時は二対一だったんだ。タイマンなら……」
「そこに意地張ってどうするんだ。団員に危険が及ぶようなら公演は中止だ。明日、嵐が止み次第……」
「待ってくれ、団長。……もしオズマが関わってたとして、わざわざ俺を呼び寄せるような真似をするのは何故だ。今更、俺が殺した官僚の報復でもしようってか? それなら他にいくらでもやりようはあるだろ。何故わざわざこんな回りくどい方法を取る」
「……何が言いたいんだ?」
「俺を殺したいだけなら、何処でも劇団船が立ち寄りそうな場所で待ち伏せすればいい。現に婦人は俺と接触してきた。だがここにオズマは居ない。わざわざ婦人からの依頼という形を取るのは何故だ。そうまでして俺をメラニスタへ呼び寄せようとするのは何故だ。報復も無い、暗殺も無い、ましてやただの嫌がらせ……はあるかもしれないが、たぶん無い」
「……つまり?」
「つまり……オズマは“黒蛇”に少女を救出させようとしている。拷問を受けている少女はメラニスタに本当にいるんだ」
ヴァレス団長は再び髪を掻きむしりつつ、黒蛇の意見を頭の中で整理する。
オズマの目的は黒蛇の殺害ではない。ならば何故呼び出すような真似をするのか。オズマが関わっている、いないにしろ、拷問を受けている少女は居るかもしれない。
「黒蛇、俺達は劇団だ。お前は暗殺が主な職業かもしれないが、それでも人命救助とは程遠い生業だろ」
「そうでもないさ。俺はいつでも人を殺すのは……自分の生活圏が脅かされると判断した時だけだ。団長も聞いただろ。メラニスタで魔女の開発をしている噂があると」
魔女の開発。それが本当なら世界を揺るがす大事件だ。八人目の魔女の誕生など、世界に混乱を生じさせる事は目に見えている。だが魔女は異世界の存在。こちらの世界の住人がどう足掻いてもなれる筈も無い。
「まだ弱いな。団員に危険が及ぶかもしれない可能性がある限り、俺はメラニスタへ舵を向ける気はない。拷問を受けている少女は所詮、赤の他人だ。家族に被害が及ぶと知ってて自分から火に飛び込むつもりはない」
「赤の他人……か。リエナをどう説得するつもりだ。公演が中止ともなればあの女は黙ってないだろ。あんたを拷問にかけてでも理由を聞き出す筈だ。そしてあんたは家族に対して嘘はつかない。あの女が理由を知れば否が応でも……」
その時、物置の扉付近から床が軋む音がした。団長は頭を抱えながら、ゆっくり扉を開く。
「……何してる」
「べ、別に……お手洗いに行こうとしただけよ。そしたら二人の話声が聞こえて……」
そこに居たのは今まさに名前が出たリエナだった。寝巻姿で、顔が少し赤い。そして酒臭い。
「それより団長……今の話、本当なの? 拷問されてる女の子がメラニスタに居るって……」
ヴァレス団長は再び頭を抱える。リエナも同じ境遇だったため、見捨てる事など出来ないと既に顔に出ている。そして言い聞かせて従うような性格でも無いし、凄まじい行動力の持ち主でもある。放っておけば黒蛇と二人だけで救出に乗り出すかもしれない。
「……黒蛇、作戦はお前とヴァイオレットだけでやれ。他は全て団員の護衛に回す。それでいいならやってみろ」
「十分だ」
※
“心に棘が刺さっている。軍に居た頃、少女を見殺しにした時の棘が。そんな思い出は腐るほどあるのに、何故かあの少女の顔が頭から離れない。だから俺は、お前を助けて救われようとした。ただそれだけだ”
メラニスタの城塞へは呆れる程あっさり侵入する事が出来た。普段から劇団を隠れ蓑に任務を遂行する事が多いが、今回は酷い。俺が警備隊長なら激怒している所だ。監視カメラも死角が多く、正直意味がない場所に設置されている。
城塞の中は一言で言えば煌びやかだった。俺は荷物の搬入口らしき所から侵入し、今は一階のホールへと。ここまで遭遇した警備はたった一人。煙草をふかしながら窓から劇団船の舞台を眺めていた。
平和ボケしているのか、ただの素人なのか。監視カメラの位置は素人臭い仕事だったが、装備だけみるなら中々の物。アクゾーン社のサブマシンガンは中々に値が張る。それを警備が全員持っているのだ。正直羨ましい。
だが豚に真珠もいいところだ。
「ヴァイオレット、ホールまで来た。これから枝を仕掛ける」
『了解です』
小声で無線通信。相手は俺と同じく元軍人の十五の少女。俺が魔女の我儘で軍を抜けるとき、道連れに引き抜いておいた。彼女は若くしてデジョンシステムのエキスパートでもある。
ホールの天井には、万華鏡を覗き込んだかのような派手なシャンデリア。中央と左右に階段があり、その前には警備兵がそれぞれ三名が張り付いている。皆、貧乏くじを引いたと不満げな顔で警備に当たっていた。こんな馬鹿みたいに広いホールを三人だけで警備とは恐れ入る。こちらとしては助かるが。
少女が監禁されているとすれば地下が王道だ。しかし憶測で動く程時間に余裕があるわけでも無い。今回の演目は一時間。既に五分程経過している。
今俺が居る位置から一番近いのは右の階段。そこから曲線を描いていて、どこから上がろうが中央に合流している。思わず笑いがこみあげてくる。本当に奴らは警備なのか? 何故それぞれの階段の前で全員棒立ちしているのだ。三人しか居ないなら階段前は一人で十分だ。そしてあとの二人は巡回に回せば……
「なあ、今やってる劇……なんつったっけ」
「あぁ、確か“リア王”って奴だ」
「聞いたこと無いな……」
「魔女お抱えの劇団なんだ。異世界の物だろ」
今やってる演目は幾度となく世界中で公演しているのだが。メラニスタの人間が他の国へ出向する事が無いという噂は本当らしい。しかしとんでもない世間知らずだ。富裕層は知ってる風だったが、警備兵の大半は一般市民からの出向か?
俺は三人が会話し、意識を散らしたスキに階段裏へと。そのまま足音を殺しながらホールの裏手へと回ると、シャンデリアの光源を操作するパネルを視認する。枝を仕掛けるならあれで十分だろう。
『黒蛇さん、まだですか?』
その時、ヴァイオレットから早くしろとの催促が。
俺は足早にパネル下へと急ぎつつ、上着のポケットから豆粒ほどの磁石型の機器を取り出し張り付けた。
「ヴァイオレット、頼む」
『了解です。三十秒で終わります』
数十秒後、ヴァイオレットが城塞のデジョンシステムを掌握。
『完了しました。少女の居場所を特定……地下です。そこから北側に向かって下さい。虹彩認識でロックされてる扉があります。その先が地下への……って、ん?』
「……どうした?」
『……警備が殺されています。一体何が……』
※
“早く死にたい、それは今まで冗談で言っているだけの言葉だった。でも今、私は切に願う。早く死にたい、早く殺してくれと。どうせ助けなど来ない”
かすかに歌声が聞こえてくる。綺麗な声の、女性の歌声。
これはオペラだろうか。なんだか昔聞いたことがあるような気がする。
目を瞑って、かすかに聞こえる歌声に耳をすませる。なんだか癒された。もしかしてこの歌声は天使の声? きっと私を迎えにきてくれたんだ。あぁ、ようやく私は死ねるんだ。ようやくこの拷問の日々から、この苦しみから解放される。
その時、私の耳元に何かが来た。ふわっとした物。
今私は牢屋の地べたに仰向けになっていた。そっと顔だけをそちらに向け、ふわっとした毛並みを持つ者を確認する。
「……みー子、おはよう」
ねずみのみー子。ハムスターみたいにフワフワで、私が知っているネズミに比べて随分可愛らしい。クリクリの目がキュートで、尻尾は兎みたいにチョコンとお尻についている。
『……助けが来たよ、よく耐えたね』
みー子はそう、私の頭に直接話しかけてくる。か細い、女の子の声で。
私はそっと微笑み返し
「助けなんてこないよ……でも天使が迎えにきてくれたんだ」
微かに聞こえる綺麗な歌声。きっとこれは私にしか聞こえていない。
もうすぐ、この声の主が私を迎えに来てくれる。そして私はやっと……
『諦めないで、黒い人に助けを求めて』
「……黒い……人?」
その時、足音が聞こえた。私はみー子を追いやり、地面から起き上がって精一杯睨みつける。
地下へ降りてきたのは……やはりあの男だった。
この国の国王と主張する男。悪趣味な拷問が大好きな変人。
「またネズミと話していたのか?」
派手なローブに装飾品を散りばめ、甘いマスクに金髪。
国王と言っても、まだ私と変わらないくらいの年頃。
「君には期待していたのに。折角魔女として覚醒させたのに、出来る事はネズミと話せる事だけなんて。君にいくらつぎ込んだと思っているんだい? あの学者を呼び寄せるだけでも……」
「……ウェストンさん? ウェストンさんは何処に?」
「…………」
突然、男は牢を蹴り上げてくる。そのまま狂ったような目で私を睨みつけ、牢の中に唾を吐いてくる。
「今僕が喋ってるんだ。役立たずの成り損ないが……僕の言葉を遮るな!」
突然激高しだす男。そのまま連続で数回牢を蹴り上げ、懐から拳銃を取り出す。
「その服はウェストンが着せたのかい? 馬鹿な学者だ、ネズミに服を着せてどうする。あの男も僕の言う通りにしていれば良かったんだ、そうすれば……」
「……? 何したの? ウェストンさんに何したの?!」
「五月蠅い! 薄汚いゴミが人間の言葉を喋るな! 役立たずのネズミめ! あの学者も役立たずだった。だから殺したさ。生きたまま獣のエサにしてね」
生きたまま……獣のエサ?
「な、なにしてるの? なんで……そんな酷い事……」
その時、銃声が地下に響き渡った。鼓膜が破れそうなくらいの音。
「喋るなと言ったはずだ! 知ってるかい? 魔女は死なない。どんな傷を負っても、心臓を抉り出されても死なない。君は永遠にここで過ごすんだ。この牢屋の中で、この先ずっと……ずっとね」
何を言ってるんだ、この男は……。
そもそも魔女とは何だ。私はそんな物じゃ……。
「精々泣き叫べ。君は永遠に……この暗闇の中で過ごすんだ。無能な自分を呪いながら……永遠に」
「……私は人間よ……死のうと思えばいつだって……」
瞬間、体が吹き飛んだ。撃たれた? どこを?
頭から痛みを感じる。そっと自分の額を撫でて確認すると、そこには穴が。
あれ、頭……撃たれてる?
私、死んだ、死んだよね?
「分かったかい? 君は怪物になったんだよ。銃で頭を撃ち抜かれても死なない、死ねない怪物に」
男の声が頭の中に響く。嘘だ、本当に……本当に死んでない?
死ねない? このまま、私は死ねない?
じゃあ、あの天使の声は? 私を迎えに来てくれたんじゃないの?
私、ずっとこのまま?
嘘だ、嘘だ、嘘だ……!
「やだ、やだ……殺して……お願い、殺して……! やだ、やだ……ここから出して!」
「ははははは! ようやくゴミから僕好みの玩具になったな! そうだ、もっと絶望しろ! お前はこのまま一生、その牢屋の中で過ごすんだよ! 永遠にな!」
永遠に、私はこの牢屋の中で一生?
嫌だ、嫌だ!
「じゃあな。気が向いたらまたくるよ……何年先になるか分からないが」
そのまま去っていく男。
蝋燭の光をわざわざ消して、本当の暗闇の中に私を閉じ込めようとしている。
「まって……まって! 消さないで! 光を消さないで!」
男が去っていく。
ゆっくり、わざとゆっくり地下への扉が閉まっていく。
微かな光さえ……もう届かない。真の闇の中に私は……
「いや、いや! 出して……出して! ここから出して!」
扉が完全に閉まった。
もう光は私に届かない。
この先、永遠に? 頭を拳銃で撃ち抜かれても私は死なない。
もう餓死も出来ない? お腹は空いてるのに、喉はカラカラなのに。
もうずっとこのまま……私は……
『大丈夫だよ。ウェストンさんが、助けを呼んでくれたから』
「……来ないよ。誰も……誰も私なんか助けてくれないよ……」
みー子は私の膝の上に乗ってきて、そのまま身を寄せてくる。
私を慰めてくれてる? でも、もう私はここから出られない。このままここで、死ぬことも出来ず永遠に……。
その時、突然銃声が。外? 地上から?
なんだろう、よく分からないけど、かなり激しく……
『さあ、助けが来たよ。涙を拭いて。一緒に行こう、残酷な神様に復讐しよう。心躍る冒険に出かけよう』
「……みー子?」
そして地下の扉が再び開かれた。
誰かが降りてくる足音。でもその足音は静かで、この無音の地下でないと聞き逃してしまう程。
蝋燭に灯される光。そこにいつのまにか立っていた人物に、私は釘付けになった。
真っ黒な燕尾服。腰までありそうな綺麗な黒髪。そして何より……超イケメン。
その真っ黒な男の人は、何故か涙ぐんでいて……震えている。
そして舞台に立つ俳優のように……私と目線を合わせるように片膝を付いて言い放ってくる。
「……すまない、遅くなった。今度は……必ず助ける」