第十七話
“僕の人生は誰のためにあるのだろう。確実に自分のためではない。僕は僕のために生きる事は許されない。何故なら僕は……生まれると同時に母親を殺してしまったのだから。僕を産んだせいで母は死んだ。そんな僕に生きる価値など元々無いのだ”
劇団船は慌ただしく準備をしている。なんの準備かと言えば、黒蛇さんの花嫁を奪い返すためだ。
「マルコ、ちょっと化粧箱持ってきて」
「はい」
リエナさんも忙しそうにしている。今回、奪い返す花嫁というのは、昨日僕が放り込まれた遊郭の主人らしい。遊郭と言えば……昨日の出来事は口にはしたくない。男として情けないと言われるかもしれないが、僕は女の子と軽くおしゃべりしただけで終わってしまった。
「はぁ……」
思わず溜息が出る。好きな人がいるからと、ありきたりな理由を吐いてみたはいいが、あの女の子はだからどうした、と首を傾げていた。
僕もそう思うさ。だからどうした。好きな女が居ると言っても、向こうは世界の違う高嶺の花。それに対して僕はスラム街に生えてる雑草に等しい存在だ。それ程の格差が僕と……リエナさんにはある。
リエナさんの私室へと行き、化粧箱を持ち上げる。
するとその時、一枚の写真が床に落ちた。
「……? これ……誰だろ」
写真には三人の人間が写っている。一人は幼いリエナさんだろう。なんとなく面影がある。そして右側に立つ男性は団長……っぽい。まだ若々しい。恐らくまだ十代後半くらいだろうか。
そして左側に立つゴツい女性は……誰だ?
見るからに軍人だ。でも右手と左足が義手と義足になっている。
三人が写っているのは、本国の劇場の前だろうか。
正面入り口の前で、三人共に満面の笑みで写っている。
「って、何勝手に見てるんだ、僕は……」
写真を入っていたであろう、化粧箱の引き出しへと入れ、僕はリエナさんの元へと戻る。
劇場船の廊下は狭くて、すれ違う時に壁へ背中を擦りながら避けなければならない。しかし俳優陣は衣装を汚すわけにもいかないため、護衛である人間が思いっきり背中を擦りつけながら避ける事が暗黙の了解になっていた。
今も正面からラスアさんが歩いてくる。思わず見惚れてしまうほどに綺麗な歩き方。
僕は化粧箱を抱えながら、思い切り背中を壁へと押し付けて道を譲る。
「ありがとう、マルコ。温泉はどうだった?」
「え? ぁ、いや……結局あんまりゆっくり入れなくて……」
リエナさんは、スルガの温泉がほぼほぼ混浴だと知らなかったようだ。
当然僕は、そんな事知ってて温泉に来たのだと思っていた。しかし脱衣場に入るなり、リエナさんは固まった。目の前のスルガの屈強な男達が裸体を晒していたからだ。
しかしスルガの温泉はほぼほぼ混浴だ。リエナさんも疲れを癒したかったんだろう。僕に隠れつつ、ひっそりと温泉を楽しんだ。数人の男に絡まれたが、まあ大した問題にはならなかった。偶然、同じ温泉に遊郭の女性陣……黒蛇さんが護衛を頼んだ女性の内の一人が居たからだ。
「そうそう、昨日はどうだったの? 遊郭に行ったんでしょ?」
「うぇ?! いや、別に何も……」
ラスアさんは見るからに楽しそうに……まるで弟を弄るかのように言ってくる。
僕はもじもじしながら顔を逸らし、話題を逸らそうとするが、代わりの話題が全く出てこない。
「何もしてないの? まあ、マルコならそうなんじゃないかって思ってたけど」
「な、馬鹿にしないでください! 僕だってその気になれば……」
「いいんじゃない? 私はそんなマルコが好きよ。リエナもきっとそう思ってるわ」
そのまま優しい姉のように、頭を撫でて去っていくラスアさん。
僕は護衛としてこの船に乗ってるのに、俳優陣に弟のように見られる事が多い。もっと筋肉を付けるべきだろうか。ゴリゴリマッチョになって、周りを威嚇しながら歩きたい……。
しかしそんな事は不可能と僕が一番分かっている。
僕は気が小さいし、遊郭に行ってもまともに女の子の相手すら出来ない。
「はぁ……でもあの子も……結構可愛かったな……」
ネコミミを付けた、見るからに大人しそうな女の子。少年のように短くした髪。体も華奢だけど、あれで僕と同じくらいの歳だったとは。ぱっと見、一回り違う年下くらいだと思ってしまう程だった。
このままリエナさんにズルズル想いを引きずるくらいなら、いっそのこと護衛対象を変えてもらおうか。僕達護衛陣の代表は黒蛇さんだ。あの人に希望すれば、考えてくれるだろう。
でも……やっぱりなんだか釈然としない。
僕の代わりに誰がリエナさんの護衛に就く?
リエナさんは軍人を護衛に付けたがらない。理由はよく分からないけど、それで言えば黒蛇さんを護衛にすることはまずない。あの人もバリバリ元軍人だし。
でも二人は何だか仲良さげに見える。美男美女でぴったりのカップルだと誰もが思うだろう。
っていうか、黒蛇さんの相棒のヴァイオレットも中々可愛いし、今回奪い返すっていう花嫁もかなりの美人。なんであの人の周りには、こうも美女ばかりが集まるのだろうか。
やはり顔だろうか。
きっと僕みたいな凡人と違って、黒蛇さんは三倍くらい得をしながら生きているに違いない。
僕みたいな凡人の苦労なんて、あの人は全然知らずに……今まで生きてきたに違いない。
「いやいや、卑屈すぎる……」
あぁ、もう消えてなくなりたい。
こんな人生、さっさと終わらせたい。
さっさと終わらせて、また次にもっと……
※
リエナさんの元へ化粧箱を持っていく。
今リエナさんは年齢一桁の少女にドレスを着せ、可愛くおめかしをさせていた。
どうやら結婚式に参列させるらしい。ちなみにこの少女も立派な俳優。成長すればリエナさん並みの美人になるに違いない。
「んー……ほら、ちゃんとこっち向いて……」
リエナさんは少女のほっぺを、グイっと掴みながら顔に化粧を施していく。
みるみるうちに少女は、どこか大人っぽさを……いやいや、どんなに化粧したって少女が大人になるわけじゃ……
「……よし、と。とりあえず完成」
マジか。思わず目を疑う。少女は昨日、僕が遊郭でおしゃべりした女の子よりも大人っぽく見える。年齢一桁の筈なのに、僕より一、二個年下くらいに。
なんてこった、化粧……怖い。
「どうしたの、マルコ。そんな豆鉄砲食らった雀みたいな顔して」
「鳩です……。っていうか、リエナさんは参列しないんですか? 結婚式」
「私は今回メイドだって。軍の施設に潜入して、花嫁にお化粧する役目よ」
「……はい?」
軍の施設に潜入って……いやいや、あり得ない。
それは黒蛇さん率いる護衛陣の仕事の筈だ。何故俳優陣……それも看板女優のリエナさんがそんな危険な役割を……。
「だ、ダメですよ、そんなの危険すぎる……」
「大丈夫よ、ヴァイオレットも一緒に行くし。それとも……マルコが女装して付いてきてくれる?」
いやいや、何を言うかと思えば……。
「そ、それは……」
「心配しないで。それに文句なら黒蛇に言ってくれる? あいつ、次から次へと女の子を誘惑して……一体何様のつもりかしら」
「まあ、黒蛇さん……モテモテですよね。ルックス良いし、強いし……」
「マルコだって強いじゃない。それに可愛いし」
可愛いと言われて喜ぶ男なんて……居るかもしれないが居ない。
少なくとも僕は……もっと頼れる男になりたい。
「っていうか、なんでリエナさんがメイドなんですか。軍の施設にだって化粧くらい出来る人は……」
「団長がゴリ押したのよ。優秀なメイク要員が居るから任せてくれって軍の人に言ったらしいわ。ヴァイオレットもメイクくらい出来るでしょうけど、あの子いつもスッピンだし……」
あの人スッピンだったのか。いや、そんな事より……
「や、やっぱりそれでも僕は反対ですっ、何かあったら……」
「今更もう遅いわよ。そんなに気になるならマルコも付いてきなさいよ、女装して」
いや、だからそれは……
「それは無理だな、マルコには別の仕事を頼みたい」
その時、突然後ろから声がした。
振り向くと、そこに居たのは黒蛇さん。しかしいつもと髪型が違う。いつもは長い髪をただ流してるだけなのに、今はオールバックっぽくなってる。
「あら黒蛇、中々似合ってるじゃない。これを機に俳優として活躍してみる?」
「これっきりだ、こんなのは。マルコ、ちょっといいか」
そのまま僕は黒蛇さんに連れられ、リエナさんの元から離れる。そして物置小屋へと黒蛇さんと二人きりに。
「お前に頼みたい仕事っていうのは……ミコトの店の事だ。昨日お前が抱いたあの子に……」
「いえ……だ、抱いてないっス……」
素直に白状する僕。
仕事の内容は何かは知らないが、なんとなく嘘は付けなかった。ここで見栄を張っておかしなことになるのは嫌だし。
「……お前、人がお膳立てしてやったのに……。何が気に食わなかったんだ」
「いや、凄い可愛かったですよ……。でもなんか……やっぱり……」
「……まあいい。それで仕事なんだが、式中、店の連中がおかしな事をしないか見張っててくれ」
「え? なんで僕が……」
「もし何か行動を起こすようなら、力ずくでいい、押さえつけろ」
「いや、無理ですよ! あの子達、黒蛇さんが認めるくらい腕っぷし強いんでしょ?!」
「まあ、それなりに腕のあるやつは居るな……。船の護衛に頼んだ連中も、ミコトが攫われたと知って戻っちまったし……戦力は揃ってるな」
「そ、そんなの無理ですよ! 大体、行動を起こさないわけないじゃないですか! 店主が攫われたのに……」
「だからお前なんだ。他の奴に頼んだら怪我をさせるかも……」
「僕が殺されますよ! 僕は元軍人でも傭兵でも無いんですから!」
「だが闘技場のチャンピオンだろ。お前が思ってる以上に、俺はお前を認めてる。お前しか出来ないんだ。いいな。彼女達に怪我をさせることなく押さえつけろ。それが出来るのはマルコだけだ」
そのまま黒蛇さんは僕の肩を叩きつつ、出て行ってしまう。
なんで僕が……闘技場のチャンピオンって言っても、しょせん奴隷同士を戦わせるだけの、貴族の娯楽でしかない場所の王者だ。
「あー、もう……僕はリエナさんの護衛なのに……」
奴隷だった頃、僕を雇っていた貴族に褒美として劇に連れていかれた。
そこで見た女優に僕は恋をした。叶わない恋だと分かっていた。
それでも僕は動かずには居られなかった。貴族の元から逃げ出し、必死に劇場の扉を叩いた。
そこで初めて僕は黒蛇さんと出会った。
出会って……容赦なく叩き伏せられた。
その時僕は知ったんだ。僕が戦ってきた闘技場など、ただの娯楽、ただの遊びだったんだと。




