第十四話
ニア東国の軍部、今その中枢でちょっとした噂が流行っていた。
とある大佐が遊郭へ通い詰めた末、その娘と結婚すると。そしてさらにその娘は極道の組長の娘であり、しかも神化した人間。その大佐とやらはさぞかし物好きな変人なのだと、軍人達は噂を楽しんでいた。
しかしその噂は全て事実。そしてここにその噂に嫌悪感を抱く人物が居た。
ニア東国の魔女、その人である。
彼女の見た目は十代後半の、如何にも図書館に通っていそうな特徴のない地味な少女。
しかし長い黒髪は美しく、手ですくえば水のように零れてしまいそうで、宝石のような輝きを放っていた。
この国の者ならば誰でも知っている魔女。その髪を見ただけで誰もが恋に落ちてしまうと言われている。
そんな魔女の耳に届く、とある大佐の噂。
魔女は気に食わないと、齧っていたカリカリ梅を一気に噛み砕こうとした。しかし思いのほか、種は固かった。
「あひっ! くぅ……種……なんで種がこんなに固いのじゃ! もっと柔らかい素材で種作れよ! 梅!」
「一体何に怒ってんだ、あんた」
魔女は今、私室のベッドの上であぐらをかきながら一人の男性と話していた。その男は無精ひげを生やし、魔女とは対照的にボサボサの髪。前髪は目が見えない程に伸びており、全体的にだらしない男。
「アギス! 新しいカリカリ梅をよこせ!」
「へいへい。というか何をそんなにイラついてんだ、あんた」
「ああん?!」
アギスと呼ばれた男。アギスは皿に盛られたカリカリ梅の一つを魔女の口の中へと放る。
魔女はその梅を少しずつ噛みながら、汁を吸い出すように。
「分からんか、変な噂がもんもんと出回っとるじゃろ」
「もんもんとって……。例の大佐の事ですかい」
「そうじゃ。軍人たる者が遊郭に通い詰めて、その上……遊女と結婚?! しかもその遊女は神化した人間?! なんなんじゃ、儂に喧嘩売っとるんか?!」
再びカリカリ梅を噛み砕く魔女。しかし今度は種をちゃんと口から出した。そのまま口から直接種を受け取るアギス。
「まあ、しゃーないわな。人間誰しも惚れる人間は選べねえし」
「たわけ! 仮にも軍人じゃぞ! 儂に忠誠を誓った身でありながら……そんな汚らわしい女と結婚するなんぞ……」
「汚らわしいって……そーいう差別的な発言は控えた方がいいと思いますがねぇ」
「いやじゃ。遊女はまだしも、神化した人間なぞ儂は認めん。奴らは……デジョンシステムに見初められた哀れな存在じゃぞ。神化したら即刻処刑する法案を作れと命じたのに……政庁の奴らはまるで聞く耳もたん!」
「当然でしょ。神化こそ好きでなるもんじゃねえ。それであんた、即刻処刑って……暴動が起きますぜ」
「いやじゃいやじゃ! 神化した人間なんぞ嫌じゃ! あんな奴等がこの国に居る事自体、嫌なのじゃ!」
ベッドの上でジタバタと可愛く暴れ出す魔女。アギスは溜息を吐きつつ、懐から鍵を取り出した。
「なら……今回、その噂の真偽を確かめて俺が始末をつけてきますわ。それで癇癪は止めてもらえないですかぃ」
「うぅー……さっさと行け! 大佐も神化した人間も……ちゃちゃっと始末してこんか!」
「へいへい」
そのままアギスは魔女の私室を後にする。部屋を出るなりアギスは鍵を見つめ、そっと口づけを。
その鍵は心血武装。百鬼夜行と名付けられた、この世界に七つしかない武器。
「さてと……噂の出どころはスルガだったか。温泉でも入りながらゆったりいきますかねぇ……」
※
一方、メラニスタを襲撃したオズマ達、瀆聖部隊。
オズマ以外は神化した人間で構成された部隊だが、彼らはたった五人で三百余名のメラニスタ警備兵を鎮圧してしまった。今は生き残った警備兵、百余名、並びにスラム街の住民達と炊き出しを行っている。
生き残った警備兵達の大半はスラム街の出。彼らはオズマ達が襲撃した際、尋常でない強さに怯えスラム街に逃げてきた。貴族出の警備兵達とはハングリー精神で勝る彼らだが、危機感も備わっていた。何より彼らは生きる術を貴族達より知っている。まるで紙を切るかのように兵器を切断するオズマには、逆立ちしても敵わない、そう悟りスラム街へと避難した。
その選択は間違ってはいなかった。そして後悔もしていない。元々メラニスタの王はスラム街の住人の事など毛ほども気にしてはいないし、貴族の人間達もそれは同様だ。
彼らはむしろこの状況に歓喜さえしていた。王の圧政から救ってくれる英雄が現れたとさえ思っている。
だからこそ今この状況がある。彼らは“共闘”を提案するオズマへといとも簡単に応じた。生き残った警備兵の中には貴族出の者も勿論居るが、集団心理か、それともオズマの強さによる威圧感か、大して抵抗する事無く軍門に下った。
今炊き出しを主に行っているのは瀆聖部隊の中でも、オズマの次にリーダー格の人間。
その姿は神化しているが、かつてはミシマ連邦軍、国境警備隊総長として軍役をこなしていた女性。
「はーい、順番だよー」
彼女は大きな鍋に煮込まれたシチューを器に注ぎ、並ぶ子供達やスラム街の人間に配っていた。神化しているとはいえ、その姿を見て怯える者は誰一人としていない。何故ならその姿は愛くるしい白と黒の見事なまでのコンビネーションを成功させた生物。
「パンダさん、ありがとうーっ」
そう、彼女の見た目はパンダだった。
子供達は喜んでシチューを受け取り、エプロンを付けたパンダに愛くるしい笑顔を向ける。それにつられてか、大人達も何処か微笑ましい表情を浮かべていた。
そして残りの瀆聖部隊、二名は食料調達の為、近隣の森へと狩へ。
オズマとゼマは生き残ったメラニスタの警備兵達を集め、自分達の今後の方針を説明していた。
炊き出しを行っている鍋から少し離れた広場へと集められた警備兵百余名。オズマは瓦礫の上で胡坐をかき、ゼマはサブマシンガンを携え傍らに立っている。
「あー、知ってる奴も居ると思うが改めて名乗らせてもらう。俺は元ミシマ連邦軍のオズマだ。何故、元かと言えば……まあ、寝返ったからだな。今ここに居る俺はミシマ連邦の人間でも何でもない。お前等と同じ……国無き民という奴だ」
警備兵達もそれぞれ地面へと胡坐をかいており、オズマの言葉を耳にして動揺を隠せない者も居た。特に貴族出の軍人はミシマ連邦へと兵器の取り扱いの訓練へと赴いた事もある。その時、オズマの話も当然耳に入ってきた。ミシマ連邦のオズマと言えば、軍の中枢、その中心人物と言っても過言ではない程。そんな人間が何故寝返ったのか。当然のように一人の警備兵がオズマへと、そう質問した。
「何故……何故か。明確な答えは無い。色々積もりに積もった物が爆発したんだ。まあ、お前等からしてみれば怪しい事この上無いだろうが、納得出来ないなら抜けてくれ。ただ、俺の目的は……国を作る事だ。至って単純明快だろう?」
再びざわつく警備兵達。今国を作ると言ったかと。
この世界で国を作ると言う事は、魔女に対して宣戦布告を意味する。メラニスタの王もそうだった。
「あ、あのー……」
警備兵の一人、若い十代半ばの男が挙手し発言を求めた。
オズマは顎で指名し、発言を認める。
若い男は立ち上がり、まるで教諭に質問するかのように
「それは……魔女と敵対するという事ですか? それでは今までと状況があまり変わらないというか……」
「で?」
「えっと、何故今回襲撃を? 国を作りたいという目的ならば、国王は殺さずにおいた方が良かったのでは……。メラニスタは何故か魔女達から黙認されていたんです、ミシマ連邦に至っては兵器の取り扱いの訓練を受けさせてくれたり……」
「黙認なんてされて無いぞ。いずれ潰されるのは目に見えてた。ミシマ連邦が兵器のあれこれをお前等に教えたのは、別の目的があったからだ」
「別の目的……?」
「お前等の中にも耳にした奴は居るはずだ。魔女の開発だよ。この国で行われていたんだ。そしてそれを先導したのは……ミシマ連邦だ」
警備兵達は驚きを隠せない。確かに噂では聞いていた。だが所詮噂。都市伝説好きな人間が流した物だと思っていた。
今ここにいる警備兵達は魔女の開発に関わっていなかった者ばかり。関わっていた者は皆貴族出の国王に近しい者達ばかりだ。彼らは皆、オズマ達瀆聖部隊に殺されてしまった。
「お前等、エレメンツって知ってるだろ。あれは元々、デジョンシステムに侵された物体だ。デジョンシステムは永久機関と思われがちだが、実は落とし穴がある。長年同じ部品を使い続けると、意思を持つようになる。この城にもデジョンシステムのセキュリティが組んであるようだが、まだ建造されて数十年といった所か。だがいつか、城事態を建て直さなきゃならなくなる」
「それと……魔女の開発と何か繋がりが……?」
「昔話は知っているか? 暴走するデジョンシステムから世界を救ったのが魔女だ。実のところ、エレメンツ化した物質を完全に無力化出来るのは魔女しかいない。俺が叩き切ったエレメンツもまだ生きている。ただ動けないように破壊しただけだ。ミシマ連邦が新たな魔女の開発をメラニスタの王へほのめかしたのも、そのあたりが大きい。つまりはビジネスさ、エレメンツを無力化出来る人材、それも扱いやすい奴が欲しかったって事だな」
「その開発をメラニスタで行っていた? その、魔女は今どこに?」
「信頼できる奴に託した。黒蛇という男だ。知ってるか?」
警備兵達は首を傾げる。黒蛇の名は裏の世界では有名だ。だがこのメラニスタは裏でも表でも無い。強いて言うなら別の世界の裏だ。国として存在を認められず、いつか潰される運命だったメラニスタ。そんな国に魔女の開発をほのめかしたミシマ連邦。
オズマは推察する。恐らくウェストンがこの国に来る事になったのも、魔女の意向だと。ウェストンはオズマにも何も語らなかった。魔女から口止めされていたか、ウェストンが巻き込まぬように気遣っていたか。どちらにせよオズマにとっては寂しかった。数少ない友人は相談の一つもせず国を出たのだ。そして国を出たまま、死んでしまった。再会したら文句の一つでも言ってやろうかと思っていたのに。
「あの、質問ばかりで恐縮なんですが……」
再び若い男が質問してくる。
オズマは構わないと、再び男へ発言権を。
「魔女が居なくては……国を作ろうにもまた狙われるだけでは? 一体どうやって……」
「その点は心配しなくていい。もうじき……俺の部隊が全員ここにやってくる。魔女よりも魔女っぽい奴らがな」




