第十一話
瀆聖部隊によるミシマ連邦軍部中枢での反乱行為。
この時、魔女の側近であり“心血武装”を託されたその男は、僻地でのレジスタンス鎮圧へと駆り出されていた。
彼の名はマギス・バール。メラニスタへと招聘された学者、ウェストン・バールの実の息子であり、かつてはオズマの下で軍人として鍛えられた人物。
マギスは変わり果てた母国の光景を見て言葉を失う。軍の中枢であるミシマ連邦本国の基地は、エレメンツの空爆により見るも無残な姿。耳が痛い程に辺りは静まり帰り、生存者のうめき声だけが空しく聞こえてくる。
「……何故だ……魔女様はこれを黙って見ていたのか? 何故……」
瀆聖部隊の突然の反乱。彼自身、瀆聖部隊と交流があったわけでは無いが、かつて恩師として慕っていたオズマの部下達なのだ。こんな惨状を生み出すとは思ってもいなかった。
「オズマ大尉が裏切ったというのは……本当なのか」
「……現在事実確認を行っています。しかし本人とは連絡の取りようもなく……。ただ、オズマ大尉はメラニスタへ向かったとの情報も……。恐らく大佐の父上を助け出す為かと……」
マギスの秘書、兼護衛として傍に佇む女性は、その震える背中を見つめながら詳細を伝えた。
「助け出す? 父はメラニスタへ自ら向かったのだぞ、皆の反対を押し切って……。あんな愚かな父を助ける理由が何処にある、魔女様さえ放置しろと……」
ウェストンは招聘と言う形を取りつつも、自らメラニスタへと向かった。その理由は分からない。実の息子であるマギスにさえ、その理由を伝える事は無かった。
そもそもメラニスタは国として認められないにも関わらず、国を名乗っていた。本来ならば粛清される対象。だが魔女はメラニスタを無視しろと言った。
「一体何が起きている……。この国で、この世界で一体何が……」
「……大佐、心中、お察しします……」
秘書はマギスの背中へと触れながら、落ち着かせるように語り掛ける。
本当ならば抱きしめて慰めてやりたい。マギスがここを離れなければ防げた惨劇。レジスタンスの鎮圧など、本来ならばマギス自ら赴かずとも済む事案。
だがマギスは軍の上層部から疎まれていた。彼は三十台で大佐に昇格し、尚且つ魔女から心血武装を授かった。それがどれ程の名誉か、そして同時にどれ程の嫉妬の目を向けられるか。
わざわざ雑用のような任務を押し付けられるのも、その為だ。だがマギスはそれを雑用などと思った事は無い。人命が脅かされているのであれば、自分は血眼になってそれを救わねばならない。
その正義感溢れる、見る者によっては青臭いと感じる、その性格も疎まれる原因となっていた。
「……生存者を救出する。とにかく動ける者を集めろ。オズマ大尉……いや、オズマの事は後回しだ」
「了解しました。では直ちに……」
「あぁー! マギス大佐! ここにおられましたか」
その時、マギスへと近づいてくる一人の男。この惨状を前にして笑顔を浮かべるその男は、瓦礫の山を乗り越えながらマギスへと近づく。秘書の女性は怪訝な表情を浮かべつつ、その男の行く手を阻むように立ちはだかった。
「これはこれは、エリス殿。どうされました? 折角の美人が台無しですよ。人をバイ菌か何かを見るような目で見て……」
「的確な自己申告ありがとうございます。なんの用ですか、ムライ」
ムライと呼ばれた男は苦笑いを浮かべつつ、自身が来ていたコートを脱ぎエリスの肩へと掛けた。
「そんな粗末な軍服では冷えるでしょう。特に最近、寒くなってきましたからね」
「……結構です」
「そうおっしゃらずに。女性を冷たい風に触れさせるなと、父からの遺言でしてね」
いかにも頼もしそうな顔を浮かべつつ、ムライはエリスへとコートを貸し、マギスへと一歩近づく。
エリスはコートを地面へと叩き落としたかったが、ここでそれをしてしまえばマギスに迷惑がかかるかもしれない、そう思ってしまった。何せムライは大企業、アクゾーン社の幹部。主に軍部へと兵器群を提供する際の顔役だった。
「マギス大佐、ご無事で何よりです」
「……なんの用だ。部外者は出て行ってもらおうか」
「部外者だなんて、とんでもない。私もミシマ連邦の国民の一人です。この惨状を前にして心を痛めている……ね」
顔は相も変わらず笑顔。しかし黙祷するように頭を下げ、一瞬真面目な表情になったかと思えば、すぐに顔は元に戻る。
「ところで大佐殿はご存じですか? メラニスタで魔女の開発が行われていた事を」
「……? 一体何の話だ。魔女の開発?」
「えぇ、鼻で笑いたくなるでしょうが、真実です。貴方の父上もそれに携わっていたと。ちなみに私の独自ルートで入手した情報です。ご参考くらいにはなるでしょう」
「……悪いが今は一秒も無駄にする事は出来ない。後日、時間を取ろう。その時にでも……」
「分かりました。あぁ、でもあと一つ……大佐殿は黒蛇……という名をご存じですか?」
マギスは踵を返しムライの前から立ち去ろうとしたが、黒蛇の名を聞いて歩みを止めた。
知らない筈が無い。かつてミシマ連邦、軍部の官僚を暗殺した男。
「……それがどうした」
「いやね、その男がどうやら……心血武装を引き継いでいるようで。三年前、彼はこの国に侵入し官僚を暗殺した。心血武装を持つ男がですよ。分かりますか? 今のこの惨状……三年前、起きていても不思議では無かった。彼を手引きしたとされる官僚は未だ健在です。今はそれだけ……お伝えしておきます」
意味深なセリフを言い残して、ムライはその場から立ち去る。
マギスはその後ろ姿を横目で睨みつけながら、エリスへと今の情報の裏を取るよう指示する。
「エリス、一応裏を取っておけ。確か……黒蛇を一時捕らえたのはオズマだったな。今回の件と関係があると思うか?」
「いえ、今はなんとも……」
その時、エリスはコートのポケットに何か入っている事に気が付いた。
取り出してみると、それは音声を録音する機材。
「……これは……」
エリスはマギスへと機材を手渡す。
マギスはムライの去っていた方をみやりつつ、その機材を握り締めた。明らかに、これを聴けと言わんばかりにコートの中へ忍ばせていた。そして若くしてアクゾーン社の幹部へと上り詰めた男。その黒い噂はマギスの耳にも届いていた。
「一体何を企んでいる……ムライ」
※
その日、黒蛇が目を覚ましたのは劇団船の一室。
黒蛇は基本、ベッドでは横にならない。眠る時はいつも壁にもたれかかれ、気が付いたら眠っている、というスタイルだった。得に理由は無い。別にいつ敵襲が来てもいいように、と警戒しているわけでも無い。劇団船にはそれなりの護衛が揃っているし、中には黒蛇よりも軍役が長かった者も居る。実はヴァイオレットも黒蛇より長く軍に所属していた。
「朝か……」
昨夜はマルコをミコトの店へと放り込み、黒蛇自身は他の店で一杯ひっかけ、そのまま劇団船へと戻ってきた。
劇団船には既にミコト配下の護衛が到着しており、余計に気が抜けてしまったのかもしれないと、黒蛇は自身を弛んでいる、と評価する。何せ久しぶりに熟睡してしまった。既に外は明るく、船の中では劇団員が活動を始めているようで、賑やかな話声が聞こえてきた。
とりあえずと船室から出て、顔を洗いに行く黒蛇。すると何やら大きなカバンを肩にかけたマルコとリエナに鉢合わせた。
「おう、マルコ、昨日はどうだった」
「……べ、べべべべっべつに……」
赤面し、俯き加減にそくささと去っていくマルコ。それを見た黒蛇は鼻で笑いながら、睨みつけてくるリエナに気付いて咳払い。
「ちょっと、私のマルコをよくも汚してくれたわね」
「言葉に気を付けろ、ミコトの店はちゃんとしてるぞ。いい女ばかりだし、病気を移されるなんて心配は……」
「そんな事言ってるんじゃないわよ、はぁ……私のマルコが……」
「ならあんたが相手してやればいいだろ。気づいてると思うが、マルコはあんたに……」
「……だから……ダメなのよ」
そのままリエナはマルコを追いかけ行ってしまう。
黒蛇はリエナの言わんとした事が何となく分かった。どれだけマルコがリエナを想おうが、リエナにその気が無いならただの同情になってしまう。
ならマルコを突き放せばいい。さっさと振って、新しい恋に模索させる事も出来る筈だ。だがリエナはそうしない。
「私のマルコ……か。弟か何かに見てるのか? まったく……」
「いいえ、リエナはマルコの事を一人の男性として見てますよ」
「ん? ドッファ!?」
その時、いつのまにか黒蛇の背後に立っているラスア。
黒蛇は妙な悲鳴を上げながら瞬時に距離を取った。全く気配を感じなかった。暗殺者を生業としている黒蛇が。
「面白い掛け声ですね、クロ。おはよう」
「お、おはようございます……あまり心臓に悪い事はしないでいただきたい……」
「悪かったわ。それより昨日はお楽しみだったのかしら?」
黒蛇はバツが悪い表情を浮かべ「まあ」とだけ答えた。
実際お楽しみだったのはマルコだけだったが。
「クロ、マルコにはいい娘が居たのかしら」
「……意外ですね。貴方は嫌悪感をむき出しにして俺をなじってくると思いましたが」
「そんな事はしませんよ。いつ死ぬか分からないのだから……出来る経験はしておくべきだわ」
「言う事が重いですね。それは自分の経験談ですか?」
黒蛇は出来る限り嫌味のつもりだった。だがラスアは鼻で笑いながら「ええ」と笑顔で答えてくる。完全に毒気を抜かれた黒蛇は、頭を掻きながらその場から立ち去ろうとする。
「クロ、貴方……髪の手入れはしているの?」
「まあ、最低限の事はしてますが……」
「昨日はお風呂には入った?」
「いえ……」
「ならリエナ達と一緒に行くといいわ。温泉に行くとか行ってたから」
温泉……と黒蛇は目じりを抑える。
確かこの街の温泉とは……
「リエナは……知ってるのか? ここの温泉が……」
「知らないと思うわ。こんなにゆっくり滞在するのは初めてだもの。いつもはスケジュールの合間を縫って水を浴びる程度だったし」
「何故あんたは黙ってるんだ……」
「あら、そっちの方が面白そうでしょう? あとで話聞かせてちょうだいね」
溜息を吐く黒蛇。そんな黒蛇の肩を叩きながら、ラスアは妙に上機嫌に立ち去っていく。
黒蛇は昨日からのラスアの変わりように舌を巻いていた。今まではろくに会話すらしなかったのに、今はまるで親しい友人のように接してくる。もっと言えば、ラスアは黒蛇の事をそれこそ家族のように。
「温泉か……」
※
食堂では団員達が賑やかに過ごしていた。木製の長テーブルに所せましと団員達が座り、次々と運ばれてくる料理にがっつく。その中には先日救出されたリサの姿も。まるで既に数年同じ船に乗っているかのように、団員達とは馴染みつつある。
「すまん、場所開けてくれ」
そんなリサの隣へと、強引に入る黒蛇。リサは相変わらず美味しそうにシェリドの料理を食していた。しかし今日はちゃんとスプーンやナイフ、フォークなどを使っている。今は朝から分厚い肉料理を貪るように食べていた。
「朝から食欲が凄いな。美味いか?」
「ん……? ングッ!?」
黒蛇に驚いたのか、喉を詰まらせてしまうリサ。そんなリサへと冷静に水を渡す黒蛇。リサは水を一気飲みしつつ、大きく溜息を吐きながら黒蛇に挨拶する。
「お、おはようございます……黒蛇……さん?」
「クロでいい。ほら、俺に構わず食事を続けてくれ」
するとクロとリサの前に新たな料理が。大の大人が両手でやっと担げる程の大きさの魚、その腹の中には米類や野菜、ハーブなどが詰められ、芳ばしい香りを放っている。
「ほらほら、リサたん、私が取ってあげるねー?」
団員の一人が魚の一部をナイフで切り分け、小皿に乗せてリサへと。リサはステーキのような肉料理を一気に口へと頬張ると、そのまま魚料理へと手を付けた。
「良く食うな……腹大丈夫か?」
「ング……大丈夫です。こんなに美味しい料理……どれだけでも食べれますとも!」
「そ、そうか……」
黒蛇も魚を自分で切り分け小皿へ。そのまま口へと運ぶ。
少し辛口な味付け。だが腹に詰められた米で辛さが和らぎ、野菜のいい甘味も後から広がってくる。
団員達も芳ばしい香りに誘われ魚料理に手を付けはじめ、あっというまに売れてしまった。黒蛇もついおかわりをしてしまい、朝から食べ過ぎたと腹を摩る。
「ふぁー、お腹一杯です……! ごちそうさまでした!」
合掌してそう告げるリサ。すると周りの団員達は、微笑ましい物を見たと、頬が緩む。
「まるで魔女様みたい」
団員の一人がそう言った。黒蛇は「げッ……」と思うが、それ以上深堀りしてこないようなので安心する。しかしリサは
「魔女様……? あの、魔女様って……」
食事を楽しむ団員達へと、そう尋ねた。
「魔女様を知らないの? メラニスタで幽閉されてたから……?」
「魔女様はね、この世界の統治者なんだよ」
「王様みたいな人だよ、うちの魔女様は凄く可愛いお姿だけど」
口々に魔女についての知識を教える団員達。
リサは首を傾げつつ「魔女が統治者……?」と呟いた。
黒蛇はその呟きを聞き、周りの団員達を牽制するように咳払いを。
「……リサ、ついてこい。食後の散歩だ」
「え? ぁ、は、はい!」
突然黒蛇はリサを散歩に誘った。団員達は意外そうな顔で二人を食堂から見送る。
「黒蛇さん……好み変わった? 人妻が好きじゃなかったっけ?」
「まあ、好きになる異性が好み通りとは限らないよ、むしろそっちの方が多い」
食事を引き続き楽しむ団員達。
黒蛇の少しの変化に、各々が心に温かい物が芽生えさせながら。
冷たい、黒蛇の瞳に光が灯るのを感じながら。




