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第十話

 “劇を見るのは好きだ。でも私は役者になりたいと思った事は無い。月を見て綺麗だと思い、月になりたいと願った事が無いように。でも彼女は願ったのだろう。月になりたいと。まさに、私と彼女では距離が離れすぎている。そう、思っていた”



 ヴァイオレット、という名前は軍の上官に付けてもらった。

 私に元々名前など無い。気が付けば銃を握っていて、父親を撃ち殺したのが私の初めてだった。


 軍役に就いた理由は、ご飯があるから……という理由だけ。

 常に人手不足だった為、私のような汚い子供でも易々と軍人になる事が出来た。


 大変だったのはその後だ。来る日も来る日もおしっこは血の色で、上官に殺されそうになったのは一度や二度ではない。それは愛の鞭だと言われたら、私は間違いなくそいつの顎を叩き割るだろう。私は今でも上官の顔を思い出すだけで鳥肌が立つ。


 軍に入ったのは五歳の頃。

 厳しい訓練に耐え、文字通り血反吐は吐きながら過ごしてきた。中には訓練中に死亡した子もいる。私は死にたくない、死にたくないと願いつつ、死にそうな日々を送り続けた。


 十歳の頃、遅れて軍に入ってきたくせに、ある男に階級を抜かされた。それが黒蛇さん。

 実は私と黒蛇さんは結構付き合いが長い。黒蛇さんと出会って八年と二十五日と十三時間。この劇団船の中では団長の次に長い。


 そんな黒蛇さんは、何故か私の事を気にかけてくれて、ある日……劇を見に行こうと誘ってくれた。私は別に劇と聞いてテンションが上がるような、可愛い子供では無かった。劇よりも新しいナイフが欲しい、そんな子供だった。


 半ば無理やりに黒蛇さんに連れていかれた劇。演目は子供向けの物で、題名は……何か覚えていない。でも少し悲しいお話だったことは覚えている。


『ねえ、僕達、ずっと一緒にいようね』


 うろ覚えだが、こんな何でもないセリフがかなり切なかった。

 主役は二人の男児。一方は既に死んでいて、一方はかろうじて生きている状態。

 そんな二人の霊魂が出会い、一緒に列車に乗って旅に出る。そんな話。


 確か何かの災害に巻き込まれた二人の子供の話だったはずだ。

 でも一人は息を吹き返し、もう一人は死んでしまう。

 死んでしまった方の男児は、既に自分は死んでいると自覚していて、もう一方は何があったのか覚えてすらいない。でもずっと親友と一緒にいられると信じて疑わなかった。


 唐突に別れはやってくる。

 病院で息を吹き返した少年は、後になって親友が死んだと知らされた。

 でも彼は無意識に気が付いていたのか、特に取り乱す事も無く現実を受け入れた。


 受け入れて……生き続けるという切ない話。

 

 私はその劇を見て初めて涙を流した。

 腐っていた感受性が刺激され、胸から熱い物が込み上げてくるのが分かった。

 

 その時、私は既に五人の命を奪っていた。そして初めて自分の行いに罪悪感を感じた。

 私が殺した人間達の霊魂はどこに行ったのだろう。何故私はのうのうと生きているのだろう。


 しかし軍を抜ける勇気も無ければ、ましてや自殺を考える程の頭を持っていなかった私は、そのまま軍で過ごし続けた。でもその劇を見てから、どんな訓練も誰よりも熟す事が出来た。


 私は私の殺した人達に償いなど出来ない。しようとも思っていない。でも殺したという事実は変わらない。私は永遠にこの想いを抱いたまま生き続けるのだろう。そして私は人を殺め続ける。


 いつかこの想いに潰される事があるかもしれない。

 それは軍人としての寿命? それともただ精神的に弱いだけ?


 生命とはかけがえがない、それは自明の理。

 だから私は殺め続ける。自分の生活圏で守りたい物があるから。



 というか、何故こんな今更な事を長々と妄想しているのか。

 それは今、目の前に居る女性のせいだろう。


 時刻は真夜中、眩しい程に二つの月が輝いている。

 ニア東国の夜空は溜息が出る程の星空で、私はそれを眺める女性を眺めていた。


 船の甲板で一人、呆然と立ち尽くしながら空を見上げる女性を。




 ※




 ヴァイオレットとリエナ。この組み合わせは珍しい。何故なら普段ヴァイオレットはラウアの護衛に就いており、リエナにはマルコが就いているからだ。

 

 リエナは船の甲板、ちょうど開演の際、舞台を設置する辺りで立ち尽くしている。ヴァイオレットはそれを遠巻きに、甲板から船室へと繋がる扉の辺りで煙草を吹かしながら眺めていた。


 ちなみに黒蛇および、マルコとその他の男性陣は街に出ている。ミコトが経営する娼館へと売り上げの貢献に。ヴァイオレットはてっきり、そんな男共にリエナは怒っていると思っていた。だが静かに星空を眺めるその姿は、役者としての気配を感じる。なんとなく。


「……ヴァイオレット、こっちに来てくれない?」


 その時、リエナからお呼びがかかった。ヴァイオレットは少し意外だと感じつつ、煙草の火を消しリエナへと近づいていく。普段、リエナは軍人を護衛に付けたがらない。その理由は諸説あるが、ヴァイオレットは特に詮索しようとも思わない。


 無言でリエナへと近づくヴァイオレット。リエナはそんなヴァイオレットへと手を伸ばしてくる。まるでこの手を取って、旅に出ようと言うように。


 決してリエナはセリフを言っているわけではない。だがヴァイオレットは嫌でもそう感じてしまう。リエナによって誘われ、このまま星空へと旅立つ。そんなストーリーが勝手に頭に浮かんでくる。


 そしてヴァイオレットは、そんなリエナの手を取るなり……思わず引いてしまう。何故引いたのかはヴァイオレット自身にも分からない。


「どうしたの? トイレ行ってちゃんと手は洗ったわ」

 

 そう冗談っぽく笑うリエナ。だがヴァイオレットはどこか違和感を感じる。


「……意外ですね。怒ってないんですか? あの男共の事。ニア東国に来るなり娼館って……」

「まあ、今日の所は目を瞑ったわ。というか、どうでもいいのよ。私にはもっと大切な事があるの」


 はっきりとそう断言するリエナ。ヴァイオレットはどうでもいいと言われ、確かにその通りだと頷く。しかしもっと大切な物とは何だろうかと疑問も浮かぶ。


「大切な物って……」

「あの子よ、リサ。あの子、外に出るなり叫んだの。今まで相当辛かったんでしょうね。もう叫びたくて叫びたくて仕方ないって顔しながら……」


 その叫び声を思い出すヴァイオレット。まるで獣の慟哭のように、人の物とは思えない程の叫び声だった。助けを求める、怒りに我を忘れる、そんな物とは一線を画すような叫び声。


「それが……大切な事なんですか?」

「そうよ。ヴァイオレットは知ってるかもしれないけど、私もこの劇団に拾われるまでは地下で過ごしてたの。奴隷として」


 その話は黒蛇から聞いていた。ヴァイオレットは成程と思う。つまりリエナはリサに共感したのだと……


「悲しい事だけど、私はその時興奮したの。思わず私も叫びたくなっちゃうくらい」

「……ん?! こ、興奮って……」

「おかしいでしょ。新しい感情を見つけたの。ただ単に開放されただけじゃない、本当に自由を求める感情。私はもっと自由になれる、自由に……あの夜空を泳ぐ事が出来る」


 ヴァイオレットはその時、リエナの印象が一気に変わった。

 今まで清楚な、それでいて綺麗な役者だと思っていた。でも違う。リエナは何処か狂っている、どちらかと言えば暗部(こちら側)の人間だ。


 泥臭い、そう、リエナは泥臭いのだ。意味合いは違うが、ヴァイオレットはそう感じ取っていた。


「……すみません、私にはあまり理解出来ないというか……」


 言いながら、再び煙草に火を付けるヴァイオレット。今のリエナの前では何も気遣う必要はない、そう感じてしまったからだ。

 そのまま甲板の端、柵に身を預けながら、ヴァイオレットは夜空へと煙を吐く。


「ヴァイオレット、貴方、何で役者にならないの? 団長だって推してるじゃない」

「……今日、黒蛇さんに同じ事を言われましたよ。何故と言われても……私には無理です。演技なんてとても……」

「別に、そう難しい事でもないわ。今だって……ヴァイオレットは演じてるでしょ?」


 首を傾げるヴァイオレット。

 

「どういう……理屈ですか?」

「極力、私に気を使わせないようにしてる。でも私の本性を少し知って、認識を改めてくれた」

「…………」

「今の沈黙はどういった感情?」


 不味い、と単純に思うヴァイオレット。

 先程から頭がついていかない。ただ単に自分の頭が弱いのか、リエナが特殊過ぎるのか。

 どういった感情と言われても、ヴァイオレットは回答を持たない。


 だが一言だけ、ヴァイオレットは言いたかった。


「……リエナさん、苦手です」

「ありがとう、私にとってそれは誉め言葉だわ」


 静かに微笑み返すリエナに、ヴァイオレットは背を向け海を眺める。

 暗い海の水面に、二つの月が映っていた。

 

 水面に映る月と、空の月。どちらが本物なのかと思いながら。




 ※




 同時刻、ミシマ連邦の軍施設で警報が鳴り響いていた。

 軍人達はまるで戦場に立っているかのように緊張感を露にし、銃を握り締めている。


 そしてそんな軍人達が意識を集中させる場所、そこは瀆聖部隊の研究施設。

 瀆聖部隊は主に“神化”した人間を中心に構成されている。中には普通の人間も混じっているが、それはオズマと数名の軍人のみ。


 今、その瀆聖部隊の研究施設が襲われていた。

 いや、その言い方は正しくはない。襲っているのは正真正銘、瀆聖部隊の隊員達なのだから。


「行け、行け! 奴等を制圧しろ! 殺しても構わん!」


 突如として暴れ出した瀆聖部隊を制圧するべく、陣頭指揮を執る男は叫ぶ。

 だが先程から何度突撃を繰り返しただろうか。研究施設に入っていった隊員は数発の銃声の後、戻ってきた者は居ない。


「くそ……っ! 一体どうなってるんだ! 何故奴等は突然暴れ出した!」


 制圧は時間の問題だった。ここはミシマ連邦軍本部の中心。研究所は完全に包囲され、暴れ出した瀆聖部隊に勝ち目など無い。だが先程から一向に事態は進まない。


「……! 隊長! 中に突入した隊員から通信です! 制圧完了、しかし被害多数、急ぎ救援をと……」

「よし、よし! 行け、行け! 負傷者を運び出せ!」


 そして隊長自ら研究所へと隊員らと共に突入する。だがそこで目にしたのは、負傷者などでは無い。原型を留めぬ無残な姿となった隊員達。


「な、なんだこれは……」


 まるで意図的にそうしたのかのように、隊員達の亡骸は原型を留めていなかった。銃で撃っただけではこうはならない。まるで猛獣に襲われ、食い散らかしたかのような……


「生きている者を探せ! 早く!」


 隊員達は研究所へと雪崩れ込み、生存者を探そうと研究所の奥へ奥へと。しかし行けば行くほど凄惨な現場が続いている。


「化物共め……一体何故こんな急に……」


 隊長は研究所内の廊下へと差し掛かり、その壁や天井にこべりついた血や肉片を見て嘆く。

 そして奥へと進もうとした瞬間、突如として壁が破壊され、そこからワニのような巨大な生き物の口が。


「た、隊長! おい、やめろ! ()()()()()!」


 巨大なワニのような怪物。それは紛れもなく瀆聖部隊員。しかし何の感情を持たないかのように、口に咥えた男を噛み砕いた。


「やめ、やめろ……!」


 辺りに飛び散る血しぶき、そして肉片。メリアンナと呼ばれた怪物は、無情に噛み砕いた死体を咀嚼し飲み込む。


「くそ、退け、退け!」


 研究所から退避しようと、来た道を戻る隊員達。だがその前に再び巨大な獣が立ちはだかる。

 その獣は、巨大な虎。あり得ない程に大きい。下手をすれば象と変わらない程に。


「ゼメル?! おい、一体何のつもりだ! 何でこんな……」

 

 虎へと抗議する隊員。だが次の瞬間、前足で踏みつぶされ、そのまま他の隊員を“喰おう”と襲い掛かってくる。


「やめ……やだやだやだやだやだ! 喰われるのは……!」


 悲痛な叫び声を上げながら次々と絶命していく軍人達。

 まさに地獄絵図。ここはまるで神の餌箱。神化した人間達による、酒池肉林の宴の場。


 そんな地獄から必死に逃げだす一人の男。

 仲間の血で足を滑らせながらも、アサルトライフルを捨てて奥へ奥へと逃げる。


 逃げながら男は気が付いた。奴等はただ暴れていただけではない、これは計画的な作戦。

 誰かが指揮を執っている、その誰かなど、オズマ意外にあり得ない。


「くそっ、くそっ! オズマが……命令無視の果てに軍を裏切ったのは……本当だったのか?!」


 男は、たまたまあったシェルター壁を降ろし、研究所の中枢部へと逃げ込んだ。

 息を切らしながら、そこにある無線で助けを呼ぼうとするが……先客がいた。


「……お、お前は……」

『どうもどうも。気分は如何ですかい、軍人さん』


 上半身は人間。しかし下半身はまるで人魚を彷彿とさせる魚類の肉体。

 “彼女”も瀆聖部隊員。今は中枢の制御室で、モニターを前に勢いよくキーボードを叩いている。


「な、なにしてる!」

『何って……冥途の土産でも欲しいので? 教えるわけないでしょ。ただ軍の設備を空爆するようにエレメンツ達を操作してるだけですたい。ちなみにそのエレメンツ達は……そのまま親っさんの元に合流……っと』


 教えない、と言いつつも全て喋る瀆聖部隊員。

 それを聞いた軍人の男は顔を真っ青にし、腰のハンドガンを構える。


「何故いきなり……クーデターのつもりか?! すぐに命令をキャンセルしろ!」

『そんな小さな銃でワッシを殺せるとでも? おたくら、ワッシ達を普段から怪物怪物って言ってるだけで、認識的には人間と評価してくれたので? あぁ、嬉しいですたい』


 瞬間、彼女は飛んだ。まるで空中を泳ぐかのように、まるでここは水の中だと言わんばかりに。


『お礼に、喉笛噛み千切って溺れさせてやるよ。苦しけりゃ叫びな』


 




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