散歩って・・・
散歩って宝探しみたいと思ったわたしたちは知らない道ばかり散歩するようになった。
知らない道を歩いてみると、面白いところがいっぱいあった。
豊臣秀吉に関わるという天下茶屋、田畑がどんどん秩序もなく集落になっていった、「スプロール化した」そのままに、戦禍にもあわなくて古いまま残った粉浜なんかの町、住吉にもあるけっこうな高低差。
いろいろ歩いているうちに、新しい道と古い道とが分かるようになっていった。
古くからの道は幹線道路になってしまっていなければ、自然な感じにカーブしていた。そんなこと当たり前の話だけれど、歩き始めの頃には分かっていなかったからなあ。
古くからの道の近くには、古い建物や古い石の道標や地蔵がよくあるってことにも気がついた。あと、小さな郵便局も多いような気がした。
古い道だな、と思ったあたりはきょろきょろ眺めていたら、面白いものがたくさんあった。どんどん進んでいくと、路地裏の不思議な一角にたどりついていたりした。そこには、なんだかよく分からないけれど、古い古い気配があった。
古くからの気配が漂っている場所ってけっこうあった。散歩って、空間を移動するだけじゃなく、タイムスリップすることもあるんだな。
他と違う雰囲気を漂わせる一角というのも時々あった。町によって違う雰囲気があった。
同じ人間たちの同じ町なのに、どうしてこんなに違うんだろうと最初は不思議に思っていた。
古いまま残っている町もあれば、昭和の時代につくられた町、最近になって開発されてできた町などがあって、それぞれに全く町の雰囲気も違うってことも、最初は分かっていなかった。
不思議だったからいろいろ調べて、やっと分かるようになった。
戦争で焼けた後、闇市などから無秩序に再生した町もあれば、古くからの地元の名士を中心にして、今も結束の強い町、新しくつくられた、知らない者同士の暮らす町、赤線だったところなどなどもあるってこと。そういう歴史が、結構今も雰囲気に残っていること。
たとえば、北に歩いて行くと、帝塚山とニシナリがあった。
ほとんど隣り合っているけれど雰囲気はけっこう違う。
帝塚山は元は住吉村。住吉村の、放っておかれた藪山だったところ。海に近い高台とあって、古くは古墳なんかも多くつくられていた。大伴金村も住んでいたとかいうあたり。
一部だけ現存する帝塚山古墳は前方後円墳で、周りを住宅に囲まれている。大伴金村の墓だとか、浦島太郎の墓とか言われているけれど、4世紀後半頃のものらしい。
明治時代、電車が走るようになり、大阪で働く人々は、大阪に住まなくても、電車通勤や、一部のお金持ちはマイカー通勤などができるようになった。空気の悪い、人も多すぎる大阪市内を離れて、風光明媚な田園地帯に住むことが流行して、まずは天下茶屋が高級住宅地に変えられた。
その頃は天下茶屋が「風光明媚な田園地帯」だったんだな。
けれど天下茶屋はすぐ手狭になるなどしたから、次に目をつけられたのが住吉村の手付かずだった藪山。
開発されて高級住宅地となり、船場の旦那衆などが引っ越してきたのだって。たとえばクボタの創業者も住吉村に。その邸宅跡は、今は小学校になっている(南港通から見える晴明丘南小学校)。
今も大きなおうちが多いけれど、当時はマンションがいくつも建つくらいの規模の大邸宅が並ぶところだったそうだ。
けれどそのうち住吉村も近隣に大工場ができるやら、大阪市にとりこまれるやら、人口も激増するやらで、お金持ちたちは新たな田園地帯を求めて、今度は神戸のほうに移っていったのだって。
帝塚山の大邸宅は多くがいくつもに細分されてプチ邸宅になり、今に至っている。
西成区も、帝塚山のすぐ西の玉出東なんかは「西成の芦屋」と異名をとっていたこともあったらしい。
その北に天下茶屋、さらにその北あたりが西成のディープなところ。
江戸時代の頃、天下の台所だった大阪は、船場あたりだけのことだったそうだ。
近くにはスラム街もあった。大規模だったのが長町、今の日本橋界隈。
その後、大阪市はまずは今のJR環状線の内側くらいまで拡がっていった。そこにスラムがあるのはまずいってことで、スラムは郊外へ。西成の釜ヶ崎あたりに移されたそうだ。
そして戦争勃発。
大阪はおおかた燃やされた。
そして戦後、どこよりも貧乏人に手厚い政策を行ったのが大阪だったのだって。地方の貧しき人々が大阪に押し寄せて、ニシナリに集まった。
日雇い、簡易宿泊所、被差別、赤線、暴力団、そんな町。
何も知らないままに散歩に行ったわたしは、初めは驚いた。900円とか入り口に書かれた宿らしき建物、ひらがなの多い手書きの文字で紙に書かれた注意書き、昼間から提灯のともる雰囲気の怪しい飛田、やけにおじさんが多くて、スーパー玉出の店先で袋詰めする買い物客もほぼほぼおじさんの町。公園は、夜には施錠される。
ニシナリも高齢化が進んでいるとみえて、デイサービス関係と思われる人もけっこう多く行き来していた。
新しいきれいなマンションなんかが少しは建ちはじめていたけれど、「監視カメラ作動中」の文字で囲われていた。
別の角度から見ると、ニシナリは「マイノリティーに限りなくやさしい町」なんだって。犯罪も多いのかもしれないけれど、犯罪に手を染めない多くの人々も住んでいるのだものな。
ある日、公園できいた、知り合いらしきおじいさんとおばあさんの会話。
「だれかが探してるそうだよ」
「わたしをか? 誰がなんで探すいうんや。悪いこともしとらんのに」
「そうやな。金、借りてないんやったらな」
「借りてない」
「そうか、そんならいいんや。今日も暑いな」
なんだこの世界は。歩くと歩くだけ違う顔を見せてくれる、この世界は。




