7 竜人の使用人
翌朝、私がパトリシア様の寝室に向かうと、扉の前では護衛の騎士が立っていたが、それはレイではなかった。彼はまだ来ていないようだ。
昨日からムカムカしているから、会わずに済んでよかった。
(絶対にレイの言う事なんて聞いてやらない。私が帰る日は私が自分で決めるんだから)
心の中でそんな事を言いながら部屋に入ると、パトリシア様は竜人の使用人女性三人に手伝われて顔を洗っていた。
「おはようございます、パトリシア様。よく眠れましたか?」
「ああ、メイナ。おはよう。知っている顔を見るとホッとするわね。昨日はよく眠れなかったわ」
「今日はバクスワルドの国王陛下や王妃様と会われるんですよね? 髪型は派手過ぎない、慎みがあるものにしましょうか」
「ええ、そうしてちょうだい。ただでさえわがままで浪費家だという噂が回っているんだもの」
会話をしながら私がパトリシア様の側に寄ると、一人の使用人の女性が前に進み出てきた。三人の中で一番背が高く、リーダーっぽい雰囲気の人だ。少し冷たい、厳しそうな顔立ちをしていて、癖のない焦げ茶の長い髪をポニーテイルにしている。
真っすぐで綺麗な髪だなぁ。
「あなたがメイナさんですね? パトリシア様の髪結師だとか言う……」
「ええ、そうです」
見下したようにこちらを見てくる彼女に、私は第一印象が大事だと少し笑顔を見せて答えた。彼女はその笑顔にはほだされずに続ける。
「私はレベッカです。王妃様から、パトリシア様の世話係を頼まれました。後ろにいるサリ、モナと一緒に、これからは我々がパトリシア様の身の回りの世話をさせていただきます」
「分かりました、よろしくお願いします。でも髪は――」
「髪も我々が結います。あなたのように髪結師という職業にはついていないものの、主人の髪を整えるのは慣れていますから。それにあなたはバクスワルドの文化をよくご存じないでしょう。パトリシア様にはこれから、バクスワルド風のドレスを着て、バクスワルド風の髪型をしてもらいますから」
「バクスワルド風のドレスって?」
パトリシア様はちょっと嫌そうな顔をして言った。レベッカはトルソーに着せているパトリシア様の今日の衣装を手で指し示して答える。
「ドレスはミュランと大きくは変わりませんが、バクスワルドではパニエでやたらとスカートを膨らませたりしません」
確かにスカートのボリュームはミュランのものより無く、すっきりした形だが、レースやフリルは多く使われていて豪華だ。ミュランのドレスと雰囲気はほとんど変わらない。
レベッカさんたち使用人の制服はかなりシンプルだけど、ミュランでも使用人の制服は似たような感じだ。
「スカートを膨らませれば膨らませるほど、腰が細く見えるのに」
「けれど夏はパニエを履いていると暑いですよ」
「まぁ、確かにそうね。バクスワルドの夏はミュランより暑いもの。隣国だと言うのに、気温が結構違ってびっくりしたわ」
パトリシア様は腰が細く見えるパニエの効果を惜しみつつも、レベッカさんにそう言われてドレスの事は受け入れたようだ。
そしてレベッカさんが口を開くより先に、私は言う。
「髪型は……結構違いますよね。ミュランでは女性は必ず髪をシニヨンにして短くまとめていますが、バクスワルドの女性は後ろで一つに縛ったり、高い位置でポニーテイルにしたり、ハーフアップにしている人が多いようです」
ミュランでは縛ってからそれをお団子にしたりしてまとめるのに、バクスワルドの女性は縛るだけ。それに昨日ちらりと見かけた貴族風の御婦人は、つばの広い帽子を被っていただけで髪は降ろしていた。縛る事も結う事もせずに。これは結構衝撃だった。
「きっとバクスワルドの女性たちはくせのない真っ直ぐな髪を持つ人が多いから、まとめなくても綺麗に見えるんですね。ミュランの人は髪を下ろしていると、くせで跳ねたり広がったりする事があるので、あまり美しく見えないんです。いかにも『気を抜いています』という雰囲気が出てしまって。だから毛先まで全てまとめるんです。レベッカさんの髪も綺麗ですね。でもふんわりした髪型にするのは難しそうです。アイロンでウェーブを作っても取れやすそうですし……」
とレベッカさんの髪を観察し、さらに彼女の後ろにいた二人にも目を向ける。
さっきレベッカさんが二人を軽く紹介した時にそれぞれを手で指し示していたから、左にいるちょっとつり目のツンとした子がサリさん、右にいる柔らかな雰囲気の子がモナさんだろう。
「サリさんとモナさんでしたよね? サリさんは白色にも見える金髪がとても綺麗です。髪はやっぱりポニーテイルで真っ直ぐ、でも毛先だけ外側に跳ねているんですね。モナさんの栗色の髪はシンプルなハーフアップ、長さは私と同じくらいで、くせは……毛先がほんの少し内に巻いていますね。少し触ってもいいですか? 三人ともすごくサラサラで手触りが良さそう……」
「メイナ、もう分かったから。竜人の髪に興奮しないで」
まじまじと三人の髪を見ていたら、パトリシア様に呆れたように言われてしまった。
「別に興奮していたわけでは……。それじゃあまるで私が変態みたいです」
「髪の変態よ、あなたは」
すげなく返された。使用人の三人からもちょっと引かれている気がする。
レベッカさんは気を取り直して言った。
「とにかく、パトリシア様の髪は私たちで整えます。バクスワルドでは複雑に髪を結ったりしないので、あなたの技術は必要ありません。パトリシア様は一人では不安だからあなたを連れてきたとも聞きました。だったらここに座って、パトリシア様の話し相手にでもなっていてください。あなたの仕事はそれです」
私とパトリシア様は目を合わせ、困った顔をした。パトリシア様は初日から使用人にあれこれ言うのは嫌なのか、それとも厳しそうなレベッカさんに意見するのは疲れると思っているのか、諦めた顔をしている。今日はレベッカさんの好きにさせてみるようだ。
なので私も彼女たちの後ろに立って、その仕事ぶりを見守る事にした。
けれどいざレベッカさんがパトリシア様の髪を梳かし始めると……
「痛い! もっと丁寧にやってちょうだい」
「いえ、丁寧にやっているつもりなのですが……申し訳ありません」
きりっと上がっていた眉を下げ、レベッカさんは困ったようにより一層丁寧に髪を梳かし始める。人間の女性にとっても竜人の女性にとっても髪は大切なものだから、その髪を傷つけるような事があってはならないとレベッカさんは少し焦っているようだ。真面目な人みたい。
けれど結局、パトリシア様は我慢できずにこう訴えた。
「痛いったら! もうあなたは下がって、メイナに変わってちょうだい。大事な髪が抜けてしまうわ」
「申し訳ありません」
レベッカさんはさすがにここで食い下がる事はせず、ブラシを持ったまま私に場所を譲る。その時にとても悔しそうな顔で睨まれたけど、私は彼女が持っているブラシの方が気になった。
「それ獣毛ブラシですね。少し触っていいですか?」
「別におかしなものは使っていないわ。普通の獣毛ブラシよ」
ムッとしているレベッカさんにブラシを貸してもらい、触ってみると、毛はしっかりしていて硬かった。イノシシの毛だ。
「パトリシア様の髪は細い上に量も多く、くせ毛なので、獣毛ブラシのような目の詰まったブラシでは引っかかってしまうんです。レベッカさんのような直毛のしっかりした髪質の人にはそのブラシは合っていますが、くせの強い髪の人には獣毛……特に固いイノシシの毛のブラシは痛いだけです」
言いながら、持ってきていた四角い鞄を開ける。ここには髪を結ったりケアするのに必要な物が入っている。私はそこからコームをいくつか取り出した。
「ブラシは目の粗いものを使ってください。こういう四角くて大きなコームがおすすめです。私は最初に目の荒いコームで髪をほぐしてから、少し目の細かいコームで整えています。梳かし方は、上から梳かすと途中で引っかかるので、毛先の方から少しづつやって段々上に上がっていきます。こんなふうに」
「え、ええ……」
「ちなみにコームは象牙やべっ甲、骨や金属製のものなど色々ありますし、私も趣味で色々集めてますが、パトリシア様には木製のものを使っています。見てください、これ! すごくいいんですよ! 行商人から手に入れたものなんですけど、ツゲという木で作られているらしいんです。この木は木目が細かくて緻密なので、堅く丈夫なんだそうです。実際木製のコームって折れやすいんですけど、これは折れた事はないですし、使いやすいですよ」
「そうなの……」
「一つしか無いので使う時は貸してあげますね。このツゲの櫛に花のオイルやヘアクリームを塗って使うといいです。オイルは髪に艶が出ますが、つけ過ぎるとベタベタになるので気をつけてくださいね。でも乾燥しがちなパトリシア様の髪なら多少多めにつけても大丈夫です。オイルをつけるかクリームをつけるかは、その日の天候や髪型、髪の調子によって変えるといいです。クリームの方が軽い仕上がりになります。あと、これも見てください。花のオイルにもいくつか種類があって――」
「レベッカが困惑しているじゃないの。話はいいから早く髪をやってちょうだい」
楽しくなってきてレベッカさんたちに怒涛の説明をしていると、パトリシア様が再び呆れて言葉を挟んできた。
「すみません」
「変わった人ね……」
大人しく髪を梳かし始めた私を見て、レベッカさんが小さな声で呟いたのだった。




