4 竜の国へ
隣国バクスワルドに嫁ぐ事が決まったパトリシア様だが、彼女がこの国を出る日までは十日しかなかった。一旦婚約してしまったら、後は迅速に物事を進めていかなければならないのだろう。
そしてパトリシア様について行く私も、十日後には出発できるように慌ただしく準備を始めた。持っていく荷物を整理して、地方にいる両親にしばしのお別れを言いに行ったり、その他にもお世話になった人たちに挨拶をしに行ったりした。
けれど私はパトリシア様と違って、この先ずっとバクスワルドに住む事にはならないと思う。
パトリシア様も「メイナを一生拘束するのは申し訳ないし、私がバクスワルドに馴染んだらミュランに戻っても構わないわ。一年くらいはかかるかしら?」と言ってくれたから、とりあえず一年間バクスワルドで生活するつもりで行こうと思う。
そして異国に嫁ぐ娘の事を心配しているらしい国王陛下や王妃様にもパトリシア様の事をよろしくと頼まれたりしつつ、いよいよ出発の日がやって来た。
よく晴れた夏の日、パトリシア様は城の前に集まった両親や兄、貴族やたくさんの民衆に見送られ、豪華な馬車に乗り込んだ。私もその後ろを静かについて行き、一緒の馬車に乗り込む。
輿入れの隊列は、先頭に騎乗した護衛騎士がずらりと連なり、真ん中辺りにパトリシア様や私の乗る馬車、そして国境までついて来る使用人たちやパトリシア様の嫁入り道具を乗せた馬車を五つほど挟んで、また多くの護衛騎士が後に続いた。
パトリシア様は別れの悲しみと不安から、国王陛下たちと言葉を交わしている時からずっと泣いていたけれど、馬車が走り出して一時間ほどするとやっと涙も枯れてきたようだった。
「少し落ち着きましたか?」
パトリシア様を慰め続けていた私は、彼女の肩をさすったままそう言った。
パトリシア様は鼻をズビズビすすりながら返事をする。
「全然よ。お父様やお母様たちともう簡単には会えないんだと思うと……ううっ、また泣けてきたわ」
少しでもパトリシア様の気分を変えられればと、私はこう切り出した。
「でもきっと楽しい事もたくさんありますよ。竜人の女性たちってどんな髪型してるんだろうって思うとわくわくしません? 騎士の人たちを見るに、竜人の男性は髪を短くしている人が多いようですし、短い方が男らしいと思っている様子でした。ですが女性はどうなんでしょうね? ミュランと同じように長い髪を結っている人が多いんでしょうか? ね、気になりますよね?」
「全然気にならないわ」
パトリシア様は泣き腫らした赤い目でこちらを睨んだ。気にならないなんておかしいな……。この話題で駄目なら最終手段を出すしかない。
私は空気を包むように胸の前で両手を構えると、頭の中に明るいオレンジ色のガーベラを思い浮かべた。
そうして手に魔力を込めると――何もなかった空間に、突然思い浮かべた通りの花が現れる。
「パトリシア様、お花を見て元気を出してください」
私は一輪のガーベラをパトリシア様に差し出した。戦闘能力に優れている竜人、魔法に長けている森人や闇人と違って、花人はあまり人の役には立たないけれど、自由に花を出せるという特技はあるのだ。
パトリシア様は花を受け取ってくれたが一輪だけではまだ元気が出ないようだったので、私は色とりどりのガーベラを次々に出してみせた。
馬車の中が良い香りで満たされ、膝の上が花で埋まり、さらにそれが足元にも溢れると、パトリシア様はやっと笑顔を見せてくれた。
「ふふっ、こんなにたくさん。とても綺麗だわ」
「まだまだ出せますよ」
調子に乗って花を出していたら、馬車の半分が花でいっぱいになったところで魔力が尽きて、ちょっと疲れてしまった。けれどパトリシア様を笑わせられたのでよしとする。
「ピンク色のものが可愛いわ」
パトリシア様はピンクのガーベラを手に取ると、香りを嗅ぐようにそっと鼻を近づけた。そしてふと小窓の方を見て言う。
「あとどのくらいで国境かしら?」
「まだまだ時間がかかりますよ。馬車はゆっくり進んでいますし。今、城を出て一時間半くらいですから、あと三時間半はかかります」
私は懐中時計を見ながら答えた。そして国境についても、そこからダリオ殿下の待つバクスワルドの王城に着くまではさらに六時間かかる。
「途中で食事も取るようですが、その前に休憩したくなったらおっしゃってくださいね。少し暑いですからちゃんと水分も取った方がいいと思います」
今は八月の終わり。ミュランの四季の変化は穏やかで、夏の暑さも気持ちのいいものだが、気をつけるに越したことはない。
使用人たちは後ろの馬車に乗っているし、国境を越えた後も竜人の女性使用人が数名ついてパトリシア様の世話をしてくれるだろう。
「ええ、分かったわ。行くだけで疲れてしまうわね」
パトリシア様は指でくるくると花を回しながら答えた。
そして正午を少し過ぎた頃、隊列はミュランとバクスワルドの国境までやって来た。ここでミュランの護衛や使用人たちとは別れ、パトリシア様は馬車を降りて歩いて国境を越える事になる。ついて行けるのは私と、パトリシア様の嫁入り道具だけだ。
「あちら側では、もうバクスワルドの竜人たちが待機しています」
私は一足先に馬車を降りて前方を確認してから、中にいるパトリシア様に声をかけた。バクスワルド側の隊列もこちらの隊列と変わりなく、馬に乗った護衛騎士たちがパトリシア様を乗せる予定の馬車を間に挟んでいる。
けれどその他にもパトリシア様を見に来たらしき一般の竜人たちが、少し離れたところで人垣を作っていた。百人近くはいるだろうか。
「あんなにたくさん、バクスワルドの国民がパトリシア様を歓迎するために来てくれたみたいですよ」
「本当?」
勇気づけるように言うと、緊張気味だったパトリシア様の声は少し明るくなる。パトリシア様が馬車を降りると、足元を埋め尽くしていた色とりどりのガーベラも一緒にこぼれ落ちてきた。
「行きましょ」
「はい」
護衛騎士の隊長や使用人に最後の別れを告げてから、パトリシア様はゆっくりと国境を越えていく。私もパトリシア様の後ろ姿を見つめながら後に続いた。
今日のパトリシア様の髪型は、大人っぽくて洗練されたものを目指した。前髪も含めて髪は全てアップし、頭頂部より少し後ろで扇形のお団子にし、そのお団子の前にティアラをさす。
この髪型なら、このまま花嫁衣装を着てもぴったり合う。今日の大ぶりの耳飾りとの相性もよく、後ろから眺めつつ自分の仕事ぶりに満足する。
ちなみに今日の私の髪型は、髪飾りも無しで少し地味に結ってある。パトリシア様より目立たないようにと思っての事だ。
そうしてパトリシア様と二人でバクスワルドの護衛騎士たちに近づいていくと、先頭にいた年かさの騎士が馬から降りてパトリシア様の前で膝をついた。
「ここからは我々がパトリシア王女殿下をお守りし、城で待っておられるダリオ殿下の元まで無事にお連れ致します。さぁ、こちらへ」
立ち上がって、豪華な白い馬車まで案内してくれる。しかしパトリシア様がその馬車に乗ろうとした時、周囲にいた一般の竜人たちが、こう声を上げ始めた。
「結婚反対ッ!」
「え?」と、私は驚いて彼らの方を見る。
彼らはパトリシア様を歓迎するためにここに集まったんだと思ったのに。
でも彼らの表情をよく見てみると、パトリシア様を見る目は決して好意的なものではなかった。
「わがまま王女はミュランに帰れ!」
「金遣いの荒い王女に我々の税金を使い込まれるのはごめんだ!」
なんて事を言うのだと、私はさらにびっくりして目を丸くする。
金遣いの荒いわがまま王女? 一体誰がそんな事を言い出したのか。少なくともミュランではそんな事は言われていない。国民がパトリシア様に持つイメージは『明るく可憐な末王女』といったところではないだろうか。
若いがゆえの奔放さも持っているものの、ちゃんと優しさも持っているし、高級なドレスや装飾品を買ったりするけれど使う金額は王族としてはおかしくない額だろうと思う。
「何……?」
パトリシア様はショックを受けたように目を見開き、顔を青ざめさせた。
「結婚反対!」
竜人たちの集団は興奮したままこちらに近づいて来る。最初は歩いていたけれど、徐々に小走りになってパトリシア様の方に詰め寄って来た。
「馬車にお乗りください。彼らは我々が止めます」
年かさの竜人騎士はそう言ってパトリシア様と私を急いで馬車に乗せ、扉を閉めた。
私事ですが、色々事情があって、
無麻酔で抜歯する危機が迫っているので、感想欄を一旦閉じます。
書き溜めがあるので更新は大丈夫です。
生きてたらまた開きます。




