32 番(2)
「あらがえないよ」
レイは困ったように笑って言う。
「そんなに楽しそうに夢を語る君に、僕はあらがえそうにない」
そして私をそっと抱きしめると、そのまま話し出す。
「君は僕の今までの努力を簡単に無駄にしてしまうんだから。僕がどんな気持ちで君に『番じゃない』と言ったか、どんな気持ちで君から離れたか、君に冷たくしたか分からないだろう」
「やっぱり私はあなたの番なのね?」
「そうだよ。もちろんそうだ」
レイはやっとそう認めた。
「君が花人だと知った時、確かに僕はすぐさま『異種族恋愛譚』を思い出した。メイナをバクスワルドに連れて帰りたかったけど、それはできないと思った。僕はメイナに死んでほしくなかったんだよ」
「心配性……」
私がボソッと呟くと、レイは一度私を離してから目を見て真剣に続けた。
「僕は君が凍死する事だけを心配していたわけじゃない。さっきも言ったようにバクスワルドでは一年を通して君にとって厳しい気温の日が多いし、それを毎年繰り返す。バクスワルドにいるだけで君は辛い日々を送る事になると思ったら、とてもじゃないけどメイナを連れてくる気にはなれなかった。君に無理をさせたくなかったんだ」
「分かったわ」
はいはい、と流したい気持ちだったけど、一応ちゃんと頷いておいた。
レイは続ける。
「僕がミュランに住む事も考えた。そうすればメイナと一緒にいられると思って。だけど僕は貴族の出で、一人っ子だから家を継がなければいけない。うちは代々王族に仕えてきた家系なんだ。その家を簡単に潰す事はできない。それに、君が王女を支えたいと思うのと同じように、僕もダリオ殿下を支えたいと思ってる。彼はきっと素晴らしい王になる。それを側で見たいんだ」
「分かるわ」
今度は本気で返事をした。家や家族、仕えている主人や仕事の事。それら全てを簡単に放棄する事はできないだろうし、捨てて会ったばかりの私のところに来るような人だったら、私はレイを魅力的だとは思わなかっただろう。
レイは続ける。
「それにそれら全てを放り出してミュランに行ったとしても、仕事も家もなくした惨めな僕を君に見せたくなかった。仕事はすぐにまた見つけるとしてもね。格好悪いところは少しも見せたくないんだよ」
そこでレイはもう一度私を抱きしめる。
今度はさっきよりも強く。
「だけど君と離れる決断をするのが、どれだけ辛かったか。そうするのが君のためだと思わなければ、とてもじゃないが離れられなかった。なのに……僕は身を切られるような思いをしてミュランを発ったのに、君は王女の輿入れについて来るし……」
「それは私のせいじゃないわ。パトリシア様に頼まれたから」
恨みがましく言うレイにそう反論する。
レイは私の肩に顔を埋めて、独り言のように続ける。
「君の身の安全を考えて無理やりミュランに帰すべきか、君の夢を応援するべきか、僕はどちらを選択すればいいんだろう」
まだ迷っているのかと思ったけど、レイの中では答えは出ているようだった。
「頭では君をミュランに帰すべきだと思っているんだけど、君があんなに楽しそうに夢を語るから、僕はそれにはあらがえない。とてもじゃないけど。番の気持ちを無視はできないんだ」
私はレイの腕に埋もれながら話を聞いていた。
「ミュランにいた時は、僕は君と離れられた。それはメイナがまだそれほど僕の事を好きじゃなく、僕と離れたくないと強く思っているわけではなかったからだ」
「じゃあ私が行かないでと泣いていたら、レイはずっとミュランにいてくれたの?」
「そうだね。君がそれを本当に望んだならそうしただろう。家の事やダリオ殿下の事を信頼できる誰かに任せてね。だから今回も、君の望みを無下にはできない。君が本気で夢を叶えたいと思っているのが分かるから、僕にはそれを応援するしか選択肢が残されていないんだよ」
「ありがと」
私が笑って言うと、レイも体を起こして少し笑う。
「君が楽しそうだと僕も楽しいし、君が幸せだと僕も幸せなんだ。それに本当は、君の望みは何でも叶えてあげたい」
「なら、私が雪山に行きたいって言ったらどうする?」
冗談めかして尋ねてみた。レイは笑ったまま答える。
「もちろん止める。でもメイナが何が何でも絶対にそこに行きたいんだと望むなら、きっと最終的には僕が折れる事になるだろう。本当に行くとなったら、君が凍えて死んでしまわないように準備と調整はかなり入念にさせてもらうけどね」
「まぁ、今のところ雪山に興味はないから安心して」
雪山に住む人は何故かみんな髪が綺麗だとか、見た事もないような髪型をしている、なんていう噂を聞いたりすれば、もしかしたら研究しに行きたくなってしまうかもしれないけど……。
私はそんな事を考えた後で、話を戻した。
「でも、番じゃないなんて嘘をつかないで正直に言ってくれればよかったのに。花人である私の事が心配だから離れるんだよって。そうすれば私は無駄に腹立たしい思いをしなくて済んだのよ」
ちょっと怒りながら言う。
「それにバクスワルドに来た時だって、単に『早く帰れ』と言うんじゃなく、季節の寒暖差の大きいバクスワルドにいるより、気候の穏やかなミュランに戻った方が安全だよって素直に言ってくれたらよかったのに」
「でも、言ったところで君はミュランに帰った?」
「……帰らないけど……。パトリシア様の事もあるし」
私がぼそぼそと呟くと、レイは私の背に腕を回したまま続ける。
「君は自分の弱さを自覚してなかったから、言っても無駄だと思ったんだよ。さっきだって君は僕の事、心配性だって言っただろ? 正直に全部話しても、そんな事心配してるの? って笑って済ましていたに違いないよ」
その通りだと思ったので、私は何も言い返せずに黙った。
「番じゃないと嘘をついたのも、それが最善だと思ったからだ。正直に話をして、僕が良い人のままで別れれば、メイナはしばらく僕の事を引きずるかもしれないと思ったから」
「自信家ね」
少しの皮肉を込めて言ったが、レイは自分の容姿の良さを自覚しているかのように唇の端を持ち上げる。
「だってメイナは、僕がミュランにいた五日ほどで、すでにちょっと僕の事をいいなって思い始めていただろう? 僕がちょっと意識して顔を近づけたり笑いかけたりすると、ここが赤くなってたよ」
そこでレイは笑って、私の耳に軽く触れた。
私はまんまと顔を赤くしながら、でも恥ずかしいだけで嫌な気持ちにはならないまま言う。
「もう! からかうのはやめて」
「からかってないよ。可愛かったよって言いたかっただけ」
そこで少し真剣な声になって、レイは続ける。
「腹立たしい思いをさせた事は謝るよ。でもミュランを離れる時、僕は嫌な奴になった方がいいと思ったんだ。それにメイナがバクスワルドに来てからも、僕が冷たく接した方が、君がミュランに戻ってくれる可能性が高いと思ったから。僕に腹を立てて帰ってほしかったんだよ」
「そんな事では帰らないわ。仕事もあるのに」
「そうだね。僕が浅はかだった。君の仕事に対する情熱を見くびってた」
そしてレイは表情を変え、余裕を見せてほほ笑むと、話題を変える。
「――ところで、メイナからこういう話を振ってきたという事は、もう覚悟はできているんだよね?」
「覚悟……?」
レイがあまりに爽やかな笑顔を見せるので、私は警戒した。
「君は僕にメイナは番だと認めさせて、夢を語って、それを邪魔するなと言った。となれば、僕はもうメイナを番として思い切り大事にして、夢を追う君を支えて守っていくしかない」
「しかない事はないと思うけど……」
「覚悟して、メイナ」
おじけづく私に、レイはとても良い笑みを浮かべて言う。
「番に対する竜人の愛は、すごく重いからね。しかもこれからはそれを隠さなくてもいいんだから」
これは逃げられそうにないなと、私はぎこちなく笑みを返した。
眠れる竜を起こしてしまったような気持ちだ……。




