31 番(1)
パトリシア様とダリオ殿下の結婚式は、大成功だった。
おごそかな式は滞りなく進み、その後で二人が城のバルコニーから姿を現すと、正面の庭園に詰めかけた人々からは大きな歓声が上がった。
「本当に髪が短くなっているわ。可哀想に」
「ええ、私だったらあんなふうに気丈に笑っていられない」
「でも見て。短くても素敵よ。華やかで明るくて、女性らしい髪型だわ」
「髪を短くするなんて考えた事なかったけど、ああやってパトリシア様が短くしているのを見てみたら、全然おかしくないのね。それどころかとても可愛いわ」
城に詰めかけた民衆に混じって端の方でパトリシア様を見上げていた私は、「そうでしょう、そうでしょう」と心の中で頷く。
竜人たちはみんなパトリシア様に同情し、でも彼女の笑顔に強さを感じ、そして新しい髪型に興味を惹かれている。
「あら? あなたも髪が短いのね」
と、近くにいた女性が私に気づいてそう言った。
「こんなに短いのに今まで隣りにいて気づかなかったわ。とても馴染んでいて、変に目立っていないから」
「ありがとうございます。実は私はパトリシア様の髪結師なんですが、髪を切るのも得意なんです。ちなみにこれ、今日のパトリシア様の髪型です。あとこっちは私の髪型です」
私は抱えていた大量のビラから、一枚を女性に渡した。ビラには、例によってパトリシア様の今日の髪型の結い方をイラストで載せている。
それに髪を切る時の参考になればと、短くなった私の髪型と、他に短い髪型の案をいくつか。竜人の人たちは真っ直ぐな髪を持つ人が多いから、彼女たちに似合うようなものを考えた。
「もしもあなたが髪を短くしたいと思われた時は、理髪店でこのイラストを見せて、こういう髪にしたいと頼まれるといいですよ。こちらのパトリシア様の髪型の方は、もし周りで結婚される女性がいれば、よろしければ是非こういう髪型も勧めてみてください」
「まぁ! 実は私、来年結婚するのよ。それで今日はパトリシア様がどんなドレスを着て、どんな髪型で式を挙げられるのか見に来たの。参考にしたいと思って。髪は……決意が決まれば私も切ってみようかしら。新しい事って大好きなの」
女性は笑って言う。
若い人の方が受け入れてもらいやすいのかと思いきや、意外と年配の女性の食いつきもよかった。ビラを渡した、ある初老の女性にはこう言われた。
「長年こうやって後ろで髪を縛っていたから、年を取ってくるとおでこの辺りから薄くなってきてね。それにいくら手入れをしても髪の艶はなくなって汚くなってくるし、いっそ短くできたら楽なのにと思っていたんだよ。でも、今まではできなかった。女なのに短くして、って後ろ指さされるからね。でもこれからは大丈夫だね。なにせ王女様が短くされているんだから。私もさっそく髪を切るよ」
そうして、大量に刷ったビラはあっという間にみんなに貰われてなくなったのだった。
パトリシア様とダリオ殿下もみんなから祝福されて、バクスワルドは前向きな明るい空気に包まれている。
この二人なら国を良い方向に導いてくれるだろうと、竜人たちは今日思う事ができたのだろう。
「さて、あとは自分の事だわ」
私は青い空を見上げてそう呟いた。
「メイナ」
結婚式の翌日。
日傘をさして中庭を歩いていると、後ろからやってきたレイに声をかけられた。
「散歩? まだ昼間は暑いから、あまり外を歩かない方がいいと思うけど」
「あまり長時間は歩かないから大丈夫よ。レイは仕事は?」
「今は昼休憩の途中だよ」
そう言いながら、レイは私の手を引いて中庭の隅の日陰まで連れて行った。
「花を見てたのに。ところでレイは私を見つけるのが上手ね。何故中庭にいると分かったの?」
「たまたま見つけただけだよ」
早口でそう言ってから、レイはこう続ける。
「新しい髪結師見習いの事だけど、キリアンがああなったからには、また違う人を雇わないといけないね」
「雇わないといけない、という事はないわ。もし私なんかの技術を学びたいという人がいれば喜んで受け入れるけど、私の代わりを急いで探す必要はないの。だって昨日、パトリシア様がこう言ってくださったから」
私はパトリシア様の上品な口調を真似して言う。
「『最初は私がバクスワルドに慣れるまで、と言っていたけれど、やっぱり頼りになるメイナの事は手放したくないわ。今回の件でより強くそう思ったの。できればずっとバクスワルドで私を支えてほしい』って」
得意げに胸を張る私とは反対に、レイは顔をしかめた。
「それでメイナはその通りにするつもりなのか? ずっとバクスワルドにいるつもりだと?」
「そうしようと考えてるわ。パトリシア様と違って私は気軽にミュランに帰れる立場だから、休みがもらえればまた両親に顔を見せに行けばいいし。誰かさんと違ってパトリシア様はご自分の気持ちを素直に伝えてくださるから、それに応えたいと思うのよね」
「誰かさんって?」
本気で分かっていない様子で片眉を上げているレイに、私はぴしゃりと言う。
「あなたよ」
私は日傘を閉じながら続ける。
「レイは私の事を心配してバクスワルドから追い出そうとしているんでしょう? 冷たいかと思えば私の事を心配してきたり、よく分からないあなたの態度に最初は戸惑ったけど、さすがにもう気づいたわ。私、『異種族恋愛譚』を読んだの」
その中に出てくる、竜人の花人の話の概要はこうだ。
強い竜人と弱い花人は、話の中で正反対の存在として書かれている。けれど主人公の竜人は、ある花人の少女が自分の番だと気づいてしまった。
二人は想いを通じ合わせ、一緒に暮らすようになるが、竜人の力は花人にとっては少し強く、彼の些細な行動で花人が怪我をしてしまう事がよくあった。
手を握る時の強さでさえ、竜人は気を遣わなければならなかった。それこそ、花を握りつぶしてしまわないような力加減で、そっと握らなければならなかったのだ。
けれど一番の問題はそこではない。花人は気温の変化にも弱いのだ。
バクスワルドは四季の温度変化が激しい国で、花人が住むには厳しい環境だった。夏の盛りに花人はよく暑さにやられて倒れたし、冬の寒さには尚更弱かった。
そしてその年も、バクスワルドには例年通りの強い寒波がやってきて、国中を雪で真っ白に染め上げた。
毎年の事だし竜人たちは外に出ても平気だったが、花人はそうではなかった。竜人は自分の番を心配して家から出ないように言い、毎日暖炉の炎を暑いくらいに燃やし続けた。
けれどある日、食材の調達に出かけた竜人は、帰りに吹雪に見舞われて足止めを食らってしまう。
そして帰りの遅い竜人を心配した花人は竜人を迎えに行った。けれどバクスワルドの冬の寒さに、花人はあっという間に体温を奪われ、動けなくなってしまう。
やがて帰ってきた竜人が見たのは、道端で凍りついて死んでいる愛しい番の姿だった。竜人はいつまでもその場を離れようとはせず、冷たくなった番を抱いて泣いた――という悲しいお話だ。
「レイは私に、気候の穏やかなミュランに戻ってほしいんでしょう? バクスワルドで冬を越してほしくない」
これまでのレイの言動を思い出すと、そう考えて私に冷たい態度を取っていたんじゃないかと思う。
「『異種族恋愛譚』は作り話で、実話じゃない。それは竜人のあなたもよく知っているはず。なのに話に影響されて私が凍死するのを心配するなんて、ちょっと……馬鹿げているから、やっぱり私の勘違いかとも思った。でも私が熱中症になった時のレイの行動とか、キリアンへの態度とか、色々な事を鑑みると、レイがものすごく心配性で過保護に思えてきたのよね。それでその予想通りにあなたが私に対して過保護なら、『異種族恋愛譚』というただのお話すら無視できなかったのかもって」
私はちらりとレイを見上げた。「あなた私の事大好きなんでしょ?」と訊いているようで恥ずかしくもあるけど、レイのよく分からない態度に振り回されるのは嫌だし、ここで真実をはっきりさせておきたかった。
「メイナ、僕は……」
レイは迷うように言葉をのみ込む。表情は苦しげに見えた。
私は続ける。
「私は別に、番なんだから付き合ってよとか、そういう事が言いたくてあなたを問い詰めている訳じゃないのよ。ただ、もしも私の事を心配してバクスワルドから追い出そうとしているなら、それは無駄だって言いたいの。だって私、『異種族恋愛譚』に出てくる花人ほど弱くはないもの。そう簡単に凍死なんてしないし、手だって普通に握られても折れたりしない。だってこの手が花みたいにか弱く見える?」
何の変哲もない、普通の手が。
しかしレイはすぐにこう返してくる。
「見えるよ」
「……今は怪我をしているから」
「怪我をしていなくても僕が強く握ったら折れそうだ。それにメイナはまだバクスワルドの冬を経験していないのに本当に大丈夫だって言い切れる? 確かに『異種族恋愛譚』の花人の話の舞台はバクスワルドの北の地域だけど、この王都だって冬はたくさん雪が積もるんだよ。凍てつくような寒さの中では花は咲いていられないだろ? だいたい君はすでに熱中症になって倒れているんだから、いくら大丈夫だと言っても信用できない」
「熱中症になったのは、暖炉とアイロンを使ったからで……」
急にすごい勢いで喋りだしたレイに、今度は私がうろたえて黙る。
レイは厳しい口調で言った。
「暖炉とアイロンを使おうと判断したのがそもそも間違いだった。いくら王妃に依頼されたと言っても、君なら他の方法で髪を結っても王妃を満足させられたはず」
「う……」
「君は自分の弱さを自覚していない。自分は人間とほとんど変わらないと思っている。だから僕は余計に心配なんだよ。君の言う『大丈夫』は全然信じられない」
「……」
「それに冬や夏は一度来たら終わりじゃないんだよ。バクスワルドでは、おそらく君にとって快適な気温の日なんて一年で数週間か数ヶ月しかなく、あとのほとんどは暑さや寒さに耐えなければならないけど、それを毎年毎年繰り返さなければならないんだ。それをちゃんと分かってる?」
何も言い返せずに、私はふてくされて黙った。
いつの間にか私が叱られている。何故なのか。こういう方向に話を持っていきたかった訳ではないのに。
「ああ、もう!」
やがて私は大きな声を出した。
「夏の暑さや冬の寒さに毎年耐えなきゃならない事は覚悟するし、体調にも気をつけるわ。自分の事を過信しない。私は人間より弱い部分もあるから。それでいいでしょ?」
そして本当に言いたかった事を伝える。
「もう一度言い直すけど、私の事を心配してバクスワルドから追い出そうとしているならそれは無駄なの。何故なら私はここでやりたい事ができたからよ」
「パトリシア王女を支える事?」
「それもそうだけど、他にも色々あるわ」
私はやる気と希望をにじませて言う。
「パトリシア様だけじゃなく、一般の竜人女性たちの髪も整えたいの。これからきっと髪を短くしたいという人が増えるはずだから、彼女たちがちゃんと満足できるように髪を切ってあげたい。だから、いつか城の近くに店を出せたらと思ってる。細かい希望を一人一人訊いて、その人に一番似合う髪型を提案したいの。竜人の女性たちをもっともっと魅力的にしたい。みんなに輝いてほしい」
言っているうちに楽しくなってきた。
私は続けて、明るく夢を語る。
「私一人じゃ手が足りないから後輩も育てたいし、バクスワルドの職人さん――他の理髪師さんとか、髪飾りを作ってくれる職人さんとも交流して学びたいし、それに髪の結い方やアレンジ方法、髪を切る時に参考になるように髪型のイラストを載せた雑誌みたいなものも作りたい」
力強く言って、こう続ける。
「店を出すとか雑誌とか、今はまだ夢物語のようなものだけど、でも実現できるようにこれから動いていくつもり」
私は自分の思い描く未来にわくわくしながら、レイを真っ直ぐ見つめた。
「バクスワルドでやりたい事がたくさんあるの。それを応援してとは言わないけど、邪魔はしないで。私は絶対、まだミュランには帰らないわ」
勝ち気に笑ってそう言い切る。
と、レイは目を軽く見開いてぽかんとした後、片手で自分の顔を覆った。
「レイ?」
数秒そのまま固まっていたけれど、やがて表情を隠していた手をどけると、レイは困ったような――けれど私につられたのかわくわくもしているような、そんなほほ笑みを見せる。
「あらがえないよ」




